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発言問題に付き弁明の件:一身上の弁明 1935年02月25日

 発言問題に付き弁明の件:一身上の弁明(ひらがな化、一部新字体化)


去る二月十九日の本会議に於きまして、菊池男爵其他の方から、私の著書のことに付きまして御発言がありましたに付き、茲に一言一身上の弁明を試むるの已むを得ざるに至りましたことは、私の深く遺憾とする所であります、菊池男爵は昨年六十五議会に於きましても、私の著書のことを挙げられまして、斯の如き思想を懐いて居る者は文官高等試験委員から追払ふが宜いと云ふやうな、激しい言葉を以て非難せられたのであります、今議会に於きまして再び私の著書を挙げられまして、 明白な反逆的思想であると言はれ、謀反人であると言はれました、又学匪であると迄断言せられたのであります、日本臣民に取りまして反逆者である、謀反人であると言はれまするのは侮辱此上もないことと存ずるのであります、又学問を専攻して居ります者に取って学匪と言はれますことは、等しく堪へ難い侮辱であると存ずるのであります、私は斯の如き言論が貴族院に於て、公の議場に於て公言せられまして、それが議長からの取消の御命令もなく看過せられますことが、果して貴族院の品位の為に許され得ることであるかどうかを疑ふ者でありまするが、それは兎も角と致しまして、貴族院に於て、貴族院の此公の議場に於きまして、斯の如き侮辱を加へられましたことに付ては、私と致しまして如何に致しましても其儘には黙過し難いことと存ずるのであります、本議場に於きまして斯の如き問題を論議することは、所柄甚だ不適当であると存じまするし、又貴重な時間を斯う云ふことに費しまするのは、甚だ恐縮に存ずるのでありまするし、私と致しましても不愉快至極のことに存ずるのでありまするが、万已むを得ざることと御諒承を願ひたいのであります、凡そ如何なる学問に致しましても、其学問を専攻して居りまする者の学説を批判し、其当否を論じまするには、其批評者自身が其学問に付て相当の造詣を持って居り、相当の批判能力を備へて居なければならぬと存ずるのであります、若し例へば私の如き法律学を専攻して居まする者が軍学に喙を容れまして、軍学者の専門の著述を批評すると云ふやうなことがあると致しますならば、それは唯物笑に終るであらうと存ずるのであります、私は菊池男爵が憲法の学問に付て、どれ程の御造詣があるのかは更に存じない者でありますが、菊池男爵の私の著書に付て論ぜられて居りまする所を速記録に依って拝見いたしますると、同男爵が果して私の著書を御通読になったのであるか、仮りに御読みになったと致しましても、それを御理解なされて居るのであるかと云ふことを深く疑ふ者であります、恐らくは或他の人から断片的に、私の著書の中の或片言隻句を示されて、其前後の連絡をも顧みず、唯其片言隻句だけを見て、それをあらぬ意味に誤解されて、軽々に是は怪しからぬと感ぜられたのではなからうかと想像せられるのであります、若し真に私の著書の全体を精読せられ、又正当にそれを理解せられて居りまするならば、斯の如き批判を加へらるべき理由は断じてないものと確信いたすのであります、菊池男爵は私の著書を以て、我が国体を否認し、君主主権を否定するものの如くに論ぜられて居りますが、それこそ実に同君が私の著書を読まれて居りませぬか、又は読んでもそれを理解せられて居らない明白な証拠であります、我が憲法上、国家統治の大権が天皇に属すると云ふことは、天下万民一人として之を疑ふべき者のあるべき筈はないのであります、憲法の上論には「国家統治の大権は朕か之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なり」と明言してあります、又憲法第一条には「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」とあります、更に第四条には、「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ」とあるのでありまして、日月の如く明白であります、若し之をしも否定する者がありますならば、それこそ反逆思想であると言はれましても余儀ないことでありませうが、私の著書の如何なる場所に於きましても、之を否定して居る所は決してないばかりか、却て反対にそれが日本憲法の最も重要な基本原則であることを繰返し説明して居るのであります、例へば菊池男爵の挙げられました憲法精義、十五頁から十六頁の所を御覧になりまするならば、日本の憲法の基本主義と題しまして、其最も重要な基本主義は、日本の国体を基礎とした君主主権主義である、之に西洋の文明から伝はった立憲主義の要素を加へたのが日本の憲法の主要な原則である、即ち君主主権主義に加ふるに立憲主義を以てしたのであると云ふ事を述べて居るのであります、又それは万世動かすべからざるもので、日本開闢以来曾て変動のない、又将来永遠に亙って動かすべからざるものであると云ふ事を言明して居るのであります、他の著述でありまする憲法撮要にも同じ事を申して居るのであります、菊池男爵は御挙げになりませぬでありましたが、私の憲法に関する著述は其外にも明治三十九年に既に日本国法学を著して居りまするし、大正十年には日本憲法第一巻を出版して居ります、更に最近昭和九年には日本憲法の基本主義と題するものを出版いたして居りまするが、是等のものを御覧になりましても、君主主権主義が日本の憲法の最も貴重な、最も根本的な原則であると云ふことは、何れに於きましても詳細に説明いたして居るのであります、唯それに於きまして憲法上の法理論として問題になりまする点は、凡そ二点を挙げることが出来るのであります、第一点は、此天皇の統治の大権は、天皇の御一身に属する権利として観念せらるべきものであるか、又は天皇が国の元首たる御地位に於て総攬し給ふ権能であるかと云ふ問題であります、一言で申しまするならば、天皇の統治の大権は法律上の観念に於て権利と見るべきであるか、権能と見るべきであるかと云ふことに帰するのであります、第二点は、天皇の統治の大権は絶対に無制限な万能の権力であるか、又は憲法の条規に依って行はせられまする制限ある権能であるか、此二点であります、私の著書に於て述べて居りまする見解は、第一には、天皇の統治の大権は、法律上の観念としては権利と見るべきものではなくて、権能であるとなすものでありまするし、又第二に、それは万能無制限の権力ではなく、憲法の条規に依って行はせられる権能であるとなすものであります、此二つの点が菊池男爵其他の方の御疑を生じた主たる原因であると信じまするので、成るべく簡単に其要領を述べて御疑を解くことに努めたいと思ふのであります、第一に、天皇の国家統治の大権は、法律上の観念として天皇の御一身に属する権利と見るべきや否やと云ふ問題でありますが、是は法律学の初歩を学んだ者の熟知する所でありまするが、法律学に於て権利と申しまするのは、利益と云ふことを要素とする観念でありまして、自己の利益の為に……自己の目的の為に存する法律上の力でなければ権利と云ふ観念には該当しないのであります、或人が或権利を持つと云ふことは、其力が其人自身の利益の為に、言換れば其人自身の目的の為に認められて居ると云ふことを意味するのであります、即ち権利主体と云へば利益の主体、目的の主体に外ならぬのであります、従って国家統治の大権が天皇の御一身上の権利であると解しますならば、統治権が天皇の御一身の利益の為め、御一身の目的の為に存する力であるとするに帰するのであります、さう云ふ見解が果して我が尊貴なる国体に適するでありませうか、我が古来の歴史に於きまして如何なる時代に於ても、天皇が御一身御一家の為に、御一家の利益の為に統治を行はせられるものであると云ふやうな思想の現はれを見ることは出来ませぬ、天皇は我国開闢以来、天の下しろしめす大君と仰がれ給ふのでありますが、天の下しろしめすのは決して御一身の為ではなく、全国家の為であると云ふことは、古来常に意識せられて居たことでありまするし、歴代の天皇の大詔の中にも、其事を明示せられて居るものが少くないのであります、日本書紀に見えて居りまする崇神天皇の詔には「惟ふに我が皇祖、諸諸の天皇の宸極に光臨し給ひしは豈一身の為ならむや、蓋し人神を司牧して天下を経倫する所以なり」とありまするし、仁徳天皇の詔には「其れ天の君を立つるは是れ百姓の為なり、然らは則ち君は百姓を以て本とす」とあります、西洋の古い思想には国王が国を支配する事を以て、恰も国王の一家の財産の如くに考へて、一個人が自分の権利として財産を所有して居りまする如くに、国王は自分の一家の財産として国土国民を領有し支配して、之を子孫に伝へるものであるとして居った