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満洲に関する対清諸問題解決方針決定の件 1908年09月25日

満洲に関する対清諸問題解決方針決定の件(原文:一部ひらがな、新字体化)

 明治四十一年九月二十五日閣議決定
  滿洲に關する對清諸問題解決方針決定の件
今回帝國ノ対清政策確立セルニ付テハ先ツ滿洲ニ關スル対清諸問題ノ解決ヲ計ルヲ期シ此際其中ノ最重要ナルモノ即チ間島問題、法庫門鉄道、大石橋營口鉄道ノ撤去、新奉鉄道ノ延長、撫順及煙台炭坑及安奉線其他ノ鉄道沿線鉱山ノ六案件ヲ一括シテ清國政府ト協商ヲ遂ケ讓ルヘキモノハ之ヲ讓リ我主張ヲ貫徹スヘキモノハ飽ク迄之ヲ貫徹シ大体左ノ方針ニ依リ成ルヘク一併ニ是等諸問題ノ解決ヲ計ラムトス
   間島問題
間島問題ハ清韓兩國多年ノ懸案ナル処本件ニ關スル韓國ノ主張ハ其根拠甚タ薄弱ニシテ康凞定界以來清韓交涉ノ歷史ト清國カ韓國ニ先シテ行政ヲ該地方ニ施シタルノ事実ニ徵スルニ豆滿江カ兩國ノ國境ヲナスモノタルハ疑ヲ容ルルノ余地ナク今日ニ於テ尙問題トナルヘキハ單ニ豆滿江原流(紅土水石乙水)ノ何レカ同江上流地方ノ境界ヲナスヤノ一點ニ止マルモノト認メラル然ルニ本問題ニ對スル清國ノ態度ハ極メテ强ク其ノ地方官憲ハ終始間島ニ於ケル清國領土權ヲ主張シテ怠ルナク昨年來日清兩國地方官憲間ノ軋轢漸次甚シキヲ加へ最近ニ至リテハ渡船、防穀、國旗、巡査毆打、分遣所侵入等ノ案件續出シテ止マル所ヲ知ラス永ク此狀態ヲ今日ノ儘ニ放棄シ置クトキハ遂ニ兩國ノ國交ニ其影響ヲ及ホスノ虞アルニ至レリ由來清國人ハ其行動往々常軌ヲ以テ律スヘカラサルモノアルヲ以テ地方官憲衝突ノ結果如何ナル異變ヲ生シ累ヲ大局ニ及ホスコトアルヤモ亦之ヲ保スヘカラス帝國ニシテ清國トノ交情ヲ敦フシ併セテ滿洲ニ於ケル我經營ヲ進捗セムト欲セハ此ノ如ク主張ノ根據薄弱ニシテ而モ兩國間ノ交情ニ危險ヲ及ホスカ如キ問題ハ成ルヘク速ニ之ヲ解決シテ萬一ノ誤解ヲ豫防スルニ努ムルヲ必要トス依テ此ノ際清國政府ト交涉ヲ開キ左ノ條件ニ依リ兩國ノ境界ヲ確定シ併セテ我當初ノ目的タル韓民保護ノ途ヲ確實ナラシメ以テ本件ヲ妥結スルヲ適當トス
 一、我ニ於テ豆滿江カ清韓兩國ノ國境タルコトヲ確認シ同江上流地方ノ境界ニ付テハ日清兩國ノ共同調査委員の委員ヲシテ之ヲ調査決定セシムルコト
 二、清國ヲシテ間島ニ於ケル日韓人ノ雜居ヲ公認セシムルコト
 三、局子街其他樞要ノ地ニ帝國領事館又ハ分館ヲ設置シ條約ニ依ル領事官ノ權利ヲ行ハシムルコト
 四、該地方ニ於テ日韓人ノ旣ニ獲得セル財產及着手セル事業ハ清國ヲシテ之ヲ承認セシムルコト
吉長鉄道ヲ會寧ニ延長スルノ件ハ本件ニ關聯シテ之ヲ清國ニ要求スルモ到底其目的ヲ達スルノ見込ナシト認ムルヲ以テ該件ニ付テハ追テ適當ノ時機ニ於テ交涉ヲ開クコトトシ本件ニ關シテハ右ノ條件ヲ提出セサルヲ得策トス
   法庫門鉄道
