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日朝修好条規付録 1876年08月24日

内容見直し点:口語訳中途

日朝修好条規付録(口語訳、前文署名省略)

第一款 今後各港口駐留の日本国人民管理官は、朝鮮国沿海地方において、日本国の諸船困難に遭い、緊急であると聞いたときは、地方官に告げ、該地に至る道路を通過することを得ることができる。
第二款 今後使臣及び管理官より各所ヘ通じる送文は、自費をもって郵送するも、あるいは当該国の人民を雇い專差(?)するも、各その便に従わなければならない。

(以下口語訳途中)
第三款 議定したる朝鮮国通商各港にありて、日本国の人民が敷地を賃借し住居とするには、各その地主と相談して賃料を決定することとする。朝鮮国政府に属する地は、朝鮮国の人民より政府に納める同一の金額を出して住居しなければならない。釜山草梁項日本公館には、從前同国政府より守門設門を設けていたが、今後これを撤廃し、一ニ新定ノ程限ニ依リ標ヲ界上ニ立ツヘシ。他の二つの港もまたこの例を参照する。
第四款 今後釜山港において、日本国人民行歩ヲ得ヘキ道路の里程は、波戸場より起算して東西南北各直径十里(朝鮮里法による、おおよそ日本里法一里に該当する)と定める。東?府中ニ至テハ里程外ニ在リト雖モ、特ニ往來ヲ爲ス。此里程内ニ於テ日本國人民隨意行歩シ、其地ノ物産及日本國物産ヲ賣買スルヲ得ヘシ。
第五款 議定シタル朝鮮國各港ニ於テ日本國人民ハ、朝鮮國人民ヲ賃雇スルヲ得ヘシ。朝鮮國人民其政府ノ許可ヲ得ハ、日本國ニ來ルモ妨無シ。
第六款 議定シタル朝鮮國各港ニ於テ日本國人民若シ死去シタル時ハ、適宜ノ地處ヲ選ミ、埋葬スルヲ得ヘシ。但他ノ二港ノ埋葬地ハ、釜山埋葬地ノ遠近ノ例ニ依ル。
第七款 日本國人民、日本國ノ諸貨幣ヲ以テ朝鮮國人民ノ所有物ト交換シ得ヘシ。又朝鮮國人民ハ交換シ買得タル日本國ノ諸貨幣ヲ以テ、日本國ノ諸貨物ヲ買入ル爲メ、朝鮮國指定ノ諸港ニテハ人民相互ニ通用スルヲ得ヘシ。日本國人民ハ朝鮮國銅貨幣ヲ使用運輸スルヲ得ヘシ。兩國人民私ニ錢貨ヲ鑄造スル者アレハ各其國ノ法律ニ照シテ處斷スヘシ
第八款 朝鮮國人民日本國人民ヨリ買得タル貨物或ハ贈與ヲ受タル諸物品ハ隨意使用シテ妨無シ
第九款 修好條規第七款ニ載スル旨趣ニ從ヒ日本國測量船小船ヲ放チ朝鮮國沿海ヲ測量スル時或ハ風雨ニ逢ヒ或ハ干潮ノ爲メ本船ニ歸ル能ハサル時ハ該處里正ヨリ其近傍ノ人家ニ安着セシムヘシ若シ需用ノ物品アラハ官ヨリ辨給シ後日其入費ヲ完清スヘシ
第十款 朝鮮國ハ未タ海外諸國ト通信セス日本國ハ年來諸國ト締盟友誼アルノ故ヲ以テ今後朝鮮國ノ沿海ヘ諸國ノ船舶風波ノ爲メ困難シ漂着スルアラハ朝鮮國人民理ニ於テ之ヲ愛恤セサル無シ該漂民本國ニ送還セラレンヲ望マハ朝鮮國政府ヨリ各港口駐留ノ日本國管理官ニ遞付シ本國ニ送還セシム該官員之ヲ領諾セサル無シ
第十一款 右十款ノ章程及之ニ添ヘタル通商規則共修好條規ト同一ノ權ヲ有ス兩國政府遵行シテ違フ莫カル可シ然レトモ此各款中若シ兩國人民交際貿易上實地ノ障碍ヲ生シ改革セサル可カラサル事柄ヲ認ムル時ハ兩國政府其議案ヲ作リ一箇年前報知シテ協議決定スヘシ


日朝修好条規付録(原文)

日本國政府曩ニ特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官黑田淸隆特命副全權辨理大臣議官井上馨ヲシテ朝鮮國江華府ニ詣ラシメ同國政府ハ大官判中樞府事申櫶副官都摠府副摠管尹滋承ニ委任シ日本曆明治九年二月二十六日朝鮮曆丙子年二月初二日雙方互ニ調印シタル修好條規第十一款ノ旨趣ニ從ヒ日本國政府ハ理事官外務大丞宮本小一ニ委任シ朝鮮國京城ニ詣リ朝鮮國政府ハ講修官議政府堂上趙寅煕ニ委任シ相會同シテ議立スル條款左ニ開列ス

