スキップしてメイン コンテンツに移動

ノモンハン事件経過の概要 1939年11月06日

 ノモンハン事件経過の概要(不明文字あり、ひらがな化、一部新字体化、図省略)


第二篇「ノモンハン」事件経過の概要


本事件に関する戦史は今後の調査研究を俟ちて編纂配布せらるべきも本編は委員会の任務に基き昭和十四年十一月六日大本営陸軍部の調製に係る「ノモンハン」事件経過の概要を其の後の調査研究に依り加除修正したるものなり 

然れども的確なる資料の收集未だ十分ならず為に過誤遺漏あるべきを予想しあり


  第一章 事件発生の経緯

   第一節 満蒙国境紛争の歴史

事件地方面国境は爾他方面満蒙国境と同様外蒙古の独立(一九一一年)及蒙古人民共和国の成立(一九一四年)並に満洲国の建国に至る迄は一行政区画の境界として「ハルハ」、「バルガ」、蒙古種族遊牧の地界たりしに過ぎさりしが清の雍正十二年(一七三四年)巴爾虎(呼倫貝爾)、喀爾喀(外蒙)間に牧地境界を設定せられて以来有利なる水草地帯の領有並に境界を超越せる宗教上の慣行等を繞り両族間の紛争絶えず大官の特派、文書及地図に依る裁定標識(卡倫及鄂博)の設置等数回に及べるも𠞷定法不完全なるのみならず文書及地図簡粗杜撰、既設標識亦滅失毀損して境界明確ならざる所多く未解決の儘なりしが外蒙古の独立、満洲国の建国に至りて新なる国際問題となれり

即ち満洲国建国以来日満の勢力僻遠に浸透し外蒙勢力と接触するに及び漸く国境紛争発生するに至り昭和十年一月喀爾喀廟に於ける武力衝突事件を契機として満蒙会議成立し両国代表満洲里に会して喀爾喀廟附近の帰属に関して商議せしが両国各ゝ其の主義を固執して相譲らず爾後昭和十一年同十二年に亘り会議続開せられたるも外蒙側の誠意見るべきものなく支那事変の進展に伴ひ休会の儘今日に至れり其の間紛争は逐年険悪化し「ブルンデス」、「タウラン」等の武力衝突事件発生せり

「ノモンハン」方面に就ては満洲国は各種の文献を基礎とし「ハルハ」河を以て国境なりとする主張を堅持し来りしが昭和十年満洲里会議進行中六月「ホルステン」河附近に於て作業中なりし関東軍測量手被拉致事件突発し該方面の国境線議題に上りしに外蒙側は「ノモンハン」附近を以て国境なりとし(今次事件押収地図に因り「ノモンハンブルトネオボー」西南三粁附近より概ね東南及西北に通ずる線を以て国境と看做しあること判明す)何等の決定を見るに至らず其の後十三年秋に至る迄同方面に於ては時に外蒙側巡邏の越境ありしと雖も概して平穏に経過し今次事件突発迄「ハルハ」河は同方面に於ける事実上の境界をなせり

然るに最近露骨を加へつつある「ソ」側勢力の外蒙侵入殊に東蒙方面に於ける外蒙軍の兵備強化及「ソ」軍駐屯に依る直接支援勢力の増加等に因り逐次自負心を加へたる外蒙側は支那事変に因る帝国国力の消耗に対する誤認に因り望蜀の非望を高めたるが如く「ソ」側の対日牽制意図に呼応して其の行動俄かに積極化し昭和十三年十月以降頻度「ハルハ」河を超えて北岸に侵入出没し我が隠忍の態度を見るや逐次兵力を増加し其の状実力を以て「ホルステン」河畔地区奪取を企図しあるものと判断せらるるに至れり五月初頭に於ける外蒙及後貝加爾方面「ソ」蒙軍の配置附図第一(其の一、其の二)の如し

   第二節 「ノモンハン」附近兵要地誌の概要

一般に起伏極めて緩慢なる広漠たる草原にして地表は概して砂質より成り樹木極めて乏しく「ホルステン」河南方地区に稀に独立樹ヲ存スルノミ一面短草ヲ以テ蔽ハル、地盤ハ堅固ニシテ諸車輛ノ通過ハ自在ナルモ「ホルステン」河両岸、「ハルハ」河右岸地区には「バルシャガル」、「ノロ」等ノ砂丘群アリて車輛ノ運行に若干ノ障碍ヲ呈す又河川、湖沼の周辺等には所々軽湿地を伴ひ呼倫貝爾遊牧民ノ為最良ノ水草地帯ヲ成ス

本地方ハ北緯約四十八度ニシテ日出は五月は四時乃至四時半、六月は四時稍ゝ前、七月は四時乃至四時半、八月は四時半乃至五時半ナルモ黎明(薄明)時期二時間以上に及ビ六月初旬より七月初旬迄は所謂白夜ナリ

日没は五月十九時半ヨリ二十時、六月は二十時乃至二十時半、七月は二十時前後、八月は十九時半前後ニシテ夜ニ入ル迄長キ薄暮時期ヲ有スルコト黎明期ニ同ジ

気温は十月ヨリ翌年四月迄は平均気温氷点下ニシテ十月は中旬既に氷点下十数度ニ降ルコト稀ナラズ一月には氷点下四十度ヲ超ユルコト屡ゝにして時トシテ氷点下五十度ニ降り七月には四十度ニ達スルコトアリ気温は以上ノ如く年較差大ナルノミナラズ一日中ニ於テモ亦較差大ニシテ夏季と雖も夜間ノ気温の低下は大ナリ

風向ハ六、七、八月は東乃至南ノ風多く風速は五、六月頃最も強く屡ゝ強烈なる風塵発生す

本地方は寡雨地区ニしテ蒸発之ニ優リ「アルカリ」土壌地帯及乾燥地形(砂丘地帯)ノ成因ヲナセリ

従つて地下水、地表水共に乏しく小湖沼の多くは■湖にして飲用に適せず河川及一部泉を利用する外は新に■井するの要あり

   第三節「ノモンハン」事件の発端

本事件は本年五月十一日重軽機を有する外蒙軍約七、八〇が「ノモンハン」西南約一五粁附近に於て「ハルハ」河を渡河越境し「ノモンハン」附近の満軍監視哨を不法攻撃せるに対し同地附近の警備に任じありし満軍の一部が之に反撃を加へ多大の損害を与へて「ハルハ」河以南に撃退せしに端を発せるものにして此の戦闘に於て満軍に損害なく敵の遺棄死体五、其の他馬、兵器、弾薬等を鹵獲せり然るに翌十二日外蒙兵約七〇〇再び渡河越境し来り十三日朝来満軍の一部は之と交戦せしが敵は更に増援を有するものの如し茲に於て同方面の防衛司令官たる小松原兵団長は此の外蒙軍を膺懲する為東支隊〔捜索隊主力(乗馬中隊欠)に歩兵大隊長の指揮する自動車搭載の歩兵二中隊を属す〕及在海拉爾の満軍全力を以て十三日行動を開始せしむ又関東軍司令官は同日夕小松原兵団に一部兵力を増加するに決し自動車二中隊及航空部隊の一部(偵察一中隊、戦闘二中隊、軽爆一中隊及之に伴ふ地上勤務部隊)に応急派兵を令し小松原兵団長の指揮下に入らしむ


  第二章 第一次「ノモンハン」事件(自五月十一日至六月十二日)

   第一節 自五月十一日至五月十六日(東支隊ノ出動ヨリ帰還迄)の狀況

五月十一日満軍に撃退せられし外蒙軍が十二日少くも七〇〇を以て再び「ハルハ」河を渡河越境し来り満軍の一部之と交戰中なるに鑑み小松原兵団長は之が膺懲の為東支隊及在海拉爾満軍の全力を出動せしめ関東軍司令官亦一部の自動車部隊及飛行部隊を以て同兵団を増強せしは既述せる所の如し

然るに越境外蒙兵は十四日夜来逐次兵力を減少し残存せる敵も亦退却の徴ありしを以て東支隊は十五日十三時頃攻撃前進せるに敵は急速に「ハルハ」河南岸に後退し我が飛行隊は退却せる敵「スンブルオボー」附近に集結しあるを認め之を爆撃し相当の損害を与ヘたり

東支隊は敵を河岸に追撃し国境線(「ハルハ」河)を確保せしを以て兵団長は目的を達成せるものと認め十五日海拉爾に帰還する如く処置し支隊は十六日海拉爾に帰還せり

   第二節 自五月十七日至六月十二日(一部の航空部隊及山縣支隊ノ出動より其の帰還迄)の状況(附図第二)

