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広田=マリク会談要旨 1945年06月03日

 広田=マリク会談要旨


昭和20年6月28日 東郷外務大臣より在ソ連邦佐藤大使宛(電報)

   広田・マリク会談についての報告

            本 省 6月28日前8時00分発

第八四三號(館長符號、親展)

往電第七三〇號ニ關シ

一、六月三日廣田元總理ハ強羅「ホテル」ニ「マリク」大使ヲ往訪先ツ廣田氏ヨリ今次大戦中日「ソ」兩國カ干戈ヲ交フルニ至ラサリシハ誠ニ幸ナルカ「ソ」聯カ絶大ナル損害ニモ拘ラス遂ニ勝利ヲ以テ戰ヲ終ヘタルハ「ソ」聯ノ爲慶賀耐へス而シテ日本トシテハ變轉スル事態ニ於テ亞細亞ノ安全ヲ希望シ 「ソ」 聯トノ間ニ其ノ基礎ヲ見出ス次第ナリト切リ出シ「マ」 ハ今次大戰中平和ノ事態ニ於テ任務ヲ遂行シ得タルヲ喜ブ只日本ニハ幾多外國筋ノ影響ヲ受ケタル強力ナル政治勢力存在セルカ其ノ現状如何ト問ヘルヲ以テ元總理ハ伊藤公以來ノ對露提携論ヨリ説キ起シ現在ニ於テハ官民ヲ通シ一樣ニ「ソ」聯トノ親善關係ヲ希望シ居レリト断シ「マ」ノ質問ニ應シ昨年特派使節問題ニモ言及セリ

二、翌四日「マ」ノ夕食招待ニ當リ元総理ハ「ソ」聯ハ戰後ノ復興ニ努力セラレ歐州ニ於テハ失地ヲ恢復セル上諸隣國トノ關係改善ニ意ヲ用ヒ居ルト見ルヘキ處東方ニ付テノ意圖モ又同様ナリト考ヘラル就テハ日「ソ」間ニハ中立條約遵守セラレ居リ何等懸念ナキモ日本トシテハ右期限内ニテモ友好關係増進ヲ希望シ其ノ形式ニ付テモ考慮中ナリト考ヘラルル所之ニ對スル「ソ」聯府ノ意嚮大体ナリト伺ヒ度シト述ヘタルニ「マ」ハ「ソ」聯ハ終始一貫平和政策ヲ遂行シ來レルニモ拘ラス獨ノ如キ國家アリタル爲今次ノ出來事生シタルカ東方殊ニ日本ニ對シテモ同様ノ政策ニテ努力シ來レルモ反對勢力強カリシ爲所期ノ成果擧ラス從テ一種ノ割切レサル感情、後味ヲ殘シ自然不信任及安全欠如ノ感ヲ與へタル所之カ排除ノ具体案アリヤト反問セリ之ニ對シ元總理ハ日本朝野ニハ「ソ」聯ノ態度漸ク正解セラレ來レルヲ以テ之ヲ機會ニ念願タル兩國關係ノ根本的改善ニ乗リ出シタル次第ナルカ御話ノ如ク過去ニ於テ好マシカラサル感情アリタリトセハ之カ排除ニ付「ソ」側ノ意嚮ヲモ伺ヒ其ノ方向ニ運ヒ得へク又「ソ」側カ桑港會議ニ於テ印度等ノ爲獨立ヲ主張シ居ル點其他モ結局日本カ東方ニ於テ行ヒツツアル所ト軌ヲ一ニス就テハ之等ノ點ヲモ加味シ相當長期例ヘハ二、三十年ニ亘リ兩國平和關係ノ持續スルカ如キ方法ヲ樹テ度キ次第ニテ日本トシテハ條約等ノ形式ハ問フ所ニ非スト云ヘルニ對シ「マ」ハ右カ私見ナリヤ政府ノ意嚮ナリヤト質シ元總理ヨリ日本政府及國民ノ意見ナリト了解アリ度キ旨ノ言明ヲ得タル後昨日ノ予備會談ニ續キ本日ノ會談二於テ大体具体的ニ御意嚮ヲ知リタルヲ以テ全体的ニモ部分的ニモ篤ト研究ノ上自分ノ意見ヲ述フヘキニ依リ若干ノ時日ヲ籍サレ度シト答ヘタルヲ以テ尚モ元總理ハ要ハ根本ノ考へサ決定セハ他ノ末節ノ問題ハ自然解決ヲ見出シ得へク現在コソハ根本問題ノ解決上絶好ノ機會ナリト考フル旨再三再四強調セリ

