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昭和十五、六年を目標とする対支処理方策 1940年05月18日

昭和十五、六年を目標とする対支処理方策(原文:ひらがな、一部新字体化)

   昭和十五、六年ヲ目標トスル対支処理方策
     方 針
 帝国は政、戦、謀略を更に統合強化し全力を尽して速に重慶政権の屈伏を期す
 右時機は遅くも昭和十五年末を目途とす
 此の間速に特に国内長期継戦態勢の徹底的強化を図る
 昭和十五年末に至るも重慶政権屈伏せさるに於ては情勢の如何を問はす長期解決方策への転移を敢行し情勢各般の推移に対応せしむ
     要 領
一 国内長期継戦態勢の強化に関しては直に之か実行に着手し遅くも昭和十五年末迄に其根幹を完整す 其具体的方策に関しては別に定む
  陸軍軍備の充実は既定計画の遂行を期す
二 昭和十五年末迄に於ける対支武力戦指導に関しては概ね現態勢を保持し政略及謀略の遂行を積極的に支援するを主眼とし治安地域就中其要城の治安を確保すると共に蝟集する敵に対しては適時反撃を加へて其戦意を挫折し敵の継戦企図を破摧す
  昭和十五年末に至るも重慶政権屈伏せさるに於ては軍は自主的に態勢の収縮を決意し成るへく速に之に転移し遅くも昭和十六年秋迄に其態勢を概成す 此の場合に於ても治安地域の外少くも漢口、廣東地区は之を保持す
  収縮態勢への転移並長期武力戦指導の為の方策に関しては別に定む
三 新中央政府に対しては昭和十五年末を目途とする帝国の企図に即応する如く極力其育成発展を策し特に其謀略的機能を発揮して対重慶工作に努力を集中せしむ
  対支謀略工作当面の目標は重慶政権の屈伏又は崩壊に在り 之か為取るへき施策の重点は左の如く 其の細部は別に定む
 イ 諸般の努力を傾注して対重慶直接停戦和平工作を更に促進す 之か為特に停戦許容条件及和平条件に関し大局的見地より更に検討を加ふ
   本工作は成るへく速に一元化する如く整理す
 ロ 新中央政府をして重慶政権を吸収せしむる為の具体的施策を強化す
 ハ 為し得れは第三国を対重慶橋渡し工作に利用することに努む
 ニ 国共の分離を促進せしむ
  昭和十五年末に至るも重慶政権屈伏せさるに於ては新中央政府を更に育成強化し其政略の重点を民心の把握に置き善政の施行就中治安確保並経済建設に指向せしむ
  此の場合情勢の推移に伴ひ特に北支に対する帝国の指導力を強化することあるを予期す
四 対支処理に関連する外交は重慶政権を国際的に孤立せしめ新中央政府に同調せしむる如く各般の施策を総合集中せしむ
  現下に於ける対外施策に関しては別に定む
五 以上の外は昭和十三年秋季以降対支処理方策(昭和十三年十二月六日省部決定)に準拠す
(戦史叢書020 大本営陸軍部<2>-昭和十六年十二月まで- P36) 

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