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世界情勢判断 1944年08月19日

世界情勢判断(ひらがな、一部新字体化)

最高戦争指導会議決定第一号
   世 界 情 勢 判 断
            昭和十九年八月十九日
帝国は昭和十八年九月決定の「今後採るへき戦争指導の大綱」に基き米英必死の反攻に対し戦争目的の完遂に邁進しつつありたるも、其の後に於ける世界情勢の推移に鑑み、茲に当時の世界情勢判断に所要の修正を加へ昭和十九年末頃を目途とする情勢の推移を観察し、戦争指導の方策確立に資せんとす。
     目  次
第一節 東亜の情勢
第二節 欧州の情勢
第三節 「ソ」の対日動向
第四節 世界政局の動向
第五節 総合判断

 付 録
  其の一、各国の戦争指導
  其の二、各国の戦争遂行能力

   第一節 東亜の情勢
敵は帝国に対し短期終戦を目途とし各方面相策応しつつ組織的総攻勢を続行すへく、特に本土空襲と本土、南方地域との分断を目的とし太平洋及大陸方面よりする攻勢作戦に依り戦局の急速なる進展を企図すへし、又右戦局に伴ひ本土上陸の機をも窺ふことあるへし。
尚敵は其の武力攻勢に策応し政謀略を益々激化して我か戦意の喪失を企図すると共に大東亜諸国家諸民族の対日離間を激化すへし。

一、 本土空襲

 帝国本土の生産設備、交通施設及主要都市の徹底破壊を以て我か戦意を喪失、国力の低下、国民生活の混乱を企図し併せて本土上陸作戦の機を作為せんとする敵の空襲企図は支那及太平洋基地の整備と機動部隊の活動とに依り概ね八月以降逐次連続執拗且大規模に実施せられ其の空襲被害の帝国戦争遂行力に及ほす影響は軽視を許ささるものあるべし。

二、 海上交通破壊

 今後の我か海上交通破壊作戦は在支航空部隊の活動と相俟つて南西諸島、比島方面に対する潜水艦の集結使用、機動部隊の挺身行動等に依り益々活発化し船舶の被害は増加すへきも比島及南西諸島方面に対する敵航空基地獲得の企図達成せられさる限り本土と南方地域との海上交通は概ね維持し得へし。

三、 太平洋方面

 中部太平洋方面の敵は随時我艦隊との決戦を企図しつつ「マリアナ」及西部「カロリン」の要衝に海空の基地を推進し南太平洋方面よりの進攻に策応し比島及南西諸島方面を攻略し帝国本土と南方地域との交通遮断を企図するならん、右来攻は概ね十月頃迄に実現するの算大なり。
 此の間小笠原方面及千島の要地攻略をも企図すへし。

四、 緬甸及印度方面

 北緬並に「インパール」方面に対しては雨期中と雖も依然圧力を加重すへく特に印支「ルート」啓開には全力を集中すへし、又太平洋方面の攻勢と策応し有力なる機動部隊を以てする「アンダマン」「ニコバル」等に対する上陸作戦と「スマトラ」油田地帯に対する空襲は其の実現性大なり。

五、 ■支那方面

 重慶は極力抗戦に努め特に南支方面航空基地の維持を図りつつ我か奥地進攻を阻止すると共に印支地上「ルート」の啓開作戦を執拗に継続し爾後戦力の快復増進に伴ひ反攻を実施すへし。
 又米、支空軍の増勢は依然継続すへく本土及鮮満北支の要域に対する空襲並に海上交通の破壊企図は愈々増大すへし。
尚東「ソ」及外蒙を通する援蒋「ルート」の啓開に関しては「ソ」の今後の動向とも関連し警戒を要すへし。

