日本帝国ノ国防方針(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)
一、帝国の政策は明治の初めに定められたる開国進取の国是に則り実行せられ会て其軌道を脱したる事無きは論を俟たさる所にして今後は益々兵国是に従い国権の振張を謀り国利民福の増進を勉めさるへからす
国権を振張し国利民福を増進せんと欲せは世界の多方面に向て経営せさる可からすと雖就中明治三十七八年戦役に於て幾万の生霊及巨万の財貨を抛て満洲及韓国に扶植したる利権と亜細亜の南方並太平洋の彼岸に皇張しつつある民力の発展とを擁護するは勿論益々之を拡張するを以て帝国施政の大方針と為さヽるへからす
果して然らは帝国軍の国防は此国是に基く所の政策に伴ふて規画せられさるへからす換言すれは我国権を侵害せんとする国に対し少くも東亜に在りては攻勢を取り得る如くするを要す
二、我帝国は四面環らすに海を以てすと雖国是及政策上其国防は固より海陸の一方に偏するを得す况んや海を隔てヽ満洲及韓国に利権を扶植したる今日に於ておや故に一旦有事の日に当りては嶋帝国内に於て作戦するか如き国防を取るを許さす必すや海外に於て攻勢を取るにあらあれは我国防を全ふするに能はす
三、帝国軍事上の歴史を閲するに往昔より今日に至るまて退嬰の主義を取りたるは徳川時代のみ其の他皆進取的ならさるはなし乃ち近く明治二十七八年、同三十三年及同三十七八年戦役に於ては悉く攻勢を取りて以て戦局の大捷を■■得たり此歴史は日本人の性格を明に表証するものにして他日再ひ干戈を動かすの已むを得さるに当りても亦此性格を益々発輝する如くせざるへからす蓋し国民の性格に背く戦法は古来其良成績を得たること稀なり
四、国防を策定せんとするには須らく先つ我敵手たるへきものを想定するを要す
我国是に従ふ所の政策を遂行するに当り之に対し一国利害の関係上■俎に依りてのみ其解決を見る能わさるは論を俟たさる所なり然るに露国は明治三十七八年の敗戦後国内の大紛擾あるにも拘らす戦役前に於けるよりも尚優勢の兵力を極東に配置し且つ沿黒龍鉄道の布設を計画し俟た営々として海軍の再建を謀りつヽあり是れ他日機の乗すへきあれは報復戦を敢てし満鮮に於ける我利権を侵害し以て数百年来の国是を貫徹せんと欲するものに非すして何そや故に最も近く有り得へき敵国は蓋し露国なるへし
米国は我友邦として之を保維すへきものなりと雖も地理、経済、人種及宗教等の関係より観察すれは他日劇甚なる衝突を惹起することなきを保せす
清国は満韓に於ける我利権に対し利害の関係を有すること大なりと雖も清一国を以て単独我と戦を交ゆへしとは殆んと想像し得さる所なり如何となれは清國は殆んと全く海軍を有せす其陸軍の如きも亦名ありて実無きに等しけれはなり是れ清国は根本的改革を断行し而かも尚幾多の星霜を経るにあらされは健全なる軍国たる能はさる所以にして周環列国の視線を等しくする所なるへし清国の国情如此なるにも拘らす我に対して単独に戦端を開かんか我は必勝の算を以て之に当るを得へし既に我に必勝の算あらは誰か之に対して起つものあらんや然れ𪜈清国内には近時利権回収、排外、革命等の暗流奔騰しあるを以て何時勃発して団匪事件の如き変乱を生するやも測られす之に応して取るへき我帝国軍の処置は列国との関係上頗る複雑なる問題に属するを以て予め之を策定し置く能はさるへし
一国と一国との関係は前述の如く夫れ然り然れも日英同盟新協約締結の結果同盟を以て同盟に対する関係は列国利害の繋る所何時戦端を開くの動機を惹起するや測られさるものあり是れ帝国の国防に重大なる関係を及ほすものにして慎重なる考慮を要す
日英同盟新協約を研究するに英露寡を開くに方り其戦争の発源東亜及印度は勿論其以外何れに在るも我は常に起て英国を援助するの義務を生すへきものと覚悟せさるへからす如何となれは英露開戦に当り戦争の基源孰れに在るを問はす露国は随意に印度に向ひ威■を加へ得へく従て我は直に協約上の義務を負担せさるへからさるに至るへけれはなり
