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全支排日運動の根源と其史的観察 1932年02月26日

 全支排日運動の根源と其史的観察(ひらがな化、一部新字体化、一部省略、附表省略) 全支排日運動の根源と其史的観察      目次 一 緒言 二 現代支那の指導原理と排外運動  1 三民主義  2 国民党の主義及対外政綱 三 排外特に排日運動の教育竝訓練  1 排外特に排日教育  2 排外民衆運勤の訓練 四 排日運動の歷史  1 明治四十一年辰丸事件後の排日運動  2 明治四十二年安奉線問題後の排日運動  3 大正四年二十一箇条問題後の排日運動  4 大正八年「五四運動」  5 大正十二年旅大回収運動に伴ふ排日運動  6 大正十四年「五卅運動」  7 大正十四、五年郭松齢事件に関する満洲増兵後の排日運動  8 昭和二年第一次山東出兵後の排日運動  9 昭和三年第二次山東出兵後の排日運動  10 昭和六年朝鮮事件後の排日運動  11 昭和六年満洲事変後の排日運動 五 排日運動に関する観察  1 排日運動の根柢は深い  2 排日運動は国策遂行の手段  3 排日運動の動機には不純なる点が少くない  4 排日は一種の職業化した  5 排日運動継続期間  6 排日の深刻化と在留邦人  7 排日と第三国の利用  8 排日運動の中心地方は支那本部特に長江流域である  9 共産思想の動きを注意せねばならぬ  10 支那は法治国たるの資格がない  11 排日運動は皇軍威力の発揮せられたる地には少い  12 排日の影響  13 排日停止は日支交涉開始の根本条件  附録 支那の対日不法行為一覧 全支排日運動の根源と其史的観察      一 緒言 支那の排外思想は別に昨今始めて起つたものではなく、昔から外国人を賤視した東夷南蛮流の思想にして、辛亥革命後特に濃厚になつた、即ち孫文が日清戦争当時布哇に「興中会」なる秘密結社を起した際、「我が中国は阿片戦争以来外国の圧迫を蒙つている、此圧迫から免れるには対外的に無力な満洲朝廷を倒さねばならぬ」と、倒満排外といふ指導原理を採用して以来、更に面目を一新して来たのである、而して此排外の最終目的は外国と対等の地位にまで支那を昂揚し、次で支那が世界に覇権を振はんとする、所謂中華的思想が基調をなしているのであるから、辛亥革命に依りて倒満興漢の第一目的を達成した後には、彼等の政策は単に排外に局限せられる訳で、現在に於ては一意此目的に向て邁進している次第で...
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一般命令第七号 極東国際軍事裁判所裁判官の任命 1946年02月15日

 一般命令第七号 極東国際軍事裁判所裁判官の任命(ひらがな化、一部新字体化) 連合国軍最高司令官総司令部                             軍事郵便局                             第五百番 千九百四十六年二月十五日 一般命令第七号   極東国際軍事裁判所裁判官の任命 一、千九百四十五年(昭和二十年)九月二日日本東京湾に於て作製せられたる日本降伏文書及び千九百四十五年(昭和二十年)七月二十六日の「ポツダム」協定第十節を履行せんが為め且又極東国際軍事裁判所条例第二条の趣意に依り夫々の国家の左記受任者は正当に出廷せしめられたる人々の裁判の為めに極東国際軍事裁判所裁判官として茲に任命さる サー・ウイリアム・フラツド・ウエツブ(濠洲連邦) 判事イー・スチユアート・マツクドウガル閣下(加奈陀) 梅汝璈閣下(中華民国) アンリ・ランブルジエ閣下(仏蘭西共和国) 教授ベルナルド・ビクトル・エイ・ローリング閣下(和蘭王国) 判事エリマ・ハービー・ノースクロフト閣下(新西蘭) 判事アイ・エム・ザリヤーノフ閣下(「ソビエツト」社会主義共和国連邦) パトリツク卿(英国) 判事ヂヨン・ピー・ヒギンズ閣下(亜米利加合衆国) 二、ウイリアム・フラツド・ウエツブ卿は極東国際軍事裁判所長に指命さる 三、極東国際軍事裁判所条例(第一条)は本裁判所の常設地は之を東京となす旨定む 四、本裁判所裁判官の責任、権限及び義務は千九百四十六年(昭和二十一年)一月十九日当総司令部の一般命令第一号として発表せられたる本裁判所の条例中に指示しあり マツクアーサー元帥の命に依り 参謀部陸軍少将   参謀長 リチャード・ヂエー・マーシャル 正書 軍務局陸軍代将   軍副官 ビー・エム・フイツチ (Source:国立公文書館 A08071274100)