時代があるのであります、普通に斯くの如き思想を家産国思想、「パトリモニアル・セオリイ」家産説、家の財産であります、家産説と申して居ります、国家を以て国王の一家の財産の如くに看做すならば、統治権は国王の一身一家に属する権利であると云ふことに帰するのであります、斯の如き西洋中世の思想は、日本の古来の歴史に於て曾て現はれなかった思想でありまして、固より我が国体の容認する所ではないのであります、伊藤公の憲法義解の第一条の註には「統治は大位に居り大権を統へて国土及臣民を治むるなり」、中略「蓋祖宗其天職を重んし、君主の徳は八洲臣民を統治するに在って一人一家に享奉するの私事にあらさることを示されたり、是れ即ち憲法の依て以て基礎を為す所なり」とありますのも、是も同じ趣意を示して居るのでありまして、統治が決して天皇の御一身の為に存する力ではなく、従て法律上の観念と致しまして、天皇の御一身上の権利として見るべきものではないことを示して居るのであります、古事記には、天照大神が出雲の大国主命に問はせられました言葉と致しまして、「汝かうしはける葦原の中つ国は我か御子のしらさむ国」、云々とありまして、「うしはく」と云ふ言葉と、「しらす」と云う言葉と書き別けてあります、或国学者の説に依りますと、「うしはく」と云ふのは私領と云ふ意味で、即ち自分の一身一家の為め土地人民を自分のものとして私領することを意味し、「しらす」は統治の意味で、即ち天下の為に土地人民を統べ治めることを意味すると云ふことを唱へて居る人があります、此説が正しいかどうか私は能く承知しないのでありますが、若し仮りにそれが正当であると致しまするならば、天皇の御一身上の権利として統治権を保有し給ふものと解しまするのは、即ち天皇は国を「しらし」給ふのではなくして、国を「うしはく」ものとするに帰するのであります、それが我が国体に適する所以でないことは明白であらうと思ひます、統治権は、天皇の御一身の為に存する力ではなく、従て天皇の御一身に属する私の権利と見るべきものではないと致しまするならば、其権利の主体は法律上何であると見るべきでありませうか、前にも申しまする通り権利の主体は即ち目的の主体でありますから、統治の権利主体と申せば即ち統治の目的の主体と云ふことに外ならぬのであります、而して天皇が天の下しろしめしまするのは天下国家の為であり、其目的の帰属する所は永遠恒久の団体たる国家に外ならぬでありまするから、我々は統治の権利主体は国体としての国家であると観念いたしまして、天皇は国の元首として、言換れば国の最高機関として此国家の一切の権利を総攬し給ひ、国家の一切の活動は立法も行政も司法も総て、天皇に其最高の源を発するものと観念するのであります、是が所謂機関説と申しまするのは、国家それ自身を一つの生命あり、それ自身に目的を有する恒久的の国体、即ち法律学上の言葉を以て申せば一つの法人と観念いたしまして、天皇は此法人たる国家の元首たる地位に在まし、国家を代表して国家の一切の権利を総攬し給ひ、天皇が憲法に従って行はせられまする行為が、即ち国家の行為たる効力を生ずると云ふことを言ひ現はすものであります、国家を法人と見ると云ふことは、勿論憲法の明文には掲げてないのでありまするが、是は憲法が、法律学の教科書ではないと云ふことから生ずる当然の事柄であります、が併し憲法の条文の中には、国家を法人と見なければ説明することの出来ない規定は少なからず見えて居るのであります、憲法は其表題に於て既に大日本帝国憲法とありまして、即ち国家の憲法であることを明示して居りますのみならず、第五十五条及第五十六条には「国務」と云ふ言葉が用ゐられて居りまして、統治の総ての作用は国家の事務であると云ふことを示して居ります、第六十二条第三項には「国債」及「国庫」とありまするし、第六十四条及び第七十二条には、「国家の歳出歳入」と云ふ言葉が見えて居ります、又第六十六条には、国庫から皇室経費を支出すべき義務のあることを認めて居ります、総て是等の文字は国家自身が公債を起し、歳出歳入をなし、自己の財産を有し、皇室経費を支出する主体であることを明示して居るものであります、即ち国家それ自身が法人であると解しなければ、到底説明し得ない所であります、其他国税と云ひ、国有財産と云ひ、国際条約と云ふやうな言葉は、法律上普く公認せられて居りまするが、それは国家それ自身が租税を課し、財産を所有し、条約を結