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ノックス提案回答(満洲鐵道ニ關スル米國政府ノ提議ニ對シ囘答案) 1910年01月18日

ノックス提案回答(原文:一部ひらがな化、一部新字体化)

一月十八日閣議
同日御裁可
    満洲鐵道ニ關スル米國政府ノ提議ニ對シ囘答案
以書翰致啓上候陳者滿洲ニ於ケル諸鐵道ヲ列國共同事業ト爲シ之ヲ經理スルノ件ニ付客月十八日附貴翰正ニ領收致候御來示ノ趣ハ帝國政府ニ於テ申迄モナク最愼重ナル考慮ヲ相加へ候
帝國政府ハ貴國提議ノ全ク虚心坦懷ニ出テタルコトヲ諒悉シ之カ唯一ノ動機ハ畢竟貴國政府ニ於テ清國ノ爲最利益ト思料セラルヽ所ヲ助成セムトスルニ在ルヲ疑はす候素より帝國政府ハ清帝國ノ領土保全及同國全部ニ於ケル機會均等ノ主義ヲ最誠實ニ保持スルモノナルカ故ニ若シ本案ニシテ其ノ成立ノ上果シテ能く豫期の効果ヲ奏スヘキモノタルヲ推斷スルヲ得ハ全然之ニ賛同スルニ躊躇セサルヘキコト本大臣ノ茲ニ確信スル所ニ候
惟フニ貴我国交ノ親善輯睦なるや其ノ因テ來ル所既ニ久シク又双方共に苟モ兩國間ニ於ケル友好信頼ノ情誼ヲ損スルノ因タルヘキハ一切之ヲ芟除セムコトヲ希望スルモのなるに依リ茲ニ帝國政府カ本案ニ賛同スル能ハサル理由ヲ腹藏ナク開陳スルに於て其ノ眞意ヲ誤解セラルルノ虞ナキヲ信し顧みて自ら意を安する次第ニ有之候
熟ラ本件ノ提議ヲ按スルニ其ノ趣旨ニ於テ「ポーツマス」條約ノ規定ト扞格スル所極メテ重大ナルモノアルヲ認メ候是レ實ニ右提議ニ同意スルノ至難ナル所以ニ有之候蓋シ該條約ハ滿洲ニ於テ恒久安固ノ事態ヲ確立スルノ目的ニ出テタルモノニシテ其ノ條項ヲ嚴正忠實ニ遵守スルハ極東永遠ノ平和安寧ヲ維持シ且滿洲ノ秩序的發達ヲ確實ナラシムル最高ノ保障ト思考致候処「ポーツマス」ニ於テ終局的ニ解決セラレタル幾多ノ困難且重要ナル案件中鐵道問題ハ妥結ノ頗ル容易ならさりしものの一に有之該協定ハ其の後清國政府ニ於テ熟慮ノ上北京條約ニ由リ之ヲ承諾スルニ至リ現ニ滿洲ニ於ケル鐵道ノ運用ハ清國カ曩ニ均シク熟慮ノ上附與セル原特許ノ條款ニ照遵シテ何等牴觸スル所無之候
且又帝國政府ハ滿洲目下ノ情形ニ徴シ清國ノ他ノ地方ニ於テ其の必要ヲ見サル特殊ノ制度ヲ滿洲ニ設くるの必要又は得策なるを認め難く候帝國政府ノ見ル所ヲ以テスレハ滿洲ノ現状ニ於テ清國カ其ノ政事上ノ權利ヲ完全ニ享有スルヲ特ニ防礙スルカ如キ要因毫モ無之ト存候門戸開放ノ問題ニ至テハ「ポーツマス」條約第七條ニ依リ滿洲ニ於ケル日本國及露西亞國ノ鐵道ハ全然商工業ノ目的ニノミ使用セラルヘキナルカ故ニ機會均等ノ主義ハ滿洲ニ適用セラルルニ於テ清國内ノ他ノ地方ニ於ケルヨリモ一層廣濶ナル意義ヲ有スル次第に候
將又鐵道ノ經理ニ關シテハ一國專屬制度ニ代ユルニ列國共同制度ヲ以テスルヲ便益又ハ有利ナリト爲スハ帝國政府ノ首肯シ難キ所ニシテ列國共同制度ニ依ルトキハ自然經濟及効用ノ問題ヨリモ政事上ノ必要ニ重キヲ置クノ傾向ヲ免レス且責任ノ歸一セサル結果何人モ當然ノ責任ヲ負フ者ナキニ至リ爲に公衆ノ甚シキ不利益ト事業ノ弛廃トヲ來すへくと存候
以上ハ帝國政府ニ於テ本件計画ニ賛同シ難キ主要ノ理由ナルモ尚右ノ外默過スヘカラサル他ノ明確ナル事情も有之候
今や滿洲ニ於テ日本國所屬諸鐵道ニ關係アル地方ニハ日本人ノ經營ニ係ル諸般商工業ノ勃興セルモノ多ク斯くの如キ事業ノ創立セラレ又現ニ繼續スル所以ハ畢竟帝國政府ニ於テ右鐵道ヲ保有する結果該事業及之ニ從事スル人民ヲシテ今仍ホ同地方ニ横行スル馬賊等ノ襲撃掠奪ヲ免かれしむへき保護防衛ノ途ヲ講スルコトヲ得ルカ爲ニ外ナラス候思フニ此等ノ企業ハ滿洲ノ繁榮進歩ニ貢獻スル所極メテ顕著ナルモノあり而シテ右經營ノ發達に付ては多數ノ日本臣民及巨額ノ日本資金之ニ供セラルルノ實況ナルカ故ニ此の際帝國政府ニ於テ前述保護防衛ノ途ヲ講スルコトヲ得ル唯一ノ機關ヲ放棄スルハ信義ト責任トニ顧ミ到底之ニ同意スル能ハサル儀に有之候
本大臣ノ以上開陳セル考説ハ廣汎ナル意義ノ貴國案ニ關スルモノナリト雖之ヨリ範圍ノ狹少ナル貴國案ニ付テモ同樣適用セラルヘキモノニ有之是レ右兩案ハ單ニ程度ヲ異ニスルニ止マリ主義ニ於ては同一ナルカ爲ニ候前顯所見ハ帝國政府ノ深ク自信スル所ニシテ貴國政府ニ於テモ均シク之ヲ承認セラルルニ至ラムコト希望に不堪候
終に臨み本大臣は錦州愛琿間鉄道の計画に関して貴国の懇切なる通報に接したるに対し帝国政府の深厚なる謝意を表し度該企業に付ては帝国政府は主義に於て之に加入するに異存無之候へ共本件は貴翰の主題と明に区別することを得るか故に此の枝葉問題に関しては必要なる細目を承知するに至るを待て別に考量を加ふることと致度候
右回答旁本大臣はに茲重て閣下に向ひ敬意を表し候 敬具
 注 右趣旨の書翰は其の英訳文(後出)と共に一月二十一日在本邦米国大使オブライエン氏に交付せられたり
(外務省:191000日本外交文書明治第43巻第1冊12.PDF P16)

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