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梅津=何応欽協定 1935年07月06日

 梅津=何応欽協定(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)


一、五月二十九日に於ける日本側の通告並要求

天津郡参謀長酒井大佐は北平補佐官高橋少佐と同行五月二十九日北平政務整理委員会代理■秘書長及軍事委員会北平分会主任何応欽と会見左の通告及要求を発せり

1,通 告

イ、支那側官憲の主動に依る対満陰謀の実行、長城附近支那義勇軍援助、対日「テロ」等は停戦協定の破壊行動にして而も其発動の根拠地は北平、天津に在り斯くの如くんは日本軍は遂に再ひ長城戦を超えて進出するの必要を坐するのみならす北平、天津の両地を実質的に停戦地区に包含せしむるの必要を生すへし

ロ、胡、白の暗殺は白等か日本軍の使用人たるに鑑み北清事変、天津還付に関する交換公文を蹂躙するものにして歴然たる排外行動たるのみならす実に我か日本に対する挑戦なり排外的行為を実行する結果の重大なることは北清事変及満洲事変に照し明白なり今後斯かる行為か行はれ或は行はるることを予知するに於ては日本軍は条約の権限に基き自衛上必要と信する行動を執ることあるへし

 尚之に関して派生すへき事態に就ては日本軍は其責を負はす

右は既に約一箇月を費し調整せし確実なる根拠に基き通告するものにして証拠に関し論争し或は威嚇を行はんとするにあらす事態を重視し軍の採らんとする態度を予告するものなり

2.要 求

北支に於ける右行動を根絶する為日本軍に於ては蒋介石の対日二重政策の放棄を必要とし最小限右政策の実行機関たる憲兵第三団及類似の団体、軍事委員会北平分会政治訓練所、国民党部及藍衣社の河北省よりの撤退を必要とす

又此等の背景たる第二師、第二十五師等中央軍の一律撤退を希望しあり

尚今回事件の直接間接の関係者たる蒋孝先、丁昌、曽拡情、何一飛等及停戦協定の精神を無視し前記諸機関と通謀し北支に於て日本軍と両立せさる于学忠の罷免及其指揮する第五十一軍の河北省よりの撤退を必要とす

二、六月九日に於ける交渉

六月四日以降数度に亘る接衝の後六月九日に至り酒井参謀長は前項要求条件の全面的承諾を求むると共に更に左記事項を追加せり

1.撤去せし軍隊又は諸機関を再ひ進入し又は対日関係を不良ならしむへき虞ある新しき人又は機関を進入せしめさること

2.省市等職員の任命に方りては日支関係を不良ならしめさる人物を選定せられ度きこと

3.実行を約束したることの実施に関しては我か方にて関し及糺察の手段を取るへし

三、協定の成立

1.我か要求に対する支那側の承諾並実行

  支那側は前記我か方の要求に対し六月四日以降逐次之を承諾実行し六月十日遂に我か要求全部を容れ概ね六月中に悉く之を完了せり

2.覚 書

  右支那側か承諾したる事項を左記覚書とし六月十二日我か北平補佐官より軍事委員会北平分会宛交付せり

  覚書

(一)支那側に於て日本軍に対し実行を承諾したる事項左の如し

イ、于学忠及張延■一派の罷免

ロ、蒋孝先、丁昌、曽拡情、何一飛等の罷免

ハ、徴兵第三団の華北省外撤去

ニ、軍分会政治訓練所及北平軍事雑誌社の解散

ホ、日本側の所謂藍衣社、復興社等の如き日支両国の国交に害ある秘密機関の取締り及其存在を許容せぬこと

ヘ、河北省内一切の■部並励志社北平支部の撤退

ト、第五十一軍の河北省外撤退

チ、第二師、第二十五師等中央軍の河北省外一律撤退第二十五師学生訓練班の解散

リ、支那国内全般に排外、排日の禁止

(二)以上の諸項実行に関し左記附帯事項を合せ承諾す

イ、撤去せし軍隊又は諸機関を再ひ進入し又は対日関係を不良ならしむへき虞ある新しき人又は機関を進入せしめさること

ロ、省市等職員の任命に方りては日支関係を不良ならしめさる人物を選定せられ度きこと

ハ、実行を約束したることの実施に関しては我か方にて監視及糺察の手段を取るへし

3.何応欽より梅津司令官に与へたる文書通牒

  七月八日に至り軍事委員会北平分会を通し左記文書通牒を我か北平陸軍武官室宛送付し来り茲に本協定の完成を見るに至れり

     左  記

  六月九日酒井参謀長の提出せし各事項は悉く之を承諾し自主的に確実に之か遂行を期す

 右通牒す

                何  応  欽

   梅 津 司 令 官 宛

(国立公文書館:華北問題(日、支停戦協定及満、支国境諸懸案解決交渉ヲ含ム) B02030474800)

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