極東国際軍事裁判記録 開廷声明書(ひらがな化、一部新字体化) 開廷聲明書 法廷の許しを受けて 検察は次に順序として起訴状の附属書Aの第六章に掲げたる項目を支持する為の証拠を提出する。 特に、訴因第一乃至第十七項、第二十三項、第二十五乃至第三十三項、第三十五項及び第三十六項に掲げられたる起訴事項に関する本証拠は、又起訴状の他の訴因項目にかヽる被告の意図並びに目的を証明せんとするものである。 本証拠は嫌疑をかけられたる被告側の日本国民をして他国の平和愛好国民に対し不法侵略戦争へと準備せしめる為、一九二八年又は其れ以前に始められたる罪悪的陰謀を証明せんとするものである。 かかる目的を達せんとする此の陰謀の実行にあたり彼等は故意に、整然と、しかも聰明に、日本国政府を掌中に納めんが為、日本の教育制度、検閲、宣伝、警察の圧制、政治的団体、暗殺、脅迫或ひは政治的計画を用ひたのである。彼等は其の目的を達成せんが為、政府、法律、宗教及び古来の習慣の力を敢大限に使用したのである。 被告によつて日本の教育制度が使用せられたと言ふ事に関する問題については一八九六年の日清戦争以後の学校制度に於ける軍事教練は学校に於ても軍人によりて行はれて重きを置かれた事によつて立証されるのである。 一九二二年頃より始められ、陸軍省を通じて軍部の主唱による組織立つたプログラムに従ひ征服的侵略戦争へ日本の青年を準備する目的の為、軍事教練及び講演は益々増強されたのである。 日本国民は民族として他の全ての国民よりも優れて居り、この優越を他の全ゆる民族に銘記させる事が日本の神聖なる義務であると言ふ主義に基づいた全ゆる軍事教練、演習、訓育、教課書を通しての訓練によつて希待の結果が得られた事を検察は証明するであらう。 尚ほ、日本の運命は征服戦争を要求したと言ひ、戦は生産的であると言ひ又先づ、大東亜を日本の統制と指導の下に隷属せしめ、然る後、全世界を従属せしめる事が日本の聖なる使命であると言ふのであつた。 一九二二年頃より始まりたる此の組織的計画の遂行にあたり、それ以後の学校制度に於ける軍事的支配或ひは監督は益々有力となり、遂にはかヽる優勢は絶対的となつて行つたのである。 かヽる結果として学校制度はその性質上、学生の頭に軍国主義的精神を鼓舞するが如き学課に他の全ての学課を従属せしめる事を余...
ノモンハン事件経過の概要(不明文字あり、ひらがな化、一部新字体化、図省略) 第二篇「ノモンハン」事件経過の概要 本事件に関する戦史は今後の調査研究を俟ちて編纂配布せらるべきも本編は委員会の任務に基き昭和十四年十一月六日大本営陸軍部の調製に係る「ノモンハン」事件経過の概要を其の後の調査研究に依り加除修正したるものなり 然れども的確なる資料の收集未だ十分ならず為に過誤遺漏あるべきを予想しあり 第一章 事件発生の経緯 第一節 満蒙国境紛争の歴史 事件地方面国境は爾他方面満蒙国境と同様外蒙古の独立(一九一一年)及蒙古人民共和国の成立(一九一四年)並に満洲国の建国に至る迄は一行政区画の境界として「ハルハ」、「バルガ」、蒙古種族遊牧の地界たりしに過ぎさりしが清の雍正十二年(一七三四年)巴爾虎(呼倫貝爾)、喀爾喀(外蒙)間に牧地境界を設定せられて以来有利なる水草地帯の領有並に境界を超越せる宗教上の慣行等を繞り両族間の紛争絶えず大官の特派、文書及地図に依る裁定標識(卡倫及鄂博)の設置等数回に及べるも𠞷定法不完全なるのみならず文書及地図簡粗杜撰、既設標識亦滅失毀損して境界明確ならざる所多く未解決の儘なりしが外蒙古の独立、満洲国の建国に至りて新なる国際問題となれり 即ち満洲国建国以来日満の勢力僻遠に浸透し外蒙勢力と接触するに及び漸く国境紛争発生するに至り昭和十年一月喀爾喀廟に於ける武力衝突事件を契機として満蒙会議成立し両国代表満洲里に会して喀爾喀廟附近の帰属に関して商議せしが両国各ゝ其の主義を固執して相譲らず爾後昭和十一年同十二年に亘り会議続開せられたるも外蒙側の誠意見るべきものなく支那事変の進展に伴ひ休会の儘今日に至れり其の間紛争は逐年険悪化し「ブルンデス」、「タウラン」等の武力衝突事件発生せり 「ノモンハン」方面に就ては満洲国は各種の文献を基礎とし「ハルハ」河を以て国境なりとする主張を堅持し来りしが昭和十年満洲里会議進行中六月「ホルステン」河附近に於て作業中なりし関東軍測量手被拉致事件突発し該方面の国境線議題に上りしに外蒙側は「ノモンハン」附近を以て国境なりとし(今次事件押収地図に因り「ノモンハンブルトネオボー」西南三粁附近より概ね東南及西北に通ずる線を以て国境と看做しあること判明す)何等の決定を見るに至らず其の後十三年秋に至る迄同方面に於ては時に...