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ビルマ独立指導要綱(緬甸独立指導要綱) 1943年03月10日 

ビルマ独立指導要綱(原文:ひらがな、一部新字体化)

緬甸独立指導要綱
       大本営政府連絡会議決定
       昭和十八年三月十日
第一、方針
 一、八紘一宇の皇道に基き万邦をして各々其の所を得しむるの大義に則り帝国輔導の下努めて緬甸の創意と責任とを尊重しつつ大東亜共栄圏の一環たる新緬甸を生成す
而して新緬甸をして先つ速に帝国と緊密一体大東亜戦争完遂に協力し得る物心両面の態勢を整備せしむ
第ニ、指導要領
 二、独立準備の目標と為すへき緬甸国及日緬関係の基本的形態別冊の如し
 三、三月中旬頃「バーモ」及所要の緬甸要人を招致し政府より独立許容を正式に示達すると共に独立の大綱を指示す
 四、現地軍司令官は中央と密に連絡し其の指導下に「バーモ」を中心とし所要の人員を以て独立準備委員会を結成せしめ先つ建国の精神を確立し以て独立後に於ける新緬甸国の形態、組織及独立への転移に伴ふ諸般の施策等を立案審議せしむ
  日本人は本編成に入ることなく之を指導するものとす
 五、独立準備間より現行政府長官「バーモ」を以て新緬甸国の指導者たらしむる如く諸般の施策を進むるものとす
 六、独立の時期は昭和十八年八月一日と予定し準備完了は概ね六月下旬を目途とす
 七、独立に際し米英に対し宣戦せしむ
 八、独立と共に締結すへき日緬間の条約は必要の最小限に止む


別  冊
   緬甸国及日緬関係の基本形態
     第一 建国の理念
一、大日本帝国を盟主とする大東亜共栄圏の一環として道義に基く新緬甸国を建設し以て世界新秩序の創造に寄与す
     第二 国家構成
二、国体及政体は努めて緬甸人自体の発意に俟ち之を決定するも政体に就ては指導者国家の形態をとらしむ
三、領域は全緬甸より「シヤン」諸州及「カレンニ」州を除外したる地域とす
 「シヤン」諸州及「カレンニ」州の帰属は別に定む
四、国民は緬甸民族を主体とし領域に在る諸民族を協和的に抱擁して之を構成す
 而して印度人に対する緬甸国籍を付与は前項の趣旨に基き緬甸国の選択する所に依る
 日本人は緬甸国民たることなし
五、国名、国旗、首都は主として緬甸側の発意に依り之を定む
     第三 日緬関係の大綱
六、帝国の対緬施策の要は緬甸国をして努めて緬甸国人の創意と責任とに依り真に大東亜共栄圏の一環たる独立国としての名実を備へしむるに在り
七、帝国は緬甸国に対し専任の特命全権大使を派遣駐箚せしむ
 当分の間現地の特殊事情に鑑み現地帝国側官憲の業務実施に関しては特に軍事上の要請を考慮し実情に即する如く措置するものとす
八、帝国は緬甸国政府内に少数精鋭なる日本人を配置し之か指導に任せしむ
 右日本人は緬甸国官吏とせす
     第四 国  政
九、政治機構及之か運用は努めて強力簡素ならしむるを方針とし国家代表の下に行政、司法の両機関を置き当分の間国家代表は行政機関の長官之を兼す
 立法は国家代表之を行ふ
一〇、国民参政の範囲及形態は緬甸人の意思を尊重し之を定む
 但し議会を設けたる場合に於ても之か為国家代表の国務施行を阻害せさる如く留意す
 又政党の分立抗争を戒む
 重要国務の指紋検閲として参議府(仮称)を設くることを得
一一、治外法権は之を設けす
 但し日本人に対しては緬甸人に比し不利ならさる待遇を賦与す
一二、外交は帝国に緊密提携せしむ
     第五 軍  事
一三、帝国との間に軍事上完全強力を約し帝国軍隊の為一切の便宜を供与す
 所要に応し帝国軍隊の為の施設等を担任す
一四、緬甸防衛に必要なる所要の陸海軍を保有す
 但し兵力量及編成の決定は実質的に帝国之を指導す
 緬甸国軍は戦時の用兵作戦に関し夫々在緬帝国陸海軍最高司令官の指揮を承く
     第六 財政、経済及交通
一五、経済は大東亜経済建設の計画に従ひ其の一環として緬甸国の主権下に於て公正自由なる活動に依り之か振興を期す
 但し帝国側は之に所要の援助を与へ又大東亜建設上特に必要なるものは帝国の施策に順応せしむる如く所要の措置を講す
一六、金融に関しては資金の交流、決済方法、換算率等に付帝国及爾他の地域との協力的態勢に於て之を整備す
 発券機構を整備し新なる通貨制度を確立す但し之か実施の時期は諸般の情勢を考慮して別に定む
一七、財政は速に自立せしむる如く指導す
一八、交通及通信は緬甸国の主権下に置くも重要なるものに関しては帝国の特別なる要請を認めしめ特に作戦用兵に支障を来ささる如く措置す
一九、緬甸国と他地域との交通及物資の交流は大東亜を通する計画に従ふも其の要領は当分の間概ね現状を維持す
二〇、敵産は大東亜戦争遂行上及大東亜経営上帝国に於て把握するを必要とする特殊且重要なるもの以外は挙げて之を緬甸国に移譲す
     第七 「シヤン」「カレンニ」地区と緬甸との関係
二一、帝国軍に於て現に軍政を実施しある「シヤン」及「カレンニ」地区に対しては差当り依然軍政を続行するも緬甸国とは現在の密接なる連関性を破壊せさる趣旨の下に左の如く施策す
 1、両地域の自由なる出入を認む
 2、物資の交流を自由ならしめ互に関税等を徴収せす
 3、本地区に於ては緬甸に於けると同一の通貨を使用す
 4、交通、通信等は努めて緬甸に於ける企業体に経営せしむ
(国立公文書館:緬甸独立指導要綱 昭和18年3月10日)

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