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対英感情は何故に悪化したか 1938年09月01日

 対英感情は何故に悪化したか(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)


     對英感情ハ何故ニ惡化シタカ    (一三、九、一)(改三)

一、間接的原因

(一)世界大戦迄は英国は遺憾なく日本を利用した、帝政露国の支那侵略に対しても、印度の独立抑圧にも、支那の排外行動阻止にも、将た又英国艦隊の北海集中後に於ける自治領の警備にも凡有る機会に日本の兵力と好意とを駆使した、然るに一度講和となるや其の態度は俄然一変して、所謂卓子より零れ落ちる「パン」屑さへも日本の手に落ちるを拒んだ、夫は巴里会議に於ける日本の孤立無援となり、華府会議に於ける五、五、三海軍比率の強要となり、山東の還付となり、日英同盟の廃棄となり、九ケ国条約となり、遂には近年に於ける日本貿易に対する全面的悪性迫害となつて顕はれたのである。

(二)大戦後英国が日本民族の正当なる生存と発展とに対する圧迫は、■に自国領土並に植民地に於てのみでなく、蘭領印度、支那、其の他英国の政治的又は経済的支配勢力を有する全世界各地に於て然りである、近年に於ける支那の排日侮日政策、蘭領印度其の他に於ける傲慢不遜なる対日態度は、何れも背後に英国の援助或は使嗾あるは日本国民の確信する所である、殊に、排日を国策とする蒋介石政権に対する英国の経済的援助は、単に我が国を駆逐して英国勢力の対支進出を意味する許りでなく、支那を傀儡とする軍事的、経済的日本圧迫に外ならぬ、従つて亜細亜に於ける発展は我が民族死活の問題なるだけに、深刻なる対英憤懣を感ずるは当然のことである。

(三)■に外交上、経済上の圧迫のみに止まらず、自国過去の業蹟は全く棚に上げ、日本の為す所行ふ所悉く之を侵略、若くは不正行為呼ばりをなし、「ロイテル」其の他の通信網を総動員して、世界輿論の反日化に狂奔し、諸国を誘つて所謂対日包囲陣を形成し、甚だしきは共産国蘇連迄も一翼として集団的圧迫を加ふるが如き、全く国家利己主義の極端なるものと謂はざるを得ないのである。

二、直接的原因

(イ)支那事変に於ける英国の態度は我に敵意を有するものと断ぜざるを得ない。

   是は日本の対英感情悪化の直接原因である。英国自らは中立公正の態度を維持しつつありと称するも、其の然らざる所以は次の如き具体的事実が之を立証する

(一)上海戦の初期、日本居留民が最大の危険に瀕したる時機に於て、之が保護の任にある出雲の錨地変更を強要し、又陸戦隊(十数倍の支那軍に包囲せられ奮戦しつつある)を撤退して第三国軍隊に邦人の保護を委任せよと要求せるが如きは、実に当時の情況を無視し日本軍隊の権威を蹂躙し、帝国に最も不利なる条件を強制せんとしたものである。

(二)出雲襲撃の支那税関監視艇は、八月十六日英国軍艦に庇護されて黄浦江を遡江し来り、翌十七日出雲に水雷襲撃を行つたことは紛れもなき事実である。

(三)又出雲襲撃の機械水雷が、「上海ドツク」構内から電線を導いてあつたにも拘らず、之を調査に行つた我が調査員の行動に対し逆捩的に日本陸戦隊の不法侵入を抗議して来た。

(四)英国は日本が共同租界を「オペレーシヨン、ベース」として使用することを度々抗議して居るが、共同租界が反日陰謀策動の根拠であり、又反日放送、反日通信の巣窟たるに拘らず、寧ろ之を庇護し、又支那軍に対する物資供給に付黙認の態度をとり、其の軍事行動を幇助したことは確証が存する。

      彼の昨年十月四行上海貯蓄倉庫に立籠つた支那軍に、食料其の他の援助を与へたるが如きは其の一例に過ぎない。

(五)日支間事実上の戦争行はれ居るに際し、香港経由の英国軍需品の数量の点も素よりであるが、寧ろ第三国よりする輸入軍需品の最大通過港と化したる事実に加ふるに、第三国の特権を濫用して、支那の抗戦能力増大に凡有る便宜を供与しつつあることは、日本に対する一種の敵対行為と断ぜざるを得ない。此の点に付、英国は世界大戦に際し、独逸近隣の中立国港湾さへも封鎖したることを三省すべきである。

      尚英国は他国に比し極小量の軍需品しか供給し居らずと弁明これ努めつつあるも、「グロースター、グラヂエーター」戦闘機の如きは六七十機にも達すべく、此等は英人技師に依り組立てられ本年初頭以来戦線に現れ、我海軍の手により撃墜せるもののみでも四十数機の多きに上つている。

(六)香港沖に於ける長期の英艦隊の訓練の如きは、勿論英国の自由には相違ないが、従来の慣例を破る威嚇的妨害的のものであつて、我が封鎖部隊の感情が極度に刺戟せられたのは当然すぎる程当然である。