極東国際軍事裁判所条例 1946年04月26日

 極東国際軍事裁判所条例(ひらがな化、一部新字体化) 連合国最高司令官総司令部                   軍事郵便局 千九百四十六年四月二十六日      第五百番 一般命令第二十号 下記の如く題せる千九百四十六年 (昭和二十一年)一月十九日付連合国軍最高司令官総司令部一般命令第一号は之を改廃す 千九百四十六年(昭和二十一年)一月十九日付連合国軍最高司令官の宣言に依り制定せられたる極東国際軍事裁判所条例は之を左の如く訂正す    極東国際軍事裁判所条例    第一章 裁判所の構成 第一条 裁判所の設置 極東に於ける重大戦争犯罪人の公正且迅速なる審理及び処罰の為め茲に極東国際軍事裁判所を設置す 裁判所の常設地は東京とす 第二条 裁判官 本裁判所は降伏文書の署名国並に印度、比律賓国により申出でられたる人名中より連合国軍最高司令官の任命する六名以上十一名以内の裁判官を以て構成す 第三条 上級職員及び書記課 (イ)裁判長 連合国軍最高司令官は裁判官中の一名を裁判長に任命す (ロ)書記課 (一)裁判所書記課は連合国軍最高司令官の任命に係る書記長の外必要員数の副書記長、書記、 通事其の他の職員を以て構成す (二)書記長は書記課の事務を編成し之を指揮す (三)書記課は本裁判所に宛てられたる一切の文書を受理し、裁判所の記録を保管し、裁判所及び裁判官に対し必要なる書記事務を提供し其の他裁判所の指示する職務を遂行す 第四条 開廷及び定足数、投票及び欠席 (イ)開廷及び定足数 裁判官六名が出廷せる時該裁判官は裁判所の正式開廷を宣することを得 全裁判官の過半数の出席を以て定足数の成立要件とす (ロ)投票 有罪の認定及び刑の量定其の他本裁判所の為す一切の決定並に裁判は出席裁判官の投票の過半数を以て決す 賛否同数なる場合に於ては裁判長の投票を以て之を決す (ハ)欠席 裁判官にして万一欠席することあるも爾後出席し得るに至りたる場合に於ては其の後の凡ての審理に参加すべきものとす但公開の法廷に於て其の欠席中行はれたる審理に通暁せざるの理由により自己の無資格を宣当したる場合に於ては此の限りに非ず     第二章 管轄及び一般規定 第五条 人並に犯罪に関する管轄 本裁判所は、平和に対する罪を包含せる犯罪に付個人として又は団体構成員として訴迫せられたる極東戦争犯罪人を審理し処罰するの権限...

南支方面に於ける米国勢力の浸潤 1933年08月24日

 南支方面に於ける米国勢力の浸潤(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり、図省略) 昭和八年八月二十四日 支那時局報 第四十四號 南支方面ニ於ケル米國勢力ノ浸潤          参謀本部      目次 第一、 緒言 第二、 南京政府を通し航空勢力扶植の状況 第三、 米国系航空会社の南支発展 第四、 米支直通無線通信権問題 第五、 広東に於ける米国の策動 第六、 福建に於ける米国の策動 第七、 結言 附図  南支方面米国勢力侵入状況要図    第一、緒言 満洲事更発生以来我国朝野の関心は主として満蒙乃至北支方面に指向せらんありしか此間南支方面に在りては列強時に米国勢力浸潤の状顕著なるものあり 就中最も注目すヘきは米国航空勢力の進入なりとす即ち上海事件の苦杯に懲りたる支那官民の間に昨夏以来頓に抬頭し来れる航空救国運動は南支方面に於て最も熾烈を極めありしか適彼等の抱懐せる米国迎合主義乃王依米制日思想と相俟て茲に米国航空勢力南支進出の機運を激成し延いては一般軍事的、政治的竝経済的勢力の侵入を招来するに至り今や長江沿岸を始め浙江、福建、広東等南支沿海の諸要地に牢手抜くヘからさる勢力を扶植せんとしつヽあり加之最近福建沿岸に米国海空軍根拠地設定説伝ヘられ又米機に依る上海、香港、馬尼刺間試験飛行成功の情報あり斯くして南支方面に於ける米国の活動日と共に愈〻繁からんとし其動向は今や我か対支政策竝国防上軽視すヘからさるに至れり 依て前号時局報との重複をも厭はす左に其梗概を記述せんとす    第二、南京政府を通し航空勢力扶植の情况 一、中央空軍に対する米国勢力の確立 従来支那空軍は使用飛行機飛行士の技術等に於て著して不統一の弊を有せんか昨年末頃か改造の第一着手として一先つ部隊数を三機宛の三隊に縮編し之より生したる余力を挙けて悉く杭州飛行学校に集中し此処に於て米国教官指導の下に飛行士の統一教育を行ふことに定められ爾来該地に於ては退役米国航空兵大佐「ゼー、エッチ、ジョネット」を総顧問とし外に米人教官技師等十五名ありて校内の実権を掌握しあり(独人教官は昨秋飛行将校の抗州飛行学校副校長毛邦初打倒運動に連坐し辞職せしめられたり)又各航空隊は南京、漢口、南昌に配置せをれ近き将来に於て完備せらるヘき一隊七機(中央空軍の拡張計画は七機七隊、七団―計三百五十機と称せらる)の新鋭機は全部米機を以て...