然るに外蒙軍は十七日以降再ビ國境に近く進出し遂次兵力を増加し其の一部は「ノモンハン」南方地区より越境侵入するに至り二十日約六〇の敵は「ノロ」高地附近に進出せしを以て警備に任じありし満軍は之を攻撃し我が飛行隊の攻撃と相俟ちて之を「ハルハ」河南岸に撃退せり次で同日十五時頃約四〇〇の敵(砲二門、戦車数輌を有す)は再び「ノロ」高地に侵入し満軍は之と相対峙するに至る

二十一日飛行隊の偵察に依れば「コロベンネーラ」(「ノモンハン」東南約三五粁)西南「ハルハ」河南側台地には蒙古包約一七〇、自動貨車約一五〇、馬約三〇〇を、又「スンブル」高地(「ノモンハン」西南二四粁)附近には敵騎兵約二〇〇を認む

敵機は十七日以来連日越境飛来し我が状況を偵察しあるも何れも我に撃退せられ此の間「ノモンハン」附近に於て十九日、二十一日各偵察機一機、二十二日戦闘機三機我が飛行隊の為撃墜せらる二十三日司令部偵察機の隠密偵察に依れば「タムスク」飛行場に敵機六三、高射砲四門を認む

茲に於て小松原兵団長は敵の満領内深く侵入するを待ち之を急襲殲滅せんことを企図し新に山縣支隊(山縣大佐の指揮する歩兵一大隊強、捜索隊及使用し得る自動車の全部)を甘珠爾廟附近に推進待機せしめ且局部的小衝突の回避に努めしむ

山縣支隊は二十三日一時甘珠爾廟附近に主力の集結を完了し僅少なる偵察班を「ノモンハン」附近に派遣し企図を秘匿しつつ諸準備を整ふ

関東軍司令官は以上の状況に鑑み「ソ」蒙軍の野望を封殺する為二十三日更に戦闘二中隊及航空情報隊の一部等を小松原兵団長の指揮下に入らしむ

敵は二十六日「ハルハ」河、「ホルステン」河合流点北方に橋梁を架設し逐次「ハルハ」河右岸に地歩を占め該橋梁東北八粁附近に陣地を占領す其の目撃し得たる兵力は「ソ」軍機械化部隊約一大隊及外蒙騎兵約三〇〇(砲一〇門)なり

山縣支隊は満軍と協力して此の敵に徹底的打撃を与ふるに決し二十七日夜機動を開始し満軍は敵の東方及南方より、支隊は甘珠爾廟より前進し二十八日朝全く敵を奇襲して突貫楔入し捜索隊を以て六時頃橋梁東方約二粁附近に突進歩兵を以て其の北方及東北地区に進出し敵の退路を遮断せり爾後支隊主力(歩兵)は同地附近に於て退路を断たれて狼狽後退する敵と交戦し捜索隊は「ハルハ」河左岸台上の砲兵の支援下に窮鼠的反撃を試むる優勢なる敵と二十八、九の両日激烈なる戦闘を継続し敵に甚大なる損害を与へたるも我も亦東部隊長以下損害少からず

兵団長は二十八日夜支隊を離脱せしむる企図を有せしが前述の如き実情なるを以て更に三十日払暁山砲二中隊、速射砲一中隊等の兵力を加へ敵に対し打撃を与へたる後同夜敵と離脱して甘珠爾廟附近に兵力を集結し爾後の敵情を監視するに決せり

然るに二十九日夕東部隊最後の壮烈なる逆襲後敵亦南岸に後退して積極的行動に出でず戦場沈静に帰し東部隊長以下の死体も同夜概ね収容するを得たり

関東軍は三十日夜重爆三中隊を小松原兵団長の指揮下に入らしむ

前述の如く地上平静となると共に空中に於ても亦二十八日の戦闘後敵機は若干の偵察機の外活動を停止す

山縣支隊は三十一日夜戦場を離脱して六月二―三日頃海拉爾に帰還し空中状況亦漸次緩和を見るに至りしを以て關東軍司令官は六月三日軽爆一中隊、重爆三中隊を夫々原駐地に歸還せしめ次で六月十二日爾餘の航空部隊に対し原駐地に歸還し夫々原所属に復帰せしむ

本事件ノ戦果左の如し

 1、敵に与へたる損害

  遺棄死体 四四〇を下らず(山縣部隊 一七〇内「ソ」一三〇、東部隊 二七〇を下らず(収容せる「ソ」兵のみにても四〇))

  破壊せる戦車及装甲自動車 二一

  鹵獲品 重機 四、軽機 八

  其の他小銃、通信器材等

  飛行機撃墜数(六月六日迄)確実なるもの 五六 確実ならざるもの五 計 六十一

  我が爆撃により破壊せる山砲 九

 2、我が損害

  戦死 一二五

  戦傷 一二八

  重装甲車 二

  自動貨車 一〇

  車載機関銃 九

  車載十三粍機関銃 三

  軽機 五

  重機 二

  重擲 六

  速射砲 一

  九七式戦闘機 二

参考の為其の後知得せる情報に依る当時の敵参戦兵力を述ぶれば次の如し(附図第一其の一)

一、地上兵力

  1、「ソ」軍

 イ、在「ウランバートル」狙撃第一〇八連隊

 ロ、在「ウンドルハン」機甲第一一旅団の狙撃機関銃第四大隊並に砲兵一小隊 「ブイコフ」部隊

 ハ、在「ウンドルハン」装甲自動車第九旅団の装甲自動車一中隊 「ブイコフ」部隊

 ニ、在「バイントメン」装甲戦車第八旅団の捜索大隊及戦車装甲自動車混成大隊

 ホ、在「ウランバートル」自動車化砲兵第三六連隊第二大隊

 2、外蒙軍

  在「タムスク」外蒙騎兵第六師団

 3、以上合計

  狙撃四大隊、機甲約一旅団相当兵力、砲兵一大隊、外蒙騎兵一師団等にして其の人員及兵器数次の如し

   人員 約四、七〇〇

   戦車 約四〇

   装甲自動車 約一〇〇

   野砲(十二榴を含む) 約三〇

二、航空兵力

 合計 約一六〇機

   第三節 出動部隊帰還後の状況

然るに我が山縣支隊現地を撤退するや敵は再び「ハルハ」河右岸に越境し来り「バルシャガル」高地附近に車輌約六〇(装甲車を含む)、高射砲八門を認む

又同河左岸には新に四〇〇の自動車増加し尚諸情報を総合するに「ノモンハン」方面の敵情並に敵後方状況は次の如し

 一、敵地上部隊の状況

当時の判断に依れば五月二十八日頃以降「ノモンハン」正面に活動しある敵の地上部隊は外蒙騎兵第六師団(騎兵二連隊、野砲一〇門内外より成る約一、〇〇〇)、赤軍「ブイコフ」部隊(少くも自動車搭載歩兵一大隊、戦車十数輛にして人員約五〇〇)及在「ウランバートル」自動車化狙撃第三六師団某連隊の少くとも一大隊(約五〇〇)合計約二、〇〇〇内外にして之に榴弾砲の若干を増強せられあるが如し

又当時事件地当方面に増派中の「ソ」蒙側兵力に関しては詳報なきも在「ブイルカ」附近装甲第六旅団南下中にして其の事件地到著は六月上旬と推察セラルる外在「ウランウデ」附近重砲連隊を増派中なりとの情報あり又本事件に伴ひ外蒙内各地区の警備を強化しつつあるが如く在「ウランウデ」、「ブリヤート」蒙古騎兵師団を「ウランバートル」に推進すると共に同地に在りし外蒙騎兵第一師団を南部外蒙に、騎兵第二師団を「ウンドルハン」に進出せしめ又在「ウリアスタイ」、「ドルドン」騎兵旅団を南部外蒙に移動せりとの情報あり

 二、敵飛行部隊の状況

五月二十八日頃に於ては「タムスク」及「サンペーズ」附近に在りし敵飛行部隊は「ソ」軍「シャフト」飛行旅団を基幹とし之に外蒙飛行第二旅団(「エル」五型偵察機二〇機内外のものと判断せらる)と「ザバイカル」軍管区より増派せし駆逐少くも一大隊(三〇機)を加へ其の機種機数不詳なるも合計重、中爆各約一大隊、軽爆、駆逐各約二大隊、合計約一〇〇機内外なるが如く今日迄の損害に鑑み最近更に在「チタ」飛行第一〇九旅団より駆逐少くも二大隊を増派せること概ね確実にして「タムスク」に小型約九〇機集結しあるが如し

 三、爾他の正面に於ては第一線警備を増強せる外何等積極的企図を認むるものなし

以上の状況より「ソ」蒙側が今後「ノモンハン」方面に於て更に侵入を繰返すこと無しとせざるも何れも局地的範囲を出でずして之を契機として真面目なる対日満戦争を招来せしむるの意なしとの判断の下に関東軍司令官は依然不拡大方針を堅持し今後の戦闘指導に於て現地部隊をして「ハルハ」河の線に固著せしむることなく行動の自由を保持せしめ越境し来れる敵を深く誘致して自主的に出動好機を捉へ之を膺懲すべく企図し厳重に敵の動静を監視しつつ静観的態度を持することとせり


  第三章 第二次「ノモンハン」事件(自六月十六日至九月十五日)

   第一節 第二次「ノモンハン」事件発生の経緯

「ノモンハン」方面の敵は六月十五日来再び活気を呈し「ハルハ」河右岸にせる車輌数増加し又敵機は十六日以来連日満領内に侵入し十七日には小型機二七機が「ボイル」湖西南「ジャミンホトカ」満軍第一線監視哨及甘珠爾廟に対し攻撃を加へ他の敵機は「アルシャン」隧道付近を偵察し十八日十数機を以て将軍廟方向より「アルシャン」上空に飛来し満軍に対し攻撃を加へ「アムグロ」の舊憲兵隊兵舎は二回に亘り敵十数機の掃射を受け満軍兵一名戦死し且該地に集積しありたる「ガソリン」五〇〇缶及糧秣全部を消失又甘珠爾廟に於ては敵機の掃射により家屋一を焼失せり

六月十九日関東軍司令部は敵機の頻々たる不法侵襲に鑑み断乎之を膺懲するに決し儀蛾兵団長の指揮する戦闘六中隊、偵察二中隊、軽爆、中隊、重爆二中隊を海拉爾及「アルシャン」方面に推進して越境する敵機を撃墜し且爾後の進攻作戦を準備せしむる如く処置すると共に小松原兵団の一部(歩兵一連隊基幹)を以て国境内甘珠爾廟、採塩所、将軍廟等の各要点を確保して飛行隊の行動を掩護せしむる如く部署せり

然るに又敵軍の有力なる一部(戦車五、機関銃六、兵二〇〇にして「ソ」軍)は飛行機協力の下に十九日哈爾哈廟を奪取し在「ジャミンホトカ」満軍警備隊は十七日夕敵の装甲自動車三十数輌を有する約三〇○の敵の包囲攻擊を受け「ツァガンオボー」及「ジャミンホトカ」上空には敵重爆約四〇機飛来すると共に在「ツァガンオボー」満軍第七団は十九日戦車約五〇、山砲十数門を有する約一、〇〇〇の敵の包囲攻撃を受けたるが如く「ノモンハン」方面の敵は其の兵力約一、〇〇〇、野砲、高射砲各一〇門、戦車数十輌なるが如し

玆に於て軍は六月二十日越境跳梁する「ソ」蒙軍を殲滅し其の野望を破摧する為所要部隊に応急派兵を令し小松原兵団の主力を将軍廟附近に、園部兵団の一部を海拉爾に、安岡支隊(安岡部隊主力を基幹とする諸兵連合部隊)を「アルシャン」附近に集中し爾後の作戦を準備するに決す

即ち当時統帥部及関東軍共に不拡大方針は堅持するも之が為積極且局部的に一大打擊を与ふるを可とせり蓋し敵が再び越境せるは山縣支隊及航空部隊の原駐地帰還の虚を狙ひ我が兵力不足と国境固著の意志少きを察したるを動機とせるものの如きを以て之を破摧するは從来屡〻紛争を惹起せる外蒙方面国境防衞の任務を達成する為緊要とすればなり

第二節 自六月二十日至六月三十日の状況(攻勢準備時期)

一、地上の状況

 関東軍の新企図に基く集中は左の如く概ね順調に進捗し攻撃開始は二十九日以後と予定す

1、小松原兵団(園部兵団の歩兵一連隊、速射砲、連隊砲各二中隊、軍無線二小隊、有線一小隊、自動車輜重一中隊及自動車一連隊、高射砲一中隊属)は其の歩兵一連隊を以て甘珠爾廟附近に、爾餘の主力を以て将軍廟附近に集中し二十七、 八日頃完了の予定

2、安岡支隊〔戦車二連隊、独立野砲連隊(二中隊)、高射砲一隊、独立工兵約三中隊、自動車一連隊、牽引自動車一中隊、軍無線一及団部兵団の歩兵一大隊、速射砲一中隊、衛生隊属)は「ハンダガヤ」温泉間の地区に集中し二十五日頃完了予定

而して敵の兵力装備に鑑み国境守備隊より速射砲二〇門を抽出使用し又自動車隊は殆ど其の全力を使用せり

以上の如き関東軍の企図竝に兵力部署に鑑み統帥部は內地より野戦重砲兵一旅団(一連隊欠)及独立野戦重砲兵一連隊を増派するに決し二十四日之が動員を令せられたり

此の間「ボイル」湖西側地区及哈爾哈廟方面に於ては若干の敵蠢動せしものも「ノモンハン」、 将軍廟方面於ては二十日以来「バインツァガンオボー」附近に北面せる陣地を構築中なる外比較的平静を持せしが二十四日早朝戦車、 装甲自動車約三〇輌(後五〇となる)、野砲約七門を有する敵は突然将軍廟附近に来攻し相当執拗なる攻撃を反復し我が軍の為撃退せられ(敵の損害戦車、装甲自動車約一〇輌、死傷少くも五〇、我の損害死傷一九)次で二十六日戦車約一〇輌を有する敵騎兵「ハンダガヤ」正面に越境し更に三十日砲を有する敵部隊の一部「タマダ」(将軍廟東南二〇粁)西方に進出し我が安岡支隊の一部に撃退せらるる等若干の小戦あり

六月末頃に於ける空中偵察の結果に依る敵情附図第三の如く戦車、装甲自動車約一四〇輌、砲約七〇門、高射砲約二六門、自動車約八六〇輌(別に「ボイル」湖北岸に約一三〇輌)、包約四〇〇等を確認す

二、航空状況

我が航空部隊は野口戦隊の一八機が二十二日午後甘珠爾廟附近に於て敵戦闘機約一四〇機と交戦其の五六機を撃墜し驚異的戦果を挙げたるを初めとし爾後毎日数次に亘り空中戦を交ヘ赫々たる戦果を収む特に二十七日全力を以て二次に亘り「タムスク」及「サンペーズ」に敵主力を奇襲し一五〇機を撃墜若くは地上爆破し且飛行場施設に損害を与ふる等威大なる戦果を収めたり之が為爾後敵機の活動頓に消極化するに至り七月二日に至る迄殆ど大なる活動を見ず

註、敵航空根拠地の攻撃は事件を拡大せしむるの虞あるを以て爾後中止せしめられたり

第三節 自六月三十日至七月五日(第一期攻勢時期)の状況(附図第三、 第四)

関東軍司令官は二十五日左記要旨の命令を下達す

一、軍は「ノモンハン」方面外蒙軍を掃滅せんとす

二、小松原兵団長は概ね其の主力を集中せは成るベく速かに「ノモンハン」方面の外蒙軍を掃滅すベし之が為一時「ハルハ」河右岸に行動することを得

 自今安岡支隊及満軍興安師を併せ指揮すベし

三、儀峨兵団長は依然前任務を続行しつつ小松原兵団の作戦に密に協力すベし

当時降雨の為「ハルハ」河は雑炊し「ハンダガヤ」方面の道路は著しく不良となり安岡支隊の行動困難を極む

戦闘経過の概要左の如し(附図第四)

一、地上部隊の状況

六月三十日迄に得たる空中偵察其の他の情報を総合するに「ハルハ」河左岸の敵は逐次同河左岸地区ヘ後退せるやの疑ありしを以て兵団は敵を逸せざらんが為急速七月一日早朝より行動を開始するに決し三十日夕刻将軍廟に於て攻撃命令を下達せり

攻擊計画の概要左の如し

1、兵団は三日払曉迄に主力を以て哈爾哈河を渡河し越境せる敵を捕捉撃滅す

2、左岸攻撃隊〔小林少将の指揮する岡本、酒井両部隊(歩兵五大隊基幹)基幹〕は一日早朝将軍廟及「アムグロ」附近を出発二日夕迄に「フイ」高地附近「ハルハ」河の線に進出したる後同夜同地附近に於て渡河し左岸台上を合流点附近に向ふ攻擊を準備す

3、乗車攻撃隊(須見大佐の指揮する歩兵約二大隊半)は左岸攻撃隊に次で渡河し同隊の外翼にありて行動す

4、安岡支隊〔新に山縣部隊(歩兵約二大隊基幹)、満軍二、〇〇〇を配属す〕は二日夕迄に主力を以て「シャリントロゴイ」山及其の東方地区(「フイ」高地東南)に進出し三日払曉を期し右岸台上を合流点附近に向ひ突進す

 満軍は主力を以て「ノロ」高地に、有力なる一部を以て「バルシャガル」高地に向ひ攻撃す

七月一日の状況(機動)

