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粛軍演説 1936年05月07日

 粛軍演説


我国の歴史に拭うことの出来ない一大汚点を添えたる彼の叛乱事件の後を承けて広田内閣が成立し、身を挺して国政一新の衝に当らるることは、吾々の最も歓迎する所であり、同時に国家の為に衷心より其成功を祈るものであります、広田首相は曩に大命を拝せられ、組閣に入るに先立って天下に向って一の声明書を発表して、将来に対する決意を明にせられたのでありまするが、其声明書を見ますると云ふと、旧来の積弊を芟除し、庶政を一新し、確乎不抜の国策を樹立して、以て其実現を期す、昨日此所に於ての御演説に於きましても、此趣旨を敷衍せられて居るのでありまして、洵に我意を得たるものであるのであります、 御説の如く今日我国内外の情勢を見ますれば、最早旧来の陋習を追うて優柔不断の政治は許されない、速に此陋態を打破して一大革新を為すべき、国家的、国民的要求は澎湃として吾々の眼前に押寄せて来て居るのである(拍手)それ故に今日何人が政治の局に立つと雖も、此決心と此覚悟を以て当らねばならぬことは当然の次第であります、固より是迄歴代の政府に於きましても其考がなかったのではありますまい、 其証拠には何れの内閣も成立直後に於きましては、或は施政の方針を声明する、或は政綱政策を発表して、国民の前には政治の革新を誓ひまするけれども、それ等の方針、それ等の政綱政策が全部は愚か、其幾分たりとも実行の跡を残さずして、一両年経てば内閣は崩壊してしまふのであります、 是は何故であるかと言へば、畢竟するに総理大臣を初めとして、閣僚全体が真に今日我国内外の情勢を認識して、国政改革を断行するだけの熱意もなけれは気魄もない、勇気もなければ真剣味もない、唯目前に現はるる所の国務を弥縫して以て一日の安きを貪る、斯の如き弛緩せる政治状態が過去幾年かの間継続致しました結果、遂に今日の現状を惹起したのであります、此秋に方りまして広田首相が組閣の大命を拝せられ、敢然して国政改革の断行を誓はるるに当りましては、天下何人と雖も之を歓迎しない者はないのである、併ながら翻って考へて見ますると云ふと、国政の改革、国策の樹立、之を唱へることは極めて易いのでありまするが、之を行うことは中々困難であります、 固より是等の題目は今日初めて現はれたのではない、又現内閣の新発明でも何でもない、従来政府之を唱へ、政党之を唱へ、又有ゆる政治家が之を唱へて、国民に向っては何かの期待を抱かして居たのでありまするけれども、之を具体化して以て其実行に着手したる者は、殆ど見出すことが出来ないのである、 申す迄もなく政治は宣言ではなくして事実である、 百の宣言ありと雖も、一の実行なき所に於て政治の存在を認めることは出来ないのであります(拍手)それ故に今日は斯る政治上の題目を繰返して、之に陶酔して居る秋ではない、 速に之を具体化して以て其実行に取掛るべき秋であります、故に私は此見地に立って是より現内閣施政の大要に付て御尋をするのでありまするから、其御積りを以て御聴取を願ひたいのであります

 先ず第一は革新政治の内容に関することでありまするが、一体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります、革新を唱へない者は経世家ではない、思想家ではない、愛国者でもなけれは憂国者でもないやうに思はれて居るのでありまするが、然らば進んで何を革新せんとするのであるか、どう云ふ革新を行はんとするのであるかと云えば、殆ど茫漠として捕捉することは出来ない、言論を以て革新を叫ぶ者あり、文章に依って革新を鼓吹する者あり、甚しきに至っては暴力に依って革新を断行せんとする者もありまするが、彼等の中に於て真に世界の大勢を達観し、国家内外の実情を認識して、仮令一つたりとも理論あり、根抵あり、実効性ある所の革新案を提供したる者あるかと云ふと、私は今日に至る迄之を見出すことが出来ないのである、国家改造を唱えるが、如何に国家を改造せんとするのであるか、昭和維新などと云ふことを唱へるが、如何にして維新の大業を果さんとするのであるか、国家改造を唱へて国家改造の何たるかを知らない、昭和維新を唱えて昭和維持の何たるかを解しない、畢竟するに生存競争の落伍者、政界の失意者乃至一知半解の学者等の唱へる所の改造論に耳を傾ける何ものもないのであります(拍手)而も此種類の無責任にして矯激なる言論が、動もすれば思慮浅薄なる一部の人々を刺戟して、此処にも彼処にも不穏の計画を醸成し、不逞の兇漢を出すに至っては、実に文明国民の恥辱であり、且つ醜体であるのであります(拍手)併し私は今日此処に於て斯の如き革新論を批判せんとする者ではない、此壇上は斯の如き種類の議論を試みる処ではないと云ふことは十分に承知して居ります、私の目指す所は広田首相が抱懐せられて居る所の革新政治、其内容を聴かんとする者であります、 便宜の為に政治革新の方法を二つの方面より御伺致します、 第一は政治機関の改革である、 即ち立法、行政、司法此三機関の構成に関する所の改革であります、第二は是等の機関に依って運用せらるる所の実際政治に対する所の改革であります、

 先ず第一の政治機関の改革、其中の立法機関の改革に付て広田首相は何かの意見を持って居られるのでありますか、近頃貴族院改革と云ふ議論が現はれて居りますが、是は主として貴族院議員の間に唱へられて居るのでありまして、政府の意見として現はれたるものは聞かない、又衆議院の改革に付ても議論がございまするが、是亦政府の意見として現はれたものはない、要するに広田首相は是等立法機関の改革に付て、何か手を著けられる御積りであるか、又手を著けられると云ふならば、何か之に付て相当の腹案があるのであるかないか、之を一つ伺ひたいのであります

