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日朝修好条規(日朝修好條規) 1876年02月26日

日朝修好条規(口語訳、前文署名省略)

第一款 朝鮮国は自主の国にして、日本国と平等の権利を保有する。嗣後両国和親の実を表そうとするには、双方互いに同等の礼儀をもって相接待し、わずかでも侵略するような事はあってはならない。先に従前の国交を阻害するような諸条規をことごとく改革・排除し、務めてみなに広まるような法を開き広げ、もって双方とも安寧を永遠に期するようにするものとする。
第二款 日本国政府は、今より十五ヶ月後、時にしたがい使臣を派出し、朝鮮国京城に至り礼曹判書(朝鮮の行政機関の官職)に親しく接し、交際の事務を商議することを得る。当該使臣あるいは留まり、あるいは直に帰国するも、共にその時宜に任しなければならない。朝鮮国政府は、いかなる時においても、使臣を派遣し、日本国東京に至り、外務卿に親しく接し、交際事務を商議することを得る。当該使臣あるいは留まり、あるいは直に帰国するも、共にその時宜に任しなければならない。
第三款 今後、両国相往復する公用文は、日本はその国文を用い、今より十年間は漢文訳をもって行い、朝鮮は真文を用いるものとする。
第四款 朝鮮国釜山の草梁項には日本公館があり、年来両国人民の通商の地である。今より従前の慣例及び及歳遣船等の事を改革し、今般新しく制定される条約を標準として、貿易事務を適切に処置しなければならない。かつ又朝鮮国政府は第五款に載せる所の二つの港を開き、日本人民の往来通商を行うを准聴をしなければならない。以上の場所について土地を賃借し、家屋を造り、又は所在朝鮮人民の家屋を賃借することも、各それぞれ随意に任することができる。
第五款 京圻・忠清・全羅・慶尚・咸鏡五道の沿岸において、通商に便利な港の入り口二ヶ所を見立てた後、地名を指定するものとする。開港の時期は、日本暦明治九年二月より、朝鮮暦丙子年正月より共に数えて二十ヶ月に当たるを期すとすることとする。
第六款 今後、日本国船隻が朝鮮国沿岸にあって大風に遭い、又は燃料が不足し、指定された港口に達することができない時は、いずれの港湾において船隻を寄泊し、風波の危険を避け、要用品を購入し船具を修繕し、燃料を買い求めることができる。もちろんその供給にかかる費用はすべて船主より賠償すべしといえども、これらの事に就いては地方官人民ともにその困難を体察し、真実に憐恤を加え、救援至らざるなく、補給あえて物惜しみしないこととする。もし、又両国の船隻大洋中にて破壊し、乗組人員いずれの地方においても漂着する時は、その地の人民より即刻救助の手続を施し、各人の生命を保全し、地方官に届け出て、当該官より各本国へ護送するか、又はその近傍に在留する本国の官員に引き渡すものとする。
第七款 朝鮮国の沿海島嶼岩礁、従前審検を経なければ極めて危険となす因り、日本国の航海者自由に海岸を測量することを許可し、その位置浅深を調査し、図誌を編製し、両国の船客の危険を避け、安穏に航通できるようにすることとする。
第八款 今後、日本国政府より朝鮮国指定各港口へ、適当な時期に日本商民を管理する官を設置することとする。もし両国に交渉する事件があった時は、当該官よりその場所の地方長官に会商して弁理することとする。
第九款 両国は既に通好を経たことにより、双方の人民はそれぞれ自己の意見に任せて貿易することができる。両国官吏は少しもこれに関係することはない。また貿易の制限をしたり、あるいは禁止することはできない。もし、両国の商民欺罔衒売、又は貸借を償なわないことがある時は、両国の官吏厳重に該逋商民を取り糺し、債欠を追弁させなければならない。但し、両国の政府はこれを代償することはしない。
第十款 日本国人民朝鮮国指定の各港口に在留中、もし罪科を犯し、朝鮮国人民に交渉する事件は、総て日本国官員の審断に帰さねばならない。もし朝鮮国人民罪科を犯し、日本国人民に交渉する事件は、等しく朝鮮国官員の査弁に帰さねばならない。もっとも双方とも各その国の法律に拠って裁判し、少しも弁護袒庇(?)することなく、務めて公平允当の裁判を示さなければならない。
第十一款 両国は既に通好を経たならば、別に通商章程を設立し、両国商民の便利を与えることとする。かつ現今議立された各款中、更に細目を補填して、もって照らし従う利便にすべき条件共、今から六ヶ月を経過するまえに、両国は別に委員を命じ、朝鮮国京城又は江華府に会して商議定立をすることとする。
第十二款 右議定した十一款の条約、この日より両国信守遵行の始まりとする。両国政府は再度これを変更することはできない。もって永遠に及ぼし両国の和親を固くしなければならない。これが為にこの約書二本を作り両国委任の大臣各押印し、相互に交付しもって憑信を明らかにするものである。