左岸攻撃隊は一日早朝将軍廟及「アムグロ」附近を出発し「シャグジンガンガ」附近に在りし装甲自動車一〇輌、砲兵約一中隊の敵前進部隊を駆逐して同日夕頃迄に同地附近に進出し又安岡支隊は新に配属せられたる歩兵二大隊を以て同日夕「ソーホルマルテ」湖附近に、爾餘の主力は道路不良の為前進遅滞し一日夕将軍廟附近に進出せり安岡支隊の捕獲せる「ソ」軍将校の言に依れば「ハルハ」河右岸の敵兵力は約一師団なるものの如し

又既に我が機動を察知しあるやの徴候あり

二日の状況(主力の渡河準備及安岡支隊の攻撃)

左岸攻撃隊は二日夕迄に一部を以て「フイ」高地を奪取して「メレゲネーオボー」南側河岸に進出し主力を以て二日夜「フイ」高地附近に其の主力を集結して渡河攻擊を準備す

安岡支隊は此の日午後主力を以て「マンズテ」湖附近に集結せるも「ハルハ」河右岸の敵退却を開始せりとの情報に基き之を抑留捕捉する為同日夕より「ハルハ」河右岸の敵の左翼を包囲する如く攻擊前進を開始し同夜七三一高地附近に進出し吉丸戦車隊は更に其の前方に突入し夜半七三一高地附近に集結す玉田戦車隊は吉丸戦車隊の攻撃に協力し「ホルステン」河北方地区より川又に向ひ突進中同夜七五五高地西南陣地を奇襲し夜半過「イリンギン」査干湖附近に集結せり此の日支隊の鹵獲せる兵器は十二榴二門、装甲自動車七輌、戦車二輌、速射砲二門等なり

乘車攻撃部隊は此の日左岸攻撃部隊の直後に其の主力を集結せり

当日迄に知り得たる新なる敵情左の如し

一、敵陣地の右翼は「ヤス」西北八粁五七高地附近迄延伸せられあり

二、「コマツ」附近「ハルハ」河左岸には砲兵集結しあり

三、「オカ」附近には徒涉場あるものの如く自動車通過中なり

四、「コマツ」に於ける敵の橋梁は重車輌及徒歩兵用各一なり

三日の状況(主力の渡河攻擊及安岡支隊の攻擊続行)

左岸攻擊隊は二日夜「タギ」湖南側附近に於て漕渡により「ハルハ」河を奇襲渡河し八時頃白銀査干「オポー」西南台上に於て北進する敵戦車を撃破南進し十一時頃には「ハラ」台附近に進出し正面及右側背に殺到する優勢なる敵機甲部隊と交戦し之を撃破せり砲兵一大隊亦架橋に依り「ハルハ」河を渡河して之に続行す

乗車攻撃部隊は砲兵の渡河に引続き「ハルハ」河を渡河し左岸攻撃隊の外翼方面より深く「コマツ」に向ひ突進する計画なりしも増水の為「ハルハ」河の流速二米に達し架橋の頻度自動車の通過に十分ならざりし為其の進出遲延し十二時頃漸く其の一大隊を以て渡河点西南四―五粁附近に進出し主力は十五時頃に至り其の後方に進出せしも束進する敵機甲部隊と交戦し戦況進捗せず

敵は此の日戦車、装甲自動車群を以て終日数次に亘り我が左岸進出部隊に対し逆襲し来りたるも多大の損害を被りて撃退せられ当日左岸地区に於て破壊又は擱坐せしめられたるもの約一五○に達す

安岡支隊は此の日攻撃を続行し靱強なる敵の抵抗を排撃しつつ「バルシャガル」七三八高地西北地区に進出し同支隊に配属せられたる満軍亦「ホルステン」河両岸地区に在りて之に連繋して攻擊を続行す

此の間吉丸戦車隊は隊長率先先頭に立ち全連隊一丸となりて川又方向に突入し敵を蹂躪せり此の戦闘に於て吉丸部隊長は壮烈なる戦死を遂げたり玉田部隊亦山縣部隊の戦闘に協力の為七五五高地西南側附近に進出し敵の小出擊を擊退して該地を確保せり

然れども当時各方面連絡不良にして互に其の実情を知り得ざりしが如し

左岸攻擊部隊の進出に伴ひ「ハラ」台附近に在りて戦闘指導中なりし兵団長は概ね攻擊の目的を達成せりとなし此の日夕主力を右岸地区に転用して同方面の残敵を殲滅するに決し夫々部署する所あり同夜左岸攻擊部隊は其の一部を「バインツァガノボー」附近に残置して主力は右岸地区に転進を開始す

乗車攻撃部隊に対する反転命令は同部隊に到達せざりしを以て依然左岸にありて戦闘を継続す

四日及五日の状況(左岸進出部隊の右岸地区転進)

左岸進出部隊の主力は三日夜大なる敵の妨害を受くることなく四日朝迄に右岸地区ヘ転進を完了し左岸残置部隊亦四日夜を利用し五日朝迄に渡河点北側に集結を終了せり

安岡支隊正面に於ては四日、五日敵は反復執拗に逆襲せしも支隊は奮戦克く之を擊退す

師団は予定の如く主力を安岡支隊方面に転用し「ハルハ」河右岸の敵を殲滅せんとし小林少将の指揮する步兵三大隊及砲兵一大隊を五日早朝安岡支隊長の指揮下に入らしむ支隊は五日速かに攻撃する予定なりしも地点に対する各部隊の認識区々なりしと第一線諸隊の現況は迅速なる攻擊を実施するに困難なりし状況と更に又新に指揮下に入りし部隊全部の集結を終りたる後一挙に攻撃するを有利とする状況に鑑み六日薄暮を期し攻撃するに決し部署する所あり

二、航空部隊の状況

我が飛行隊は二日爆撃隊の一部を以て三日、四日其の主力を以て「ハルハ」河左岸地区の敵砲兵及自動車部隊を攻撃し又五日に於ては「イリン」台上の敵砲兵及戦車部隊を爆撃して地上作戦に直接協力せり

敵飛行隊は我が「タムスク」空襲以来一時殆ど其の活動を示さざりしも七月二日迄に漸く其の戦力を快復せしものの如く三日以後に於ては連日に亘りて大挙出動し其の地上作戦に協力せり

三、七月上旬に於ける敵の参戦兵力は概ね次の如く判断せらる(附図第一其の一)

1、地上兵力

イ、「ソ」軍

狙擊第一〇八連隊(在「ウランバートル」)

狙撃第三連隊、同第二四連隊、同第一四九連隊(以上欧「ソ」よりの抽出兵力か)

機甲第一一旅団(在「ウンドルハン」)

装甲自動車第九旅団(在「ウンドルハン」)

装甲戦車第八旅団(在「バイントメン」)

装甲自動車第七(?)旅団(在「ザミンウデ」)

狙擊機関銃自動車化第五旅団(在「ハルナウト」)

重砲兵第一八五連隊(在「ディヴィヂォンナヤ」)

ロ、外蒙軍

騎兵第六師団(在「タムスク」)

騎兵第八師団(在「マタード」)

ハ、以上合計狙撃約一九大隊、機甲四旅団、外蒙騎兵二師団等にして其の人員及兵器数は次の如く考察せらる

人員             約 二〇、〇〇〇

戦車             約    二〇〇

装甲自動車          約    三八〇

野砲(十二榴を含む)     約     九〇

重砲(十加、十五榴、十五加) 約     三六

2、航空兵力

合計     約  二三〇

当時極東他正面に於ては益〻戦備を強化し六月二十八、 九日頃第一、 第二軍は応急戦備の態勢に移りたるが如し

第四節 自七月六日至七月二十二日(第二期攻勢時期)の状況(附図第四)

1、地上状況

小松原兵団長は六日岡本支隊(歩兵二大隊、野砲二中隊基幹)を編成し「ホルステン」河南岸地区より「ノロ」高地附近の敵を攻擊して之を川又に圧迫擊滅せしむベく派遣し興安師主力を区処せしむ

安岡支隊は四日以来執拗なる敵の出撃を破碎しつつ速かに越境敵軍を撃滅すベき師団の企図に基き逐次攻擊を準備しありしが諸隊の状況特に戦闘準備(弾薬、 燃料の補給竝に給水其の他)を周到ならしむる必要上六日の薄暮攻撃は更に七日に延期するに決し七日薄暮より師団の主力を以て「イリン」高地に、一部(岡本支隊)を以て「ノロ」高地に向ひ攻撃を開始せり

本攻撃は戦況有利に進捗し八日主力を以て七三八高地西北方より同高地東方へ進出し更に其の一部を以て敗敵に追尾して其の前方に突進せるも対岸台上の敵砲火の為主力の位置に後退の止むなきに至り徹底的戦果を収むるに至らず