六、 大東亜諸邦の動向

 大東亜諸邦は満洲を除き情勢に於て既に其の対日協力的態度消極化の徴ありて今後東亜並に欧州に於ける枢軸側戦局の推移と敵側政謀略の激化と相俟つて政府及民衆の動揺治安の悪化等は漸次増大すへし、就中支那に於ける我か占拠地域民衆の対日非協力化、比島民衆の離日敵性化、泰国内の動揺等を逐次招来するの虞大なり。
 印度仮政府の対日動向には変化なかるへきも印度に於ける英印相剋の虞は戦局の推移に■し上下すへし

   第二節 欧州の情勢
欧州戦局は米英軍の北仏上陸及「ソ」軍の夏季攻勢開始に伴ひ漸く本格的決戦段階に突入し其の大勢は一般に独側に不利となりつつありて今後独側にして政戦局の転機を有利に把握せさる限り其の戦争指導は愈々困難の度を加ふるに至るへし。

一、 独「ソ」戦線

 独「ソ」戦線に於ては「ソ」は今後主として■略的見地に基き自主的作戦を指導する算大なるも本年後期に於ては失地の大部を快復するのみならす更に西部波蘭並に東「プロシヤ」及洪牙利の一部に侵入すると共に羅馬尼及芬蘭の大部をも掌握するの事態を見ることなしとせさるへし。

二、 西欧第二戦線

 西欧第二戦線の作戦の成否は独の運命に最も重大なる影響を及ほすへく独にして今後好機に投したる反撃を実施するか或は米英軍の補給を充分に遮断し得る場合に於ては戦勢の挽回可能なるへきも然らさる場合に於ては米英戦線は逐次内陸に拡大するに至るへし。

三、 独の傘下諸邦並に中立国の動向

 今後に於ける独の軍事的情勢は楽観を許ささるものあり、特に第二戦線方面に於て断乎たる決勝的攻勢を採り作戦に成功を收めさる限り東部戦線に於ける相次く後退と相俟つて独の傘下諸邦並に中立国等は漸次反枢軸側の策謀に屈服するの事態を見ること無しとせさるへし。

   第三節 「ソ」の対日動向
東亜及欧州の情勢枢軸側に不利に進展する場合「ソ」か依然従来の如き対日中立態度を堅持すへきや否は疑問とする所なるも特別の事態発生せさる限り自ら求めて対日参戦は勿論米軍事基地供与の挙に出つること無かるへし。

   第四節 世界政局の動向
交戦各国は死闘を続けつつあるも今や内在する窮状漸々表面に露呈せんとし茲に彼我戦勢の均衡破綻及予想すへからさる異変等を生せんか直ちに政局転機の効因を包蔵しあるの状顕著なり。
従て今後の状勢推移に依りては欧州に於て独「ソ」又は独英米和平問題の発生及中立諸国の背反又は独傘下諸邦の脱落を見ること無しとせさるへく厳に警戒を要すへし。
又重慶は戦局の推移米、英、「ソ」の動向、及日本の態度如何によりては将来政局転換を考慮するの可能性無しとせす。

   第五節 総合判断
今や敵は戦争の主動性を把握しあるの現状に乗し全力を傾倒して政戦両略に亘る真面目なる決戦攻勢を続行強化せんとし今夏秋の候より戦政局の推移は愈々重大化すへく、之に対し帝国は欧州状勢の推移如何に拘らす決戦的努力を傾倒して敵を破摧し政略敵施策と相俟つて飽く迄も戦争完遂に邁進せさるへからす。

付 録
   其の一、各国の戦争指導

一、米 国
(以下省略)

二、英 国
三、重 慶
四、「ソ」連
五、独 国
   其の二、各国の戦争遂行能力
一、米 国
 (一)
 (二)
 (三)
 (四)
二、英 国
 (一)
 (二)
 (三)
 (四)
三、重 慶
 (一)
 (二)
 (三)
 (四)
四、「ソ」連
 (一)
 (二)
 (三)
 (四)
五、独 国
 (一)
 (二)
 (三)
 (四)
(国立公文書館:昭和19年8月19日 最高戦争指導会議決定 第1号 世界情勢判断) 

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