修好條規(原文、一部新字体化)

大日本國
大朝鮮國ト素ヨリ友誼ニ敦ク年所ヲ歴有セリ今兩國ノ情意未タ洽ネカラサルヲ視ルニ因テ重テ舊好ヲ修メ親睦ヲ固フセント欲ス是ヲ以テ日本國政府ハ特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官黒田清隆特命副全權辨理大臣議官井上馨ヲ簡ミ朝鮮國江華府ニ詣リ朝鮮國政府ハ判中樞府事申櫶都総府副総管尹滋承ヲ簡ミ各奉スル所ノ 諭旨ニ遵ヒ議立セル條款ヲ左ニ開列ス
第一款 朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ日本國ト平等ノ權ヲ保有セリ嗣後兩國和親ノ實ヲ表セント欲スルニハ彼此互ニ同等ノ禮義ヲ以テ相接待シ毫モ侵越猜嫌スル事アルヘカラス先ツ從前交情阻塞ノ患ヲ爲セシ諸例規ヲ悉ク革除シ務メテ寛裕弘通ノ法ヲ開擴シ以テ雙方トモ安寧ヲ永遠ニ期スヘシ
第二款 日本國政府ハ今ヨリ十五個月ノ後時ニ隨ヒ使臣ヲ派出シ朝鮮國京城ニ到リ禮曹判書ニ親接シ交際ノ事務ヲ商議スルヲ得ヘシ該使臣或ハ留滯シ或ハ直ニ歸國スルモ共ニ其時宜ニ任スヘシ朝鮮國政府ハ何時ニテモ使臣ヲ派出シ日本國東京ニ至リ外務卿ニ親接シ交際事務ヲ商議スルヲ得ヘシ該使臣或ハ留滯シ或ハ直ニ歸國スルモ亦其時宜ニ任スヘシ
第三款 嗣後兩國相往復スル公用文ハ日本ハ其國文ヲ用ヒ今ヨリ十年間ハ添フルニ譯漢文ヲ以テシ朝鮮ハ眞文ヲ用フヘシ
第四款 朝鮮國釜山ノ草梁項ニハ日本公館アリテ年來兩國人民通商ノ地タリ今ヨリ從前ノ慣例及歳遣船等ノ事ヲ改革シ今般新立セル條款ヲ憑準トナシ貿易事務ヲ措辨スヘシ且又朝鮮國政府ハ第五款ニ載スル所ノ二口ヲ開キ日本人民ノ往來通商スルヲ准聽スヘシ右ノ場所ニ就キ地面ヲ賃借シ家屋ヲ造營シ又ハ所在朝鮮人民ノ屋宅ヲ賃借スルモ各其隨意ニ任スヘシ
第五款 京圻忠清全羅慶尚咸鏡五道ノ沿海ニテ通商ニ便利ナル港口二個所ヲ見立タル後地名ヲ指定スヘシ開港ノ期ハ日本歴明治九年二月ヨリ朝鮮歴丙子年正月ヨリ共ニ數ヘテ二十個月ニ當ルヲ期トスヘシ
第六款 嗣後日本國船隻朝鮮國沿海ニ在リテ或ハ大風ニ遭ヒ又ハ薪粮ニ窮竭シ指定シタル港口ニ達スル能ハサル時ハ何レノ港灣ニテモ船隻ヲ寄泊シ風波ノ險ヲ避ケ要用品ヲ買入レ船具ヲ修繕シ柴炭類ヲ買求ムルヲ得ヘシ勿論其供給費用ハ總テ船主ヨリ賠償スヘシト雖モ是等ノ事ニ就テハ地方官人民トモニ其困難ヲ體察シ眞實ニ憐恤ヲ加ヘ救援至ラサル無ク補給敢テ吝惜スル無ルヘシ倘又兩國ノ船隻大洋中ニテ破壞シ乘組人員何レノ地方ニテモ漂着スル時ハ其地ノ人民ヨリ即刻救助ノ手續ヲ施シ各人ノ性命ヲ保全セシメ地方官ニ屆出該官ヨリ各本國ヘ護送スルカ又ハ其近傍ニ在留セル本國ノ官員ヘ引渡スヘシ