又「ホルステン」河南岸地区に在りては岡本部隊を以て「ノロ」高地の敵を攻撃して十三日夜此の高地附近一帯を奪取し其の一部は十四日更に六九一高地附近「ハルハ」河畔に進出せしも同夜主力位置に後退せしむ

二日以来八日迄の戦闘に於て破壊又は擱坐せしめたる戦車、装甲自動車は「ハルハ」河南岸地区に於けるものを合し約二〇〇輌に達せるものの如し

小松原兵団は爾後十日、十一日、十四日と数回に亘り主として夜間攻撃を反復し其の都度当面の敵陣地を奪取せしも対岸の敵砲兵の敵射を受けて旧位置に復帰するの止むを得ざる状況なるのみならず敵又時々多数の戦車を伴ひ逆襲に出で殊に十九日の如きは火焔戦車を先頭とし我が長野(旧岡本)支隊方面に逆襲せしが各部隊奮戦克く悉く之を撃退せり敵兵力亦逐次増加の景況に在り

関東軍は以上の状況に基き越境敵軍撃滅を企図達成の為には敵砲兵を撲滅するの必要なるに鑑み小松原兵団に対し十五加三中隊(六門)を増加すると共に曩に内地より増派せられたる重砲兵部隊を其の指揮下に入らしむ之等重砲兵部隊は二十日頃には展開を完了する予定にして兵団は重砲の展開を待ち攻撃を再興するに決し主力の攻撃を控制せり

七月十日関東軍司令官は安岡支隊の編組を解き戦車部隊を原駐地に帰還せしむる如く部署せしも当時の戦況上安岡部隊は依然小松原兵団長の指揮下に在りて右側「フイ」高地方面の掩護に任じ七月二十六日夜同方面を撤し帰還せり

2、航空状況

本期間我が飛行隊は依然対岸の敵砲兵陣地及橋梁等を索めて爆撃する等地上戦闘に密接なる協力を実施せる他、空中戦に於ても連日敵に多大の損害を与ヘつつ之を圧倒す

然れども敵又執拗に其の損害を補充しつを連日に亘り駆逐、中爆の大編隊を以て出動し戦場要点竝に「アルシャン」等に爆擊を実施し遂に十六日に至り其の一機は富拉爾基を爆擊せり

第五節 自七月二十三日至七月三十一日(第三期攻勢時期)の状況(附図第六)

小松原兵団は増加重砲部隊〔十五加三中(六門)、十加二大、機械化十五榴二大〕の攻撃準備完了を待ちて二十三日七時三十分より予定の如く砲撃を開始すると共に第一線部隊を以て同日十一時頃より攻撃前進を開始せり

然れども地形竝に射程の関係等より左岸の敵砲兵の制圧意の如くならず若干の砲兵を撲滅せるに止まり步兵の攻擊亦大なる進展を見ず

二十三、 四日の両日夜襲を復行して敵を「ハルハ」河左岸地区に一掃せんと努めたるも敵の抵抗頑強にして尚完全に目的を達成するに至らざりしも概ね七三一高地西北方より同高地及七三八高地西側附近を経て七三八高地南方に亘る線に進出せり

長野支隊は当面の敵反撃を撃破しつつ七月末概ネ七四二高地西北方より同高地を経て其の東南方に亘る線を確保す此の間師団主力方面より歩兵一大隊(梶川部隊)を増加せらる

当時興安師は長野支隊の左翼に連繋し七五四高地より七四四高地を経て其の東方に亘る線を占領しあり

以上の如くにして「コマツ」台上には敵砲兵七―八〇門を認む当時敵は新銳の狙擊部隊を第一線に配置し機甲部隊の主力竝に当初よりの参戦部隊を後方に控置して其の戦力の補充快復に努めつつありしものの如し

第六節 自六月十六日至七月三十一日地上戦果

小松原兵団の報告に依る七月二十五日迄の総合戦果左の如し

 我が軍の損害

  戦死                  約 一、一〇〇

  戦傷                  約 二、四〇〇

  戦病                      七五〇

 敵軍の損害

  遺棄死体                約 三、〇〇〇

  俘虜                       六四

  破壊又は擱坐せしめたる戦車及装甲自動車 約   五〇〇

  撲滅的損害を与ヘたる敵砲兵       約     七中隊

  制圧的損害を与ヘたる敵砲兵       約    一一中隊

 鹵獲品の主なるもの

  戦車、装甲自動車                 二八

  火砲                        八

  重機及軽機                    九〇

  小銃                      二〇五

第七節 六月以降に於ける極東一般状況の概要

第一軍は六月末頃以降応急戦備の態勢に在ると共に国境線に近く第二線兵団を推進し其の第一線警備を強化しつつあるが如し

第二軍は六月末頃以降応急戦備の態勢に在ると共に武市及其の上流地区竝に北樺太方面の警備を強化しつつあるが如し

後貝加爾軍は六月初頃以降応急戦備の態勢に在りて其の一部を事件地に出動せしめある他、参戦部隊の動員補充を実施すると共に最近特に「ダウリヤ」正面の警備を強化しつつあるが如し

右応急戦備の的確なる内容に関しては未だ明かならざるも概ね現在編成の外若干の後方機関を附したる出動待機の態勢と考察せられ戦用品交付の準備、兵器其の他の資材整備、至厳なる警戒及戦闘訓練等を実施せしものなるが如し

又六月以降八月初旬頃迄に於て西伯利及欧「ソ」方面より狙撃三乃至四箇師団及装甲一乃至二旅団、重砲三連隊に相当する兵力等を後貝加爾及外蒙方面に増遣せるものの如し

第八節 築城竝に冬営の設備

既述の如く七月二十三日より二十五日に亘る小松原部隊の攻撃も亦十分なる目的を達するに至らず

是より先七月初旬関東軍司令官は当面の「ソ」蒙軍の野望を封殺し且大興安嶺以西に於ける軍事諸施設を擁護する為「ハルハ」河右岸要地に築城の施設を計画する所ありしが七月下旬の總攻撃の結果に鑑み七月二十五日占領せる第一線に右築城の実施を命令し且一部部隊の為冬営の設備に著手せり

然れども第一線各部隊は近く敵と相対峙し且戦闘を交ヘつつありて容易に持久の態勢に移らず七月中は殆ど工事に著手することなくして終れり

此の間関東軍司令官は森田(範)部隊長の指揮する芦塚部隊(梶川部隊欠)及野砲一大隊を「ハイラル」に推進待機せしめ小松原兵団長は国境守備隊より長谷部支隊(步二大基幹)其の他を出動せしめて其の兵力を増強せり

第九節 自八月一日至八月十八日(敵の小攻勢竝に対峙)の状況

八月上旬に於ける敵の攻勢企図と我の採りたる主要なる処置

既述の如く敵は「ノモンハン」方面に於て相当大規模の作戦準備をなしあるやの徴候あり又七月下旬よりの諸情報を総合するに敵は若干消極的企図を有するが如くなりしも一方八月上旬を期し攻勢を企図せるやにも判断せられ次で攻勢を八月中旬に延期せるが如き情報もあり関東軍も亦八月初旬以後特に警戒を要するものとせり

軍は敵の攻勢を考慮し八月二日独立守備隊の一部を小松原兵団に増加すると共に森田(範)部隊を採塩所に推進し以て敵の我が小松原兵団の右側よりする企図に対応の準備をなし小松原兵団長は現在線附近を確保して持久態勢を強化するに決し状況の変化に対応し得ベき第二線部隊を掌握すると共に八月六日長谷部支隊を以て損害多大なる「ホルステン」河南岸森田(徹)(旧長野)部隊と交代せしむる等逐次戦線の整理を実施す

尚関東軍司令官は敵の瓦斯使用の企図あるに鑑み八月七日明石部隊を「ハイラル」に派遣し小松原兵団長の指揮下に入らしむ

八月上旬に於ける敵の攻勢

敵は八月一日我が軍の全正面に対し先づ戦、爆約六〇機を以て爆撃したる後約二十分間に亘り砲火を集中し之に引続き「ホルステン」河南北の地区より攻擊し来りたるも我が軍克く之を撃破せり本戦闘に於ける敵の損害は遺棄死体少くも七〇〇の外破壊せし戦車九、装甲自動車二、砲三門なり

小松原兵団長は此の日右翼隊より須見部隊主力(約二大隊)を師団予備隊として抽出し之を「ホルステン」河南岸地区に移動せしめ戦況の変化に対応するの処置を講じ且一部兵力を左翼隊及長野支隊に増加せり

