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対支政策に関する件 1934年12月19日

 対支政策に関する件(不明文字あり)


         對 支 政 策 ニ 關 ス ル 件    昭和九年十二月拾九日

第一、趣意

 一、我対支政策は(イ)支那をして帝国を中心とする日満支三国の提携共助に依り東亜に於ける平和を確保せむとする帝国の方針に追随せしむると共に(ロ)支那に対する我商権の伸張を期するを以て根本義とす

 二、然れ共支那の現状に顧み同国政局に対する施策に依り急速に第一項(イ)の目的を達成すること至難なるに止らす我方に於て過急に斯種の施策を行ふことは却て反対の結果を招来するの虞もあり漸を追ふて右目的の達成を期するを要す

 三、一方支那に対する我商権の伸張、換言すれは我方か支那に於て強固なる経済上の地歩を築くことは其れ自体我対支政策の根本義を成すのみならす、他面我方の勢力を以て支那を控制し同国■して我方との接近を求むるの余儀なきに至らしむへき有力なる手段なり

  而して右商権伸張の為には中央及各地政権の排日的態度を厳に是正すると共に支那各地域就中経済上我方との関係深き地方に於ける治安の維持に留意し一般官民との間に対日依存の空気を醸成せしむること肝要なり

 四、仍て我方としては此の際支那政局の自然の推移に逆行する無理なる措置を避け寧ろ右自然の推移を我方に有利に誘導する如く支那の実情に応し我方の必要と認むる方策を熱心且執拗に実施し、以て支那政局推移上当然の締結と認めらるる同国内政の極端なる行詰と相俟ち、結局支那をして大勢の赴く所遂に我方に接近を求むるの余儀なきか如き境地に立たしむるを期せさるへからす

第二、方策要綱

 一、一般方策

  (イ)支那側か東亜の大局に覚醒せす依然東亜の平和を破壊すへき政策を継続するに於ては飽く迄之か是正を要求して己まさる堅き我方の決意を支那官民に一層印象せしめ、支那側か日支関係の打開に付現実に誠意を示すに於ては我方亦好意を以て之を迎ふへきも、我方より進んて和親を求めす、且支那側に於て我方の権益を侵害する場合には我方独自の立場に基き必要の措置を執るへしとの厳粛公正なる態度を以て之に臨むこと

   尚彼等の内部抗争を利用し其抗日政策を更改せしむることにも亦留意するの要あり

  (ロ)前記の如く権益擁護上必要なる我方措置の結果支那政局に動揺を生することありとするも右は止むを得さる所なるか然らさる限り我方に於て殊更支那の事態を紛乱せしむるか如き措置に出てさること。又支那各地、就中経済上我方との関係深き地方に於ける治安の維持に留意し一般官民の間に対日依存の空気を醸成せしむると共に排日策動に対しては之を阻止終熄せしむる様厳に要求し以て我商権の伸張を期すること

  (ハ)日支接近の最大の障碍たる支那の遠交近攻的心理、即ち同国か外国の力を藉りて我方を抑制せむことを僥倖せむとする心理及右心理に基く各般の行動並に之に策応する外国側の対支援助を極力排撃すること。是か為には主として外交上及経済上の方策を積極的に実施すること

 二、対南京政権方策

  国民政府の指導原理は帝国の対支政策と根本に於て相容れさるものあるを以て南京政権に対する方策の基調は同政権の存亡は同政権に於て日支関係の打開に誠意を示すか否かに懸ると云うか如き境地に窮局に於て同政権を追込むことに存する次第にして右目的の為には前記一般方策(イ)及(ハ)の施策を執拗に行ひ殊に同政権に対して排日の停止就中■部の策動を控制せむことを要求し同時に懸案の解決及我方権益の伸張に付ては従来よりも一層積極的の努力をなし且同政権下の官職等に我政策遂行に便なる人物を任命せしむる様仕向け以て同政権の態度を我方に有利に誘導するを期すること

 三、対北支政権方策

  我方としては北支地方に対し南京政権の政令の及はさるか如き情勢とならむことを希望するも此の際急速に右の如き情勢を招来することは我方に於て巨大なる実力を用ふるの決意なき限り困難なるに付、差当り北支地方に於て南京政権の政令か北支に付ては同地方の現実の事態に応して去勢せらるる情勢を次第に濃厚ならしむへきことを目標とし漸を追ふて之か実現を期すること。従て我方としては北支政権に対しても大体前記南京側に対する方針を準用し且該政権か有力なるものにして誠意を示すに於ては我方亦好意を以て之に臨み以て懸案の解決及及我方権益の維持伸張に努むると共に、尠くとも■部の活動を事実上封せしめ且北支政権下の官職等をして我政策遂行上に利便なる人物に置き替へしむる様仕向け以て北支地方の官民か同地方に於ては排日は行はぬものなりとの先入的の観念を持つに至る様の空気を醸成し行き結局我方権益の伸張と排日に呢まさる一般空気の醸成とに依り、北支政権の主班か何人なるも北支に於ける日満支の特殊の関係を無視すること不可能なるか如き状況を招来するに努むること

 四、西南派其の他の局地的政権に対する方策

  西南派其の他の局地的政権に対しても前記一般方策並之に基く対南京及北支政権方策を準用すへきこと勿論なるか西南派及韓復榘、閻錫山等か南京政権と対立し又は不即不離の態度を執り居る状態を維持せしむることは南京政権の対日態度を牽制する上に於て望ましきに付、我方としては此等政権か我方に対し好意を示すに於ては我方亦之に相応する好意を示し適宜連絡を維持すること

  但し斯種地方政権の新なる発生は支那政局の自然の推移に委すへく我方としては南京政権擁護に偏するか如き結果とならさる様留意すると共に積極的に新に地方政権の発生を助成するか如き措置は之を避くること

 五、商権伸張に関する方策

  前記各方策の実施間之に適応して我対支商権の伸張に努む、之かため各政権を利導して其目的達成を図ると共に広く対象を実業界其の他一般民間に求め国民経済提携を促進し、尚排日に呢まさる一般的空気の醸成を計り、以て日満支間の経済的特殊関係は政治的等の理由に依り如何ともし難きか如き事態の招来を期すること

(国立公文書館:標題:対支政策に関する件 C01004226900)

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