ノモンハン事件経過の概要(不明文字あり、ひらがな化、一部新字体化、図省略) 第二篇「ノモンハン」事件経過の概要 本事件に関する戦史は今後の調査研究を俟ちて編纂配布せらるべきも本編は委員会の任務に基き昭和十四年十一月六日大本営陸軍部の調製に係る「ノモンハン」事件経過の概要を其の後の調査研究に依り加除修正したるものなり 然れども的確なる資料の收集未だ十分ならず為に過誤遺漏あるべきを予想しあり 第一章 事件発生の経緯 第一節 満蒙国境紛争の歴史 事件地方面国境は爾他方面満蒙国境と同様外蒙古の独立(一九一一年)及蒙古人民共和国の成立(一九一四年)並に満洲国の建国に至る迄は一行政区画の境界として「ハルハ」、「バルガ」、蒙古種族遊牧の地界たりしに過ぎさりしが清の雍正十二年(一七三四年)巴爾虎(呼倫貝爾)、喀爾喀(外蒙)間に牧地境界を設定せられて以来有利なる水草地帯の領有並に境界を超越せる宗教上の慣行等を繞り両族間の紛争絶えず大官の特派、文書及地図に依る裁定標識(卡倫及鄂博)の設置等数回に及べるも𠞷定法不完全なるのみならず文書及地図簡粗杜撰、既設標識亦滅失毀損して境界明確ならざる所多く未解決の儘なりしが外蒙古の独立、満洲国の建国に至りて新なる国際問題となれり 即ち満洲国建国以来日満の勢力僻遠に浸透し外蒙勢力と接触するに及び漸く国境紛争発生するに至り昭和十年一月喀爾喀廟に於ける武力衝突事件を契機として満蒙会議成立し両国代表満洲里に会して喀爾喀廟附近の帰属に関して商議せしが両国各ゝ其の主義を固執して相譲らず爾後昭和十一年同十二年に亘り会議続開せられたるも外蒙側の誠意見るべきものなく支那事変の進展に伴ひ休会の儘今日に至れり其の間紛争は逐年険悪化し「ブルンデス」、「タウラン」等の武力衝突事件発生せり 「ノモンハン」方面に就ては満洲国は各種の文献を基礎とし「ハルハ」河を以て国境なりとする主張を堅持し来りしが昭和十年満洲里会議進行中六月「ホルステン」河附近に於て作業中なりし関東軍測量手被拉致事件突発し該方面の国境線議題に上りしに外蒙側は「ノモンハン」附近を以て国境なりとし(今次事件押収地図に因り「ノモンハンブルトネオボー」西南三粁附近より概ね東南及西北に通ずる線を以て国境と看做しあること判明す)何等の決定を見るに至らず其の後十三年秋に至る迄同方面に於ては時に...
極東国際軍事裁判記録 起訴状附属書E(ひらがな化、一部新字体化) 附属書E 起訴状に記載の犯罪に対する個人的責任に関する記述 以下に於て各被告の氏名の次に示されたる記述は検察当局に於て他の事項と共に当該被告の個人的責任を確証するものとして依存する事項たり 各被告がその占むる地位よりする権力威信及び個人的勢力を本起訴状中当該被告の氏名を記載せる各訴因に掲げられたる犯行を促進し且遂行する為めに用ひたることが罪に問はるヽものとす 各被告が以下に於てその氏名に対し掲げられたる期間中彼が閣員たりし諸内閣及び彼が支配的地位を有せし一般官庁機関、陸軍機関又は海軍機関の凡ての行為又は懈怠行為に対する責任者の一人たりしことが罪に問はるヽものとす 各被告がその氏名の後に掲げられたる番号により示さるヽ通り千九百四十一年(昭和十六年)十二月七日、八日の不法なる戦争を準備しこれに導きたる千九百四十一年(昭和十六年)に於ける左記時日又はその頃開催せられたる会議及び閣議の幾つかに於て採択せられたる諸決議の際に出席し且これに同意せしことが罪に問はるヽものとす 一、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十五日(連絡会議) 二、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十六日(連絡会議) 三、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十七日(連絡会議) 四、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十八日(連絡会議) 五、千九百四十一年(昭和十六年) 六月 三十日(軍事参議官会議) 六、千九百四十一年(昭和十六年) 七月 二 日(御前会議) 七、千九百四十一年(昭和十六年) 八月 七 日(思想審議会) 八、千九百四十一年(昭和十六年) 八月二十二日(閣議) 九、千九百四十一年(昭和十六年) 九月 六 日(御前会議) 十、千九百四十一年(昭和十六年) 十月 十七日(重臣会議) 十一、千九百四十一年(昭和十六年)十一月二十八日(連絡会議) 十二、千九百四十一年(昭和十六年)十一月二十九日(重臣会議) 十三、千九百四十一年(昭和十六年)十二月 一 日(御前会議) 十四、千九百四十一年(昭和十六年)十二月 一 日(閣議) 荒木 被告荒木は千九百二十八年(昭和三年)より千九百四十五年(昭和二十年)に至る迄の期間に於て就中左記の地位を占め居たり即ち 教育総監部本部長(千九百三十一年)(昭和六年...