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青年学校令 1935年04月01日

 青年学校令(ひらがな化、一部新字体化)


勅令第四十一号

   青年學校令

第一条 青年学校は男女青年に対し其の心身を鍛錬し徳性を涵養すると共に職業及実際生活に須要なる知識技能を授け以て国民たるの資質を向上せしむるを目的とす

第二条 北海道府県、市町村、市町村学校組合、町村学校組合及町村制を施行せざる地域に於ける町村又は町村学校組合に準ずベき公共団体は青年学校を設置することを得

 市町村、市町村学校組合及町村学校組合は前項の規定に依り青年学校を設置する場合に於て費用の負担の為学区を設くることを得

第三条 商工会議所、農会其の他之に準ずベき公共団体は青年学校を設置することを得

 前項の規定に依り設置したる青年学校は私立とす

第四条 私人は青年学校を設置することを得

第五条 青年学校の設置廃止は道府県立の学校に在りては文部大臣、其の他の学校に在りては地方長官の認可を受くベし

 青年学校の設置廃止に関する規則は文部大臣之を定む

第六条 青年学校に普通科及本科を置く但し土地の情況に依り普通科又は本科のみを置くことを得

 青年学校には研究科を置くことを得

第七条 普通科の教授及訓練期間は二年とす

 本科の教授及訓練期間は男子に在りては五年、女子に在りては三年とす但し土地の情況に依り男子に在りては四年、女子に在りては二年と為すことを得

 研究科の教授及訓練期間は一年以上とす

第八条 普通科に入学することを得る者は尋常小学校卒業者又は之に相当する素養ある者とす

 本科に入学することを得る者は普通科修了者、高等小学校卒業者又は之に相当する素養ある者とす

 研究科に入学することを得る者は本科卒業者又は之に相当する素養ある者とす

第九条 普通科の教授及訓練科目は男子に在りては修身及公民科、普通学科、職業科並に体操科とし女子に在りては修身及公民科、普通学科、職業科、家事及裁縫科並に体操科とす

 本科の教授及訓練科目は男子に在りては修身及公民科、普通学科、職業科並に教練科とし女子に在りては修身及公民科、普通学科、職業科、家事及裁縫科並に体操科とす

 研究科の教授及訓練科目は本科の教授及訓練科目に就き適宜之を定むベし但し修身及公民科は之に缺くことを得ず

 教授及訓練科目の程度は文部大臣之を定む

第十条 青年学校には特別の事項を修得せしむる為専修科を置くことを得

 専修科に関する規則は文部大臣之を定む

第十一条 青年学校には相当員数の専任教員を置くベし

第十二条 青年学校の教育の資格に関する規則は文部大臣之を定む

第十三条 青年学校の設備に関する規則は文部大臣之を定む

第十四条 青年学校に於ては授業料を徴収することを得ず但し道府県立の学校に在りて文部大臣、其の他の学校に在りて地方長官の認可を受けたる場合は此の限に在らず

第十五条 本令に依らざる学校は青年学校と称することを得ず

   附 則

本令は公布の日より之を施行す

青年学校の本科の教授及訓練期間は土地の情況に依り道府県立の学校に在りては文部大臣、其の他の学校に在りては地方長官の認可を受け当分の内之を男子に在りては二年又は三年と為すことを得

青年学校の専任教員は道府県立の学校に在りては文部大臣、其の他の学校に在りては地方長官の認可を受け当分の間之を置かざることを得

本令施行の際現に存する公立の実業補習学校及青年訓練所は之を本令に依り設置したる青年学校と看倣す

前項の青年学校にして本令に依り難きものは本令施行後六月を限り仍従前の実業補習学校及青年訓練所の例に依り教育を為すことを得

(国立公文書館:青年学校令・御署名原本・昭和十年・勅令第四一号 A03021980900)

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