ぶものであることを示して居るものであることは申す迄もないのであります、即ち国家それ自身が一つの法人であり、権利主体であることは、我が憲法及法律の公認する所であると言はねばならないのであります、併し法人と申しますると一つの団体であり、無形人でありまするから、其権利を行ひまする為には、必ず法人を代表する者があり、其者の行為が法律上法人の行為たる効力を有する者がなければならぬのでありまして、斯の如き法人を代表して法人の権利を行ふ者を、法律学上の観念として法人の機関と申すのであります、卒然として天皇が国家の機関たる地位に在ますと云ふやうなことを申しますると、法律学の知識のない者は、或は不穏の言を吐くものと感ずる者があるかも知れませぬが、 其意味する所は天皇は御一身、御一家の権利として統治権を保有し給ふのではなく、それは国家の公事であり、天皇は御一身を以て国家を体現し給ひ、国家の総ての活動は、天皇に其最高の源を発し、天皇の行為が天皇の御一身上の私の行為としてではなく、国家の行為として効力を生ずることを言ひ現すものであります、例へば憲法は明治天皇の欽定に係かるものでありますが、明治天皇御一個、御一人の著作物ではなく、其名称に依っても示されて居りまする通り、大日本帝国の憲法であり、国家の憲法として永久に効力を有するものであります、条約は憲法第十三条に明言して居りまする通り、天皇の締結し給ふ所でありまするが、併しそれは国際条約、即ち国家と国家との条約として効力を有するのであります、若し所謂機関説を否定いたしまして、統治権は天皇の御一身に属する権利であるとしまするならば、其統治権に基いて賦課せられまする租税は国税ではなく、天皇の御一身に属する収入とならねばなりませぬし、天皇の締結し給ふ条約は国際条約ではなくして、天皇御一人としての契約とならねばならぬのであります、其外国債と云ひ、国有財産と云ひ、国家の歳出歳入と云ひ、若し統治権が国家に属する権利であることを否定しまするならば、如何にして之を説明することが出来るでありませうか、勿論統治権が国家に属する権利であると申しましても、それは決して天皇が統治の大権を有せられるることを否定する趣意ではないことは申す迄もありませぬ、国家の一切の統治権は天皇が之を総攬し給ふことは憲法の明言して居る所であります、私の主張しまする所は唯天皇の大権は天皇の御一身に属する私の権利ではなく、天皇が国家の元首として行はせらるる権能であり、国家の統治権を活動せしむる力、即ち統治の総ての権能が天皇に其最高の源を発するものであると云ふにあるのであります、それが我が国体に反するものでないことは勿論、最も良く我が国体に適する所以であらうと固く信じて疑はないのであります、第二点に我が憲法上、天皇の統治の大権は万能無制限なる権力であるや否や、この点に付きましても我が国体を論じまする者は、動もすれば絶対無制限なる万能の権力が天皇に属して居ることが我が国体の存する所であると言ふ者があるのでありまするが、私は之を以て我が国体の認識に於て大いなる誤りであると信じて居る者であります、君主が万能の権力を有すると云ふやうなのは、是は純然たる西洋の思想である、「ローマ」法や、十七八世紀の「フランス」などの思想でありまして、我が歴史上に於きましては、如何なる時代に於ても、天皇が無制限なる万能の権力を以て臣民に命令し給ふと云ふやうなことは曾て無かったことであります、天の下しろしめすと云ふことは、決して無限の権力を行はせられると云ふ意味ではありませぬ、憲法の上論の中には「朕か親愛する所の臣民は即ち朕か祖宗の恵撫慈養したまひし所の臣民なるを念ひ」云々と仰せられて居ります、即ち歴代天皇の臣民に対する関係を、「恵撫慈養」と云ふ言葉を以て御示しになって居るのであります、それは無制限なる権力を振回はすと云ふやうな思想とは全く正反対であります、況や憲法第四条には「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ」と明言されて居ります、又憲法の上諭の中にも、「朕及朕か子孫は将来此の憲法の条章に循ひ之を行ふことを愆らさるへし」と仰せられて居りまして、天皇の統治の大権が、憲法の規定に従って行はせられなければならないものであると云ふことは明々白々疑を容るべき余地もないのであります、天皇の帝国議会に対する関係に於きましても、亦憲法の条規に従って行はせらるべきことは申す迄もありませぬ、菊池男爵は恰も私の著書の中に、議会が全然天皇の命令に服従しないものであると述べて居るかの如くに論ぜられまして、若しさうとすれば解散の命があっても、それに拘らず会議を開くことが出来ることになると云ふやうな議論をせられて居るのでありまするが、それも同君が曾て私の書物を通読せられないか、又は読んでも之を理解せられない明白な証拠であります、議会が天皇の大命に依って召集せられ、又開会、閉会、停会及衆義院の解散を命ぜられることは、憲法第七条に明かに規定して居る所でありまして、又私の書物の中にも縷々説明して居る所であります、私の申して居りまするのは唯是等憲法又は法律に定って居りまする事柄を除いて、それ以外に於て即ち憲法の条規に基かないで、天皇が議会に命令し給ふことはないと言って居るのであります、議会が原則として天皇の命令に服するものでないと言って居りまするのは其意味でありまして「原則として」と申すのは、特定の定めあるものを除いてと云ふ意味であることは言ふ迄もないのであります、詳しく申せば議会が立法又は予算に協賛し、緊急命令其他を承諾し又は上奏及建議を為し、質問に依って政府の弁明を求むるのは、何れも議会の自己の独立の意見に依って為すものであって、勅命を奉じて、勅命に従って之を為すものではないと言ふのであります、一例を立法の協賛に取りまするならば、法律案は或は政府から提出せられ、或は議院から提出するものもありまするが、議院提出案に付きましては固より君命を奉じて協賛するものでないことは言ふ迄もないことであります、政府提出案に付きましても、■■■■議会は自己の独立の意見に依って之を可決すると否決するとの自由を持って居ることは、誰も疑はない所であらうと思ひます、若し議会が陛下の命令を受けて、其命令の儘可決しなければならぬもので、之を修正し又は否決する自由がない、修正し又は否決する自由がないと致しますれば、それは協賛とは言はれ得ないものであり、議会制度設置の目的は全く失はれてしまふ外はないのであります、それであるからこそ憲法第六十六条には、皇室経費に付きまして特に議会の協賛を要せずと明言せられて居るのであります、それとも菊池男爵は議会に於て政府提出の法律案を否決し、其協賛を拒んだ場合には、議会は違勅の責を負はなければならぬものと考へておいでなのでありませうか、上奏、建議、質問等に至りましては、君命に従って之を為すものでないことは固より言ふ迄もありませぬ、菊池男爵は其御演説の中に、陛下の御信任に依って大政輔弼の重責に当って居られまする国務大臣に対して、現内閣は儀表たるに足らない内閣であると判決を下すより外はないと言はれまするし、又陛下の至高顧問府たる枢府院議長に対しても、極端な悪言を放たれて居ります、それは畏くも陛下の御任命が其人を得て居らないと云ふことに外ならないのであります、若し議会の独立性を否定いたしまして、議会は一に勅命に従って其権能を行ふものとしまするならば、陛下の御信任遊ばされて居りまする是等の重臣に対し、如何にして斯の如き非難の言を吐くことが許され得るでありませうか、それは議会の独立性を前提としてのみ説明し得らるる所であります、或は又私が、議会は国民代表の機関であって、天皇の機関ではなく、天皇から権限を与へられたものではないと言って居るのに対して、甚しい非難を加へて居る者もあります、併し議会が天皇の御任命に係る官府ではなく、国民代表の機関として設けられて居ることは一般に疑はれない所であり、それが議会が、旧制度の元老院や今日の枢密院と、法律上の地位を異にする所以であります、元老院や枢密院は、天皇の官吏か 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(Source: 官報号外昭和十年二月二十六日第六十七回帝国議会貴族院議事速記録第十一号)

