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支那事変処理根本方針 1938年01月11日

支那事変処理根本方針(原文:ひらがな化、一部新字体化)

昭和十三年一月十一日 御前会議に於て決定せらる一月十四日第二段の措置を執ることに決定せらる
 支那事変処理根本方針
帝国不動の国是は満洲国及ひ支那と提携して東洋平和の枢軸を形成し之を核心として世界の平和に貢献するにあり
右の国是に基き今次の支那事変処理に関しては日支両国間過去一切の相剋を一掃し両国々交を大乗的基礎の上に再建し互に主権及ひ領土を尊重しつつ渾然融和の実を挙くるを以て窮極の目途とし先つ事変の再起防遏に必要なる保障を確立すると共に左記諸項を両国間に確約す
(一)日満支三国は相互の好誼を破壊するか如き政策、教育、交易其他凡ゆる手段を全廃すると共に右種の悪果を招来する虞ある行動を禁絶すること
(二)日満支三国は互いに相共同して文化の提携防共政策の実現を期すること
(三)日満支三国は産業経済等に関し長短相補有無相通の趣旨に基き共同互恵を約定すること
右の方針に基き帝国は特に政戦両略の緊密なる運用に依り左記各項の適切なる実行を期す
(一)支那現中央政府にして此際反省翻意し誠意を以て求むるに於いては別紙(甲)日支講和交渉条件に準拠して交渉す
 帝国は将来支那側の講和条項実行を確認するに至らは右条件中の保障条項別紙(乙)を解除するのみならす更に進んて支那の復興発展に衷心協力するものとす
(二)支那現中央政府か和を求め来らさる場合に於ては帝国は爾後之を相手とする事変解決に期待を掛けす新興支那政権の成立を助長しこれと両国々交の調整を協定し更生新支那の建設に協力す支那現中央政府に対しては帝国は之か潰滅を図り又は新興中央政権の傘下に収容せらるる如く施策す
(三)本事変に対処し国際情勢の変転に備へ前記方針の貫徹を期する為国家総力就中国防力の急速なる培養整備を促進し第三国との友好関係の保持改善を計るものとす
(四)第三国の権益は之を尊重し専ら自由競争により対支経済発展に優位を獲得することを期す
(五)国民の間に事変処理根本方針の趣旨を徹底せしむる様国論を指導す
 対外啓発につきても亦同し


別紙 甲
  日支講和交渉条件細目
一、支那は満洲国を正式承認すること
二、支那は排日及び反満政策を放棄すること
三、北支及内蒙に非武装地帯を設定すること
四、北支は支那主権の下に於て日満支三国の共存共栄を実現するに適当なる機構を設定し之に広汎なる権限を賦与し特に日満支経済合作の実を挙くること
五、内蒙古には防共自治政府を設立すること其の国際的地位は現在の外蒙に同し
六、支那は防共政策を確立し日満両国の同政策遂行に協力すること
七、中支占拠地域に非武装地帯を設定し又大上海市区域に就ては日支協力して之か治安の維持及経済発展に当ること
八、日満支三国は資源の開発、関税、交易、航空、交通、通信等に関し所要の協定を締結すること
九、支那は帝国に対し所要の賠償をなすこと
附 記。
(一)北支内蒙及中支の一定地域に保障の目的を以て必要なる期間日本軍の駐屯をなすこと
(二)前諸項に関する日支間の協定成立後休戦協定を開始す
支那政府か前記各項の約定を誠意を以て実行し日支両国提携共助の我方理想に真に協力し来るに於ては帝国は単に右約定中の保障的条項を解消するのみならす進て支那の復興及其の国家的発展、国民的要望に衷心協力するの用意あり


別紙 乙
(一)別紙甲中保障条項たるもの左の如し
  一、第三項の非武装地帯
  二、第四項の折衝に当り保障の目的を以て設定せらるへき特殊権益及之か為存置を必要とする機関
  三、第七項の非武装地帯
  四、附記(一)及之に伴ふ軍事施設、主要交通の管理拡充に関する権益
(二)講和に関連して廃棄すへき約定
  一、梅津何応欽協定、塘沽停戦協定、土肥原秦徳純協定、上海停戦協定
  二、保障事項の解消と同時に従来より有する対支特殊権益(例へは治外法権、租界、駐兵権等の如し)の廃棄を考慮す
(国立公文書館:支那事変処理根本方針)

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