第七款 朝鮮國ノ沿海島嶼岩礁從前審検ヲ經サレハ極メテ危險トナスニ因リ日本國ノ航海者自由ニ海岸ヲ測量スルヲ准シ其位置淺深ヲ審ニシ圖誌ヲ編製シ兩國船客ヲシテ危險ヲ避ケ安穩ニ航通スルヲ得セシムヘシ
第八款 嗣後日本國政府ヨリ朝鮮國指定各口ヘ時宜ニ隨ヒ日本商民ヲ管理スルノ官ヲ設ケ置クヘシ若シ兩國ニ交渉スル事件アル時ハ該官ヨリ其所ノ地方長官ニ會商シテ辨理セン
第九款 兩國既ニ通好ヲ經タリ彼此ノ人民各自己ノ意見ニ任セ貿易セシムヘシ兩國官吏毫モ之レニ關係スルコトナシ又貿易ノ限制ヲ立テ或ハ禁沮スルヲ得ス倘シ兩國ノ商民欺罔衒賣又ハ貸借償ハサルコトアル時ハ兩國ノ官吏嚴重ニ該逋商民ヲ取糺シ債欠ヲ追辨セシムヘシ但シ兩國ノ政府ハ之ヲ代償スルノ理ナシ
第十款 日本國人民朝鮮國指定ノ各口ニ在留中若シ罪科ヲ犯シ朝鮮國人民ニ交渉スル事件ハ總テ日本國官員ノ審斷ニ歸スヘシ若シ朝鮮國人民罪科ヲ犯シ日本國人民ニ交渉スル事件ハ均シク朝鮮國官員ノ査辨ニ歸スヘシ尤雙方トモ各其國律ニ拠リ裁判シ毫モ回護袒庇スルコトナク務メテ公平允當ノ裁判ヲ示スヘシ
第十一款 兩國既ニ通好ヲ經タレハ別ニ通商章程ヲ設立シ兩國商民ノ便利ヲ與フヘシ且現今議立セル各款中更ニ細目ヲ補添シテ以テ遵照ニ便ニスヘキ條件共自今六個月ヲ過スシテ兩國別ニ委員ヲ命シ朝鮮國京城又ハ江華府ニ會シテ商議定立セン
第十二款 右議定セル十一款ノ條約此日ヨリ兩國信守遵行ノ始トス兩國政府復之レヲ變革スルヲ得ス以テ永遠ニ及ホシ兩國ノ和親ヲ固フスヘシ之レカ爲ニ此約書二本ヲ作リ兩國委任ノ大臣各鈐印シ相互ニ交付シ以テ憑信ヲ昭ニスルモノナリ

大日本國紀元二千五百三十六年明治九年二月二十六日
大日本國特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官 黒田清隆 印
大日本國特命副全權辨理大臣議官 井上馨 印
大朝鮮國開國四百八十五年丙子二月初二日
大朝鮮國大官判中樞府 事申櫶 印
大朝鮮國副官都総府副総管 尹滋承 印
(Wikisource)

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