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満洲事変に関する政府第三次声明 1931年12月27日

 満洲事変に関する政府第三次声明(ひらがな化、一部新字体化)


滿洲事變ニ關スル政府第三次聲明

十二月二十七日


一、満蒙に於ける治安の維持は帝国政府の恒に最重要視する所にして政府に於ては従来各般の機会に同地方の康寧を保持し且之か軍閥争乱の巷と化するを防かむか為百方適法の手段を講し来れり治安の保持ありて始めて同地方は内外人安住の地たるを得ヘく又秩序なき所門戸開放、機会均等も結局空名に終るヘし図らすも今次事件は帝国に対し満蒙に於ける新なる責任を加へ而して其の活動の範囲は更に広汎なるを致せり即ち支那側の不当なる攻撃に対し必要の自衛手段を執りたる結果帝国は広大なる地域に亘りて公共の安寧を維持し住民の権益を保護するの義務を負ふの巳むを得さるに至れり当時支那地方官憲は法律秩序保持の為何等協力の機会を求めす一斉に逃亡又は辞職せり斯かる状況の下に無辜の地方民の災害を出来得る限り鮮少ならしむるは明かに帝国の責務にして之に反し我方に於て右等良民を無政府状態の渦中に委するか如きは正に前記責務の懈怠たるヘし是れ我軍か多大の犠牲を忍ひ支那官憲の機能を失ヘる地方に於て人命財産の安全を保持せんか為全力を尽し来りたる所以にして畢竟我軍は事態自然の推移によりて其の欲すると否とに拘らす右の如き責務を負ふるに至れるものなり

二、右の如く今次事件の発生に依り既存諸機関の破壊を見たるに止らす満蒙地方に於ける馬賊其の他不逞分子は自然其の跳梁を増すに至りたるも我軍の所在する方面に於ては其の威力に依り漸次治安の恢復に向ひつつありたり然るに十一月上旬前後より鉄道付属地接壌地方殊に満鉄本線西方に於ける此等不逞分子の跳梁俄に顕著となり来れる処右馬賊等の活動は錦州軍憲の組織的策謀に基くものなること捕虜の供述、押収文書其の他各種の情報に依り疑を容れさる所なり錦州方面に於ける第三国武官中支那側に於て何等攻撃の準備をなし居る証左なしとの報告をなし居るものある処錦州軍憲か大体打虎山以西の北寧線上及其の付近の各地に亘り巨大なる兵力を擁し居るは明かにして我軍の周密なる偵察に依れは此等軍隊か錦州其の他の駐屯地に於て着々兵備を整へ居る証跡顕著なるものあるのみならす其の前衛部隊を錦州より遥に東方にある田庄台、台安、白旗堡等遼河右岸の各地を連ぬる線に配置し居ること確実なり而して右事態か満鉄沿線其の他数地に分散駐屯せる我在満部隊に対する不断の脅威たるは何人も首肯し得ヘく殊に北寧線を利用するに於ては打虎山奉天間及溝帮子河北間は僅々三、四時間内に到着し得ヘき近距離にあるの事実は該脅威の甚た大なるを示すものなり

一方前記馬賊等は近時錦州軍多数将卒の改編せられたるものを含み其の活動の規模急速に増大し居り現に満鉄本線西方に於ける馬賊は十一月上旬約一万三千と算定せられたるか十二月上旬の調査に依れは三万を超過し且最近に於ては数百乃至数千の員数と機関銃、迫撃砲等の装備を有し今や正規軍との区別殆と困難なる状態にあり偶々以て其の背後に之を補給し之を指導する錦州軍憲の存すること疑なきを知るヘし又在奉天日本総領事館の調査に依れは鉄道付属地接壌地方馬賊兵匪出没数は十一月一日以降十日間二七八件、十一日以降十日間三四一件、二十一日以降十日間四三八件、十二月一日以降十日間四七二件、合計一五二九件の多きに上れり

敍上馬賊等不逞分子の跳梁に対し我軍に於て必要の討伐を行ふや満鉄本線西方の賊団は逸早く遼西方面に逃入するを常とし我軍をして殆と奔命に疲らしむるものあり而も尚我軍に於て遼西地方に対する賊団の追跡を敢てせさりしは同地方各地に駐屯する前記錦州軍憲配下の支那正規兵との衝突を避けむとする苦衷に出てたるものなり

三、然るに偶々十一月二十四日顧外交部長より在支主要列国公使に対し支那側は日支両軍の衝突を避くる為支那軍の山海関以西撤退を実行するの用意ある旨を告けたり仍て帝国政府は同月二十六日正式に右趣旨の提議に接するや主義上之を受諾すると共に在支帝国公使及在北平帝国代表者に対し夫々顧外交部長及張学良氏との間に本件に関し話合を行はむことを訓令せり同公使は十一月三十日乃至十二月三日数次に亘り顧外交部長と話合を行ひたるか同部長は中途より前記申出を翻して右話合に応せさるの態度を示し又在北平帝国代表者は十二月四日以来張学良氏と直接又は其の側近者を介し話合を重ねたるか同月七日に至り張学良氏より其の自発的措置として錦州方面支那軍の撤退を行ふヘき旨を開示し来り且爾来幾度となく右約束の急速実行方を確言せるも何等撤兵の事実なく却て同方面の兵備を厳にし居る実情なり

四、錦州地方撤兵問題に関する交渉開始せられたる以来既に約一個月に及ヘるも支那側の不誠意なる態度に依り何等の効果を挙け得ヘき前途の見据付かさる間に前記の如く賊団の活躍益猖獗を極め来り遂には南満州に於ける全般的治安の根底的破綻を招来するの虞ある事態を現出せるに依り最近我軍は一斉に出動して従来より比較的大規模の賊団討伐に着手するの已むを得さるに至れる処我軍に於て賊団討伐の徹底を期せむか為には其の根拠地たる遼西方面に進出せさるを得さること前述の事情に徴し明かなり固より我軍は九月三十日及十二月十日理事会決議の趣旨に反し好んて支那正規兵に対し攻撃を加ふるか如き主動的措置に出て居るものにあらさること勿論なるも他面匪賊等の討伐に至りては満蒙現下の特殊状況に顧み日本軍に於て引続き之を行はさるを得さる所にして右は十二月十日理事会決議採択の際我代表に於て明確に保留せる所なり然るに此の際支那軍憲にして表面非攻撃的態度を装はんとするも前記の如く裏面に於て我軍及我居留民を目標とする匪賊操縦等の挑発的行動に出て且右匪賊中に錦州軍の将卒多数混入して正規軍との区別困難なる以上我軍に於て自衛上必要と認むる適当の措置に出つる場合其の結果生することあるヘきー切の責任は前記諸般の経緯に鑑み凡て支那側に於て負担すヘきものなり

五、帝国政府は連盟規約、不戦条約其の他各種条約及今次事件に関する理事会両度の決議を忠実に遵守せむことを期するものにして錦州軍憲の組織的治安撹乱に対する日本国民の憤激甚しきものありたるに拘らすー個月の永きに亘り帝国軍に於て該方面に対する匪賊討伐の自由を抑制し其の間政府に於て凡ゆる手段を尽し右討伐実行の際惹起することあるヘき日支両軍の衝突を予防するに努めたる誠心誠意と隠忍自重とは全く前記諸条約及決議に基く義務に忠実ならむとする精神に出てたるものなること必すや世界輿論の認識を得ヘきを信す

(日本外交文書デジタルコレクション満州事変第一巻第二冊 六 国民政府との交渉P482~)

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