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徴兵の詔(徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭) 1872年12月28日

徴兵令詔書及び徴兵告諭(口語訳)

 今回、全国募兵の件に付き、別紙の詔書の通り徴兵令が仰せ出され、その定めるところの条々、各々天皇の趣意を戴き、下々の者に至るまで遺漏なきように公布しなさい。全体として詳細は陸軍・海軍両省と打ち合わせをしなさい。この趣旨を通達する。
 ただし、徴兵令および徴募期限については追って通達するべきものとする。

(別紙)
詔書の写し 

 私(明治天皇)が考えるに、往昔は郡県の制度により、全国の壮年の男子を募って、軍団を設置し、それによって国家を守ることは、もとより武士・農民の区別がなかった。中世以降、兵は武士に限られるようになり、兵農分離が始まって、ついに封建制度を形成するようになる。明治維新は、実に2千有余年来の一大変革であった。この際にあたり、海軍・陸軍の兵制もまた時節に従って、変更しないわけにはいかない。今日本の往昔の兵制に基づいて、海外各国の兵制を斟酌し、全国から兵を徴集する法律を定め、国家を守る基本を確立しようと思う。おまえたち、多くのあらゆる役人は手厚く、私(明治天皇)の意志を体して、広くこれを全国に説き聞かせなさい。
明治5年(壬申)11月28日

 わが国古代の兵制では、国をあげて兵士とならなかったものはいなかった。有事の際は、天皇が元帥となり、青年壮年兵役に耐えられる者を募り、敵を征服すれば兵役を解き、帰郷すれば農工商人となった。もとより後世のように両刀を帯びて武士と称し、傍若無人で働かずに生活をし、甚だしい時には人を殺しても、お上が罪を問わないというようなことはなかった。
 そもそも、神武天皇は珍彦を葛城の国造に任命し、以後軍団を設け衛士・防人の制度を始めて、神亀天平の時代に六府二鎮を設けて備えがなったのである。保元の乱・平治の乱以後、朝廷の軍規が緩み、軍事権は武士の手に落ち、国は封建制の時代となって、人は兵農分離とされた。さらに後世になって、朝廷の権威は失墜し、その弊害はあえていうべきものもなく甚だしいものとなった。
 ところが、明治維新で諸藩が領土を朝廷に返還し、1871年(明治4)になって以前の郡県制に戻った。世襲で働かずに生活していた武士は、俸禄を減らし、刀剣を腰からはずすことを許し、士農工商の四民にようやく自由の権利を持たせようとしている。これは上下の身分差をなくし、人権を平等にしようとする方法で、とりもなおさず武士と農民を一体化する基礎である。
 これで旧来の武士は武士でなく、民は旧来の民ではなく、平等に皇国一般の民であって、報国の道も違いはないのである。およそこの天地にあるすべてのもので、税のかからないものはなく、その税は国費にあてられる。従って人間である以上、心身ともに尽くして国に報いるべきである。西洋人はこれを血税と呼んでいる。その生き血で国に尽くすという意味である。
 一方では、国家に災害があれば、人々はその災害の一端を受けざるを得ず。これが為に人々は心や力を尽し、国家の災害を防ぐには、すなわち自己の災害を防ぐの基本であることを知ることである。いやしくも国があればすなわち兵備が必要であり、兵備があればすなわち 人々がその役に就かざるを得ないのである。ここによって、これを観れば、民兵の法たる、もとより自然の道理であって、予期しないで作り上げられたのではない。
 そこで徴兵制のような、古今を斟酌し、時節に従って、変更しないわけにはいかない。西洋諸国では数百年来研究・実践して兵制を定めてきた。ゆえに、その法は極めて精密である。しかしながら、政治形態や地理の異なることもあり、すべてこれを用いるべきではない。
 だから今、その長所を取りいれて日本古来の軍制を補い、陸海の二軍を備え、全国民の20歳になった男子はすべて兵籍に編入し、国家の危急に備えるべきである。郷長・里正、厚く此の御趣意を奉って、徴兵令によって、庶民に説き聞かせ、国家保護の根本を知らしめるべきものである。
明治5年(壬申)11月28日
(https://blogs.yahoo.co.jp/gauss0jp/65375390.html)