(七)十一月四日夜、我が杭州湾上陸輸送船隊が揚子江口沖を横過するに方り、一英駆逐艦が香港へ向ふと称しつつ、甚だ不自然なる航路をとつて我が上陸部隊の行動を偵察妨害しやうとした行動は、艦隊将士の甚だしく憤激したところである。

(八)揚子江に於て英国砲艦は屢々故意に我作戦を妨害した。其の主なるもの左の通りである。

(イ)南京及蕪湖泊地に於て、附近に我が艦船数十隻在泊したる為、屢々燈火管制を要望したるも遂に一回も実施せず、反之、漢口に於ては完全なる燈火管制をなして蒋政権に協力している。

(ロ)徐州作戦に際し、陸軍の大輸送の必要上邪魔になる英艦の錨地変更を交渉せるに頑として応ぜず、我が陸海軍憤激の的となつた。

(九)揚子江下流方面に於て、英国商船は「ゲリラ」隊に対し武器弾薬を供給しつつある疑は頗る濃厚である。

(一〇)今次事変が我方の現地解決、不拡大の方針に拘らず、専ら支那国民党政権の暴戻なる挑戦に依て拡大したる事実を故意に無視し、単に支那側の企図が失敗に帰して、逆に敗退遁竄の已むなきに至つた結果のみを捉へ、我が国を侵略国呼ばはりし、連盟総会、理事会等に策動して不当の決議をなさしめ、世界の反日輿論を煽動したのである。

(一一)「ロイテル」其の他英国系通信、新聞が日本軍のみが非人道的行為をなすが如く誇大に報道宣伝するに反し、通州の大虐殺事件や、敵の黄河堤防決潰の如き、悪処極まりなき行為に対しては故意に目を閉ぢて知らぬ振りをなし、専ら対日国際輿論の悪化に努めたことは今次事変に於て対英憎悪の念を起さしめた最大原因の一である。

      米国を抱き込んで連盟決議に導いたことも又九国条約国会議に導いたことも、英国の暗躍の結果であることは、凡ての日本人が百も承知しているところである。

(一二)通州事件や共同租界爆撃等に対しては、英国輿論は支那を難詰するどころか、一部論調の如きは寧ろ日本の責任なるかの如き不正極まる態度論調を示した。

      彼の「キヤセイ、ホテル」や新世界爆撃惨状の写真を載せても、支那の爆撃たることを記載せずして、恰も日本飛行機の所為なるかの印象を与ふるに力めて居た。

(一三)「パネー」号事件の際、英国は自国の「レデイバード」号問題はそつちのけで、専ら米国輿論の激化に狂奔し、反日共同戦線に米国を引入れんとして百方術策を弄したことは天下周知のことである。

(一四)厦門占領に際し、我が海軍陸戦隊が支那軍捕虜を射殺せりとの虚構の宣伝を、責任ある英外務次官自ら議会に於てこれを敢てし、世界輿論の悪化に努めた。

(一五)倫敦金融市場は日本の輸出入手形に対する割引を拒否する等経済的にも露骨なる非友誼的態度を示した。然るに支那に対しては二千万磅の「クレヂツト」は与へざりしも、他の方法に依る援助を考慮する旨首相が議会に於て言明して居る。

(一六)香港は英国の厳然たる領土である、然るに香港在留の日本人の保護上必要なりと称して其の集合を要求し、邦人の営業行動等に多大の不利不便を与へたるは如何に善意に解するも之を反日援支的態度と称せざるを得ない。若し英伊関係悪化せる場合、英人保護上必要なりと称して東京、横浜方面在住の英人を数ケ所に集合せしめたりと仮定すれば、英人は果して如何に感ずるであらうか。

(ロ)英国の対日態度は傲岸不遜にして宛然三等国扱ひをして居る、恰も明治初年「バークス」公使が恫喝と圧迫とを以て莅んだと同じ態度を六十年度の今日の日本に対して執つて居る。

(一)「ヒユーゲツセン」大使負傷事件の如き、国交上重大なる事件の処理に当つて、一方的不充分なる調査を基礎として高圧的非礼的言辞を以て直ちに抗議を発したのである。而も

  「右の如き事件は国際法も人間的良心も常にこれを命じ来れる、戦闘行為遂行中に於ける戦闘員非戦闘員の区別を没却する非合法的非人道的慣行に外ならず云々」なる字句の如きは、世界に於て最も軍規厳正なる日本海軍の所為に対して為されたる丈け、国民の血潮を逆流せしむる程度の暴言である。

(二)爆弾や砲弾の落下死傷事件が起きた場合に於ても、米国の態度は事実を「ノーチス」し、適当なる措置を講ずべきを要望し、友誼的且実際的なるに反し、英国は常に「プロテスト」を発するが如き印象を与へ、内容に於ても高圧的、誹謗的且「アカデミツク」であつて故意に、無統制なる日本軍隊の所為なるが如く痛罵するを例とした。

