スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

南支方面に於ける米国勢力の浸潤 1933年08月24日

 南支方面に於ける米国勢力の浸潤(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり、図省略) 昭和八年八月二十四日 支那時局報 第四十四號 南支方面ニ於ケル米國勢力ノ浸潤          参謀本部      目次 第一、 緒言 第二、 南京政府を通し航空勢力扶植の状況 第三、 米国系航空会社の南支発展 第四、 米支直通無線通信権問題 第五、 広東に於ける米国の策動 第六、 福建に於ける米国の策動 第七、 結言 附図  南支方面米国勢力侵入状況要図    第一、緒言 満洲事更発生以来我国朝野の関心は主として満蒙乃至北支方面に指向せらんありしか此間南支方面に在りては列強時に米国勢力浸潤の状顕著なるものあり 就中最も注目すヘきは米国航空勢力の進入なりとす即ち上海事件の苦杯に懲りたる支那官民の間に昨夏以来頓に抬頭し来れる航空救国運動は南支方面に於て最も熾烈を極めありしか適彼等の抱懐せる米国迎合主義乃王依米制日思想と相俟て茲に米国航空勢力南支進出の機運を激成し延いては一般軍事的、政治的竝経済的勢力の侵入を招来するに至り今や長江沿岸を始め浙江、福建、広東等南支沿海の諸要地に牢手抜くヘからさる勢力を扶植せんとしつヽあり加之最近福建沿岸に米国海空軍根拠地設定説伝ヘられ又米機に依る上海、香港、馬尼刺間試験飛行成功の情報あり斯くして南支方面に於ける米国の活動日と共に愈〻繁からんとし其動向は今や我か対支政策竝国防上軽視すヘからさるに至れり 依て前号時局報との重複をも厭はす左に其梗概を記述せんとす    第二、南京政府を通し航空勢力扶植の情况 一、中央空軍に対する米国勢力の確立 従来支那空軍は使用飛行機飛行士の技術等に於て著して不統一の弊を有せんか昨年末頃か改造の第一着手として一先つ部隊数を三機宛の三隊に縮編し之より生したる余力を挙けて悉く杭州飛行学校に集中し此処に於て米国教官指導の下に飛行士の統一教育を行ふことに定められ爾来該地に於ては退役米国航空兵大佐「ゼー、エッチ、ジョネット」を総顧問とし外に米人教官技師等十五名ありて校内の実権を掌握しあり(独人教官は昨秋飛行将校の抗州飛行学校副校長毛邦初打倒運動に連坐し辞職せしめられたり)又各航空隊は南京、漢口、南昌に配置せをれ近き将来に於て完備せらるヘき一隊七機(中央空軍の拡張計画は七機七隊、七団―計三百五十機と称せらる)の新鋭機は全部米機を以て...
最近の投稿

極東国際軍事裁判別宣言書 1946年04月29日

 極東国際軍事裁判記録 別宣言書(ひらがな化、一部新字体化)      別宣言書      極東国際軍事裁判所の設定 枢軸諸国家の不法なる侵略戦争に反抗せる合衆国並に之が連合諸国家は戦争犯罪人は裁判に附せらるべしとの意図の宣言を隨時寫し来りたるが故に日本と戦争状態にありたる連合図の諸政府は一九四五年七月二十六日ポツダムに於て降伏条件の一として吾等の捕虜に対し残虐行為を生しめたる者を含む総ての戦争犯罪人に対し峻厳なる裁判が行はるべきことを宣言したるが故に 一九四五年九月二日日本東京湾に於て調印されたる日本の降伏文書に依り天皇並に日本政府の命に基き且之を代表し行動したる日本の調印者はポツダムにおける右宣言に規定されたる条件を受諾したるが故に 右降伏文書により、日本国家を統治する天皇並に日本政府の権限は降伏条件遂行のため適当と認むる手段を採る権限を附与せられたる連合国最高司令官の権力下に置かるるに至れるが故に 下名は連合国に依り日本武裝軍隊の全面的降伏を遂行すべき連合国最高司令官として指名せられたるが故に 合衆国、大ブリテン国及びソ連邦は、一九四五年十二月二十六日モスコー会議に於て、日本に依る降伏条件の履行につき考究したる上中華民国の同意をも得て最高司令官が降伏条件を実施せしむるための一切の命令を発すべきことを合意したるが故に 然るが故に茲に連合国最高司令官たる本官、ダグラス、マツクアーサーは本官に附与されたる権限に因り戦争犯罪人を峻厳なる裁判に附すべき事を要求する降伏条件遂行のため左の通り命令し規定す 第一条 平和に対する罪又は平和に対する罪を含む犯罪に付き訴追せられたる個人又は団体員又は其双方の資格に於ける人々の審理のため、極東国際軍事裁判所を設置す 第二条 本裁判所の構成、管轄及権能は本官により本日承認せられたる極東国際軍事裁判所条例中に規定せられたる所によるものとす 第三条 本命令中の如何なる事項も戦争犯罪人の審理のため日本若くは日本が戦争状態にありたる「国際連合」加盟国の如何なる領土内に設置せられ若くは設置せらるべき他の如何なる国際、国内若くは占領地法廷、委員会又は其他の裁判所の管轄を妨ぐる事なきものとす 本、一九四六年一月十九日 東京に於て 本官の署名の下に之を発す 連合国最高司令官   陸軍元師 ダグラス マツクアーサー (Source:国立公文書館...