 次は行政機関の改革であります、吾々は随分長い間行政刷新、即ち行政機構の改革と云ふことを聞かされて居る、例へば省の廃合であるとか、或は無任所大臣を新設する、其他中央地方の行政組織を根本的に改革して、之に依って行政を簡易化する、行政を刷新する、行政費を節約する、繁文褥礼の積弊を芟除する、斯う云ふ議論は随分長い間聞かされて居る、政府も之を唱へるし、政党も之を唱へるけれども、今日までそれが実行せられた例はないのであります、昨日総理大臣は此処に於て行政機構の改革をすると云ふことを明言して居らるるが、本当に腰を入れて真剣にやる積りであるかないか、若しやるとするならば、何かそこに一つの腹案がなければならないのであるが、相当の腹案を握って居られるのであるかないか、司法機関の改革に付きましては、今日別に問題になって居りませぬ、後に運用に付て一言触れることがあるかも知れませぬ、詰り革新政治の第一義でありまする所の政治機関の構成に関する改革、之に付てどう云ふ御考を持って居られるのであるか、先づ之を承りたいのでありまするが、念の為に一言御注意をして置きますが、 私は決して政府が改革をすると云ふ所の決意を聴かんとするのではないのであります、私の聴かんと欲する所のものは、改革の決意ではなくして、改革の方法であり、又改革の内容であるのであります、 改革をしたい考は持って居るけれども、まだ何等の腹案はない、是から調査をする、例に依って委員でも設けて慎重審議して、それから後に改革をするかしないかを決める、さう云ふ御意見であるならば、別に御答は要らぬのであります、 私等は随分長い間さう云ふ答弁を聞かされて来たのであります、 此上同じやうな答弁を聴く所の忍耐力は持って居らぬ、既に改革をやると云ふ以上は、其前に於て相当の輪廓が出来て居らなければならぬ、 内容は備って居らぬけれども、改革をやると云ふ所の決意だけでは、吾々は承服することは出来ない、此際一言致して置きますが、私の観る所に依りますと云ふと、今日我国の政治機関、立法、行政、司法を通じて是等機関の根本に付て、甚しき改革を加へる所の点は考へて居らないのであります、 御承知でもございませうが、我国の政治組織は、明治維新以来欧米先進国の長を採り短を捨て、之に我国の歴史と国情を加味して作られたものでありまして、其後時代の進運に応じて屢々改正に改正を加へて、今日に至って居るのであります、それ故に制度としては相当に完備して居りまして、之を何れの文明国の制度に比べても、決して遜色はないのであります、故に問題は制度の改革と云ふよりか、寧ろ此制度を運用する人である(拍手)人が役に立たねば如何に制度の改革をした所が、決して其実績は挙がるものではないのであります(拍手)例へば近頃無任所大臣を新設すると云ふ議論があるやうでありますが、是等のことも畢竟するに是までの大臣が役に立たぬからであります、内閣大臣たるものは一方に於ては行政長官として、他の一方に於ては国務大臣として、大所高所より国家の現状を眺めて、国政燮理の任に当って居りましたならば、現行制度の下に於ては国務の統一が取れない、予算分捕の弊に堪へない、斯う云ふ理由を以て新に無任所大臣を置くなどと云ふ議論が出て来る訳はない、御覧なさい、今日の制度に於きましても、総理大臣は内閣の首班として国務を統一するに足るべき権限を完全に握って居るのであります、試に内閣官制を見ますると云ふと、其第二条に於きまして、内閣総理大臣は各省大臣の首班として行政各部の統一を保持す、又第三条に於きましては、内閣総理大臣は須要と認むるときは行政各部の処分又は命令を中止せしむることを得、内閣総理大臣は現内閣官制に於て、是だけの権限を授けられて居るのであります、それで国務の統一が取れないと云ふならば、それは制度の罪ではなくして、全く総理大臣其人の罪である(拍手)或は予算分補の弊に堪へない、予算の争奪戦をやる、何んたる事であるか、毎年予算編成の時期になりますると云ふと、斯の如き醜態を暴露するのは何が故であるか、畢竟するに政府の政策が決まらない、政治上の大方針が決らないからである、若し政治上の大方針が決って居りまするならば、各省大臣が勝手気儘に予算の要求を為すべき訳はない、是等の弊害は現行制度の運用に依って、如何様にも芟除することが出来るのであります、况や立憲政治は何処までも責任政治でなくてはならぬ、内閣が政治の中心となって、全責任を負うて国政燮理の任に当る、若し力が足らないならば、其職を去るのみであります、然るに此道理を弁へずして、動もすれば自己の無能無力を補ふが為に種々の工作をやる、畢竟するに弱体内閣の慣用手段でござりまして(笑声)憲政の本義を紊り、人の為に官職を設け、国政を玩弄するの甚しきものでありまするからして(拍手)大いに戒めねばならぬのであります、御断りを致して置きまするが、私は決して制度の改革に反対をする者ではない、改革すべき必要があるならば、速に改革をしなくてはならぬのでありまするが、唯近頃の改革熱に浮かされて、何か改革をしなくては面目が立たない、改革の名を得るが為に、強ひて不自然なる改革をすることに付ては、私共は断乎として反対をするのであります(拍手)

 次は実際政治の改革に関することでございまするが、是は極めて広汎に亙って重大なる問題でございまするが、此実際政治の改革に付て広田首相はどう云ふ経綸を持って居られるのであるか、広田首相の声明を見ますると云ふと、旧来の積弊を芟除し、秕政を一新すると云ふことがありまするが、若し旧来の政治に積弊があり、又秕政がありとするならば、前両内閣に歴任せられた所の広田首相の如きも、亦確に其責任の一端を負はねばならぬのでありまするが、私はさう云ふ責任論は決して致さないのであります、唯広田首相が認めて以て積弊と称し、又秕政と称するものは、主にどう云ふ点を指して居らるるのであるか(「さうさう」と呼ふ者あり、拍手)何処を目標とし、何処を狙って居るのであるか、是が明にならねば、如何に自ら苦心焦慮せられた所が、如何に意馬に鞭たれた所が、到底改革の実績を挙ぐることが出来るものではないのであります(拍手)

