スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

6月, 2023の投稿を表示しています

対蒙(西北)施策要領 1936年01月?日

 対蒙(西北)施策要領(ひらがな化、不明文字あり、一部図省略)    對蒙(西北)施策要領                     昭和十一年一月                     関東軍参謀部 本書は昭和十年七月二十五日作製対内蒙施策要領に基き軍の行へる施策の成果に因る内蒙の現状を基礎とし向後の施策及将来の目標並此目標に到達せんか為の諸般の企図著想等を蒐録す      第一 方   針 一、軍は帝国陸軍の情勢判断対策に基き対蘇作戦準備の為必要とする外蒙古の懐柔及反蘇分離気運の促進を図ると共に対支工作の進展に資し且満洲国の統治及国防の基礎を鞏固ならしむる目的を以て徳王の独裁する内蒙古軍政府の実質を強化すると共に其勢力を逐次支那西域地方に拡大し北支工作の進展に伴ひ内蒙をして中央より分離自立するに至らしむ   施策の重点は当初現在の軍政府の管轄区域内重要部門の整備鞏化に置き其成果挙かるに従ひ之を根拠として其勢力を綏遠に扶植し次て外蒙古及青海、新疆、西藏等に拡大せんことを期す      第二 一般指導の要領 二、軍は内蒙軍政府を指導し政治、軍事、経済、文化各方面の施策を進むるも初期に於ては内蒙の環境並蒙人の特性に鑑み主力を軍事及蒙古人の教育普及に注く 三、諸施策は日人顧問の指導に依り軍政府をして之を行はしむるを以て本則となす   然れとも同政府当初の実力に鑑み満洲国諸機関、満鉄、善隣協会大蒙公司等をして軍の指導の下に参加せしめ軍政府の実力向上に伴ひ逐次軍政府をして実施せしむる如く指導す 四、一切の施策は之を極秘裡に行ひ一般の耳目を蔽ひ国際情勢特に蘇邦及支那側の神経を刺戟せさることに努む 五、軍政府の実力充実し独立政権たるの実質を備ふるに至らは独立(宗主権に関しては之に触れさるを主旨とす)を宣布せしむ   但し政略上の状況之を要する時機に於ては右に顧慮なく自治を宣言せしむることあり 六、蒙古独立疆域内の民族は日、蒙、漠、回、蔵の五民族を包含するに至るべきに依り之等の人心収攬に関し特に左の諸点に留意すると共に反共産主義を鼓吹し宗教の尊重と各民族固有の信教の自由を認む  (一)在蒙日本人をして総て日本民族の先駆者たる自覚の下に日満両帝国特に日本の国策の徹底に努めしむ    之か為日人顧問以下の徳操並他民族特に蒙古民族に対する態度等に関しては特務機関を通し厳に監視監督せしむ

北支指導方策 1937年04月16日

 北支指導方策(ひらがな化、一部新字体化)    北支指導方策  (昭和十二年四月十六日外務、大蔵、陸軍、海軍四大臣決定)      方  針 一、北支指導の主眼は該地域をして実質上確固たる防共親日満の地帯たらしめ併せて国防資源の獲得並に交通施設の拡充に資し以て一は赤化勢力の脅威に備へ一は日満支三国提携共助実現の基礎たらしむるに在り。 二、右目的達成の為め差当り先つ北支民衆を対象とする経済工作の遂行に主力を注くものとす。然して右工作の遂行に当りては北支政権に対する内面指導の外南京政権に対する施策に依り同政権をして実質上北支の特殊的地位を確認し進むて日満支提携共助の諸施策に協力せしむる様指導するものとす。      要  綱 一、北支指導に対する態度   北支に対する我方の施策は同地域の地理的特殊性にも鑑み従来動もすれは支那並に列国に対して恰も帝国に於て停戦地域の拡張、満洲国の国境推進乃至は北支の独立等の企図を有するか如き誤解を与へたることなきに非す。仍て今後の対北支政策に当りては此の種無用の誤解を与ふるか如き行動は厳に之を慎むと共に先つ北支民衆の安居楽業を本旨とする文化的経済的工作の遂行に専念し以て我方所期の目的達成に資すること肝要なり。   北支の文化的経済的開発に当りては努めて解放的態度を採り民間資本の自由なる進出を計ると共に冀察政権又は南京政権の要望にして其の至当なるもの又は面子上尤もなりと認めらるるものに対しては常に理解ある態度を以て臨むこと必要なり。冀東地区に於ける特殊貿易並に北支自由飛行の問題に関しては速に之か解決を計るものとす。 二、冀察政権の指導   冀察政権に対する指導に当りては最も公明なる態度を以て臨み特に財政経済軍事等百般の事総て軍閥的秕政を清算して明朗なる地域を構成し民心の把握に努めしむるを要す。 三、冀東自治政府の指導   冀東自治政府の指導に当りては特に其の内政の向上に努め産業の徹底的開発を行はしむると共に真に軍閥的搾取秕政なき安居楽業の模範地域たらしめ以て北支に対する帝国の公正なる真意を事実の上に具現せしむることに努む。   前記施策に当りては冀東自治政府は結局単独に存立し得さるものなる点をも考慮に容れ北支諸政権指導上の障害となるか如き施措は之を為ささるを要す。 四、山東、山西、綏遠諸政権の指導   此等諸政権特に山東に対する施策は日満