極東国際軍事裁判開廷声明書 1946年04月29日

 極東国際軍事裁判記録 開廷声明書(ひらがな化、一部新字体化)       開廷聲明書  法廷の許しを受けて 検察は次に順序として起訴状の附属書Aの第六章に掲げたる項目を支持する為の証拠を提出する。 特に、訴因第一乃至第十七項、第二十三項、第二十五乃至第三十三項、第三十五項及び第三十六項に掲げられたる起訴事項に関する本証拠は、又起訴状の他の訴因項目にかヽる被告の意図並びに目的を証明せんとするものである。 本証拠は嫌疑をかけられたる被告側の日本国民をして他国の平和愛好国民に対し不法侵略戦争へと準備せしめる為、一九二八年又は其れ以前に始められたる罪悪的陰謀を証明せんとするものである。 かかる目的を達せんとする此の陰謀の実行にあたり彼等は故意に、整然と、しかも聰明に、日本国政府を掌中に納めんが為、日本の教育制度、検閲、宣伝、警察の圧制、政治的団体、暗殺、脅迫或ひは政治的計画を用ひたのである。彼等は其の目的を達成せんが為、政府、法律、宗教及び古来の習慣の力を敢大限に使用したのである。 被告によつて日本の教育制度が使用せられたと言ふ事に関する問題については一八九六年の日清戦争以後の学校制度に於ける軍事教練は学校に於ても軍人によりて行はれて重きを置かれた事によつて立証されるのである。 一九二二年頃より始められ、陸軍省を通じて軍部の主唱による組織立つたプログラムに従ひ征服的侵略戦争へ日本の青年を準備する目的の為、軍事教練及び講演は益々増強されたのである。 日本国民は民族として他の全ての国民よりも優れて居り、この優越を他の全ゆる民族に銘記させる事が日本の神聖なる義務であると言ふ主義に基づいた全ゆる軍事教練、演習、訓育、教課書を通しての訓練によつて希待の結果が得られた事を検察は証明するであらう。 尚ほ、日本の運命は征服戦争を要求したと言ひ、戦は生産的であると言ひ又先づ、大東亜を日本の統制と指導の下に隷属せしめ、然る後、全世界を従属せしめる事が日本の聖なる使命であると言ふのであつた。 一九二二年頃より始まりたる此の組織的計画の遂行にあたり、それ以後の学校制度に於ける軍事的支配或ひは監督は益々有力となり、遂にはかヽる優勢は絶対的となつて行つたのである。 かヽる結果として学校制度はその性質上、学生の頭に軍国主義的精神を鼓舞するが如き学課に他の全ての学課を従属せしめる事を余...