極東国際軍事裁判別宣言書 1946年04月29日

 極東国際軍事裁判記録 別宣言書(ひらがな化、一部新字体化)      別宣言書      極東国際軍事裁判所の設定 枢軸諸国家の不法なる侵略戦争に反抗せる合衆国並に之が連合諸国家は戦争犯罪人は裁判に附せらるべしとの意図の宣言を隨時寫し来りたるが故に日本と戦争状態にありたる連合図の諸政府は一九四五年七月二十六日ポツダムに於て降伏条件の一として吾等の捕虜に対し残虐行為を生しめたる者を含む総ての戦争犯罪人に対し峻厳なる裁判が行はるべきことを宣言したるが故に 一九四五年九月二日日本東京湾に於て調印されたる日本の降伏文書に依り天皇並に日本政府の命に基き且之を代表し行動したる日本の調印者はポツダムにおける右宣言に規定されたる条件を受諾したるが故に 右降伏文書により、日本国家を統治する天皇並に日本政府の権限は降伏条件遂行のため適当と認むる手段を採る権限を附与せられたる連合国最高司令官の権力下に置かるるに至れるが故に 下名は連合国に依り日本武裝軍隊の全面的降伏を遂行すべき連合国最高司令官として指名せられたるが故に 合衆国、大ブリテン国及びソ連邦は、一九四五年十二月二十六日モスコー会議に於て、日本に依る降伏条件の履行につき考究したる上中華民国の同意をも得て最高司令官が降伏条件を実施せしむるための一切の命令を発すべきことを合意したるが故に 然るが故に茲に連合国最高司令官たる本官、ダグラス、マツクアーサーは本官に附与されたる権限に因り戦争犯罪人を峻厳なる裁判に附すべき事を要求する降伏条件遂行のため左の通り命令し規定す 第一条 平和に対する罪又は平和に対する罪を含む犯罪に付き訴追せられたる個人又は団体員又は其双方の資格に於ける人々の審理のため、極東国際軍事裁判所を設置す 第二条 本裁判所の構成、管轄及権能は本官により本日承認せられたる極東国際軍事裁判所条例中に規定せられたる所によるものとす 第三条 本命令中の如何なる事項も戦争犯罪人の審理のため日本若くは日本が戦争状態にありたる「国際連合」加盟国の如何なる領土内に設置せられ若くは設置せらるべき他の如何なる国際、国内若くは占領地法廷、委員会又は其他の裁判所の管轄を妨ぐる事なきものとす 本、一九四六年一月十九日 東京に於て 本官の署名の下に之を発す 連合国最高司令官   陸軍元師 ダグラス マツクアーサー (Source:国立公文書館...