三、其ノ後先方ノ都合ニ依リ會談延ビ延ビトナリ居タルカ廿四日午後ノ會談ニ當リ元總理ヨリ前回申入レニ對スル「ソ」側ノ意嚮ヲ執拗ニ質シタルモ「マ」ハ發案者タル元総理ヨリ提案ト共ニ具体的意嚮ヲ伺ヒタル上ニテ本件會談ヲ本國政府ニ報告スルコト適當ナリトノ趣旨ヲ繰返ヘスノミニテ埒明カサルヲ以テ元總理ハ兩國從來ノ關係ニ鑑ミ國交改善ノ障害トナル虞アル諸問題ノ解決、滿州國トノ經濟的及政治的關係、支那ニ對スル兩國ノ態度ノ一致、南方物資ノ供給ニ付テモ日本政府ニ於テ「ソ」側ノ希望ヲ考慮スル用意アリ要スルニ東洋ノ眞ノ平和ヲ樹テル為メ将来亞細亞ニ於ケル兩國ノ立場カ互ニ相嚮應スルカ如キ關係ヲ設定セントスルモノニテ「ソ」側ニ其ノ意嚮サヘアレハ容易ニ話合ツクヘシト考フ世間ニハ將來ニ於ケル「ソ」聯ノ對日態度ニ付未タ確信ヲ持タサル方面モアル折柄「ソ」側カ兩國間ニ中立條約以上ニ良好ナル取極メヲ爲シ又ハ一般的良好關係以上ニ日本ノ將來二對シ好意ヲ以テ見ル考ヘアリヤ之等ノ點ヲ此際明瞭ニシ置キ度進ンテ斯カル話ヲ提議シ居ル次第ナリト重ネテ其ノ見解ヲ叩キタル「マ」ハ中立條約ハ期限滿了迄從來通リノ役割ヲ演スヘキ處廣田氏ハ右滿了前ニ将来ニ付テノ意見交換ヲ希望セラレ居ルモノト了解スルモ具体化ヲ要ストテ固執シ元總理ヨリ具体化トハ個々ノ問題ノ解決ナリヤ將又取極、條約等ノ形式ノ點ナリヤト問ヘルニ對シ双方ナリト答へ之ニ對シ元總理ハ如何ナル問題カアルカハ政府ニ付キ調へ得ヘク形式ニハ相互ニシキタリモアルベシト述ヘタリ尚同夜元總理招待ノ食事ノ際元總理ヨリ日本カ今後海軍力ヲ増強シ「ソ」聯ノ陸軍力と併セハ世界無比ノ強サトナルヘク就テハ日本トシテハ「ソ」聯ヨリ石油ノ供給ヲ受ケ度ク之ニ對シ日本ハ「ゴム」、錫、鉛、「タングステン」等南方物資ヲ供給(積取リハ「ソ」側ニテスルコトトス) シ得へシト述ヘタルニ「マ」ハ右ハ海軍側ノ意見ヲ反映セルモノニテ日本陸軍ハ反對ナルヘシトカ(元總理ハ陸海共一致ノ意見ニテ國防省ニ統一ノ議論スラ存スル程ナリト説明ス) 石油ハ「ソ」聯ニモ余裕ナシトカ言へモ結局研究スヘキ旨答ヘタリ

 尚頻リニ「ソ」聯カ平和ニ切替へヲ了セル旨口ニセルヲ以テ元總理ヨリ日本モ「ソ」聯ニアヤカリテ平和ノ早ク來ランコトヲ望ムト述へタルニ「ソ」聯ハ東洋ニ於テ交戰國ノ地位ニ非サルヲ以テ其ノ平和ハ「ソ」聯ニ懸リ居ルモノニ非ス廣田閣下ノ方ヨク知ラレ居ルナラント述へタル趣ナリ

(日本外交文書 太平洋戦争 第三冊:P1824-1826)

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