 今日政治問題として最も重きを置かれて居る所のものは、言ふ迄もなく国防と財政でございまするが、国の内外を見渡しますると云ふと、政府が改革の大斧鉞を揮はねばならぬ所のものは、中央地方を通じて、大小共に算へることの出来ない程沢山あるのであります、 例へば学制改革、吾々は随分と長い間学制改革を聞かされて居りまするが、今以て実行が出来て居らぬ、文部大臣は是まで口に学制改革を宣伝する、或は其実行に手を著けたことがありまするけれども、悉く失敗に帰して居る、御承知でもござりませうが、学制改革は今日世界文明国に於て最も重大なる問題となって居るのであります、それは何処から来て居るかと云ふと、詰り欧羅巴戦争から来て居る、欧羅巴戦争は十九世紀の文明、即ち旧文明、旧文化を根柢から破壊し去って、其欠陥と其弊害が遺憾なく暴露せられて居る、如何にして之を立直すことが出来るかと、各国の識者、政治家が研究努力致した結果、其根本問題として一決致したる所のものは、即ち教育方針の改革であるのであります、文化の立直しは教育の立直しであると云ふことに一決して、其中独逸の如きは三年を出でざる中に学制改革を断行した、殊に近時「ナチス」の政治の時代に至りましてから、一層青年教育に力を尽して、御承知の通りに青年の労働奉仕団と云ふが如き特色を発揮して居ることは、世界周知の事実であるのであります、是は独逸ばかりではない、其外英吉利でも、仏蘭西でも、伊太利でも、欧羅巴の諸国は悉く――其国情に依って教育の精神と内容は違ひますけれども、何れも独逸と相前後して学制改革を断行して、青年の教育に向って最も力を注いで居ることは御承知の通りである、然るに我国の教育は如何なるものであるかと云ふと、相変らず旧式教育を追うて居って、所謂過度の詰込主義に偏して、精神主義、人格主義を殆ど無視して居る、是が為に甚しきに至っては青年の教育までも害して中途に倒れる者がどれだけあるか分らぬ、斯う云ふ無理解なる、斯う云ふ時代後れの教育を施して居りながら、是等の青年に向って将来の日本を背負って立てよ、所謂躍進日本の運命を担へと迫った所で、是が出来ることか出来ないことか、考へる迄でもないことである、昨日文部大臣は此処に於て従来の学問偏重の教育を廃して、人格主義の教育を施すと言はれた、是は私も同感でありまするが、斯う云ふことは歴代の文部大臣からして屢々聴いて云るのでありまするが、是が実行出来ぬ、学制改革と云ふやうな大問題は、微々たる一大臣の力を以て出来るものではない(笑声)内閣全体、政府全体の圧力を以て之に向はなければ(「謹聴」と呼ふ者あり)何時迄経っても是は解決することが出来ないと思ふが、どうであるか或は裁判権の運用、是は、前の議会に於きましても一言述べたことでありますが、それは何であるかと云ふと、我が日本の裁判が非常に遅れることであります、凡そ世界文明国に於て我国の裁判程著しく遅延する処はない、欧羅巴諸国の裁判がどう云ふ工合になって居るかと云ふことは、一々例を挙げて説明する迄もなく、時々現はるる所の外国電報に依っても分るのであります、前年亜米利加の大統領が狙撃せられた、幸に傷は負はなかった、或は墺地利の総理大臣が暗殺せられた、又近くは亜米利加の社会を聳動せしめた所の彼の「リンデー」の小児殺害事件、斯う云ふ事件でも犯人が発覚するや否や、一二週間を出でずして死刑の宣告をして、直ちに執行してしまふのであります、然るに我国の裁判はどうであるかと云ふと、例へば天下知名の士が或処に於て殺害せられた、犯人は其場に於て捕へられた、犯罪の証拠は極めて歴然たるものがあるに拘らず、二年も三年もしないと云ふと、一審の裁判すら済まないのである、或る政治家の涜職事件の如きは八年掛って居るがまだ済まない、斎藤内閣辞職の原因となりました所の彼の帝人事件の如きも、其後二年有余になりますけれども、まだ一審裁判所の事実審理すら済まない、聞く所に依れば是まで百回以上の事実審理をやって、是からまだ二百回以上の事実審理、前後合せて三百回以上事実審理をやるにあらざれば、一審の判決を下すことが出来ないと云ふが如き、吾々の常識を以てしては想像することが出来ないのであります、斯う云ふ裁判のやり方をして居って、どうして時代の要求に応ずることが出来るか(拍手)どうして此大切なる所の人権自由を保護することが出来るか、若し裁判の手続が複雑でありますならば、是は速に改めて簡易にするが宜しい、裁判官の数が足りない、金が無いと云ふならば、金を要求し、又政府は金を出せば宜しいのであります、或る方面に於てはどしどし金を出すが、国民の大切なる所の人権自由を保護する此裁判所に於て、金が出せない訳はないのである(拍手)或は又近頃各地に於て人権蹂躙の問題が起って居りますが、其事実を聞きますと、実に驚くべきものがある、所謂粛正選挙、選挙取締を厲行することは極めて宜い事でありますが、故らに……(「内務大臣どうした」「大臣の出席を求めます」と呼ふ者あり)犯罪を製造するが為に法規を濫用して、濫りに人民の自由を拘束する、人民の自由を拘束するばかりではない、強ひて虚偽の自由を求むるが為に之を虐待し、之を拷問し、或は人身に傷を負はせ、甚しきに至っては拷問の結果、良民を死に至らしめたものがある(拍手)何たる野蛮の行為でありませう(「政務官は居りますか」と呼ふ者あり)苟も立憲政治の下に於きまして、殊に昭和の聖代に於てはあり得べからざる事であります、何れ此事は他の機会に於て吾々の同僚より、証拠を示して論争せられることと思ひますから、私は此以上は申しませぬが、是等のことに付きましても、政府当局は真剣に其事実を調査して、従来の弊害を一掃することに努める大責任を担ふて居るのであります、是は唯一二の例を示したのに過ぎないのでありますが、今日司法及び行政の行はれます所の実際の有様を見ますと、斯の如き事例は天下到る処に累々として横はって居るのである、此積弊を根柢より洗去ってしまふと云ふのが、即ち政治革新の要諦であるのであります、時代の要求に応じて革新政治を標榜して起たれたる所の広田首相に於かれましては、無論今日の政治状態に付ては十分なる御理解があるには相違ありませぬが、此実際政治の改革に付て、どう云ふ考を持って居られるのであるか、細かしいことは必要ありませぬが、大体の抱負経綸だけを伺って置けば宜しいのであります