八月三日二時過より猛烈なる砲擊に次で戦車二十数台を先頭に敵歩兵約一、〇〇〇は左翼隊中央に向ひ夜襲し来りしも約一時間の後多大の損害を与ヘて撃退せり

此の日師団予備隊を七五五高地(「ホルステン」河北岸地区)に移動し築城に任ぜしむ

八月七日「ホルステン」河南岸地区長谷部支隊方面に砲兵支援の下に約七―八〇〇の敵攻擊し来り「ホルステン」河右岸の我が左翼隊正面に於ては戦闘機七―八〇機の対地射擊に引続き四時間半五に亘る約一〇中隊の砲兵を以て我が砲兵に火力を集中したる後戦車を伴ふ約五―六〇〇の敵攻撃し来れるも何れも敵に甚大なる損害を与ヘて潰走せしめたり我が損害は極めて軽微なり

次で八日約一、〇〇〇の敵は「ノロ」高地を攻擊し特に七四二高地に於ては約一五〇の敵と白兵戦を演じ其の多数を刺殺するが如き激戦を交ふるに至れるも是亦我が戦死一、負傷九を以て敵に甚大の損害を与ヘ擊退せり

八月中旬に於ける状況

右敵の攻勢以後地上部隊の状況は沈静せしも十二日頃敵は「ハルハ」河左岸「ハン」山より「ハルハオボー」(「ハン」山東方約二〇粁)附近に亘る台端に各個掩体の構築を開始し而も「ホルステン」河左岸地区の我が軍左翼方面に於ける敵の蠢動活気を呈するに至れるを以て森田(徹)部隊は該方面よりする敵の企図を破摧する為十二日夜来行動を開始し黎明攻撃は次ぐに昼間攻撃を敢行し十三時頃遂に七四七高地を奪取せり交戦せる敵は外蒙騎兵第八師団にして敵に与ヘたる損害は遺棄死体約一〇〇、遺棄馬約一〇〇、俘虜二、鹵獲品速射砲二、我が損害は戦死一三、戦傷囲一なり

満軍興安師は八月九日小松原兵団長の指揮下を脱して原駐地に帰還し満軍石蘭支隊は小松原兵団長の指揮下に於て「ハンダガヤ」峠西北方地区を占領し該方面の搜索警戒に任ず

航空状況

我が飛行隊は本期間依然制空権を確保して敵機を大量撃墜しつつ主として地上戦闘に協力せり

敵飛行隊亦連日甚大なる損害を被るも依然之を補充しつつ巧に我が制空の間隙を利用して活動を継続し十一日の如きは一一回に亘り延機数二二五の駆逐機を以て連続戦場に出動し対地攻撃を敢行せり然れども敵は我との空中戦を回避し逐次小編隊戦法を採用し空中戦に依る其の損害の減殺を企図しつつあるものの如し

前述の如く我が航空部隊は連日克く特殊の邀撃作戦を遂行し前古未曾有の戦果を挙げつつありと雖も逐次戦力の消耗を来すの傾向あり且敵の戦法変更の為我が作戦困難の度を加ふるに至り殊に七月二十九日及八月二日は我が飛行場に攻撃を受け相当の損害を被りし状況に鑑み事態を拡大せしめざる限り唯一つ残されたる手段を採るの止むを得ざるものと認め且諸情報に基き敵も亦全面拡大の意志なきものの如きを以て八月七日『状況止むを得ざれば「タムスタ」附近以東に於ける敵航空根拠地を攻撃し得る』如く命令せられたり

之に基き我が航空部隊は厳に企図を秘匿しつつ好機を窺ひありしが遂に八月二十一日二回に亘り左の如く攻撃を実施せり

即ち六時戦闘九中隊、軽爆四中隊を以て「サツバ」貝子附近の飛行場を攻撃し敵の爆撃機二二機に損害を与へ戦闘機二機を撃墜し我は全機帰還す次で十一時戦闘九中隊、軽、重爆七中隊を以て「タムスク」附近の敵飛行場を攻撃し地上に在る飛行機一三機を爆破し空中に於ても七―八〇機と交戦し其の三二機を撃墜し我が損害戦闘三機、重爆一機なりき

八月中旬に於ける天候は概して良好ならずして我が空中搜索は意の如くならず八月下旬に於ける敵攻勢の企図を事前に偵知し得ざりしは遺憾とする所なり十九日午後天候の快復を待つて偵察を敢行したる結果「ハン」山附近に優勢なる敵機甲部隊の集結しあるを発見せり

第十節 荻洲兵団司令部の設置

八月初頭以来編成中なりし荻洲兵団司令部は八月十二日海拉爾に於て其の編成を完結し同兵団長は従来小松原兵団長の担任しありたる任務を継承せり

十三日兵団長は「ノモンハン」戦線に到り小松原兵団の戦況を視察す

第十一節 自八月二十日至九月六日(敵の八月攻勢時期)の状況(附図第七、第八)

八月下旬に於ける敵の攻勢に関して軍は主として諜報により之を予察しありしが如きも実証を捕捉し得るに至らず鋭意之が偵知に努めつつありしが二十日突如として敵の攻勢を受くるに至れり

八月十九日主力正面は緩徐なる砲擊ありしのみなるも「フイ」高地方面及左翼方面敵の行動活溌となり森田(徹)部隊正面にては午前、 午後の二回に亘り三―四〇〇の敵の攻擊を受けんが二十日に至るや敵は全線に亘り攻勢に転じ其の兵力正面より少くも二師団を我が右翼方面より機甲約二旅団、左翼方面より機甲約三旅団を指向す「ソ」蒙側の所謂八月攻勢なり

我が小松原兵団を基幹とする荻洲兵団は爾後旬日に亘り悪戦苦闘克く善戦し態勢の挽回に必死の努力を傾倒せしも遂に八月二十九日戦線を整理し後続兵団を併せて攻擊を再興するの決心を探るの止むを得ざるに至る

爾後軍は後続兵団の集結を待つて敵に徹底的打擊を加ふベく準備中なりしが九月三日攻勢中止の大命発せられ次で九月十五日停戦交渉成立するに及び約四箇月に亘る戦闘も茲に終熄を告げたり

此の間に於ける状況特に波瀾に富む二十日より二十九日頃迄の戦況に関しては之が資料頗る少きを以て主として報告等に拠り之に若干の見聞せし事項を附加することとす

八月二十日より二十三日に至る戦況

1、地上の状況

イ、二十日(附図第七其の一)

朝来敵の行動頓に活溌となり各正面共に有力なる空陸の敵の攻撃を受け其の攻撃「フイ」高地方面に対し最も激烈なり即ち

「ホンジンガンガ」に在りし北警備軍主力は歩騎兵約一、〇〇〇、戦車五〇、砲十数門の敵の攻擊を受け此の日「ガロウト」湖附近に後退し「フイ」高地附近を占領しありし捜索隊(步兵約二中隊、連射砲、連隊砲、野砲兵及工兵各約一中隊配属)は攻擊し来りし步兵約一、〇〇〇、 戦車約五〇、砲十数門の敵を擊退せしも其の後更に対岸の砲約十門の砲擊下に有力なる敵の攻擊を受け右翼隊 (須見連隊の生田大隊)は朝来戦車十数輌を伴ふ約一、〇〇〇の敵の、左翼隊(小林少将の指揮する山縣、酒井両部隊)は十二時頃より戦車二〇内外を有する約一、五〇〇の敵の、又長谷部支隊は戦車数十を伴ふ第一線のみにても約一、五〇〇の敵の攻擊を受く

森田支隊は七四四高地及七四七高地正面に戦車十数台、野砲数門を伴ふ約一、二〇〇―三〇〇の敵の攻擊を受け別に「ハン」山方面に自動貨車約二〇〇、「ヤス」附近に戦車、装甲車を主とする車輌二―三〇〇ありしが七五七高地方面に向ひ前進し其の歩兵約三〇〇は七五七高地北側に進出せり

小松原兵団長は右状況に基き兵力を集結して爾後の攻擊を準備するに決し大要左の如く部署す

(一) 搜索隊は現陣地固守

(二) 左翼隊長は歩兵約三大隊、速射砲一〇門、迫撃砲隊、工兵一中隊を基幹とする部隊を残置して新に左翼隊とし爾餘は日没後新工兵橋北方地区に集結し爾後の行動を準備

(三) 森田(徹)部隊は一部を以て依然七四四、七四七両高地附近を確保し主力を「ニゲーソリモト」南方約三粁砂丘附近に集結爾後の攻撃を準備

(四) 予備隊(須見部隊主力)は主力の右側掩護

(五) 砲兵団は依然前任務続行、一部を以て適時森田(徹)部隊の戦闘に協力

(六) 北警備軍は一部を以て依然「シャリントロゴイ」山附近を確保、主力は「ガロート」湖附近を確保

ロ、二十一日(附図第七其の二)

