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時局に伴う対蘇支両国作戦計画大綱 1931年11月16日

 時局に伴う対蘇支両国作戦計画大綱(ひらがな化、一部新字体化)               昭和六年十一月十六日 時局ニ伴フ對蘇支兩國作戰計畫大綱  第一、対蘇支戦争生起に関する情勢判断 一、本次満洲事変に引続き北満に於ける日蘇両国の利害相衝突し遂に日蘇の国交断絶し開戦状態となる 二、蘇国の対日開戦に力を得支那は我国に対し開戦を決意す 三、蘇国の操縦使嗾に因り支那軍の軍事行動は極めて活発となり其の我に向てする作戦行動は蘇軍の大規模作戦行動開始に先つことを予期す  第二、支那軍の作戦行動に関する判断 一、学良の麾下は蒋の補給に拠り平津を根拠として其の行動を策すへし 二、蒋の麾下は河南に集中し学良軍と相呼応し我軍の侵入に対し之か撃攘を図るへし 三、山西山東の諸軍も亦蘇国の態度右の如き場合に於ては張乃至蒋と合流し抗日の作戦に参加することを予期す  第三、蘇軍の作戦に関する判断 一、蘇国は己に北満を日軍に委ねたる以上其戦略的態勢極めて不利なるに鑑み先つ支那本部の支那軍を使嗾し我か兵力を極力其方面に牽制することを企図すへし 二、沿海州及黒龍州方面に於ては現在兵力を充実し該地方に対する日軍の侵入に対し極力持久を策すへし但し之か為当初一時朝鮮方面に対し攻勢的策動を実行するやも測られす 三、東支線に沿ふ地方に就ては当初其一部を以て呼倫貝爾地方を占有し逐次主力を支蘇国境以西に集中し支那本部方面戦況の推移を考慮しつつ自信ある兵力を有するの時期に至り我に向ひ攻勢を策すへし  第三、支蘇両国の兵力判断   一、平津方面 張軍約十一万   二、山東方面 約八万   三、山西軍  約八万   四、蒋介石軍(直系其他を含む)          約四十万   五、蘇国軍は西比利亜以東八師団    (内黒龍州沿海州三師団、後貝加爾以西五師団――内二師団は民兵師団とす)  第四、蘇軍の集中判断及支那軍の対日兵力に関する判断 一、蘇軍は開戦第四十日乃至第五十日の間に支蘇国境に跨り約七師団を集中し得へく其後西伯利線の加修と共に著しく輸送力を増加し第百日頃に於ては約二十師団を集中し得るものと判断す 二、支那軍中蒋介石直系軍中の幾何兵力か河南に集中し河北方面若は山東方面に進出して対日作戦に当るへきやは容易に判断し得さるも概略十万と考定し置くものとす而して此兵力か直に平津又は山東方面の第一線に参加して我...
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大東亜共栄圏確立に伴い価格形成上採るべき万策 1942年11月04日

 大東亜共栄圏確立に伴い価格形成上採るべき万策(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり) 大東亞共栄圈確立ニ伴ヒ價格形成上採ルベキ万策                     一七、一一、四 皇国の物価政策は支那事変勃発以来低物価堅持の基調の下に中央物価委員会決定の「初価統制大綱」に基き国際物価水準に照応し輸出増進を可能ならしむることを目標とし施策し来りたるも昭和十四年十月第二次欧州大戦の勃発に伴ふ諸般の情勢の変化に即応し政府は価格竝に其の構成要素の停止を眼目とする価格等統制令其の他の法令を公布し爾来極力当時の物価水準の維持を目途とし自主的物価の建設に邁進し来りたるは蓋し機宜に適したるものなり、然れども其の間に在りても皇国経済の実情は皇国物価の国際物価よりの完全なる離脱を許さす自主的物価の建設は絶えず阻碍されつつありたるも昭和十六年七月米英等の対日資産凍結更には大東亜戦争の勃発に因り米兵等との連繋は完全に遮断され茲に大東亜共栄圏を一丸とする自足時給経済の発足を見るに至れり、依つて政府は斯る情勢に即応する価格形成万策及之に関連する万策を樹立実施して自主的物価を建設し以て大東亜戦争遂行力の急速なる増強を図ると共に大東亜共営圏の恒久的建設を促進すること肝要なり 而して其の万策左記の如し        記 第一 方針 一、大東亜兵栄圏に於ける物価政策は囊に大東亜建設審議会に於て審議決定されたる大東亜金融財政及交易基本万策に依れば (一) 大東亜を通ずる生産の増強、物資の交流、労務の調達を円滑ならしめ且大東亜経済建設に関する各地域の負担を公正ならしむるものとし (二) 之か統制に付ては各地域の実情民度に応ぜしむるに在り 二、 而して右に基き差当り採るべき万策は (一) 皇国に於ては支那事変勃発以来の低物価堅持の方針を持続しつつ戦時の生産増強の要請に応じ之を最高度に可能ならしむべき価格形政万策を確立すると共に物価に関連ある財政、金融、産業、運輸、労務等各方面の施策に低物価堅持の方針に指向せしめ (二) 圏内各地域に於ては皇国の低物価堅持の方針に照応しつつ各地域の産業事情、民度等を勘案したる物価政策を樹立し以て戦争遂行上緊要なる物資の生産増強、物資交流の円滑化竝に各地域民生の安定を図り (三) 皇国と圈内各地域及各地域相互間の価格差を調整する為大東亜を通ずる交易竝に価格調...