新民屯法庫門鉄道ノ日清會議錄ニ揭ケタル南滿洲鉄道並行線ニ該當スルハ論ヲ俟タサル所ナリ而シテ該條項議定ノ際帝國全權委員カ清國委員ヲシテ該條項ヲ約セシメタルハ恰モ同鉄道ノ敷設ヲ顧慮シタルカ爲ニ外ナラス當時帝國全權委員ハ同鉄道敷設ノ爲南滿洲鉄道ノ被ルヘキ影響如何ヲ知悉セサリシト雖モ萬一之カ爲害ヲ南滿洲鉄道ニ及ホスコトアルヘキヤヲ慮リ特ニ該條項ヲ設ケタルモノナリ之ヲ以テ清國ニ於テ我承諾ヲ經スシテ恣ニ法庫門鉄道ノ敷設ヲナスハ日清會議錄ノ正文及精神ニ違背セル不法ノ行爲タルハ疑ヲ容レサル所ナリトス然レトモ今ヤ本件ハ一面清國ニ對スル問題タルト同時ニ一面英國ニ對スル問題トナレリ從テ本件ハ啻ニ清國ニ對スル權利問題トシテ考究スルニ止マラス與國ニ對スル政略問題トシテモ亦之ヲ考究セサルヘカラス殊ニ今後帝國內外ノ經營ヲ遂行スルニ當リ外資ヲ得ルノ必要ハ益々急トナリ而モ右供給ヲ得ルニ付テハ英國ヲ以テ其首位ニ置カサルヘカラサルノ事實モ亦之ヲ看過スヘカラサル所ナリトス尤モ法庫門鉄道ニシテ南滿鉄道ニ重大ナル損害ヲ加へ其死命ヲ制スヘキモノナルニ於テハ是等政略上ノ見地ハ全然之ヲ抛棄シ飽迄權利問題トシテ其ノ敷設ヲ拒マサルヘカラスト雖若シ南滿洲鉄道ノ蒙ルヘキ損害ニシテ著大ナラス又損害ニシテ他ノ方法ニ依リ之ヲ補償スルノ途アルニ於テハ暫ク我權利ノ主張ヲ緩ニシ以テ與國ノ同情ヲ得ルニ努ムルモ亦一策ナリトス今法庫門鉄道敷設ノ影響ヲ考フルニ若シ該鉄道ニシテ法庫門ニ止マリ之ヲ同地以北又ハ以東ニ延長セサルコト明カナルトキハ南滿洲鉄道ノ蒙ルヘキ影響ハ非常ニ重大ナルモノト認ムルコトヲ得ス殊ニ同鉄道敷設ノ爲南滿洲鉄道ノ奪ハルヘキ貨物ハ鄭家屯方面ヨリ來ルヘキモノ少ナシトセサルヲ以テ若シ南滿洲鉄道ノ一駅ヨリ鄭家屯ニ枝線ヲ敷設シ此等ノ貨物ヲ同鉄道ニ引キ著クルトキハ優ニ右損害ノ補償ヲナスコトヲ得ヘキヲ信ス依テ帝國政府ハ此際清國政府ニ對シ其背約ノ罪ヲ責メ今後此ノ如キ非行ヲ再ヒセサラシムルノ保証ヲ求メ併セテ南滿洲鉄道ノ被ルヘキ損害ヲ補償セシムルノ方針ヲ取リ左ノ条件ヲ以テ法庫門鉄道ノ敷設ヲ許スコトヲ得策ト認ム
 一、清國ヲシテ新民屯法庫門鉄道ノ敷設ノ承諾ヲ我ニ求メシムルコト
 二、帝國政府ノ承諾ヲ經スシテ新民屯法庫門鉄道ヲ更ニ法庫門以北又ハ以東ニ延長セサルヘキ旨ヲ明約セシムルコト
 三、南滿洲鉄道ノ蒙ルヘキ損害ノ代償トシテ吉長鉄道ト同一ノ條件ヲ以テ南滿洲鉄道ノ一駅(例ヘハ四平街)ヨリ鄭家屯ニ至ル枝線ヲ敷設セシムルコト
   大石橋營口鉄道ノ撤去
大石橋營口間鉄道ハ當初露國カ材料ノ運搬用ノ名義ヲ以テ敷設權ヲ得タルモノニシテ條約ニ依リ定メラレタル撤去期限ハ旣ニ到達セルモノナリト雖モ滿洲南部ニ於テ南滿洲鉄道幹線ノ存在スル限リハ右幹線ヲ海口ニ連絡スルノ必要アルハ自明ノ理ト云フヘク而シテ右海口ノ營口ヲ措キテ他ニ存スルコトナキモ亦明瞭ノ次第ナルヲ以テ今更之ヲ撤去スルカ如キハ固ヨリ實行スヘカラサル所ナリトス殊ニ清國ハ滿洲還付條約第四條ニ於テ後日營口ニ橋梁ヲ架設スルノ計畫ヲナストキハ豫メ露清兩國間ニ協議ヲナスヘキ旨ヲ定メ以テ營口大石橋鉄道ノ將來永ク存續スルヲ豫期セルコトヲ示セリ是ヲ以テ帝國政府ハ以上ノ事實ニ依リ營口線撤去ノ到底實行スヘカラサルコトヲ清國政府ニ說示シ同政府ヲシテ右枝線ノ存續ヲ承認セシムルヲ必要ナリト認ム