      無責任なる新聞記事なれば兎も角、英政府当局の言明又は公文に於て、日本民族或は軍隊が野蕃なる非人道的国民であるとか、或は無統制不規則なる軍隊であるとか呼ばれることは実に国際関係上由々しき侮辱である。

(三)上海西部に於て、我が飛行機が誤つて英陣地を爆撃し、為に死傷者を生じたとき陸戦隊参謀長が早速遺憾の意を表しに行つたのに対し、「スモーレツト」少将の応対振りは洵に暴慢不遜を極め、死者葬儀に参列供花の申出を拒絶したる態度の如きは我が出先軍部の極度の憤満を買つたものである。之を伊太利陣地に死者を生じたるときの伊太利の態度に比較すると雲泥の差であつて、全く日本は三等国扱ひである。

(四)南京爆撃通告に対して米仏の回答は居留民の居る限り外交官憲の立退きは困難なる旨を回答した極めて穏当なるものであつたに対し、英国のものは損害賠償とか、通告に余裕なきを責むるとか全然趣を異にして居た、万事此の形式である。

(五)蘇州河に於ける出雲「ベデツト」に対する不法事件に対する回答の如きも、「斯かる事実ありとすれば遺憾なり」と謂ふが如き言辞を弄し、自己の非を肯定するの雅量さへなく、全く他国民を自国の奴隷か野蕃国視せる感がある。

(六)「ベンネツト」、「ターナー」事件の如きは全く一方的調査を基礎として謝罪を要求するが如き不遜の態度に出でたのである。

(七)支那が揚子江を各所に於て沈船、防材、機雷を以て閉塞したる際には之を黙過し乍ら、我が海軍が戦闘行為に依り、多大の犠牲を払て之を啓開したる後には、強硬に其の開放を要求し、殊に現在我が軍が重要なる作戦を実施中である事を承知の上なるに於ては、驚くべき図々しさと云ふべきである

(八)海南島は支那の領土なるに拘らず、同島の問題に関し仏蘭西と共同して無礼極まる威嚇的通告を突付けた。

三、其の他の諸因

(一)事変以来英国の抗議又は抗議的通告は凡そ百九十回(総件数三五〇中五五%)に垂んとするが、損害賠償の問題等は一括して権利留保の通告で充分なるに拘らず、其の都度通告し来る許りでなく、明白に支那側に責任あること迄も我方に責任ある如く通告し来ることは軍部及外交当局の悪感を醸成しつつあること尠少でない。

(二)英国の過去は侵略と惨虐の歴史であるのみならず、最近に於ても「ワヂリスタン」、「アラビヤ」、「タンガニカ」等で随分惨忍なる方法で無辜の非戦闘員を計画的に爆撃殺戮して居るに拘らず、巧に之を隠蔽して自らは正義人道の権化の如く装ひ、我軍の広東軍事機関爆撃に際し、附近の市民に死傷者を生じたからと云て「カンタベリー」の僧正迄が乗り出して世界の輿論を煽動し、日本のみを侵略的非人道的民族なりと痛罵するのみならず、駐日大使が抗議をなす等、其の偽善的態度は、親英感情を有する多くの日本人さへも憤激を禁じ得ざるところである。

(三)英国自治領植民地に於ては盛に排日宣伝を続行し、「セシル」(Cecil)の如きは「カナダ」各地に於て対日経済制裁運動を行つている事実がある。支那に好感を有するの士が支那を弁護する程度は未だしもであるが、第三国たる英国が日本制裁の工作を運動するは、恰も英国と他国との紛争に於て日本が英国の制裁を云々するが如く、中立国の行動範囲を逸脱したものと謂はざるを得ない。

(四)前神戸米国人協会長 W.J.Sebald 氏は、昨年十月二十九日英文大毎主催の事変講演会に於て、日本に対して好意的忠言を試みたのであるが、之に対して上海香港銀行神戸支店長 David Maobean Rose 氏は面罵を浴せて居る。日本に対して忠言を為せる人物を、何の係りもない一英国人が罵倒するとは何故であるか、日本人の聞かんと欲する所である。

四、日英国交快復の鍵

英国が支那に最も多くの権益を有し、又最近特に支那の建設援助に力を入れた関係もあり、不知不識支那に同情的に陥ることは、或る程度日本としても推察出来るが、如上事実を指摘したところは決して不知不識の程度ではなく、明白に意識的であり且計画的である。

換言すれば、英国の繁栄の為に極東に於ける日本の生存権を犠牲に供して顧みず、支那の排日反日政府を助長育成したる結果が今日の日支紛争であつて、此の英国の反日態度が唯事変に依り表面化せるに過ぎないと観察せられる。従つて英国にして日本を圧迫して、其の極東繁栄を企図しやうとする根本方針を改めない限り、日英の国交調節は甚だ困難であると言はざるを得ない。

                               (終)

(アジア経済研究所図書館:https://d-arch.ide.go.jp/dlib/meta_pub/search-G0000008KISHIDB?q=B5-375)

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