 次に国策の樹立に対して御尋ねを致したいと思ふ、広田首相の声明の中には、確乎不抜の国策を樹立して以て之を実現する、近頃国策と云ふ言葉が流行って居りまするが、一方に政策と云ふ言葉がある、国策と政策とはどう違ふのであるか、甚だ曖昧に用ひられて居りまするが、私は今日言葉の詮議立ては致さない、併し国策と云ふ以上は、少くとも日本国家の進むべき大方針であるに相違ない、日本国家の進むべき大方針が、今日に於ても未だ決って居らぬ、是から研究して決めるなどと云ふことは、私に取っては甚だ受取れない、私の観る所に依りますると云ふと、国家の進むべき大方針は既に業に決って居る、遠く遡って見まするならば、明治維新の皇謨に現はれて居る所の開国進取、是が即ち日本国家の進むべき大方針でありまして、是が時代の進運に応じて拡張せられたる所のものが、即ち世界の平和と我が民族の発展であるのであります、所が世界の平和と云ふことが真に得らるべきものであるかないか、欧羅巴戦争が生み出しました所の国際連盟、世界平和を目的として居る所の国際連盟も、国家競争の前には何等の威力を発揮することが出来ない、如何なる条約も力の前には蹂躙せられてしまふことは、昔も今も変りはない、今日の国際関係を支配する所のものは、正義の掛声でもなければ、道義の観念でもない、昨日の世界を支配したるものが力であるが如く、今日の世界、明日の世界を支配するものも亦力である、軍縮会議は見事に失敗に帰した、各国は軍備の競争をやって、軍国主義を追うて進んで居る、其結果どうなるかは推して知るべきのみであります、私は昨年此処に於て欧羅巴の空には微かに戦雲の閃が見えると申しましたが、今日は戦雲の閃どころではない、既に欧羅巴の一角に於ては戦争が勃発して、今や将に終結を告げんとして居る、戦争が始まれば、所謂弱肉強食、正義や人道の声は露程の効目もない、来年の此頃にはどう云ふ事が起って居るか分らぬ、故に私共は世界の平和などと云ふやうなことは、中々未だ期待して居らないのであります、吾々の望む所のものは広き世界の平和ではなくして、其一部でありまする所の此東亜の平和である、東亜の平和を維持することは、我が日本帝国の大方針であり、又大使命であり、又大責任であるのであります、歴代の政府も此処に於て屡々其趣意を述べて居る、広田首相も外務大臣として屡々此壇上に於て力説せられて居るのであります、所が此東亜の平和が真に得らるべきものであるかないか、東亜の平和を維持する所の根拠が今日大磐石に確立して居るのであるか否や、之を私は疑ふのである、吾々は近頃満蒙の国境、或は其他の処に於て時々起りまする所の、彼の局部的の、又断片的の事件、斯う云ふものに重きを置く者ではない、斯の如き事件は其場限り、如何様にも解決することが出来るでありませうが、之を大局の上から見まして、東亜の平和を保持する所の外交上の大工作が行はれて居るのであるか否や、之を私は聴きたいのであります、広田首相は自主的、積極的外交と云ふことを言うて居られまするが、我国の外交が自主的でなくてはならぬことは当然であります、積極的であると云ふ所に、相当の期待が掛けられて居るのであります、然るに今日吾々が東亜の天を眺めますると云ふと、東亜の天は極めて静かであって、且つ明朗である云ふ感じが起らない、現に広田首相も昨日此処に於て東亜の天は明朗を欠くと云ふことを言うて居られるのであります、岡田首相が……(笑声)広田首相が斯く申さるるのでありますから是は疑ひない、何れにするも今日は逡巡躊躇して居るべき秋ではない、所謂曠日弥久、日を曠しくして久しきに弥るべき秋ではない、大悟一番百年平和の基礎に向って、積極的に外交上の大工作を施すべき秋ではないか、而して外交上の工作は必ずや事実の上に現はれて来なくてはならぬ、外交上の工作が事実の上に現はれると云ふことはどう云ふことであるかと云ふと、詰り国防計画の変更であるのであります、一方に於ては軍備の競争を為して居りながら、他の一方に於て外交上の工作成功せりと言ふものは悉く偽りである(ヒヤヒヤ)吾々はさう云ふ虚偽の外交を望まない、さう云ふ姑息的な、さう云ふ弥縫的な外交を望まない、吾々の望む所のものは真実の外交である、精神的なる徹底せる外交であって、其外交の結果が事実の上に於て現はれて来なけれはならぬ、是れ以外に吾々の望む所の外交の何物もないのであります、然るに一方に於て軍備の競争をやる、彼が軍備を拡張すれば我も亦拡張する、我が拡張すれば彼も亦拡張する、彼が或る地点に防備を整へれば我も亦之に対抗する、斯う云ふ勢を以て進んで居りましたならば、末はどうなるものであるか、其結果は推して知るべきのみである、国策の樹立を声明して、是が実現を期すると言はれた所の広田首相に於きましては、此刻下の重大問題に付て、更に一歩を踏み出さるべきではないか、之を私は伺って置きたいのであります

 尚ほ民族の発展及び国民生活等のことに付きまして御尋を致したい事もござりまするが、他の問題に付て御尋をする必要から、総理大臣に対する質疑は之を以て一時中止を致しまして、是より軍部大臣に向って少しく御尋をして見たい事があるのであります

 二月二十六日帝都に起りました所の、彼の叛乱事件の経過に付きましては、昨日公開及秘密会を通じて、陸軍大臣より詳細の御説明があり、又之に対して吾々の同僚より質疑がござりまして、私は謹んで之を拝聴して居ったのであります、然る所私白身の立場から申しますると、平素考へて居りますることに付て、どうしても少し聴かねばならぬことがある、此機会を逸すると更に他の機会を掴むことは甚だ困難でありまするから、今少しく時間を拝借致しまして、極めて大要に亙って此関係に於て質問することを許されたいのであります、御断りをして置きまするが、私は今回の事件の為に、苟且にも軍に対して反感を懐く者ではない、又軍部大臣を指弾せんとする者でもない、殊に寺内陸軍大臣は此事件の跡始末をするが為に、又斯る事件を未来永久根絶するが為に、苦心努力して居られることは、十分知って居るのであります、又或る一部の人々が妄想する如く、吾々は之に依って苟且にも反軍思想の鼓吹するとか、或は軍民離間を策するとか云ふような、さう云ふ邪念は一切持って居らないのであります、唯国家の将来に対して聊か憂ふるの余り、敢て質問を致すのでありますから、此点は誤解なからんことを予め御断りして置きます

 凡そ何事に拘らず此世の中に現はれます所の事件の原因を審して見ますると、遠きものもあれば近きものもある、所謂近因もあれば遠因もあるのでありまして、之を遡って究めますると、全く際限のないことでござりまするが、今回の事件の如きもそれと同様でござりまして、此事件が由って起りました所の原因を調べて見ますれは、現在の政治上、社会上、経済上、其外諸般の事情が伏在して居るに相違ござりませぬが、私は今回是等の事情を吟味するだけの時は持たないのでありますから、此事件の比較的直接の原因として認むべき二三の事実を指摘して、之に対して陸軍大臣の御答を求めて見たいと思うのである

