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満韓に関する日露協商案(滿韓ニ關スル日露協商ノ件) 1903年06月23日

滿韓ニ關スル日露協商ノ件(原文:一部新字体化)

東亞ノ時局ニ顧ミ其將來ヲ慮ルニ於テ帝國ノ執ルヘキ政策ハ其細目ニ入レハ素ヨリ多岐ナルモ要ハ帝國ノ防衞ト經濟的活動トヲ主眼トシ各種ノ經綸モ主トシテ此二大政綱ニ基カサルヘカラス而シテ此政綱ヨリ打算スルニ於テ帝國ハ南北二點ニ於テ大陸ト最モ緊切ノ關係ヲ有ス即チ北ハ韓國南ハ福建之レナリ
韓國ハ恰モ利刄ノ如ク大陸ヨリ帝國ノ首要部ニ向ツテ斗出スル半島ニシテ其尖端ハ對馬ト相距ルコト僅ニ一衣水ノミ若シ他ノ強國ニシテ該半島ヲ奄有スルニ至ラハ帝國ノ安全ハ常ニ其脅ス處トナリ到底無事ヲ保ツヘカラス此ノ如キハ帝國ノ決シテ認容スル能ハサル所ニシテ隨テ之ヲ豫防スルハ帝國傳來ノ政策トモ云フヘク而シテ又一方ニ於テハ京釜鐵道ノ完成ヲ急クト同時ニ京義鐵道敷設權ヲモ獲得シ追テ滿洲鐵道並ニ關外鐵道ト連絡シテ大陸鐵道幹線ノ一部トナササルヘカラス之レ韓國ニ於ケル經濟的活動ノ最モ主要ナルモノナリ
次ニ福建ハ臺灣ニ密邇シテ互ニ輔車ノ關係ヲ有シ且支那大陸ニ於ケル我唯一ノ立脚點ナルヲ以テ其運命モ亦帝國ニ於テ決シテ之ヲ傍觀スルヲ得ス蓋シ清國ハ積弊日久シク所謂病既ニ膏盲ニ入レルモノニシテ如何ニ改革ヲ施サントスルモ自力ヲ以テ其獨立ヲ全フセンコトハ覺束ナク利益ノ分割ハ既ニ今日ニ於テモ始マリ居リ領土ノ分割ハ容易ニ行ハレサルヘキモ我方ニ於テハ結局或ハ右ノ場合ニ立到ルヘキヲ豫想シテ之ニ備ヘンコト萬全ノ策ナルヘク而シテ右ニ關スル施設ノ骨子トモ言フヘキ鐵道經營ハ厦門福州ヲ連ネ福建省ヲ貫キテ江西省ニ入リ分岐シテ一方ハ杭州ニ一方ハ武昌ニ出ツル重要ノ線路ニシテ目下既ニ清國當路者ト交渉中ニ在リ右ハ所謂福建不割讓條約ノ精神ヲ追ヒ勢域確立ノ目的ニ出テタルモノニシテ其他同地方ニ於ケル帝國勢力ノ扶植ハ素ヨリ之ヲ努メサルヘカラス
然レトモ福建に關スル問題ハ目下焦眉ノ急ニ迫レルニ非ス專ラ將來ヲ豫想シテ之ニ備フルニ過キサルモ韓國ニ於テハ事情大ニ之ト異リ露國ハ既ニ遼東ニ於テ旅順大連ヲ租借セルノミナラス事實的ニ滿洲占領ヲ繼續シ進ンテ韓國境上ニ向ツテ諸般ノ施設ヲ試ミツツアリ若シ此儘ニ看過スルニ於テハ露國ノ滿洲ニ於ケル地歩ハ絶対的ニ動カスヘカラサルモノトナルヘキノミナラス其餘波忽チ韓半島ニ及ヒ漢城ノ宮廷及政府ハ其ノ威壓ノ下ニ唯命是從フニ至ルヘク否ラストモ露國ハ擅ニ其欲スル所ヲ行フヘキカ故ニ多年該半島ニ扶植セラレタル帝國ノ勢力ト利益トハ支持スルニ由ナク其結果終ニ帝國ノ存立ヲ危殆ナラシムル迄ニ推移スヘキヤ疑ヲ容レス故ニ帝國ノ爲メニ計ルニ今ニ於テ露國ニ對シテ直接ノ交渉ヲ試ミ以テ事局ノ解決ヲ圖ランコト極メテ緊要ニシテ今日ハ既ニ其機熟シタリト云フヘク若シ今日ヲ空過セハ將來再ヒ同一ノ機會ニ逢着スルコト能ハス大局既ニ去リテ憾ヲ萬世ニ貽スニ至ラン
