全支排日運動の根源と其史的観察(ひらがな化、一部新字体化、一部省略、附表省略) 全支排日運動の根源と其史的観察 目次 一 緒言 二 現代支那の指導原理と排外運動 1 三民主義 2 国民党の主義及対外政綱 三 排外特に排日運動の教育竝訓練 1 排外特に排日教育 2 排外民衆運勤の訓練 四 排日運動の歷史 1 明治四十一年辰丸事件後の排日運動 2 明治四十二年安奉線問題後の排日運動 3 大正四年二十一箇条問題後の排日運動 4 大正八年「五四運動」 5 大正十二年旅大回収運動に伴ふ排日運動 6 大正十四年「五卅運動」 7 大正十四、五年郭松齢事件に関する満洲増兵後の排日運動 8 昭和二年第一次山東出兵後の排日運動 9 昭和三年第二次山東出兵後の排日運動 10 昭和六年朝鮮事件後の排日運動 11 昭和六年満洲事変後の排日運動 五 排日運動に関する観察 1 排日運動の根柢は深い 2 排日運動は国策遂行の手段 3 排日運動の動機には不純なる点が少くない 4 排日は一種の職業化した 5 排日運動継続期間 6 排日の深刻化と在留邦人 7 排日と第三国の利用 8 排日運動の中心地方は支那本部特に長江流域である 9 共産思想の動きを注意せねばならぬ 10 支那は法治国たるの資格がない 11 排日運動は皇軍威力の発揮せられたる地には少い 12 排日の影響 13 排日停止は日支交涉開始の根本条件 附録 支那の対日不法行為一覧 全支排日運動の根源と其史的観察 一 緒言 支那の排外思想は別に昨今始めて起つたものではなく、昔から外国人を賤視した東夷南蛮流の思想にして、辛亥革命後特に濃厚になつた、即ち孫文が日清戦争当時布哇に「興中会」なる秘密結社を起した際、「我が中国は阿片戦争以来外国の圧迫を蒙つている、此圧迫から免れるには対外的に無力な満洲朝廷を倒さねばならぬ」と、倒満排外といふ指導原理を採用して以来、更に面目を一新して来たのである、而して此排外の最終目的は外国と対等の地位にまで支那を昂揚し、次で支那が世界に覇権を振はんとする、所謂中華的思想が基調をなしているのであるから、辛亥革命に依りて倒満興漢の第一目的を達成した後には、彼等の政策は単に排外に局限せられる訳で、現在に於ては一意此目的に向て邁進している次第で...
一般命令第七号 極東国際軍事裁判所裁判官の任命(ひらがな化、一部新字体化) 連合国軍最高司令官総司令部 軍事郵便局 第五百番 千九百四十六年二月十五日 一般命令第七号 極東国際軍事裁判所裁判官の任命 一、千九百四十五年(昭和二十年)九月二日日本東京湾に於て作製せられたる日本降伏文書及び千九百四十五年(昭和二十年)七月二十六日の「ポツダム」協定第十節を履行せんが為め且又極東国際軍事裁判所条例第二条の趣意に依り夫々の国家の左記受任者は正当に出廷せしめられたる人々の裁判の為めに極東国際軍事裁判所裁判官として茲に任命さる サー・ウイリアム・フラツド・ウエツブ(濠洲連邦) 判事イー・スチユアート・マツクドウガル閣下(加奈陀) 梅汝璈閣下(中華民国) アンリ・ランブルジエ閣下(仏蘭西共和国) 教授ベルナルド・ビクトル・エイ・ローリング閣下(和蘭王国) 判事エリマ・ハービー・ノースクロフト閣下(新西蘭) 判事アイ・エム・ザリヤーノフ閣下(「ソビエツト」社会主義共和国連邦) パトリツク卿(英国) 判事ヂヨン・ピー・ヒギンズ閣下(亜米利加合衆国) 二、ウイリアム・フラツド・ウエツブ卿は極東国際軍事裁判所長に指命さる 三、極東国際軍事裁判所条例(第一条)は本裁判所の常設地は之を東京となす旨定む 四、本裁判所裁判官の責任、権限及び義務は千九百四十六年(昭和二十一年)一月十九日当総司令部の一般命令第一号として発表せられたる本裁判所の条例中に指示しあり マツクアーサー元帥の命に依り 参謀部陸軍少将 参謀長 リチャード・ヂエー・マーシャル 正書 軍務局陸軍代将 軍副官 ビー・エム・フイツチ (Source:国立公文書館 A08071274100)