 其第一は何であるかと云ふと、軍人の政治運動に関することであります(拍手)満洲事件は国の内外に亘って非常な影響を及ぼして居ることは、今更申す迄もないことでありまするが、其中に於きまして、青年軍人の思想上に於きましても或る変化を与へたものと見えまして、其後軍部の一角、殊に青年軍人の一部に於きましては、国家改造論の如きものが擡頭致しまして、現役軍人でありながら、政治を論じ、政治運動に加はる者が出て来たことは、争ふことの出来ない事実である、此傾向に対して是まで軍部当局はどう云ふ態度を執って居られるのであるか、之を私は聴かんと欲するのであります、申す迄もなく軍人の政治運動は上御一人の聖旨に反し、国憲、国法の厳禁する所であります、彼の有名なる明治十五年一月四日 明治大帝が軍人に賜りました所の御勅諭を拝しましても、軍人たる者は世論に惑はず、政治に拘らず只々一途に己が本分たる忠節を守れと仰出だされて居る、聖旨のある所は一見明瞭、何等の疑を容るべき余地はないのであります、或は帝国憲法の起草者でありまする所の元の伊藤公は、其憲法義解に於てどう云ふことを載せて居られるかと云ふと、「軍人は軍旗の下に在て軍法軍令を恪守し専ら服従を以て第一義務とす故に本章に掲くる権利の条規にして軍法軍令と相抵触する者は軍人に通行せす即ち現役軍人は集会結社して軍制又は政治を論することを得す政事上の言論著述印行及請願の自由を有せさるの類是なり」又陸軍刑法、海軍刑法に於きましても、軍人の政治運動は絶対に之を禁じて、犯したる者に付ては三年以下の禁錮を以て臨んで居る、又衆議院議員の選挙法、貴族院多額納税議員互選規則を見ましても、現役軍人に対しては、大切なる所の選挙権も被選挙権も与へて居らないのであります、斯の如く軍人の政治運動は、上は聖旨に背き、国憲国法が之を厳禁し、両院議員の選挙、被選挙権までも之を与へて居らない、是は何故であるかと言へば、詰り陸海軍は国防の為に設けられたるものでありまして、軍人は常に陛下の統帥権に服従し、国家一朝事有るの秋に当っては、身命を賭して戦争に従はねばならぬ、それ故に軍人の教育訓練は専ら此方面に集中せられて、政治、外交、財政、経済等の如きは寧ろ軍人の知識経験の外にあるのであります、加之若し軍人が政治運動に加はることを許すと云ふことになりますると云ふと、政争の結果遂には武力に愬へて自己の主張を貫徹するに至るのは自然の勢でありまして、事茲に至れば立憲政治の破滅は言ふに及ばず、国家動乱、武人専制の端を開くものでありますからして、軍人の政治運動は断じて厳禁せねばならぬのであります(拍手)殊に青年軍人の思想は極めて純真ではございまするが、又単純である、それ故に是等の人々が政治に干渉すると云ふことは、極めて危険性を持って居るものであります、私は前年彼の五・一五事件の公判筆記を読み、又自ら公判を傍聴致しまして、痛切に其感を深くした者であるのであります、有体に申しますると云ふと、法廷に於ける被告人等の態度は、極めて堂々たるものであったのであります、犯罪の動機、犯罪の事実を何等包み隠さずして陳述する所は、流石青年軍人の面目実に躍如たるものがあったのであります、是は固より彼等の為したる事が、決して破廉恥的の性質を有するものではなく、一に国家社会を思ふ所の熱情より迸りたる、所謂憂国慨世の国士的の行動でありまするからして、内に顧みて自ら疚しき所はないのみならず、難に臨んで卑怯千万の振舞をしてはならない、軍人精神の発露としては当然のことであるのであります、併ながら惜しむべきことには、如何にも其思想が単純でありまして、複雑せる国家社会を認識する所の眼界が如何にも狭隘であることである、それは其筈でありませう、彼等は何れも二十二三歳から三十歳に足らない所の青年でございまして、軍事に関しては一応の修養を積んで居るには相違ありませぬが、政治、外交、経済等に付きましては、無論基礎的学問を為したることはなく、況や何等の経験も持って居らないのである、然るに是等の青年軍人が平素無責任にして誇張的でありまする所の言論機関の記事論説を読み、或は怪文書の如きものを手にする、或は一部の不平家、一部の陰謀家の言論に耳を傾け、或は処士横議の士と交はり、或は世の流言蜚語を信じて、如何なる考を起したかと云ふと、今日の政党、財閥、支配階級は悉く腐敗堕落して居る、之を此儘に放任して置いたならば国家は滅亡してしまふ、之を救ふには彼の大化の革新に倣うて、日本国家の大改造をやるより外に途はない、従来の外交は軟弱である、倫敦条約は屈辱である、 天皇親政、皇室中心の政治を行はねばならぬ、是が為には軍人内閣を拵へねばならぬ、直接行動に愬へねばならぬ、犯罪の動機は何であるかと問はるると、権藤某の自治典範を読んで感動した、北某の日本改造法案を読んで感激した、朝日某の斬好状を読んで刺戟された、其思想の単純であることは思ひ知らるるのであります、それでありまするから公判廷に於ける彼等の陳述を聴いて居りますると、悉く不徹底なことばかりであって、要点に達して居るものは何等認めることは出来ない、例へば倫敦条約は統帥権の干犯であると云ふことを言うて居りますが、憲法上から見て何処が統帥権の干犯になるかと云ふことは少しも究めて居らぬ、 天皇親政、皇室中心の政治と云ふやうなことを言ふが、一体どう云ふ政治を行はんとするのであるかと云ふと、さっぱり分って居らぬ、唯或者が今日の政党、財閥、支配階級は腐って居ると言ふと、一図に之を信ずる、倫敦条約は統帥権の干犯であると言ふと、一図に之を信ずる、国家の危機目前に迫る、直接行動の外なしと言へば、一図に之を信ずる、斯の如くして、軍人教育を受けて忠君愛国の念に凝り固まって居りまする所の直情径行の青年が、一部の不平家、一部の陰謀家等の言論を其儘鵜呑みにして、複雑せる国家社会に対する認識を誤りたることが、此事件を惹起するに至りたる所の大原因であったのであります(拍手)それ故に青年軍人の思想は極めて純真ではありまするが、又同時に危険であります、禍の本は総て此処から胚胎して居るのでありますから、此思想を一洗するにあらざれば、将来の禍根を芟除することは到底出来ないと私は思って居りますが(拍手)陸軍大臣は此点に付てどう云ふ考を持って居られるのであるか、之を一つ承って置きたいのであります