就テハ此際速ニ廟謨ヲ定メラレ其結果ヲ以テ露國ト交渉ヲ開クヘク卑見ニヨレハ交渉ノ主眼ハ韓國ノ安全ヲ圖リ隨テ又滿洲ニ於ケル露國ノ行動ヲ可成條約ノ範圍内ニ限リ之ヲシテ韓國ノ安全ニ影響スルコトナカラシメ以テ帝國ノ防衞ト經濟上ノ利益トヲ全フスルニ在リ而シテ右ニ關スル協商ノ基礎ハ大約左ノ如クニシテ然ルヘキ乎既チ
一、清韓兩國ノ獨立、領土保全及商工業上機會均等ノ主義ヲ維持スルコト
二、日露兩國ハ互ニ其韓國又ハ滿洲ニ於テ現ニ保有スル正當ノ利益ヲ認メ之カ保護上必要ノ處置ヲ執リ得ルコト
三、日露兩國ハ上記ノ利益ヲ保護スル爲メ必要ナルカ又ハ地方ノ騷亂ニヨリ國際的紛擾ヲ惹起スヘキ恐レアル時ハ之レカ鎭壓ノ爲メ出兵ノ權アルヲ認ムルコト但出兵ノ目的達セラレタル時ハ直ニ之ヲ撤スヘキコト尤モ鐵道電線保護ノ爲メニ必要ナル警察兵ハ此限ニ在ラス
四、日本ハ韓國内政改革ノ爲メ助言及助力ノ專權ヲ有スルコト
若シ上記ノ主義ヲ以テ露國ト協商ヲ遂クルニ於テハ帝國ノ權利ト利益トハ保障セラルヘキモ露國ヲシテ之ヲ承諾セシメンコトハ極メテ難事ト思考スルニ付一旦之ヲ提議スルカラニハ萬難ヲ排シ飽迄我目的ヲ貫徹スルノ決心ヲ以テ着手スルコト最モ肝要ナリト思惟ス
(附 記)
   日露協商案要領
第一條 清韓兩帝國ノ獨立及領土保全ヲ尊重スルコト及該兩國ニ於ケル各國ノ商工業ヲシテ均等ノ機會ヲ得セシムルノ主義ヲ保持スヘキコトヲ相互ニ約スルコト
第二條 露國ハ韓國ニ於ケル日本ノ優勢ナル利益ヲ承認シ日本ハ滿洲ニ於ケル鐵道經營ニ就キ露國ノ特殊ナル利益ヲ承認スルコト
第三條 露國ハ本協約ノ第一條若クハ本協約調印前ニ公然發表セラレタル露韓兩國間ノ條約規定ニ背馳セサル限リハ韓國ニ於ケル日本ノ商業的及工業的活動ノ發逹ヲ阻礙セサルヘキコトヲ日本ニ約シ又日本ハ本協約ノ第一條若クハ本協約ノ調印前公然發表セラレタル日清兩國間ノ條約規定ニ背馳セサル限リハ滿洲ニ於ケル露國ノ商業的及工業的活動ノ發達ヲ阻礙セサルヘキコトヲ露國ニ約スルコト
 又今後韓國鐵道ヲ滿洲南部ニ擴張シ以テ東清鐵道及山海關牛莊線ニ接續セシメントスルコトアルモ之ヲ阻礙セサルヘキコトヲ露國ニ於テ約スルコト
第四條 前條第一節ノ制限ノ下ニ日本ハ韓國ニ於テ露國ハ滿洲ニ於テ本協約第二條ニ掲ケタル各自ノ利益ヲ擁護スルニ必要ナル措置ヲ取ルノ權利アルコトヲ相互ニ承認スルコト
第五條 前條記載ノ目的又ハ國際紛爭ヲ起スヘキ叛亂若クハ騒擾ヲ鎭定スルノ目的ヲ以テ日本ヨリ韓國ニ或ハ露國ヨリ滿洲ニ軍隊派遣ノ必要ヲ見ルニ於テハ其派遣ノ軍隊ハ如何ナル場合ニ於テモ實際必要ナル員數ヲ越ユ可カラサルコト且ツ右軍隊ハ其任務ヲ果シ次第直ニ召還スヘキコトヲ相互ニ約スルコト
第六條 朝鮮海峡ノ完全ナル自由航通ヲ支障スヘキ軍事設備ヲ韓國沿岸ニ爲サヽルヘキコトヲ相互ニ約スルコト
第七條 韓國ニ於ケル改革及善政ノタメ助言及援助ヲ與フルハ日本ノ專占權ニ屬スルコトヲ露國ニ於テ承認スルコト該援助ハ本協約第五條ニ規定シタル制限ノ下ニ兵力上ノ援助ヲモ包含スルコト
第八條 本協約ハ從前韓國ニ關シテ日露兩國ノ間ニ結ハレタル總テノ協定ニ替ハルヘキコト
(日本外交文書明治第36巻第一冊01 P1-3)

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