本裁判所の管轄権に関する申立に対するコミンズ・カー氏の回答 1946年04月29日

 本裁判所の管轄権に関する申立に対するコミンズ・カー氏の回答(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)   本裁判所ノ管轄権ニ關スル申立ニ對スルコミンズ・カー氏ノ囘答  本申立は本裁判所の管轄権の全部を攻撃せむことを意味するものにあらず然れとも実際は本件起訴状の或訴因を削除せむとするの企画にして且本裁判所条令の或部分に対する攻撃なり右は全く「ポツダム」宣言及降伏文書の或辞句を狭義に解せむとする企図に起因するものなり右は此の基礎に於て至極容易に処理し得るものなり然れとも吾人は此の方式の近接に対し二の反対説を挙示せむとす  其の一は本裁判所設立の特別宣言の第一条第一項に見るか如く戦争犯罪人を裁判に附することの連合国国家の権利は「ポツダム」宣言の諸条項並に之に合体せる爾余の文書に対する日本政府の降伏文書に依る同意にのみ基くものにあらさるなり之に反して如何なる国家若くは国家群も条約に依り自ら其の権利を禁したるにあらさる限り戦争犯罪人を機会を有するときは何時にても亦何処にても裁判に附することの固有の権利を有す 此の原則は従来屢打立てられ一九三一年出版のストウエル氏の国際法五百九十七乃至五百九十八頁の左記章句の中に遺憾なく要約せられあるなり 「総合に■会せる諸国家は国際法の総ての権利を有するものにして夫は恰も往昔各族の集会か立法、司法、行政の全権を有したるか如きものなり一般的且正則的には個人の処罰は夙に唱へられし如く犯罪人の国家に委ねらるるものにして其の国家の懈怠若くは法の適用に失敗あるときは代りて行為を為す国家は其の場合同様の刑罰規定を適用するものなり然しなから国際社会を諸国家の平和に対する処罰せられさる犯罪の不名誉及危険より保護することを必要とする異常なる場合に於ては会議の参加国は事後に於て犯罪を定義し裁判所を構成し且裁判への服従を強制することを得へし然れとも斯の如き手続に於ては国際法は各個人に対し最少限度の安全を保障し且彼は法の正当なる手続を享有することなくしては審理せられ有罪の判決を受け又刑罰を受くることなきことを要するものなることを常に想起すへきなり」  第二の反対説は「ポツダム」宣言は連合国の意向に関して或条件を宣言書の形式に於て記載したりと雖も夫は第十三項に於て日本の全武裝兵力の無条件降伏を要求することを以て終れり  一九四五年八月十日瑞西国代理公使に依り...