ノモンハン事件経過の概要 1939年11月06日

 ノモンハン事件経過の概要(不明文字あり、ひらがな化、一部新字体化、図省略) 第二篇「ノモンハン」事件経過の概要 本事件に関する戦史は今後の調査研究を俟ちて編纂配布せらるべきも本編は委員会の任務に基き昭和十四年十一月六日大本営陸軍部の調製に係る「ノモンハン」事件経過の概要を其の後の調査研究に依り加除修正したるものなり  然れども的確なる資料の收集未だ十分ならず為に過誤遺漏あるべきを予想しあり   第一章 事件発生の経緯    第一節 満蒙国境紛争の歴史 事件地方面国境は爾他方面満蒙国境と同様外蒙古の独立(一九一一年)及蒙古人民共和国の成立(一九一四年)並に満洲国の建国に至る迄は一行政区画の境界として「ハルハ」、「バルガ」、蒙古種族遊牧の地界たりしに過ぎさりしが清の雍正十二年(一七三四年)巴爾虎(呼倫貝爾)、喀爾喀(外蒙)間に牧地境界を設定せられて以来有利なる水草地帯の領有並に境界を超越せる宗教上の慣行等を繞り両族間の紛争絶えず大官の特派、文書及地図に依る裁定標識(卡倫及鄂博)の設置等数回に及べるも𠞷定法不完全なるのみならず文書及地図簡粗杜撰、既設標識亦滅失毀損して境界明確ならざる所多く未解決の儘なりしが外蒙古の独立、満洲国の建国に至りて新なる国際問題となれり 即ち満洲国建国以来日満の勢力僻遠に浸透し外蒙勢力と接触するに及び漸く国境紛争発生するに至り昭和十年一月喀爾喀廟に於ける武力衝突事件を契機として満蒙会議成立し両国代表満洲里に会して喀爾喀廟附近の帰属に関して商議せしが両国各ゝ其の主義を固執して相譲らず爾後昭和十一年同十二年に亘り会議続開せられたるも外蒙側の誠意見るべきものなく支那事変の進展に伴ひ休会の儘今日に至れり其の間紛争は逐年険悪化し「ブルンデス」、「タウラン」等の武力衝突事件発生せり 「ノモンハン」方面に就ては満洲国は各種の文献を基礎とし「ハルハ」河を以て国境なりとする主張を堅持し来りしが昭和十年満洲里会議進行中六月「ホルステン」河附近に於て作業中なりし関東軍測量手被拉致事件突発し該方面の国境線議題に上りしに外蒙側は「ノモンハン」附近を以て国境なりとし(今次事件押収地図に因り「ノモンハンブルトネオボー」西南三粁附近より概ね東南及西北に通ずる線を以て国境と看做しあること判明す)何等の決定を見るに至らず其の後十三年秋に至る迄同方面に於ては時に...

極東国際軍事裁判起訴状附属書E 1946年04月29日

 極東国際軍事裁判記録 起訴状附属書E(ひらがな化、一部新字体化) 附属書E    起訴状に記載の犯罪に対する個人的責任に関する記述 以下に於て各被告の氏名の次に示されたる記述は検察当局に於て他の事項と共に当該被告の個人的責任を確証するものとして依存する事項たり 各被告がその占むる地位よりする権力威信及び個人的勢力を本起訴状中当該被告の氏名を記載せる各訴因に掲げられたる犯行を促進し且遂行する為めに用ひたることが罪に問はるヽものとす 各被告が以下に於てその氏名に対し掲げられたる期間中彼が閣員たりし諸内閣及び彼が支配的地位を有せし一般官庁機関、陸軍機関又は海軍機関の凡ての行為又は懈怠行為に対する責任者の一人たりしことが罪に問はるヽものとす 各被告がその氏名の後に掲げられたる番号により示さるヽ通り千九百四十一年(昭和十六年)十二月七日、八日の不法なる戦争を準備しこれに導きたる千九百四十一年(昭和十六年)に於ける左記時日又はその頃開催せられたる会議及び閣議の幾つかに於て採択せられたる諸決議の際に出席し且これに同意せしことが罪に問はるヽものとす  一、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十五日(連絡会議)  二、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十六日(連絡会議)  三、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十七日(連絡会議)  四、千九百四十一年(昭和十六年) 六月二十八日(連絡会議)  五、千九百四十一年(昭和十六年) 六月 三十日(軍事参議官会議)  六、千九百四十一年(昭和十六年) 七月 二 日(御前会議)  七、千九百四十一年(昭和十六年) 八月 七 日(思想審議会)  八、千九百四十一年(昭和十六年) 八月二十二日(閣議)  九、千九百四十一年(昭和十六年) 九月 六 日(御前会議)  十、千九百四十一年(昭和十六年) 十月 十七日(重臣会議) 十一、千九百四十一年(昭和十六年)十一月二十八日(連絡会議) 十二、千九百四十一年(昭和十六年)十一月二十九日(重臣会議) 十三、千九百四十一年(昭和十六年)十二月 一 日(御前会議) 十四、千九百四十一年(昭和十六年)十二月 一 日(閣議) 荒木  被告荒木は千九百二十八年(昭和三年)より千九百四十五年(昭和二十年)に至る迄の期間に於て就中左記の地位を占め居たり即ち  教育総監部本部長(千九百三十一年)(昭和六年...