 それから次は是等の青年軍人の思想が、或は陰謀となり、或は直接行動となって世に現はれた、其行動に対する軍部当局の態度であります、第一は昭和六年に現はれた所の所謂三月事件、第二は同年に現はれました所の十月事件、此事件の内容は申しませぬが、事件の性質其ものは、其後に現はれた所の五・一五事件及び今回の叛乱事件と同一のものでありまして、同一の系統に属するものであるのであります、然るに此両事件に対し、軍部当局は如何なる処置を執られたかと云ふと、之を闇から闇に葬ってしまって、少しも徹底した処置を執って居られないのであります(拍手)凡そ禍は之を初に断切ることは極めて容易であります、容易であると同時に、将来の禍を防ぐ所の唯一の途であるに拘らず、之を曖昧の裡に葬り去って、将来の禍根を一掃することが出来ると思ふ者があったならば、それは非常なる誤であるのであります、昔の諺にも寸にして断たざれは尺の憾あり、尺にして断たざれば丈の憾あり、仮令一木と雖も之を双葉のときに伐取ることは極めて容易でありますが、其根が深く地中に蟠居するに至っては、之を倒すことは中々容易なことではない、彼の頼山陽が、中古政権が武門に帰したる其原因を論じて、歴代朝廷が源平二氏に対する所の姑息偷安、優柔不断の態度を指摘して、異日搏噬攘奪の禍此に基くを知らずと喝破して居るが、事柄は違ひますけれども、道理は同じであります、若し彼の三月事件に付て、軍部当局が其原因を芟除して、所謂抜本塞源の徹底的の処分をせられたならば、必ずや十月事件は起らなかったに相違ない(拍手)又遅れたりと雖も、十月事件に付て同様の処置をせられたならば、後の五・一五事件は必ず起らなかったに相違ない(拍手)此両事件に対する軍部の態度が、延いて五・一五事件を惹起すに当って大なる原因の一つに算へても私は差支ないと思ふ、更に進んで五・一五事件に対する態度であります、苟も軍人たる者が党を結んで白昼公然総理大臣の官邸に乱入し、 天皇陛下の親任せらるる所の一国の総理大臣を銃殺する、国を護るが為に授けられたる所の兵器を以て、国政燮理の大任に当って居ります所の、国家最高の重臣を暗殺する、其罪の重大であることは固より申す迄もないことであります(拍手)然るに此重大事件に対して、国家の裁判権は遺憾なく発揮せられて居るのであるか、当時海軍軍法会議に於きまして、山本検察官は畢生の力を揮うて堂々数万言の大論告を為した、即ち事件の重大性と、直接行動の許すべからざることを痛論して、動機の如何に拘らず国法は破ることは出来ない、軍紀は紊すことは出来ない、軍紀を紊り、国法を破りたる者に対しては、法の命ずる制裁を加ふることは国家の存立上万已むを得ないと論じて、其首魁と目せらるる三名に対しては死刑の要求を為したのであります(「ヒヤヒヤ」拍手)海軍刑法に依りますると、叛乱罪の首魁は死刑に処す、死刑一点張でござりまして、選択刑は許されて居らないのであります、然るに此論告に対して如何なる事態が現はれたかと云ふと、或る一部に於きましては猛烈なる反対運動が起った、監督の上司は之を抑制する所の力がない、山本検察官の身上には刻一刻と危険が迫る、多数の憲兵を以て検察官の住宅を取巻いて之を保護する、家族一同は遠方に避難する、斯う云ふ事態の下に於て、裁判の独立、裁判の神聖がどうして維持することが出来るか(拍手)果せる哉裁判の結果を見ますると、死刑の要求が十三年と十五年の禁錮と相成って居ります、軽きは一年、二年の懲役に処せられて、而も執行猶予の宣告が附いて居るのであります、然るに同じ事件に関係して居ります所の民間側の被告に対しては、どう云ふ裁判が下されて居るかと見ますると、彼等は固より犬養首相の殺害に手を下したるものではない、唯或る発電所に爆弾を投じたけれども、是は未発に終って何等の結果を惹起して居らない、それにも拘らず其首魁は無期懲役に処せられて居るのであります(拍手)同じ事件に連累して、其為したる役目は違うと雖も、或者は一国の総理大臣を殺害したるにも拘らず、其人が軍人であり、且つ軍事裁判所に管轄せらるるが為に、比較的軽い刑に処せられ、或者は僅に発電所に未発の爆弾を投じただけであるにも拘らず、其人が普通人であり、普通裁判所の管轄に属する者であるが故に、重き刑罰に処せられた、申す迄もなく司法権は 天皇の御名に依って行はれるのであります、 天皇の御名に依って行はれる裁判は徹頭徹尾独立であり、神聖であり、至公至平でなければならないのであります、然るに人と場所に依って裁判宣告に斯の如き差等を生ずる、是で国家の裁判権が遺憾なく発揮せられたりと言ふことが出来るか、是で刑罰の目的であります所の、犯罪予防の効果を完全に収めることが出来るか、軍務当局者は真剣に考へなければならぬ所の重大問題であるのでありあす(拍手)

 要するに斯の如き次第でありまして、三月事件に対する軍部の態度が十月事件を喚び出し、十月事件に対する軍部の態度が五・一五事件を喚び出し、五・一五事件に対する軍部の態度が実に今回の一大不祥事件を惹起したのであると、斯様に私は観察を下して居るのでありますが、若し此観察に過ちがあれば正して戴きたいのであります(拍手)