全支排日運動の根源と其史的観察 1932年02月26日

 全支排日運動の根源と其史的観察(ひらがな化、一部新字体化、一部省略、附表省略) 全支排日運動の根源と其史的観察      目次 一 緒言 二 現代支那の指導原理と排外運動  1 三民主義  2 国民党の主義及対外政綱 三 排外特に排日運動の教育竝訓練  1 排外特に排日教育  2 排外民衆運勤の訓練 四 排日運動の歷史  1 明治四十一年辰丸事件後の排日運動  2 明治四十二年安奉線問題後の排日運動  3 大正四年二十一箇条問題後の排日運動  4 大正八年「五四運動」  5 大正十二年旅大回収運動に伴ふ排日運動  6 大正十四年「五卅運動」  7 大正十四、五年郭松齢事件に関する満洲増兵後の排日運動  8 昭和二年第一次山東出兵後の排日運動  9 昭和三年第二次山東出兵後の排日運動  10 昭和六年朝鮮事件後の排日運動  11 昭和六年満洲事変後の排日運動 五 排日運動に関する観察  1 排日運動の根柢は深い  2 排日運動は国策遂行の手段  3 排日運動の動機には不純なる点が少くない  4 排日は一種の職業化した  5 排日運動継続期間  6 排日の深刻化と在留邦人  7 排日と第三国の利用  8 排日運動の中心地方は支那本部特に長江流域である  9 共産思想の動きを注意せねばならぬ  10 支那は法治国たるの資格がない  11 排日運動は皇軍威力の発揮せられたる地には少い  12 排日の影響  13 排日停止は日支交涉開始の根本条件  附録 支那の対日不法行為一覧 全支排日運動の根源と其史的観察      一 緒言 支那の排外思想は別に昨今始めて起つたものではなく、昔から外国人を賤視した東夷南蛮流の思想にして、辛亥革命後特に濃厚になつた、即ち孫文が日清戦争当時布哇に「興中会」なる秘密結社を起した際、「我が中国は阿片戦争以来外国の圧迫を蒙つている、此圧迫から免れるには対外的に無力な満洲朝廷を倒さねばならぬ」と、倒満排外といふ指導原理を採用して以来、更に面目を一新して来たのである、而して此排外の最終目的は外国と対等の地位にまで支那を昂揚し、次で支那が世界に覇権を振はんとする、所謂中華的思想が基調をなしているのであるから、辛亥革命に依りて倒満興漢の第一目的を達成した後には、彼等の政策は単に排外に局限せられる訳で、現在に於ては一意此目的に向て邁進している次第で...

一般命令第七号 極東国際軍事裁判所裁判官の任命 1946年02月15日

 一般命令第七号 極東国際軍事裁判所裁判官の任命(ひらがな化、一部新字体化) 連合国軍最高司令官総司令部                             軍事郵便局                             第五百番 千九百四十六年二月十五日 一般命令第七号   極東国際軍事裁判所裁判官の任命 一、千九百四十五年(昭和二十年)九月二日日本東京湾に於て作製せられたる日本降伏文書及び千九百四十五年(昭和二十年)七月二十六日の「ポツダム」協定第十節を履行せんが為め且又極東国際軍事裁判所条例第二条の趣意に依り夫々の国家の左記受任者は正当に出廷せしめられたる人々の裁判の為めに極東国際軍事裁判所裁判官として茲に任命さる サー・ウイリアム・フラツド・ウエツブ(濠洲連邦) 判事イー・スチユアート・マツクドウガル閣下(加奈陀) 梅汝璈閣下(中華民国) アンリ・ランブルジエ閣下(仏蘭西共和国) 教授ベルナルド・ビクトル・エイ・ローリング閣下(和蘭王国) 判事エリマ・ハービー・ノースクロフト閣下(新西蘭) 判事アイ・エム・ザリヤーノフ閣下(「ソビエツト」社会主義共和国連邦) パトリツク卿(英国) 判事ヂヨン・ピー・ヒギンズ閣下(亜米利加合衆国) 二、ウイリアム・フラツド・ウエツブ卿は極東国際軍事裁判所長に指命さる 三、極東国際軍事裁判所条例(第一条)は本裁判所の常設地は之を東京となす旨定む 四、本裁判所裁判官の責任、権限及び義務は千九百四十六年(昭和二十一年)一月十九日当総司令部の一般命令第一号として発表せられたる本裁判所の条例中に指示しあり マツクアーサー元帥の命に依り 参謀部陸軍少将   参謀長 リチャード・ヂエー・マーシャル 正書 軍務局陸軍代将   軍副官 ビー・エム・フイツチ (Source:国立公文書館 A08071274100)