第一款 嗣後各港口駐留日本國人民管理官朝鮮國沿海地方ニ於テ日本國ノ諸船困難ニ遭ヒ緊急ナリト聞クトキハ地方官ニ告ケ該地ニ到ル道路ヲ經過スルヲ得ヘシ 
第二款 嗣後使臣及管理官ヨリ各所ヘ通スル送文ハ自費ヲ以テ郵送スルモ或ハ該國人民ヲ雇ヒ專差スルモ各其便ニ從フヘシ 
第三款 議定シタル朝鮮國通商各港ニ在リテ日本國人民地基ヲ租賃シ住居スルハ各其地主ト相議シテ價ヲ定ムヘシ朝鮮國政府ニ屬スル地ハ朝鮮國人民ヨリ官ニ納ルト同一ノ租額ヲ出シテ住居スヘシ釜山草梁項日本公館ニハ從前同國政府ヨリ守門設門ヲ設ケシカ今後之ヲ廢撤シ一ニ新定ノ程限ニ依リ標ヲ界上ニ立ツヘシ他ノ二港モ亦此例ヲ照ス 
第四款 嗣後釜山港ニ於テ日本國人民行歩ヲ得ヘキ道路ノ里程ハ波戸場ヨリ起算シテ東西南北各直徑十里朝鮮里法ニ依ルト定ム東萊府中ニ至テハ里程外ニ在リト雖トモ特ニ往來ヲ爲ス此里程内ニ於テ日本國人民隨意行歩シ其地ノ物産及日本國物産ヲ賣買スルヲ得ヘシ 
第五款 議定シタル朝鮮國各港ニ於テ日本國人民ハ朝鮮國人民ヲ賃雇スルヲ得ヘシ朝鮮國人民其政府ノ許可ヲ得ハ日本國ニ來ルモ妨無シ 
第六款 議定シタル朝鮮國各港ニ於テ日本國人民若シ死去シタル時ハ適宜ノ地處ヲ選ミ埋葬スルヲ得ヘシ但他ノ二港ノ埋葬地ハ釜山埋葬地ノ遠近ノ例ニ依ル 
第七款 日本國人民日本國ノ諸貨幣ヲ以テ朝鮮國人民ノ所有物ト交換シ得ヘシ又朝鮮國人民ハ交換シ買得タル日本國ノ諸貨幣ヲ以テ日本國ノ諸貨物ヲ買入ルヽ爲メ朝鮮國指定ノ諸港ニテハ人民相互ニ通用スルヲ得ヘシ 
日本國人民ハ朝鮮國銅貨幣ヲ使用運輸スルヲ得ヘシ兩國人民私ニ錢貨ヲ鑄造スル者アレハ各其國ノ法律ニ照シテ處斷スヘシ 
第八款 朝鮮國人民日本國人民ヨリ買得タル貨物或ハ贈與ヲ受タル諸物品ハ隨意使用シテ妨無シ 
第九款 脩好條規第七款ニ載スル旨趣ニ從ヒ日本國測量船小船ヲ放チ朝鮮國沿海ヲ測量スル時或ハ風雨ニ逢ヒ或ハ干潮ノ爲メ本船ニ歸ル能ハサル時ハ該處里正ヨリ其近傍ノ人家ニ安著セシムヘシ若シ需用ノ物品アラハ官ヨリ辨給シ後日其入費ヲ完淸スヘシ 
第十款 朝鮮國ハ未タ海外諸國ト通信セス日本國ハ年來諸國ト締盟友誼アルノ故ヲ以テ今後朝鮮國ノ沿海ヘ諸國ノ船舶風波ノ爲メ困難シ漂著スルアラハ朝鮮國人民理ニ於テ之ヲ愛恤セサル無シ該漂民本國ニ送還セラレンヲ望マハ朝鮮國政府ヨリ各港口駐留ノ日本國管理官ニ遞付シ本國ニ送還セシム該官員之ヲ領諾セサル無シ 
第十一款 右十款ノ章程及之ニ添ヘタル通商規則共脩好條規ト同一ノ權ヲ有ス兩國政府遵行シテ違フ莫カル可シ然レトモ此各款中若シ兩國人民交際貿易上實地ノ障碍ヲ生シ改革セサル可カラサル事柄ヲ認ムル時ハ兩國政府其議案ヲ作リ一箇年前報知シテ協議決定スヘシ
大日本紀元二千五百三十六年明治九年八月二十四日
理事官外務大丞 宮本小一
大朝鮮開國四百八十五年丙子七月初六日
講修官議政府堂上 趙寅熈
(アジア歴史資料センター)

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