搜索隊は朝来砲二十数門、戦車七、八〇を有する約二、〇〇〇の敵の攻撃を受け右翼隊は戦車約二五を伴ふ敵約二大隊の攻撃を受く

左翼隊及長谷部支隊方面は敵反復攻擊せるも之を擊退し森田支隊方面に於ては敵戦車の攻擊最も猛烈にして七四四高地附近約三〇、「ニゲーソリモト」南方砂丘附近約三五にして敵歩兵二、〇〇○を下らず

我が左翼方面より溢出せる敵は七五五高地東北約四粁の七八〇附近に戦車、装甲自動車約二〇〇、七五七高地北方約二粁道路附近にも其の一部進出せり

敵の砲擊は猛烈にして其の主陣地は「ハラ」台、「スンブルオボー」附近に在り一部は「フイ」高地及森田支隊前面に進出す

尚一〇〇を下らざる戦車及装甲自動車を伴ふ一、二〇〇―三〇〇の敵は「ホンジンガンガ」方向より「ソーホルマルテ」湖附近を経て「ウズル」水附近に、 又一部の敵は「シャリントロゴイ」山附近より七三九高地に進出せり

此の日荻洲兵団長は勉めて多くの兵力を集結したる後機を見て「ハルハ」河右岸地区に進出せる敵を攻擊するに決し国境守備隊より伊東支隊(步兵及野砲兵各一大隊基幹)を編成せしむ

小松原兵団長亦戦線の一部を整理し爾後の攻勢を準備せしとし部署せし所概要左の如し

(一) 捜索隊及両翼隊は現陣地を確保

(二) 森田(徹)部隊は日没後行動を開始し七五八高地東方より「ニゲーソリモト」附近に亘る線を占領確保

(三) 長谷部支隊は森田(徹)部隊に連繋する如く左翼を収縮し現陣地を確保

(四) 小林部隊長の指揮する酒井部隊主力は泉東北側に移動し爾後の行動を準備

(五) 砲兵団は前任務を続行する外主力を以て「ニゲーソリモト」東北方地区に於て「ノロ」高地東南方地区に於ける戦闘に協力し得る如く準備

尙搜索隊の戦闘に協力せしむる目的を以て予備隊の主力及野砲兵の一部を七三九高地に推進せしむ

ハ、二十二日(附図第七其の三)

搜索隊は依然敵の包囲下に在りて敵砲兵の猛射中に克く陣地を確保す右翼隊は逐次憂勢なる敵の攻撃を受け森田(徹)部隊の一部は紛戦を交ふるに至る

「フイ」高地方面より我が右側背に侵入せる敵機甲団は依然「ウズル」水附近に跳梁し主力を以て「ホルステン」河北側の線に前進し我が野戦病院及弾薬、糧秣集結所を襲撃す敵は両翼包囲を企図せるが如く当時現出せる敵の兵力は約一三、〇〇〇、装甲自動車、戦車約七〇〇にして狙撃約二師団を基幹とせるが如く尚其の後方には更に一師団あるやに判断せり尚「デイムチ」湖附近には新に戦車数十、騎兵一二〇―三〇を認む然れども各部隊は克く陣地を保持せり

荻洲兵団長は此の日爾後の攻勢に関し大要左の如く部署す

(一) 小松原兵団は其の主力を挙げて「ホルステン」河南方地区にある敵に対し重点を東方に保持し敵を捕捉殲滅する如く準備

 攻撃開始は二十四日払曉と予定す

(二) 森田(範)部隊は「モホレヒ」湖附近に前進し敵の右側背を索めて攻擊する如く準備

 四谷部隊(一大隊)を属す

(三) 伊東支隊を「モホレヒ」湖に招致

荻洲兵団参謀長は二十一日戦場に到り爾後の攻勢に関し小松原兵団長等と議する所ありしが此の日之が策案に関し決定を見たり

小松原兵団長は依然敵を陣前ヘ破摧しつつ爾後の攻勢を準備する為左の如く部署せり

(一) 両翼隊及長谷部支隊は依然現陣地を確保

 但し左翼隊及長谷部支隊より各〻一部兵力を抽出して其の直轄とす

(二) 森田(徹)部隊の陣地を若干後退収縮せしむ

(三) 七三九高地占領部隊(予備隊主力)を後退せしめ「ウズル」水より七五二高地に亘る間を警戒

(四) 砲兵団(畑部隊)は各一部を以て両翼方面より行動する敵を阻止せしむると共に主力は依然第一線部隊の戦闘に協力、又攻勢の為少くも野砲一大隊、九〇野砲二中隊、十五榴一大隊、十加一中隊を明二十三日日没後陣地を撤し二十四日払曉迄に「モホレヒ」湖東南方地区に陣地を占領し得る如く準備せしむ

(五) 西谷部隊をして本二十二日夜「ウズル」水附近の敵機甲部隊を撃攘し特に野戦病院附近に於ける傷病者の収容を容易ならしむ

ニ、二十三日(附図第七其の四)

搜索隊は依然陣地を保持しあるも戦況漸次逼迫して陣地の一部を失ひ砲兵及重火器の大部亦破壊せらる通信は二十二日以来杜絶せり

此の夜井置搜索隊長の指揮下にありし工兵部隊は敵を反撃する為陣地より出撃せしが二十四日将軍廟に帰還す

我が両側背に行動する敵は逐次包囲圈を圧縮しつつありて将軍廟西方約十二粁「アンツアガイ」山附近及「ニゲーソリモト」附近には一〇〇輌内外の戦車、装甲自動車あり又小松原兵団戦闘司令所近く数台の敵戦車進入せしも之を撃退せり長谷部部隊左翼方向より侵入せし敵戦車は同部隊の後方を攻擊す

荻洲兵団長は此の日「モホレヒ」湖附近に戦闘司令所を推進し明二十四日を期し「ホルステン」河以南の敵を捕捉撃滅するに決し十三時命令を下達せり其の要旨左の如し

(一) 小松原兵団長は依然長谷部部隊の陣地(含む)以北の第一線陣地を確保すると共に成るベく多くの兵力を明二十四日払暁迄に「モホレヒ」湖南側地区ヘ集結したる後深く敵の右側背を席捲する如く攻擊、 特に「ヤス」渡方向に対し警戒

 森田(範)部隊を配属す

(二) 森田(範)部隊は現在地に於て小松原兵団長の指揮に入る

(三) 伊東支隊は四日払曉迄に「モホレヒ」湖附近に集結し軍予備隊

小松原兵団長は右命令に基き十四日左記要旨の命令を下達す

(一) 主力を以て深く敵の右側背に向ひ攻勢に転じ之を西方に席卷して捕捉殲滅す

(二) 搜索隊は依然現陣地を固守

(三) 山縣支隊(旧右翼隊を併せ指揮)及長谷部支隊は依然現陣地を確保、山縣支隊は特に一部を以て敵機甲部隊の攻撃に対し重砲兵を掩護

(四) 森田(徹)部隊は二十三日日没後現在地を撤し一部を以て旧工兵橋南方七五三高地附近を占領し「ホルステン」河北岸地区より東側地区に転進する諸隊を掩護し主力は其の掩護下に「ホルステン」河谷を「モホレヒ」湖南方八粁七五二高地附近に転進し小林部隊長(右翼隊長)の指揮下に入る其の一大隊を予備隊として二十四日六時迄に戦闘司令所に到らしむ

(五) 小林部隊長の指揮する酒井部隊主力は二十三日日没後七五三高地附近に転移し二十四日六時迄に攻撃準備を完了

(六) 森田(範)部隊長(左翼隊長)の指揮する部隊(四谷部隊欠)は二十三日二十時三十分行動を起し「モホレヒ」湖南方七粁附近に前進し二十四日六時迄に攻擊を準備

(七) 須見部隊主力は「ホルステン」河北方地区よりする部隊の転進を掩護したる後二十四日二時現在地を撤し左翼隊に追及其の指揮に入る

(八) 四谷部隊は左側支隊となり二十三日日没後行動を開始し二十四日六時迄に左翼隊東方地区に到り攻撃を準備

(九) 砲兵団は現陣地に残置する部隊(山縣、長谷部両支隊協力砲兵竝に遠戦砲兵)の陣地を両支隊の掩護下に変換

 攻勢移転部隊に協力すベき砲兵は昼間諸準備を整ヘたる後日没と共に行動を開始し概ネ「モホレヒ」湖南方七粁砂丘東西の線以北の地区に陣地を占領し二十四日六時迄に射撃準備を完了