極東国際軍事裁判起訴状附属書D 1946年04月29日

  極東国際軍事裁判記録 起訴状附属書D(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり) 附属書D     第三項の一部をなすものなり  戦争法規並に戦争慣例は文明諸国民の慣行と、当事者を直接拘束なすか又は確立し承認せられたる法則の証憑たる条約及び保証とに依り確立せらる以下本附属書の各部分に記載する条約及び保証は何れも概して両目的の為めに依拠せらるものにして、玆には其の最も重要なる条項のみを引用す 一、千九百七年(明治四十年)十月十八日海牙に於て締結せられたる陸戦の法規慣例に関する条約第四は(他の事項と共に)左の如く規定す  「締約国の所見に依れは右条規は軍事上の必要の許す限り努めて戦争の惨害を軽減するの希望を以て定められたるものにして交戦者相互間の関係及ひ人民との関係に於て交戦国の行動の一般維縄たるへきものとす 但し実際に起る一切の場合に普く適用すべき規定は此の際之を協定し置くこと能はさりしと雖も明文なきの故を以て規定せられなる総ての場合を軍隊指揮者の擅断に委ぬるは亦締約国の意志に非さりしなり 一層完備したる戦争法規に関する法典の制定せらるヽに至る迄は其の採用したる条規に含まれさる場合に於ても人民及ひ交戦者か依然文明国民の間に存立する慣習、人道の法則及ひ公共の良心の要求より生する国際法の原則の保護及支配の下に立つことを確認するを以て適当と認む」  右条約の一部を為す附属書中に記載せられたる規定は其の第一款に於て交戦者並に俘虜に関し第二款に於て戦闘に関し及び第三款に於ては敵国の領土に於ける軍の権力に関し規定せり  右附属書第一款第四条は(他の事項と共に)左の如く規定す 「俘虜は敵国政府の権内に属し之を捕獲したる個人又は軍団の権内に属することなし」  其の同じ時其の同じ場所に於て締結せられたる条約第十は海戦に関す  敍上諸条約は日本並に本起訴状に於て起訴を提起したる各国を含む四十箇国以上の国々により又は国々を代表して本件には重要ならざる一定の留保附にて調印せられ、批准せられ、斯くして戦争法規並に戦争慣例の一部又は証憑となるに至れり 二、敍上条約により意図せられたる戦争法規に関する一層完備したる法典は俘虜に関しては千九百二十九年(昭和四年)七月二十七日寿府に於て締結せられたる「俘虜の待過に関する国際条約」(以下に於ては「寿府条約」と称す)に包含せられ居れり  日本は右...

極東国際軍事裁判起訴状附属書C 1946年04月29日

  極東国際軍事裁判記録 起訴状附属書C(ひらがな化、一部新字体化) 附属書C   日本の違反せる公式保証にして第一類の一部をなせるものヽ表 一、千九百三十一年(昭和六年)九月二十五日、日本は満洲に何等領土的企図を有せすとの保証 二、千九百三十一年(昭和六年)十一月二十五日、日本軍の錦州進撃の報は事実無根なりとの保証 三、千九百三十一年(昭和六年)十二月二十二日、日本は中華民国の主権を承認し又門戸開放政策を維持すべしとの保証 四、千九百三十三年(昭和八年)一月五日、日本は中華民国長域以南に領土的野心を有せずとの保証 五、千九百三十四年(昭和九年)四月二十五日、日本は中華民国に於て特殊権益を求め、 中華民国の領土的及び行政的保全を侵害し、又は中華民国と他国間の善意なる貿易に支障を来たすが如き意図は一切有せずとの保証 六、千九百三十七年(昭和十二年)八月十五日、日本は中華民国に対し領土的企図を懷かず又中華民国に於ける外国の権益を保護するに努力を含まざるべしとの保証 七、千九百三十七年(昭和十二年)九月、日本は北支に於て平和的意図を有し領土的企図を有せずとの保証 八、千九百三十九年(昭和十四年)二月十七日、日本は中華民国に於て領土的企図を有せず又占領は軍事的必要を超ゆることなかるべしとの保証 九、千九百三十九年(昭和十四年)八月二十六日、日本は防共協定の下に独伊両国と尚一層緊密なる関係を結ぶが如き交渉は今後一切之を為さざることに決定せりとの保証 十、千九百四十年(昭和十五年)四月十五日、日本は蘭領東印度の現状維持を希望すとの保証 十一、千九百四十年(昭和十五年)五月十六日、日本は蘭領東印度攻擊の計画又は意図を有せずとの保証 十二、千九百四十一年(昭和十六年)三月二十四日日本は如何なる事情の下にも、亜米利加合衆国、大不列顛国並に蘭領東印度を攻撃することなかるべしとの保証 十三、千九百四十一年(昭和十六年)七月八日、日本は現在迄「ソビエツト」社会主義共和国連邦との戦争の可能性を考慮せることなしとの保証 十四、千九百四十一年(昭和十六年)七月十日、日本は仏領印度支那に対する行動を何等企図せずとの保証 十五、千九百四十一年(昭和十六年)十二月五日、仏領印度支那に於ける軍隊移動は予防的措置なりとの保証 (Source:国立公文書館 A08071274100)