極東国際軍事裁判所条例 1946年04月26日

 極東国際軍事裁判所条例(ひらがな化、一部新字体化) 連合国最高司令官総司令部                   軍事郵便局 千九百四十六年四月二十六日      第五百番 一般命令第二十号 下記の如く題せる千九百四十六年 (昭和二十一年)一月十九日付連合国軍最高司令官総司令部一般命令第一号は之を改廃す 千九百四十六年(昭和二十一年)一月十九日付連合国軍最高司令官の宣言に依り制定せられたる極東国際軍事裁判所条例は之を左の如く訂正す    極東国際軍事裁判所条例    第一章 裁判所の構成 第一条 裁判所の設置 極東に於ける重大戦争犯罪人の公正且迅速なる審理及び処罰の為め茲に極東国際軍事裁判所を設置す 裁判所の常設地は東京とす 第二条 裁判官 本裁判所は降伏文書の署名国並に印度、比律賓国により申出でられたる人名中より連合国軍最高司令官の任命する六名以上十一名以内の裁判官を以て構成す 第三条 上級職員及び書記課 (イ)裁判長 連合国軍最高司令官は裁判官中の一名を裁判長に任命す (ロ)書記課 (一)裁判所書記課は連合国軍最高司令官の任命に係る書記長の外必要員数の副書記長、書記、 通事其の他の職員を以て構成す (二)書記長は書記課の事務を編成し之を指揮す (三)書記課は本裁判所に宛てられたる一切の文書を受理し、裁判所の記録を保管し、裁判所及び裁判官に対し必要なる書記事務を提供し其の他裁判所の指示する職務を遂行す 第四条 開廷及び定足数、投票及び欠席 (イ)開廷及び定足数 裁判官六名が出廷せる時該裁判官は裁判所の正式開廷を宣することを得 全裁判官の過半数の出席を以て定足数の成立要件とす (ロ)投票 有罪の認定及び刑の量定其の他本裁判所の為す一切の決定並に裁判は出席裁判官の投票の過半数を以て決す 賛否同数なる場合に於ては裁判長の投票を以て之を決す (ハ)欠席 裁判官にして万一欠席することあるも爾後出席し得るに至りたる場合に於ては其の後の凡ての審理に参加すべきものとす但公開の法廷に於て其の欠席中行はれたる審理に通暁せざるの理由により自己の無資格を宣当したる場合に於ては此の限りに非ず     第二章 管轄及び一般規定 第五条 人並に犯罪に関する管轄 本裁判所は、平和に対する罪を包含せる犯罪に付個人として又は団体構成員として訴迫せられたる極東戦争犯罪人を審理し処罰するの権限...

南支方面に於ける米国勢力の浸潤 1933年08月24日

 南支方面に於ける米国勢力の浸潤(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり、図省略) 昭和八年八月二十四日 支那時局報 第四十四號 南支方面ニ於ケル米國勢力ノ浸潤          参謀本部      目次 第一、 緒言 第二、 南京政府を通し航空勢力扶植の状況 第三、 米国系航空会社の南支発展 第四、 米支直通無線通信権問題 第五、 広東に於ける米国の策動 第六、 福建に於ける米国の策動 第七、 結言 附図  南支方面米国勢力侵入状況要図    第一、緒言 満洲事更発生以来我国朝野の関心は主として満蒙乃至北支方面に指向せらんありしか此間南支方面に在りては列強時に米国勢力浸潤の状顕著なるものあり 就中最も注目すヘきは米国航空勢力の進入なりとす即ち上海事件の苦杯に懲りたる支那官民の間に昨夏以来頓に抬頭し来れる航空救国運動は南支方面に於て最も熾烈を極めありしか適彼等の抱懐せる米国迎合主義乃王依米制日思想と相俟て茲に米国航空勢力南支進出の機運を激成し延いては一般軍事的、政治的竝経済的勢力の侵入を招来するに至り今や長江沿岸を始め浙江、福建、広東等南支沿海の諸要地に牢手抜くヘからさる勢力を扶植せんとしつヽあり加之最近福建沿岸に米国海空軍根拠地設定説伝ヘられ又米機に依る上海、香港、馬尼刺間試験飛行成功の情報あり斯くして南支方面に於ける米国の活動日と共に愈〻繁からんとし其動向は今や我か対支政策竝国防上軽視すヘからさるに至れり 依て前号時局報との重複をも厭はす左に其梗概を記述せんとす    第二、南京政府を通し航空勢力扶植の情况 一、中央空軍に対する米国勢力の確立 従来支那空軍は使用飛行機飛行士の技術等に於て著して不統一の弊を有せんか昨年末頃か改造の第一着手として一先つ部隊数を三機宛の三隊に縮編し之より生したる余力を挙けて悉く杭州飛行学校に集中し此処に於て米国教官指導の下に飛行士の統一教育を行ふことに定められ爾来該地に於ては退役米国航空兵大佐「ゼー、エッチ、ジョネット」を総顧問とし外に米人教官技師等十五名ありて校内の実権を掌握しあり(独人教官は昨秋飛行将校の抗州飛行学校副校長毛邦初打倒運動に連坐し辞職せしめられたり)又各航空隊は南京、漢口、南昌に配置せをれ近き将来に於て完備せらるヘき一隊七機(中央空軍の拡張計画は七機七隊、七団―計三百五十機と称せらる)の新鋭機は全部米機を以て...