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内容見直し点:口語訳中途 修好条規(口語訳、前文署名省略) 第一条 この条約締結のあとは、大日本国と大清国は弥和誼を敦うし、天地と共に窮まり無るべし。又両国に属したる邦土も、各礼を以て相待ち、すこしも侵越する事なく永久安全を得せしむべし。 第二条 両国好を通ぜし上は、必ず相関切す。若し他国より不公及び軽藐する事有る時、其知らせを為さば、何れも互に相助け、或は中に入り、程克く取扱い、友誼を敦くすべし。 第三条 両国の政事禁令各異なれば、其政事は己国自主の権に任すべし。彼此に於て何れも代謀干預して禁じたる事を、取り行わんと請い願う事を得ず。其禁令は互に相助け、各其商民に諭し、土人を誘惑し、聊違犯あるを許さず。 第四条 両国秉権大臣を差出し、其眷属随員を召具して京師に在留し、或は長く居留し、或は時々往来し、内地各処を通行する事を得べし。其入費は何れも自分より払うべし。其地面家宅を賃借して大臣等の公館と為し、並びに行李の往来及び飛脚を仕立書状を送る等の事は、何れも不都合がないように世話しなければならない。 第五条 両国の官位何れも定品有りといえども、職を授る事各同じからず。因彼此の職掌相当する者は、応接及び交通とも均く対待の礼を用ゆ。職卑き者と上官と相見るには客礼を行い、公務を辨ずるに付ては、職掌相当の官へ照会す。其上官へ転申し直達する事を得ず。又双方礼式の出会には、各官位の名帖を用う。凡両国より差出したる官員初て任所に到着せば、印証ある書付を出し見せ、仮冒なき様の防ぎをなすべし。 第六条 今後両国を往復する公文について、清国は漢文を用い、日本国は日本文を用いて漢訳文を副えることとする。あるいはただ漢文のみを用い、その記載に従うものとする。 (これ以下まだ) 第七条 両国好みを通ぜし上は、海岸の各港に於て彼此し共に場所を指定め、商民の往来貿易を許すべし。猶別に通商章程を立て、両国の商民に永遠遵守せしむべし。 第八条 両国の開港場には、彼此何れも理事官を差置き、自国商民の取締をなすべし。凡家財、産業、公事、訴訟に干係せし事件は、都て其裁判に帰し、何れも自国の律例を按して糾辨すべし。両国商民相互の訴訟には、何れも願書体を用う。理事官は先ず理解を加え、成丈け訴訟に及ばざる様にすべし。其儀能わざる時は、地方官に掛合い双方出会し公平に裁断すべし。尤盗賊欠落等の事件は、両国の地方官より...

帝国陸海軍作戦計画大綱 1945年01月25日

 帝国陸海軍作戦計画大綱(ひらがな化、一部新字体化、一部省略)  帝国陸海軍作戦計画大綱(昭和二十年一月二十日)    目 次(略)    第一 作戦方針  帝国陸海軍は機微なる世界情勢の変転に莅み重点を主敵米軍の進攻破摧に指向し随処縦深に亙り敵戦力を撃破して戦争遂行上の要域を確保し以て敵戦意を挫折し以て戦争目的の達成を図る    第二 作戦の指導大綱 一 陸海軍は戦局愈々至難なるを予期しつつ既成の戦略態勢を活用し敵の進攻を破摧し速に自主的態勢の確立に努む   右自主的態勢は今後の作戦推移を洞察し速に先つ皇土及之か防衛に緊切なる大陸要域に於て不抜の邀撃態勢を確立し敵の来攻に方りては随時之を撃破すると共に其の間状況之を許す限り反撃戦力特に精錬なる航空戦力を整備し以て積極不羈の作戦遂行に努むるを以て其の主眼とす 二 陸海軍は比島方面に来攻中の米軍主力に対し靭強なる作戦を遂行し之を撃破して極力敵戦力に痛撃を加ふると共に敵戦力の牽制抑留に努め此の間情勢の推移を洞察し之に即応して速に爾他方面に於ける作戦準備を促進す 三 陸海軍は主敵米軍の皇土要域方面に向ふ進攻特に其の優勢なる空海戦力に対し作戦準備を完整し之を撃破す   之か為比島方面より皇土南陲に来攻する敵に対し東支那海周辺に於ける作戦を主眼とし二、三月頃を目途とし同周辺要地に於ける作戦準備を速急強化す   敵の小笠原諸島来攻(硫黄島を含む)に対し極力之か防備強化に努む   又敵一部の千島方面進攻を予期し又状況に依り有力なる敵の直接本土に暴進することあるを考慮し之に対処し得るの準備に遺憾なからしむ 四 陸海軍は進攻する米軍主力に対し陸海特に航空戦力を総合発揮し敵戦力を撃破し其の進攻企図を破摧す 此の間他方面に在りては優勢なる敵空海戦力の来攻を予想しつつ主として陸上部隊を以て作戦を遂行するものとす   敵戦力の撃破は渡洋進攻の弱点を捕へ洋上に於て痛撃を加ふるを主眼とし爾後上陸せる敵に対しては補給遮断と相俟つて陸上作戦に於て其の目的を達成す 此の際火力の集団機動を重視す   尚敵機動部隊に対しては努めて不断に好機を捕捉し之を求めて漸減す 五 支那大陸方面に在りては左に準拠し主敵米軍に対する作戦を指導す (一) 支那大陸に於ける戦略態勢を速に強化し東西両正面より進攻する敵特に米軍を撃破して其の企図を破摧し皇土を中核とする大...