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帝国外交方針 1936年08月06日

 帝国外交方針(不明文字あり、ひらがな化、新字体化)


               昭和十一年八月六日

   帝国外交方針

国策に遵由し之か達成を期する為外交方針を確立し施策を之に順応せしむ可く出先文武官憲の連絡を緊密にし且国民の指導を積極適切にし以て外交の完全なる統制を期す。

而して我公正妥当なる権益の擁護推進に対しては自屈退嬰を戒め常に積極的態度を持すると共に列国の帝国に対する猜疑心若くは危惧心を解消せしむるに力む。


     第一 一般方針

東亜の恒久的平和を確立し帝国の存立発展を完うするが為、満洲国を育成し同国との特殊不可分関係を益々鞏固ならしめ、世界的見地に於て蘇支両国との関係を自主的に調整すると共に、南洋方面に平和的発展進出を計り、依て以て東亜に於ける安定勢力たるの実を挙ぐるを帝国外交の中枢方針と為す。

而して近時蘇連邦は其の国防上及国際上の地位頓に強化するに伴ひ、極東に過大の軍備を配して東亜方面に対する其の武力革命的迫力を増大し、各方面に対し赤化進出を企図し、益々帝国をして不利の地位に至らしめつつあり。右は帝国の国防に対する直接の脅威なると共に、我東亜政策の遂行上重大障碍を為すを以て、差当り外交政策の重点を蘇国の東亜に対する侵寇的企図の挫折特に軍備的脅威の解消、赤化進出の阻止に置き、国防の充実と相俟ち外交手段に依り之が達成を期すべし。

依て帝国は現下の国際情勢に総合的考察を加へ、主要列国との関係を調整し、国際的に我に有利なる情勢を誘致する如く帝国外交の機能を全面的に活動せしむるを要す。


    第二 方策要綱

一、現下内外の情勢に鑑み蘇連に対しては我より進んで事端を滋からしむることを厳に戒め、専ら平和的手段に依り従来の懸案解決に努むると共に

 (イ)興凱湖より圖們江に至る国境画定及国境紛争処理両委員会の設置を図り、更に其の他の満、蘇国境及び満、蒙国境に付ても此の種機構の設置を図り、

 (ロ)適当の時機に至らば非武装地帯設置を提議し、

 (ハ)蘇連側より更に不侵略条約締結の希望を表明し来る場合に於ては彼我均衡を得る如き極東兵備整理をも含めたる日、蘇間重要諸懸案を解決せば寧ろ之が締結を希望する旨を明示し、

 (ニ)尚蘇連の日、満、支に対する思想侵寇を防遏すべき適当の措置を講ずべし。

二、支那中央及地方政権に対しては常に厳然たる態度と公正なる施策とを以て臨み、対民衆経済工作と相俟ち其の対日態度を是正せざるを得ざらしむる如く誘導し共存共栄を基調とする日支提携の実現を期す。

 北支方面に於ては日満両国との経済的、文化的融合提携を策すると共に蘇連の赤化進出に対し日満支共同して防衛に当るべき特殊地域たらしむるに力む。

 ■他の地方政権に対しては殊更に支那の統一又は分立を助成し若くは阻止するが如き施策は之を行はざるものとす。

以上は対支政策の根本方針(昭和十年十月四日附対支政策に関する決定参照)にして諸般の施策皆之に遵拠すべきものなり。然して現下の施策に当りては日蘇関係の現状に鑑み先づ速に北支をして防共親日満の特殊地域たらしめ且国防資源を獲得し交通施設を拡充すると共に支那全般をして反蘇依日たらしむることを以て対支実行策の重点とす。(差当り実行すべき方策は別に之を定む)

三、日米親善関係の増進は英、蘇を牽制するに与て力大なるものある処、米国は鋭意軍備を拡充し其の伝統的極東政策を基調として帝国の政策の推移に多大の関心を有し我に対する警戒を怠らざるを以て我方今後の対支態度如何に依り支那を援助し益々支那をして欧米依存の政策に出でしむる虞あるのみならず、我が蘇連対策上頗る不利なる事態を生ずる懸念無きに非ず。依て帝国としては差当り米国の対支通商上の利益を尊重し同国をして我が公正なる態度を諒解せしむると共に日米間の経済的相互依存関係を基調として親善関係の増進を期し同国をして帝国の東亜政策遂行を妨害せしめざる様力むべし。

四、欧州政局の推移は東亜に重大なる影響あるを以て之を我方に有利に誘導し特に蘇連邦を控制するに力むべし。

 (一)英国は各方面に於て帝国と利害関係相容れざるもの尠なからざるも東亜に於て欧米列強中最大の権益を有し、且又欧州諸国の向背が英国の態度に依る処多きに顧み、此の際姑く帝国は自主積極的に同国との親善関係を増進し、以て帝国の対蘇関係に於て我に好意ある態度を執らしめ、蘇連邦の我に対する態度を牽制すると共に、我海外発展の障碍を緩和除去すること特に必要なり。而して支那に於て両国関係を調整すること極めて効果的なるが故に、差当り英国をして帝国が特に其の地理的近接等の理由に依り支那に於て特殊且緊要なる利害関係を有することを認めしめつつ、同国の在支権益を尊重し、支那に於ける日英関係の局面打開方に付適切なる方策を講ずると共に両国間の全般的関係の調整に努むべし。

 然れども英国は列国殊に米、蘇、支を利用し対日抑圧政策を執るべき虞あるを以て此の点特に警戒するを要す。

 (二)独逸は対蘇関係に於て帝国と利害を斉しくし、仏蘇の特殊関係に鑑み、国防上並に赤化対策上我との協調を便とすべきを以て、同国との友好関係を増進すると共に必要に応じ日独提携の実を挙ぐるの手段を講じ又其の関係を拡充して波蘭等の親善関係を増進し以て蘇連を牽制すべし。

 其の他蘇連に隣接する欧州及亜細亜諸国並に爾余の回教諸民族との友好関係増進に留意し其の啓発に力むべし。

五、南洋方面は世界通商上の要衝に当ると共に帝国の産業上国防上必要欠くべからざる地域として将又我民族発展の自然的地域として進出の地歩を固むべきも関係諸国を刺戟することを慎み帝国に対する危惧の念を除去するに努め平和且漸進的に発展進出に力むべし。

 比島に付ては我方は其の完全なる独立の実現を期待し要すれば比島の中立を保障するを辞せず。

 蘭領印度に対する我方の発展進出に付ては蘭印側をして我方に対する危惧の念を去らしめ、親日に転向せしむること極めて必要なるに付、之が為適切なる方策を講じ、要すれば和蘭との間に不侵略条約の締結を辞せず。

 遏羅及其の他後進民族に対しては共存共栄を基調として適当に指導誘掖す。

六、海外貿易は国民経済生活の維持向上に欠くべからざるのみならず財政及国際貸借の改善に資し、帝国としては現時の内外情勢に鑑み殊に其の伸暢に力を致さざるべからざるを以て、我が対外通商の合理的伸展を計ると共に成るべく列国との利害を調節し、重要資源を確保及獲得し、延て経済力の涵養に努むるを要す。

(国立公文書館:19 昭和11年7月31日から昭和11年8月10日) 

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