大正七年帝国国防方針の改正経緯(原文:ひらがな、一部新字体化)
大正七年帝国国防方針、兵力、用兵綱領の補修及改定
参謀本部は世界形勢の変化に鑑み国防方針、兵力、用兵綱領を補修改定するの必要を認め
一 大正六年三月 委員を編成して国防整備案を起草し
一 大正六年十月 海軍当局と其成案を交換す
一 大正六年十月二十七日 陸軍元帥、陸軍大臣及教育総監は参謀本部に参集して改定案に就き研究せり
一 大正七年一月二十一日 参謀総長は大臣同伴参内し将来の帝国国防に関し目下講究中にして不日聖断を仰かんとする旨上奏せり
一 大正七年五月 参謀総長及海軍軍令部長之を策定す
筆者注 三月、露独は単独講和し、参謀本部は極東露領に対する一〇個師団出兵計画を立案した。五月、中国と共同防敵軍事協定を締結した。
一 大正七年五月二十三日 右策定は参謀総長より陸軍大臣へ又海軍軍令部長より海軍大臣に協議す
一 大正七年五月三十日 更に総長は之を陸軍元帥に部長は之を海軍元帥に内示す
一 大正七年六月六日 陸軍元帥、陸軍大臣、教育総監参謀本部に参集し改定案を可決す
一 大正七年六月十二日 参謀総長、海軍軍令部長帯同参内し改定案竝上奏書を上り且総理大臣に御下間審議せられ又元帥府に御諮詢あらせられたき旨上奏せり
其際総長及部長は左の如く口演奏上す
「帝国の国防方針補修は政策に密接の関係を有するを以て之を内閣総理大臣に御下問あらせられ審議せしめられ度尚要すれは国防に要する兵力は総理大臣に閲覧せしめられ度」
「帝国の国防方針補修竝に国防に要する兵力は元帥府に御諮詢あらせられ度」
一 大正七年六月十五日 陛下より「国防方針補修」竝「国防に要する兵力」を首相に御下付 前者は審議せしめられ後者は閲覧せしめらる
一 大正七年六月二十五日 総理大臣は之を至当の策案と認むる旨復奏すると共に更に之を元帥に御諮詢せられ度旨奏請せり
一 大正七年六月二十九日 陛下より元帥府に御下附諮詢あらせらる
一 同日 陸海軍元帥は御諮詢に対し会議を開き全員賛同の旨復奏せり
一 同日 元帥会議終了後参謀総長及海軍軍令部長に御裁可書を下附せらる
次て陸軍大臣、海軍大臣を召され御裁定の旨御沙汰を賜ふ
一 大正七年七月二日 総理大臣に御沙汰あらせられ国防方針及国防に要する兵力各一本を御下附
一 大正七年九月十一日 総理大臣復奏す
一 大正七年九月十三日 参謀総長、海軍軍令部長に総理大臣の復奏につき御沙汰あらせらる
(戦史叢書008 大本営陸軍部<1>-昭和十五年五月まで- P218)
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