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桂=タフト協定 1905年07月29日

 桂=タフト協定(訳文)


桂伯爵とタフト長官は七月二十七日の朝、長く秘密裏に会話を交わした。


第一に、日本の勝利がフィリピン諸島への侵略の一定の前奏曲になると国民に信じさせようとしているアメリカの親ロシア派の人たちがいることについて、タフト長官は、日本のフィリピンに対する唯一の関心は、これらの島々をアメリカのような強力で友好的な国に統治してもらうことだと彼は考えている、と述べた。

桂伯爵は、この点についての彼の見解の正しさを最も強い言葉で確認し、日本はフィリピンに対していかなる攻撃的な意図も持っていないと肯定的に述べた。


第二に、桂伯爵は、極東の一般的な平和の維持が日本の国際政策の基本原則であると述べた。このような場合、上記の目的を達成するためには、日本、米国、英国の三政府間で良好な理解を形成することが最善であり、実際には唯一の手段であろう。


第三に、韓国問題に関して桂伯爵は、韓国がロシアとの戦争の直接の原因であることから、半島問題の完全な解決が戦争の論理的な結果としてなされるべきであることは、日本にとって絶対的に重要な問題であると述べた。戦後、韓国を放っておけば、韓国は間違いなく他国との協定や条約を不当に締結する習慣に逆戻りし、戦前と同じような国際的な複雑さを再燃させることになる。以上のような状況から、日本は、韓国が再び以前の状態に陥り、再び外国との戦争に突入しなければならない状況に陥る可能性を防ぐために、何らかの明確な措置を取らなければならないことを絶対に感じている。タフト長官は伯爵の観察の正当性を全面的に認め、彼の個人的な意見として、日本軍が日本の同意なしに韓国に外国との条約締結を要求する程度の韓国に対する宗主国権を確立することは、現在の戦争の論理的な結果であり、東洋の恒久的な平和に直接貢献するだろうと述べた。彼の判断は、ルーズベルト大統領もこの点では彼の意見に同意するだろうというものであったが、彼にはこのことを保証する権限はなかった。


(国務省の雑多な書簡、七月、第三部、千九百五年)


注:1905年7月29日付けのこの文書は、桂伯爵(日本の首相)とウィリアム・ハワード・タフト(セオドア・ルーズベルト大統領の在日個人代表)との間で交わされた会話の「合意された覚書」であり、後にルーズベルト大統領はこの合意を全面的に承認した。


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桂=タフト協定(本文)


THE TAFT-KATSURA AGREEMENT.


...COUNT KATSURA and Secretary Taft had a long and confidential conversation on the morning of July 27...


First, in speaking of some pro-Russians in America who would have the public believe that the victory of Japan would be a certain prelude to her aggression in the direction of the Philippine Islands, Secretary Taft observed that Japan's only interest in the Philippines would be, in his opinion, to have these islands governed by a strong and friendly nation like the United States,...Count Katsura confirmed in the strongest terms the correctness of his views on the point and positively stated that Japan does not harbor any aggressive designs whatever on the Philippines...


Second, Count Katsura observed that the maintenance of general peace in the extreme East forms the fundamental principle of Japan's international policy. Such being the case,... the best, and in fact the only, means for accomplishing the above object would be to form good understanding between the three governments of Japan, the United States and Great Britain...


Third, in regard to the Korean question Count Katsura observed that Korea being the direct cause of our war with Russia, it is a matter of absolute importance to Japan that a complete solution of the peninsula question should be made as the logical consequence of the war. If left to herself after the war, Korea will certainly draw back to her habit of improvidently entering into any agreements or treaties with other powers, thus resuscitating the same international complications as existed befor the war. In vies of the foregoing circumstances, Japan feels absolutely constrained to take some definite step with a view to precluding the possibility of Korea falling back into her former condition and of pacing us again under the necessity of entering upon another foreign war. Secretary Taft fully admitted the justness of the Count's observations and remarked to the effect that, in his personal opinion, the establishment by Japanese troops of a suzerainty over Korea to the extent of requiring that Korea enter into no foreign treaties without the consent of Japan was the logical result of the present war and would directly contribute to permanent peace in the East. His judgment was that President Roosevelt would concur in his views in this regard, although he had no authority to give assurance of this...


(Miscellaneous Letters of the Department of State, July, Part III, 1905.)


Note : this document, dated July 29, 1905, was 'an agreed memorandum' of a conversation between Count Katsura, Prime Minister of Japan, and William Howard Taft, personal representative in Japan of President Theodore Roosevelt, who later gave his full approval of the agreement.

(190500日本外交文書明治第38巻第1冊06P451)


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