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大東亜戦争の現段階に即応する与論指導方針 1945年01月30日

 

大東亜戦争の現段階に即応する与論指導方針(ひらがな化)



大東亜戦争ノ現段階ニ即応スル与論指導方針

敵のルソン島上陸に依り大東亜戦争は愈々重大なる段階に達したるを以て国内与論指導並に対外宣伝は既定の方針に従ふの外此の際左記に依り之を行ふものとす

一、国内に対しては
1
 我戦争目的を闡明し其の正義の戦なることを強調すると共に敵の野望日本民族の征服、世界制覇に在るものなることを剔抉し本戦争の帰結は勝利か然らすんは滅亡なることを覚悟せしむると共に正義の戦なる以上一億の敢闘に依り勝利は必我に在ることを確信せしむること
2
 凡そ戦争は交戦国民の戦争意志の戦にして我の苦しきときは敵も苦しきものなれ之を克服して飽迄頑張り抜き敵を撃滅し以て敵の戦意を破摧したるもの勝利を得るものなることを強調し戦局の一進一退に喜憂せ最後の勝利を期しつつ激化する空襲下に於て凡有る生活上の困難を克服し明朗敢闘すベきことを徹底すること
3
 此の際政府の実施せんとする強力なる施策に呼応し国民は一億特攻体当りの精神を以て各自職域に於て敢闘し凡有る部面に於て創意工夫を凝し総てを捧け尽して戦力の増強を図ることこそ勝利ヘの途なることを強調すること
4
 与論指導の方法として左記を実施すること
イ、報道に当り徒に局部的の戦果及楽観資料等を強調するの余り国民に戦局の実相及国内情報に付誤れる認識を与ヘるや発表方法及報道機関の報道方法等に付適切なる方途を講ること
、今次戦争自存自衛の為已むに已まれして開始せられたるものなることを国民に一層徹底する為大東亜戦争勃発前の外交の真相を明にすること之為未発表の外交文書にして適当なるものを公示する等の方途を講ること
、敵愾心の昂揚を図る為敵の日本処分案、無条件降伏の主張及今次戦争に於ける暴虐なる行為等を周知せしむること
、我の苦しきときは敵も亦苦しきものなるを知らしめ以て必勝の信念を愈々固めしむる為敵国内情の困難及敵の人的損害を周知せしむること
ホ、国民に時局の真相を誤解せしめ、安易感を与ヘ或は我方戦意を阻喪する如き結果とならる為敵国又は中立国側の報道を国内に於て報道するに当りて充分留意すること

二、大東亜諸地域に対しては
1
 大東亜の解放復興は大東亜戦争の完遂に依りてのみ達せらるるものなることを徹底し一時的に如何に艱難にあり且つ敵の如何なる宣伝あるとも中道にして挫折せんか再ひ米英の侵略下に永久に呻吟すべきことを周知せしめて最後迄日本と共に敢闘すべきことを強調すること
2
 敵の戦争目的大東亜の再侵略に在ることを周知せしむること
3
 敵の大東亜諸地域に対する「解放」なる呼掛は既に帝国に依り独立を認められたる諸国に対し更に之を「解放」せんと称するものにして其の再侵略・野望を美麗なる文字を以て瞞着せんとするに外ならることを摘発すると共に敵の所謂「解放地域」に対する実例を示し「解放」の具体的内容如何に欺瞞に満ちたるものなるかを教ふること

三、敵国及中立国に対しては
1
 敵の戦争目的の不正曖昧を剔抉し敵国か無名の師の為損害を累加し国内情勢漸次困難となりつつある実情を指摘すること
2
 敵の無謀なる反抗特攻隊精神に依る邀撃を受け人的損害の愈々増大しつつあることを摘示すること

国立国会図書館:https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/db/cabinet/s20/bib00599

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