  徴兵令詔書
朕惟ルニ古昔郡縣ノ制全國ノ丁壮ヲ募リ軍團ヲ設ケ以テ國家ヲ保護ス固ヨリ兵農ノ分ナシ中世以降兵權武門ニ歸シ兵農始テ分レ遂ニ封建ノ治ヲ成ス戊辰ノ一新ハ實ニ千有餘年來ノ一大變革ナリ此際ニ當リ海陸兵制モ亦時ニ従ヒ宜ヲ制セサルヘカラス今本邦古昔ノ制ニ基キ海外各國ノ式ヲ斟酌シ全國募兵ノ法ヲ設ケ國家保護ノ基ヲ立ント欲ス汝百官有司厚ク朕カ意ヲ體シ普ク之ヲ全國ニ告諭セヨ
 明治五年壬申十一月二十八日 
(国立公文書館:徴兵令詔書


  徴兵告諭
我 朝上古ノ制海内擧テ兵ナラサルハナシ有事ノ日 天子之カ元帥トナリ丁壯兵役ニ堪ユル者ヲ募リ以テ不服ヲ征ス役ヲ解キ家ニ歸レハ農タリ工タリ又商賣タリ固ヨリ後世ノ雙刀ヲ帶ヒ武士ト称シ抗顔坐食シ甚シキニ至テハ人ヲ殺シ官其罪ヲ問ハサル者ノ如キニ非ス抑
 神武天皇珍彦ヲ以テ葛城ノ國造トナセシヨリ爾後軍團ヲ設ケ衞士防人ノ制ヲ定メ神龜天平ノ際ニ至リ六府二鎮ノ設ケ始テ備ル保元平治以後朝綱頽弛兵權終ニ武門ノ手ニ墜チ國ハ封建ノ勢ヲ爲シ人ハ兵農ノ別ヲ爲ス降テ後世ニ至リ名分全ク泯没シ其弊勝テ言フ可カラス然ルニ太政維新列藩版圖ヲ奉還シ辛未ノ歳ニ及ヒ遠ク郡縣ノ古ニ復ス世襲坐食ノ士ハ其禄ヲ減シ刀劍ヲ脱スルヲ許シ四民漸ク自由ノ權ヲ得セシメントス是レ上下ヲ平均シ人權ヲ齊一ニスル道ニシテ則チ兵農ヲ合一ニスル基ナリ是ニ於テ士ハ從前ノ士ニ非ス民ハ從前ノ民ニアラス均シク 皇國一般ノ民ニシテ國ニ報スルノ道モ固ヨリ其別ナカルヘシ凡ソ天地ノ間一事一物トシテ税アラサルハナシ以テ國用ニ充ツ然ラハ則チ人タルモノ固ヨリ心力ヲ盡シ國ニ報セサルヘカラス西人之ヲ称シテ血税ト云フ其生血ヲ以テ國ニ報スルノ謂ナリ且ツ國家ニ災害アレハ人々其災害ノ一分ヲ受サルヲ得ス是故ニ人々心力ヲ盡シ國家ノ災害ヲ防クハ則チ自巳ノ災害ヲ防クノ基タルヲ知ルヘシ苟モ國アレハ則チ兵備アリ兵備アレハ則チ人々其役ニ就カサルヲ得ス是ニ由テ之ヲ觀レハ民兵ノ法タル固ヨリ天然ノ理ニシテ偶然作意ノ法ニ非ス然而シテ其制ノ如キハ古今ヲ斟酌シ時ト宜ヲ制セサルヘカラス西洋諸國數百年來研究實踐以テ兵制ヲ定ム故ヲ以テ其法極メテ精密ナリ然レトモ政體地理ノ異ナル悉ク之ヲ用フ可カラス故ニ今其長スル所ヲ取リ古昔ノ軍制ヲ補ヒ海陸二軍ヲ備ヘ全國四民男児二十歳ニ至ル者ハ盡ク兵籍ニ編入シ以テ緩急ノ用ニ備フヘシ郷長里正厚ク此 御趣意ヲ奉シ徴兵令ニ依リ民庶ヲ説諭シ國家保護ノ大本ヲ知ラシムヘキモノ也
 明治五年壬申十一月二十八日
(国立公文書館:徴兵告諭)

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