世界情勢判断 1942年03月07日

 世界情勢判断(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり、附属文書省略)         世 界 情 勢 判 断                     昭和十七年三月七日                     連絡会議決定     イ、米英側の執るへき方策 米英は今後軍事的経済的財政的其他各方面に於ける協力を益々緊密化し一体となりて枢軸側戦力の低下に努めつつ他面自己戦力の急速増強を図り先つ其の対枢軸戦争指導の重点を欧州に置き「ソ」連と相提携して該方面の戦局を有利に展開せしむると共に対日反撃進攻拠点の確保強化に努め優勢なる兵力を保有するに至らは一挙対日反攻を企図すへし 即ち (一)差当り英は米「ソ」と相携へて先つ速に独伊戦力の撃破を図ると共に地中海及西亜方面を確保し日独伊の提携阻止に努むへし   尚英は東洋方面に於ては対日反撃並に英帝国結合保持の為め極力印度洋の制海権及印度並に豪州の確保に努むへし (二)差当り米は英「ソ」と相携へて先つ速に独伊戦力の撃破を図ると共に豪州及印度洋方面に於ては対日反攻拠点の確保強化に努め且有力なる海上及航空兵力を太平洋方面に集中し其の一部を以て我か海上交通の妨害日本の中枢地区に対する奇襲其の他各種「ゲリラ」戦の実施に努むへし (三)米英は援「ソ」援蒋に力を尽すへく他方「ソ」の対日牽制行動乃至に参戦に多大の期待を掛け極力之か実現に努めつつ差当り密かに東部「ソ」領に対日進攻拠点の獲得を策すへし (四)米英は戦力向上の時機を見て対枢軸大規模攻勢に転すへく之か為日本に対しては「ソ」支と提携して大陸方面より直接我中枢部を衝くに努めつつ主力を以て豪州及印度洋方面より逐次戦略要点を奪回反撃し来る算大なり   而して其大規模攻勢を企図し得へき時機は概ね昭和十八年以降なるへし  (一)豪州(新西蘭を含む)の情勢 一、豪州は専ら米及英援助に頼りて戦力の増強に努め執拗に対日抗戦継続を企図すべし 二、豪州戦力増強の程度は豪と米英間の交通路の情況に依存すべく若し交通路の遮断長期に亘らば増強は不可能となるのみか戦力は低下すべし 三、豪州は漸次対英関係に於ては自主的となるべきも対米依存の度を増すべし 四、豪州国防力の隘路は人口の少きこと及工業殊に重工業生産能力貧弱なることに在りて其の強味は衣食に関しては如何なる長期戦にも対処し得る点に在り  (二)印度の情勢 一、英

対英感情は何故に悪化したか 1938年09月01日

 対英感情は何故に悪化したか(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)      對英感情ハ何故ニ惡化シタカ    (一三、九、一)(改三) 一、間接的原因 (一)世界大戦迄は英国は遺憾なく日本を利用した、帝政露国の支那侵略に対しても、印度の独立抑圧にも、支那の排外行動阻止にも、将た又英国艦隊の北海集中後に於ける自治領の警備にも凡有る機会に日本の兵力と好意とを駆使した、然るに一度講和となるや其の態度は俄然一変して、所謂卓子より零れ落ちる「パン」屑さへも日本の手に落ちるを拒んだ、夫は巴里会議に於ける日本の孤立無援となり、華府会議に於ける五、五、三海軍比率の強要となり、山東の還付となり、日英同盟の廃棄となり、九ケ国条約となり、遂には近年に於ける日本貿易に対する全面的悪性迫害となつて顕はれたのである。 (二)大戦後英国が日本民族の正当なる生存と発展とに対する圧迫は、■に自国領土並に植民地に於てのみでなく、蘭領印度、支那、其の他英国の政治的又は経済的支配勢力を有する全世界各地に於て然りである、近年に於ける支那の排日侮日政策、蘭領印度其の他に於ける傲慢不遜なる対日態度は、何れも背後に英国の援助或は使嗾あるは日本国民の確信する所である、殊に、排日を国策とする蒋介石政権に対する英国の経済的援助は、単に我が国を駆逐して英国勢力の対支進出を意味する許りでなく、支那を傀儡とする軍事的、経済的日本圧迫に外ならぬ、従つて亜細亜に於ける発展は我が民族死活の問題なるだけに、深刻なる対英憤懣を感ずるは当然のことである。 (三)■に外交上、経済上の圧迫のみに止まらず、自国過去の業蹟は全く棚に上げ、日本の為す所行ふ所悉く之を侵略、若くは不正行為呼ばりをなし、「ロイテル」其の他の通信網を総動員して、世界輿論の反日化に狂奔し、諸国を誘つて所謂対日包囲陣を形成し、甚だしきは共産国蘇連迄も一翼として集団的圧迫を加ふるが如き、全く国家利己主義の極端なるものと謂はざるを得ないのである。 二、直接的原因 (イ)支那事変に於ける英国の態度は我に敵意を有するものと断ぜざるを得ない。    是は日本の対英感情悪化の直接原因である。英国自らは中立公正の態度を維持しつつありと称するも、其の然らざる所以は次の如き具体的事実が之を立証する (一)上海戦の初期、日本居留民が最大の危険に瀕したる時機に於て、之が保護の任にある出雲の