 更に今回の事件に対しましては、色々御尋したいことがございますけれども、大体昨日の本会及び秘密会に於ける質問応答に依って分りましたから、唯一点だけ伺って置きたい事があります、それは何であるかと云ふと、此事件に関係致しました所の青年将校は二十名であるのであります、公表せられたる所の文書に依ると二十名である、所が此以外により以上の軍部首脳者にして此事件に関係して居る者は一人も居ないのであらうか(拍手)固より事件に直接関係はして居らぬでありませう、併ながら平素是等の青年将校に向って或る一種の思想を吹込むとか、彼等が斯る事件を起すに当って、精神上の動機を与へるとか、或は斯る事件の起ることを暗に予知して居る、或は俗に謂ふ所の裏面に於て糸を引いて居る、斯う云ふ者は一人もなかったのであるか、私の観る所に依りますると云ふと、世間は確に之を疑って居るのであります、陸軍大臣は過般の地方官会議に於きまして、左様なことを宣伝する者は反軍思想を鼓吹する者である、非国民の軍民離間的態度であると言うて一蹴せられて居りまするが、斯様なことを故ら宣伝する者があるかないか、それは知りませぬ、併ながらさう云ふ疑を持って居る者は確にあるのであります、而して其疑が無理であるかと云ふと、さうでもなささうである、例へば先程引用致しました所の山本検察官の論告に於て、斯う云ふことがある「凡そ事の成るは成るの日に成るに非ず、由って来る所があるのであります、本件も亦其由って来る所久しく、一朝一夕に起ったものではないのであります、被告人古賀清志の当公廷に於ける陳述に依りますれば、古賀は某事件に参加したる経験に依りまして、今回被告人等の企図しましたる、戒厳にして宣告せらるるの情況に立至れるときは、当然之を収拾して呉れる相当の大勢力の存するものであることを知り」云々、或は「尚お此機会に於て一言して置きたいことは、部下指導に関する上司の態度に付てであります、此点に関し、本件発生当時某官憲が上司に提出したる意見書中に所見があります、日く、上司中往々彼等の所見に対し、極めて曖昧模糊たる態度を執り、彼等をして上司は其行動を認容し居りたるものの如く誤信せしめたるやの形跡なきに非ず」「上司たる者、下級者を指導するに際し、明に是は是とし、非はこれを非として、其方向を誤まらざらしむる如く努むることが極めて必要である」山本検察官が神聖なる法廷に立って、斯の如きことを明言して居る、即ち古賀清志等が彼の五・一五事件を起して、彼等の計画する戒厳を宣告せしめたならば、何れの所よりか大勢力が現はれて来て、之を収拾して呉れる、斯う云ふ確信を以て彼等は旗挙げをしたのである、或は上司たる者は、部下の者に対しては事の是非曲直を明にして、彼等を迷はしめないやうにしなくてはならぬに拘らず、言語及び態度の曖昧にして、何となく上司が彼等の行動を容認して居るかの如く誤解せしめて居ると云ふ事実を、四五年前の五・一五事件の公判に於て山本検察官が既に論じて居るのであります、故に斯の如き疑を起すと云ふ者は、唯非国民であるとか、或は軍民離間を策する者であるとか言うて一蹴しただけでは国民の疑は霽れるものではない(拍手)若しさう云ふことがあったならば、是は極めて重大事件であります、故に事件の跡始末をするに付ては、先以て此方面からして洗ひ去るにあらざれば、事件の根本的清掃と云ふものは断じて出来るものではないと思ふのであります(「ヒヤヒヤ」拍手)

 以上私が申述べました所のことを約言致しますると云ふと、事件の原因は大体二つあります、即ち一つは青年軍人の思想問題である、又一つは事前監督及び事後に対する軍部当局の態度であります、近来青年軍人の一部、極めてそれは一小部分でござりませうが、一小部分の青年軍人の思想が、一種の反動思想に傾いて居ると云ふことは事実らしいのであります、時々起りまする所の事件の原因及び国民不安の原因は実に茲にあるのである、元来我が国民中には動もすれは外国思想の影響を受け易い分子があるのであります、欧羅巴戦争の後に放て「デモクラシイ」の思想が旺盛になりますると云ふと、我も我もと「デモクラシイ」に趨る、其後欧州の一角に於て赤化思想が起りますると云ふと、又之に趨る者がある、或は「ナチス」「フアッショ」の如き思想が起ると云ふと、又之に趨る者がある、思想上に於て国民的自主独立の見識のないことはお互に戒めねばならぬことであります(拍手)今日極端なる所の左傾思想が有害であると同じく、極端なる所の右傾思想も亦有害であるのであります、左傾と云ひ右傾と称しまするが、進み行く道は違ひまするけれども、帰する所は今日の国家組織、政治組織を破壊せんとするものである、唯一つは愛国の名に依って之を行ひ、他の一つは無産大衆の名に依って之を行はんとして居るのでありまして、其危険なることは同じことであるのであります、我が日本の国家組織は建国以来三千年牢固として動くものではない、終始一貫して何等変りはない、又政治組織は明治大帝の偉業に依って建設せられたる所の立憲君主政、是より外に吾々国民として進むべき道は絶対にないのであります(拍手)故に軍の首脳部が宜く此精神を体して、極めて穏健に部下を導かれたならば、青年軍人の間に於て怪しむべき不穏の思想が起る訳は断じてないのである、若し夫れ軍部以外の政治家にして、或は軍の一部と結託通謀して政治上の野心を行はんとするが如き者が若しあるならば、是は実に看過すべからざるものであります(拍手)苟も立憲政治家たる者は、国民を背景として、正々堂々と民衆の前に立って、国家の為に公明正大なる所の政治上の争を為すべきである、裏面に策動して不穏の陰謀を企てる如きは、立憲政治家として許すべからざることである、況や政治圏外にある所の軍部の一角と通謀して自己の野心を遂げんとするに至っては、是は政治家の恥辱であり堕落であり(拍手)又実に卑怯千万の振舞であるのである、此点に付きましては軍部当局者に於きましても相当に注意をせらるる必要があるのではないかと思はれる、其外事前の監督、事後の処置に対しては、私共現寺内陸軍大臣を絶対に信頼して居りまするからして、是等に付て質問をする所の必要はござりませぬが、要するに一刀両断の処置を為さねばならぬ(拍手)御承知でもござりませうが、支那の兵法の六韜、三略の中にも「怒るべくして怒らざれば奸臣起る、倒すべくして倒さざるば大賊現はる」私は全国民に、私は全国民に代って軍部当局者の一大英断を要望する者であります(拍手)尚ほ最後に一言致して置きたいことは、此事件に対する所の国民的感情であります、此事は各方面の報告に依って、固より軍部当局者は十分に御承知のことでござりませうが、私の見る所に依りますると云ふと、今回の事件に対しては、中央と云はず、地方と云はず、上下有ゆる階級を通じて衷心非常に憤慨をして居ります(拍手)非常に残念に思って居るのであります、殊に国民的尊敬の的となられた所の高橋蔵相、斎藤内府、渡辺総監の如き、誰が見た所が温厚篤実、身を以て国に尽す所の 陸下の重臣が、国を護るべき統帥権の下に在る所の軍人の銃剣に依って虐殺せらるるに至っては(拍手)軍を信頼する所の国民に取っては実に耐へ難き苦痛であるのであります(拍手)それにも拘らず彼等は今日の時勢、言論の自由が拘束せられて居ります所の今日の時代に於て、公然之を口にすることは出来ない、僅に私語の間に之を洩し、或は目を以て之を告ぐる等、専制武断の封建時代と何の変る所があるか(拍手)啻にそればかりでない、例へば今回叛乱後の内閣組閣に当りましても、事件に付て重大なる所の責任を担うて居られる所の軍部当局は、相当に自重せられることが国民的要望であったにも拘らず、或は其々の省内には政党人入るべからず、某々は軍部の思想と相容れないからして之を排斥する、最も公平なる所の粛正選挙に依って国民の総意は明に表白せられ(拍手)之を基礎として政治を行ふのが 明治大帝の降し賜ひし立憲政治の大精神であるに拘らず(拍手)一部の単独意志に依って国民の総意が蹂躙せらるるが如き形勢が見ゆるのは、甚だ遺憾千万の至りに堪へないのであります(拍手)それでも国民は沈黙し、政党も沈黙して居るのである、併ながら考へて見れば、此状態が何時まで続くか、人間は感情的の動物である、国民の忍耐力には限りがあります、私は異日国民の忍耐力の尽き果つる時の来らないことを衷心希望するのであります(拍手)満洲事件以来、国の内外に非常な変化が起りまして、世は非常時であると唱へられて居るのであります、此非常時を乗切るものは如何なる力であるか、場合に依っては軍隊の力に依頼せねばならぬ、併ながら軍隊のみの力ではない、又場合に依っては銃剣の力に俟たねばならぬ、併し銃剣のみの力ではない、上下有ゆる階級を通じて一致和合したる全国民の精神的団結力(拍手「ヒヤヒヤ」)是より外に此難局を征服する所の何物もないのであります(拍手)因より軍部当局は是位なことは百も千も御承知のことでござりまするが、近頃の世相を見ますると云ふと、何となく或る威力に依って国民の自由が弾圧せられるが如き傾向を見るのは、国家の将来に取って洵に憂ふべきことでありますからして(拍手)敢て此一言を残して置くのであります