   京奉鉄道ノ延長
清國政府ハ南滿洲鉄道線路ヲ橫斷シ京奉鉄道ヲ奉天城小西邊門迄延長セムコトヲ希望シ居レル處現在奉天ニ於ケル京奉鉄道停車場ハ奉天城ヲ距ル約二哩ノ地點ニ依リ旅客貨物ノ運輸上不便少シトセサルヲ以テ清國ニ於テ右ノ延長ヲ希望スルハ無理ナラサル次第ト云フヘク而シテ我ニ於テモ亦特ニ之ヲ許スヘカラサルノ事由ナキモノナリ依テ本件ハ京奉鉄道ヲシテ現在ノ線路ヲ奉天停車場ヨリ小西邊門迄延長セシメ小西邊門附近ニ停車場ヲ設ケ奉天城ニ近接スル利益ヲ享有セシメ之ト同時ニ南滿洲鉄道ヲシテ同線路及停車場ヲ使用スルヲ得セシムルヲ適當ナリト認ム
   撫順及煙臺炭坑
曩ニ日露講和ノ際帝國政府ハ南滿洲ニ於テ鉄道、鑛山及森林ノ三大利益ヲ收ムルヲ目的トセリ而シテ其ノ所謂鑛山ノ利益ナルモノハ實ニ撫順及煙臺ノ炭坑ヲ以テ主要ナルモノナリトセリ之ヲ以テ帝國政府ハ「ポーツマス」條約ニ於テ露國ヲシテ啻ニ鉄道附屬ノ炭坑ニ止マラス鉄道ノ利益ノ爲メニ經營セル炭坑モ亦之ヲ讓與スヘキコトヲ明約セシメ尋テ北京條約ニ於テモ亦清國ヲシテ明文ヲ以テ此ノ讓與ヲ承認セシメタリ而シテ撫順煙臺炭坑カ少クトモ鉄道ノ利益ノ爲ニ經營セラレタルノ事實ハ之ヲ否認スル能ハサルヲ以テ同炭坑ニ對スル我權利ハ露國ニ對スルト同時ニ清國ニ對シテモ亦確定動カスヘカラサルモノナリトス然レトモ同炭坑ハ清國版圖內ニ在ルモノナルヲ以テ我ニ於テ特ニ清國ノ主權ヲ認メ炭坑ノ利益ヲ清國ニ分與スルノ方法ヲ取ルトキハ清國官民ノ好感ヲ買ヒ今後ノ經營上諸般ノ便利ヲ收ムルヲ得ヘク殊ニ東清鉄道續約ニ於テ露國ハ清國ニ對シ一定ノ納金ヲナスヲ約セル次第ナルヲ以テ我ニ於テモ此際清國ニ對シ一定ノ利益ヲ分與スヘキヲ約シ我經營上ノ便宜ヲ計ルト同時ニ清國ヲシテ間接ニ我權利ヲ確認セシムルコトヲ必要ナリト認ム
   安奉線其他ノ鉄道沿線鑛山
安奉鉄道沿線鑛山に關しては曩に其の採掘を日清人合同事業となすの案を立て在奉天總領事をして督撫に交涉せしめ兩者の間に一成案を見るに至りたる處清國に於て南滿鉄道幹線沿道の鉱山も亦之を右協商中に加へんことを主張せる為右議定案の調印を見すして今日に至れり然るに奉天省内鉄道附属鉱山に関しては既開未開を論せす公平詳細の章程を取極むへきこととなり居れるのみならす撫順煙台両炭坑の問題にして前項の如き解決を見るに至るときは前記議定案に基き安奉及南満幹線に通する一般の鉱山章程を取極むるも何等の差支なしと認むるを以て此の際清國政府と交渉し大体に於て奉天に於ける成案を基礎とし議定を遂け以て本件を結了することを得策なりと認む
(日本公文書館:89.満洲ニ関スル対清諸問題解決方針決定ノ件(明治四十一年九月二十五日・・・)
(日本外交文書第41巻第1冊15 1P~)

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