極東国際軍事裁判開廷声明書 1946年04月29日

 極東国際軍事裁判記録 開廷声明書(ひらがな化、一部新字体化)       開廷聲明書  法廷の許しを受けて 検察は次に順序として起訴状の附属書Aの第六章に掲げたる項目を支持する為の証拠を提出する。 特に、訴因第一乃至第十七項、第二十三項、第二十五乃至第三十三項、第三十五項及び第三十六項に掲げられたる起訴事項に関する本証拠は、又起訴状の他の訴因項目にかヽる被告の意図並びに目的を証明せんとするものである。 本証拠は嫌疑をかけられたる被告側の日本国民をして他国の平和愛好国民に対し不法侵略戦争へと準備せしめる為、一九二八年又は其れ以前に始められたる罪悪的陰謀を証明せんとするものである。 かかる目的を達せんとする此の陰謀の実行にあたり彼等は故意に、整然と、しかも聰明に、日本国政府を掌中に納めんが為、日本の教育制度、検閲、宣伝、警察の圧制、政治的団体、暗殺、脅迫或ひは政治的計画を用ひたのである。彼等は其の目的を達成せんが為、政府、法律、宗教及び古来の習慣の力を敢大限に使用したのである。 被告によつて日本の教育制度が使用せられたと言ふ事に関する問題については一八九六年の日清戦争以後の学校制度に於ける軍事教練は学校に於ても軍人によりて行はれて重きを置かれた事によつて立証されるのである。 一九二二年頃より始められ、陸軍省を通じて軍部の主唱による組織立つたプログラムに従ひ征服的侵略戦争へ日本の青年を準備する目的の為、軍事教練及び講演は益々増強されたのである。 日本国民は民族として他の全ての国民よりも優れて居り、この優越を他の全ゆる民族に銘記させる事が日本の神聖なる義務であると言ふ主義に基づいた全ゆる軍事教練、演習、訓育、教課書を通しての訓練によつて希待の結果が得られた事を検察は証明するであらう。 尚ほ、日本の運命は征服戦争を要求したと言ひ、戦は生産的であると言ひ又先づ、大東亜を日本の統制と指導の下に隷属せしめ、然る後、全世界を従属せしめる事が日本の聖なる使命であると言ふのであつた。 一九二二年頃より始まりたる此の組織的計画の遂行にあたり、それ以後の学校制度に於ける軍事的支配或ひは監督は益々有力となり、遂にはかヽる優勢は絶対的となつて行つたのである。 かヽる結果として学校制度はその性質上、学生の頭に軍国主義的精神を鼓舞するが如き学課に他の全ての学課を従属せしめる事を余...

ノモンハン事件経過の概要 1939年11月06日

 ノモンハン事件経過の概要(不明文字あり、ひらがな化、一部新字体化、図省略) 第二篇「ノモンハン」事件経過の概要 本事件に関する戦史は今後の調査研究を俟ちて編纂配布せらるべきも本編は委員会の任務に基き昭和十四年十一月六日大本営陸軍部の調製に係る「ノモンハン」事件経過の概要を其の後の調査研究に依り加除修正したるものなり  然れども的確なる資料の收集未だ十分ならず為に過誤遺漏あるべきを予想しあり   第一章 事件発生の経緯    第一節 満蒙国境紛争の歴史 事件地方面国境は爾他方面満蒙国境と同様外蒙古の独立(一九一一年)及蒙古人民共和国の成立(一九一四年)並に満洲国の建国に至る迄は一行政区画の境界として「ハルハ」、「バルガ」、蒙古種族遊牧の地界たりしに過ぎさりしが清の雍正十二年(一七三四年)巴爾虎(呼倫貝爾)、喀爾喀(外蒙)間に牧地境界を設定せられて以来有利なる水草地帯の領有並に境界を超越せる宗教上の慣行等を繞り両族間の紛争絶えず大官の特派、文書及地図に依る裁定標識(卡倫及鄂博)の設置等数回に及べるも𠞷定法不完全なるのみならず文書及地図簡粗杜撰、既設標識亦滅失毀損して境界明確ならざる所多く未解決の儘なりしが外蒙古の独立、満洲国の建国に至りて新なる国際問題となれり 即ち満洲国建国以来日満の勢力僻遠に浸透し外蒙勢力と接触するに及び漸く国境紛争発生するに至り昭和十年一月喀爾喀廟に於ける武力衝突事件を契機として満蒙会議成立し両国代表満洲里に会して喀爾喀廟附近の帰属に関して商議せしが両国各ゝ其の主義を固執して相譲らず爾後昭和十一年同十二年に亘り会議続開せられたるも外蒙側の誠意見るべきものなく支那事変の進展に伴ひ休会の儘今日に至れり其の間紛争は逐年険悪化し「ブルンデス」、「タウラン」等の武力衝突事件発生せり 「ノモンハン」方面に就ては満洲国は各種の文献を基礎とし「ハルハ」河を以て国境なりとする主張を堅持し来りしが昭和十年満洲里会議進行中六月「ホルステン」河附近に於て作業中なりし関東軍測量手被拉致事件突発し該方面の国境線議題に上りしに外蒙側は「ノモンハン」附近を以て国境なりとし(今次事件押収地図に因り「ノモンハンブルトネオボー」西南三粁附近より概ね東南及西北に通ずる線を以て国境と看做しあること判明す)何等の決定を見るに至らず其の後十三年秋に至る迄同方面に於ては時に...