又方今欧洲の形勢を観察するに独国は新鋭の勢力を以て商工業上は勿論海軍力に於ても英国と拮抗せんとするの概あり是れ英国の決して軽々に看過する能はさる所なるへく加之「バクダッド」鉄道の経営並に土耳古、波刺斯に於ける英独露の関係等何時其衝突を惹起するやも測られす果して其衝突を現実にすることあらんか独国は露国と手を携へて起つことを謀るなるへく其結果我も亦起て日英同盟の義務を分担せさるへからさるに至るへし而して此同盟は我国防上帝国軍の用兵に影響を及ほすこと頗る大なり若し露独同盟するに至らんか独国の兵を以て東亜の戦地に■むか如きことは之無かるへしと雖も露国は西方国境に顧慮することなく東亜に作戦する兵力及鉄道の最大力を使用するを得へり其他武器、糧食、材料並戦費等の補給に於て偉大の利益を戦争に賦典するを得へく又海上に於ても多大の戦勢を発展するを得し故に国防上の見地よりすれは我国の外交政策は露独をして同盟せしめさる如く調理せらるヽを必要とす然れ𪜈独国目下の海軍は假令露国と同盟するも尚日英同盟の海軍に対し有利なる戦を為すの算ありと認め難く従て独国は其東西洋に跨かる洪大の利益を放擲して迄も敢て起つや否や是れ外交上利害の緩急を策するの好資料として帝国政府の常に注意すへき要件ならんか
日露再ひ戦場に相見るの秋に於て清国若し我に聯合せんか我軍の共有すへき作戦上の利益即ち物資の供給及後方勤務の便易等に於て実に偉大なるものあらん是れ明治三十七八年戦役に於て清国か稍好意的中立を保ちたるに於てすら尚且つ経験したる所なり
故に清国若し露国に聯合せしむることを謀るは自然の勢なり故に我外交政策は露清聯合を成立せしめす反て清国をして以前我に好意を表せしむる如く調理せらるヽを要す然れ𪜈日英の同盟を以て露清の聯合に対抗し得へからすと云ふにはあらさるなり况んや日英同盟の海軍は露清同盟の海軍に比し著しく優勢を占め得へきに於ておや
露仏同盟の活動範囲は蓋し主として欧洲に局限せらるへく英仏海上勢力懸隔の現状と仏の陸軍を以て満洲方面の作戦に直接行動を為す能わさるの事情とを鑑み且近時英仏両国間に於ける親近の情勢を考察するときは仏国たるもの自ら進んて東亜に於ける露国の活動を援くるか如きは蓋し稀有の事たるへし然れ𪜈由来露国はイヤシクモ自利の為には他の利害を顧みさるの手段に出つること過般の戦役に於ても屡々経験せるところなれは他日日露有事の暁露国か安南沿岸の港湾に占拠して以て浦塩斯徳の地理上の不利を補はんとするか如きは蓋し有り得へき事に属す露国の策果して之に出つるに於ては仏国は已を得すして起ち茲に東亜に於ける露仏同盟の活動を現出するに至るへし此同盟は露独同盟と等しく帝国の国防に重大の影響を及ほすを以て我外交当■者の深く留意すへき所ならんか
若し夫れ数国聯合の場合を顧慮し之に対し悉く本国防方針に従ひ兵力を養ふは一国の能く堪ゆる所にあらさるなり於之乎外交政策の調理に依り敵の聯合を破り我同憂典国の同盟を締結するの要益々大ならん
五、右の如く論し来る時は帝国軍の兵備は左の標準に基くを要す
陸軍の兵備は想定敵国中我陸軍の作戦上最も重要視すへき露国の極東に使用し得る兵力に対し攻勢を取るを度とす
海軍の兵備は想定敵国中我海軍の作戦上最も重要視すへき米国の海軍に対し東洋に於て攻勢を取るを度とす
若し夫れ露国の極東に使用し得へき陸軍の全兵力を計算し之に匹敵する我陸軍の兵力を養はんとするは我国力の能く堪える所にあらす之を補う為めには海上交通及満洲に現在する交通網を益々発達するは勿論満韓に新に交通線を施設経営し且つ韓国北関地方に防禦陣地を構成するの必要あるへし
黄海に於ける海上輸送は状況に因り安固を缺くの虞あるを以て韓国縦貫鉄道並義奉鉄道をして満洲に於ける作戦軍の主なる交通線たらしむる如く可成速かに経営せらるヽを要す
六、以上述ふる所を総合すれは左の要旨に帰す
甲、 帝国の国防は攻勢をもって本領とす
乙、 将来の敵と想定すへきものは露国を第一とし米、独、仏の諸国之に次く
日英同盟に対し起こり得へき同盟は露独、露仏、露清等とす而して日英同盟は確実に之を保持すると同時に務めて他の同盟をして成立活動せしめさる如くするを要す
丙、 国防に要する帝国軍の兵備の標準は用兵上最重要視すべき露米の兵力に対し東亜に於て攻勢を取り得るを度とす
(国立公文書館:日本帝国の国防方針)
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