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航空会社の設立に関する協定 1932年08月07日

 航空会社の設立に関する協定(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)


     航空會社ノ設立ニ關スル協定

満洲国国務総理鄭孝胥(以下甲と称す)と関東軍司令官本庄繁(以下乙と称す)とは航空会社の設立に関し協定を為すこと左の如し

一、甲及乙は双方合意の上満洲国に於ける旅客貨物、郵便物の輸送並之に附帯する事業を経営せしむる為航空会社を設立す

二、航空会社は満洲国法律に依る日満合弁の株式会社とし其の資本金は金三百五十万円とす

 将来事業の拡張に伴ひ之を増額する必要を生したるときは甲乙合議の上決す

三、甲は別表の諸施設を金百万円に評価し之を甲の出資額とし会社成立後に於て之に相当する株式を会社より受領するものとす

 右株式は譲渡するを得さるものとす

四、甲の出資額以外の資本は乙に於て左の通り日本側より出資せしむ

  満鉄会社   金百五十万円

  住友合資会社 金百万円

五、甲は旧奉天飛行機修理工場及兵工学校の土地建物を無償にて乙に貸与し乙は之を乙か押収せる飛行機修理工場及兵工学校所属器械類と共に航空会社に貸与す

六、甲は乙の同意を得すして満洲国内に於ける航空事業を本航空会社以外の者に許容せさるへし

七、甲は航空会社の補助金として毎年会計年度の始に於て左記金額を航空会社に交付す 但し大同元年に限り十月末日之を交付するものとす

  大同元年   銀四十万円

  大同二年   銀百万円

  大同三年   銀百四十万円

  大同四年以降 銀百七十万円

 前項補助金は会社の営業状態に依り甲乙合議の上之を変更することあるへし

八、甲は一切の航空機の検査及乗員の試験を乙に委嘱す

九、会社設立に関する弁法は本協定成立後一ヶ月以内に日満双方より委員を挙け詳細なる章程を商議協定せしむ

十、甲は航空会社に対し航空会社の経費を以て航空に必要なる専用通信及無線標識等の施設をなし且之か専用を許可することを約す之か為甲は所要の波長を会社に配当するものとす

十一、郵便物の運送に関しては別に協定するものとす

十二、甲は航空会社に属する諸施設及営業に関する凡ての納税義務並航空会社の使用する必需品の輸入税を免除するものとす

十三、本契約の正文は日満両文各二通を作製し甲乙各一通を保有す

 契約の解釈に疑義を生したるときは日文を以て之を決す

   昭和七年八月七日

   大同元年八月七日

            日本帝国関東軍司令官 本庄繁 印

            満洲国国務総理    鄭孝胥 印

            外交総長       謝介石 印

            交通部長       丁鑑修 印


     記

一、飛行場

 大同元年に完了すへきもの

  奉天、長春、哈爾賓、斉々哈爾、海拉爾、満洲里、吉林、錦州、敦化、龍井村、

 大同二年に完了すへきもの

  鄭家屯、洮安、嫩江、大黒河、海林、依蘭、海倫、開魯、赤峰、熱河、前所、

二、中間著陸場

 大同元年に完了すへきもの

  瓦房店、大石橋、遼陽、開原、四平街、公主嶺、■門、雙城、満溝、安達、小蒿子、碾子山、札蘭屯、巴林、興安、菟渡河、完工、新民、打虎山、溝帮子、興城、連山、綏中、蛟河、甕聲磖子、鳳凰城、本溪湖、

 大同二年に完了すへきもの

  法庫、開通、泰来、寧年站、訥河、二十里河、額裕爾、石頭旬子、東京城、三站、四站頭站、通遼、鬧包營市、梧桐好来、房身、公爺府、金家店、平泉、凌源、錦西、綏化、通北、克山、一面坡、帽兒山、

三、航空機制作工場用敷地及之に利用し得へき建物其他甲の所有に属するものにして本事業に利用し得らるる諸施設

(国立公文書館:標題:4.満洲国来翰 昭和7年9月 C12120038100)

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