 重ねて申しまするが、吾々が軍を論じ軍政を論ずるのは即ち国政を論ずるのであります、決して是が為に軍に対して反感を懐くのではない、軍民離間を策する者でもなければ、反軍思想を鼓吹する者でありませぬからして、此誤解は一切除去せられて、時々起る所の――時々軍部の一角から起る所の、反軍思想であるとか、或は軍民離間であるとか云ふやうな言葉に付ては、将来一層の御注意あらんことを希望して置きます(拍手)私の質問は大体是位でございまするが、忌憚なく詳細に御答弁あらんことを希望致します(拍手)

(官報號外昭和十一年五月八日 第六十九囘帝國議會衆議院議事速記錄第四號』P40-P48)

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 ダンバートン・オークス提案(一般的国際機構設立に関する提案)(訳文)     一般的国際機構設立に関する提案 (「ダンバートン、オークス」会議の結果「ソ」連邦、米国、英国及重慶政権に依り提案せられ千九百四十四年十月九日発表せられたるもの) (本提案の英文は千九百四十四年十月十一日附「モスコー、ニュース」より之を採り「ストックホルム」電報等に依り長短相補ひたるものなり) 「国際連合」なる名称の下に一の国際機構設立せらるべく其の憲章は左の提案を具現するに必要なる規定を掲ぐべし    第一章 目的 本機構の目的は左の如くなるべし 一、国際平和及安寧を保持すること、右目的の為平和に対する脅威の防止及除去並に侵略行為又は他の平和侵害行為の抑圧を目的とする効果的且集団的措置を執ること及平和の侵害に至るの虞ある国際紛争を平和的方法に依り調整又は解決すること 二、各国間の友好関係を発展せしめ且世界平和を強化すべき他の適当なる措置を執ること 三、各国間の経済的、社会的及他の人道上の問題の解決の為国際協力を完成すること及 四、右共同目的完成の為各国の行動を調整すべき中心たるべきこと    第二章 原則 第一章に掲げたる目的を遂行せんが為本機構及其の締盟国は以下の原則に従ひ行動すべし 一、本機構は一切の平和愛好国の主権平等の原則に其の基礎を置くものとす 二、本機構の一切の締盟国は締盟国全部に対し締盟国たるの地位に基く権利及利益を保障する為憲章に従ひ負担したる義務を履行することを約す 三、本機構の一切の締盟国は其の紛争を国際平和及安寧を危殆ならしめざるが如き平和的方法に依り解決すべきものとす 四、本機構の一切の締盟国は其の国際関係に於て本機構の目的と両立せざる如何なる方法に於ても脅威又は兵力の行使を避くるものとす 五、本機構の一切の締盟国は本機構が憲章の規定に従ひ執るべき如何なる行動に於ても之に対し有らゆる援助を与ふるものとす 六、本機構の一切の締盟国は本機構が防遏的又は強制的行動を執行中なる如何なる国家に対しても援助を与ふることを避くるものとす 本機構は、国際平和及安寧保持に必要なる限り本機構の非締盟国が右原則に従ひ行動することを確実ならしむべし    第三章 締盟国 一切の平和愛好国は本機構の締盟国たり得べし    第四章 主要機関 一、本機構は其の主要機関として左記を有すべし  イ

第二次近衛声明(東亜新秩序建設の声明) 1938年11月03日

 第二次近衛声明(東亜新秩序建設の声明)                     (昭和十三年十一月三日)  今や 陛下の御稜威に依り帝国陸海軍は、克く広東、武漢三鎮を攻略して、支那の要域を戡定したり。国民政府は既に地方の一政権に過ぎず。然れども、尚ほ同政府にして抗日容共政策を固執する限り、これが潰滅を見るまで、帝国は断じて矛を収むることなし。  帝国の冀求する所は、東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設に在り。今次征戦究極の目的亦此に存す。  この新秩序の建設は日満支三国相携へ、政治、経済、文化等各般に亘り互助連環の関係を樹立するを以て根幹とし、東亜に於ける国際正義の確立、共同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実現を期するにあり。是れ実に東亜を安定し、世界の進運に寄与する所以なり。  帝国が支那に望む所は、この東亜新秩序建設の任務を分担せんことに在り。帝国は支那国民が能く我が真意を理解し、以て帝国の協力に応へむことを期待す。固より国民政府と雖も従来の指導政策を一擲し、その人的構成を改替して更生の実を挙げ、新秩序の建設に来り参ずるに於ては敢て之を拒否するものにあらず。  帝国は列国も亦帝国の意図を正確に認識し、東亜の新情勢に適応すべきを信じて疑はず。就中、盟朋諸国従来の厚誼に対しては深くこれを多とするものなり。  惟ふに東亜に於ける新秩序の建設は、我が肇国の精神に淵源し、これを完成するは、現代日本国民に課せられたる光栄ある責務なり。帝国は必要なる国内諸般の改新を断行して、愈々国家総力の拡充を図り、万難を排して斯業の達成に邁進せざるべからず。  茲に政府は帝国不動の方針と決意とを声明す。 (国立公文書館:「近衛首相演述集」(その二)/1 第一章 「声明、告諭、訓令、訓辞」 B02030031600)