 攻撃実行に方りては各一部を以て山縣及長谷部両支隊の戦闘に協力し且対砲兵戦に任ぜしむると共に主力を以て歩、砲の緊密なる協調の下に両翼隊の戦闘に協力す

 七八〇高地南方地区よりの前進に方りては特に我が前進を妨害する敵砲兵の制圧に努む

(十) 配属飛行隊は主として「ホルステン」河南方地区及「フイ」高地方面の敵情搜索

(十一) 右翼隊(小林部隊長の指揮する歩兵三大隊半及野砲一中隊基幹)は七八〇高地以西の地区より当面の敵を攻撃

 特に一部を以て「ニゲーソリモト」方向の敵に対し攻勢部隊の右側背を掩護

(十二) 左翼隊は七八〇高地以東の地区より深く敵の側背を攻擊

(十三) 攻撃前進は二十四日六時と予定す

(十四) 両翼隊は七八〇高地南方砂丘南端の線に進出せば歩、砲の協定を補綴し戦闘正面を変換して一挙七五七高地方向に突進

 爾後の攻撃前進の方向は当時の状況に依る

(十五) 左側支隊は両翼隊の攻撃に伴ひ其の左側地区を敵の右側背に攻撃前進して其の退路を遮断し且「ハルハ」河橋梁の破壊に努む

(十六) 戦闘司令所は二十三日二十一時行動を開始し二十四日四時迄に「モホレヒ」湖南方七粁砂丘北端に到る

(其の他略す)

以上の如く攻撃の準備竝に実行に関し命令する所ありしが各種の状況に因り二十三日夜に於ける主力の転進行動には相当め齟齬困難を生じ所期せし二十四日払曉に於ける攻撃準備は意の如くならずして攻撃前進を開始するに至れり

即ち各部隊相互の協同連繋特に歩、砲間の協定は殆ど之を行ふの暇なく歩兵に於ても其の第一線と重火器との協定十分ならずして前進を開始するに至る又森田(徹)部隊主力は遂に転進し来らず須見部隊亦第一線の前進開始後二十四日十二時頃戦場に到著し逐次戦闘に加入するが如き状況となれり

2、航空部隊

本期間我が航空部隊は克く全力を以て地上部隊の戦闘に協力し且敵機の大量を撃摧せり即ち二十日敵機は数次に亘り対地攻擊を実施せんが我が爆擊機は主力を以て二回に亘り「ヤス」渡方面の戦車等を爆撃し又戦場上空に於て敵のSB二機、戦闘機三二機を撃墜す更に二十一日には敵機の撃破三八機、撃墜確実五九機の大戦果を収め続いて二十二日には一二機を撃墜し前後七回に亘り「ウズル」水附近に侵入せる敵戦車車輌を爆撃せり

二十三日は不良なる天候を冒して出動四回に及び「ウズル」水、「フイ」高地及同高地北方「デイムチ」湖附近の敵戦車、砲兵等を索めて爆擊す

二十四日より三十一日に至る戦況

1、地上の状況

イ、 二十四日 (附図第七其の五)

小松原兵団二十三日夜の兵力転用竝に二十四日朝に於ける攻擊準備は既述の如き状況なり二十三日夜より二十四日午前に亘り戦場一帯に濃霧あり

当時攻勢移転方面に於ける七八〇高地附近の敵情判断は楽観的にして敵の右側背に対し奇襲し得るものとなし遭遇戦的指導を以て九時五十分頃勇躍前進を開始せり当時七八〇高地附近一帯の高地北端の線には点々狙擊兵の散在を見たるのみ第一線は大なる敵の抵抗を受くることなく前進せしが十一時頃前記狙擊兵の前方近く進出せし頃より俄然敵歩、 砲の熾烈なる火力を受け正面及側面に現出する敵戦車及其の後方の砲兵火力等の為損害続出且第一線と後方とは敵火力の為全く遮断せらるるに至り攻擊極めて困難に陥れり砲兵亦初期に於ける步兵の順調なる攻擊前進は伴ひ一部の陣地変換を敢行せしも歩、 砲間の連絡、 第一線の認識等困難となり協同意の如くならず一時全く歩、 砲分離の状態に陥れり(七八〇高地附近には二十日頃以来戦車約二〇〇を有する敵機甲兵団ありしものと判断せらる)

爾後第一線は熾烈なる敵銃砲火の中にありて力戦苦闘し一意攻擊の進捗を企図して夕刻頃敵陣地の一部を奪取せしも敵歩戦砲の射撃愈〻激烈を極め且敵戦車の反撃ありて我が戦線は屡〻之が為蹂躪せらるるに至れり

「ホルステン」河両岸の守勢地区に於ては其の両翼に対する敵の圧迫漸次強化せられ我が戦線は逐次分断包囲せらるるに至り長谷部支隊左翼方面は遂に守備を失して七四二高地方向に後退するの止むなきに至れり

砲兵亦其の右側背よりする敵機甲部隊の攻撃に対し一部を以て之に対応するに至る

此の日荻洲兵団長は敵機甲部隊の一部後方に潜入したるに対し伊東部隊長をして後方要地の防備に任ぜしむ又「ハイラル」に向ひ輸送せられつつある國崎部隊主力(荻洲兵団長の指揮下に属せしめらる)を速かに「ノモンハン」附近に前進せしむる如く処置せり

小松原兵団長は此の夜戦線の一部を整理し依然攻撃を続行するに決し右翼隊及左側支隊を戦闘司令所附近に集結し左翼隊をして依然攻擊を続行せしむ

酒井部隊の損害特に大にして集結したる兵員三四〇―五〇名なり

本日の攻撃に於て小林、酒井両部隊長戦傷を負ふ

ロ、二十五日(附図第七其の六)

二十日以来惡戦苦闘中なりし在「フイ」高地井置部隊は昨二十四日夕遂に陣地を脱出するに決し二十五日二時陣地を出発して夕刻「ゴルボングン」湖(将軍廟西北約一二粁)附近にある満軍位置に到著宿営し爾後将軍廟西方「オボネー」山附近を占領すベき命令に接し二十六日午後其の配備を完了せり

此の日敵の攻擊依然執拗にして二十四日山縣支隊の最右翼に配置せられたる步兵一大隊は全く包囲せらるるに至り七三一高地附近の生田部隊は敵戦車の蹂躙を受けて若干其の陣地を後退す

染谷部隊(十五加)亦敵戦車の突入を受け三島部隊(十五榴)主力は其の陣地を南方に変換す

森田(徹)部隊の一大隊は二十日以来の戦闘に於て遂に全滅し主力は「ニゲーソリモト」西方に於て敵の包囲下に奮戦す長谷部支隊左翼方面に対する敵の攻撃は盆〻急にして逐次圧迫せらるる状態にあり

森田(範)部隊は本朝来攻撃力行中にして敵陣地の一角を奪取し引続き攻撃続行中なるも敵頑強にして戦況容易に進展せず

ハ、二十六日(附図第七其の七)

山縣部隊方面は逐次敵の完全包囲に陥りつつも概ね其の陣地を保持す生田部隊は夜に入りて支隊本部位置に集結せり

染谷部隊は八時より十八時の間に遂に悲壮なる全滅を遂げたり

長谷部支隊は其の左側背よりする敵の包囲攻撃を受け森田(徹)部隊亦両翼包囲に陥る陥り弾薬、糧秣及水の補給至難となれり森田(徹)部隊長は午前沛然たる驟雨に乗じ果敢に攻撃し来りし敵を反擊する為率先陣頭に立ちて奮戦中壮烈なる戦死を遂ぐ

二十三、四日頃より小松原兵団司令部と第一線各部隊との通信連絡は屡〻杜絶し指揮連絡上極めて困難なる状況にあり此の夜長谷部支隊長は現陣地確保の困難なるを認め後方陣地に後退するに決し十九時之が命令を下達し二十七日一時其の第一線を撤退せしめたるも予定せし陣地線附近は敵部隊既に之を占領しあり戦況紛糾を極め各部隊の状況渾沌たり

森田(範)部隊に対する敵の砲撃は依然熾烈なるのみならず此の砲兵支援の下に午後両側背に対し一部歩兵を伴ふ戦車の逆襲ありしも善戦克く之を拒止し或は撃退せり

部隊長は此の夜攻擊を強行し一挙七八〇高地を奪取せんとせしも全般の状況上却つて有利ならざるを認め之を中止せり

当面の敵は障碍物を構築し火点を増加して其の陣地を増強す

荻洲兵団長は新に配属せられたる安井、國崎両兵団を攻勢方面に増加し攻撃を続行するに決し小松原兵団をして依然攻撃を続行せしめ國崎兵団の一部をして七四九高地(泉東方三粁)より七五二高地に亘る線を占領せしめ主力を「モホレヒ」湖東南側地区に集結して爾後の攻擊を準備せしむ

小松原兵団長は長谷部及森田(徹)両部隊救援の為本夜工兵橋に向ひ前進せんとせしが其の実行を二十七日に延期せり

ニ、二十七日(附図第七其の八)

敵は各方面共熾盛なる砲擊下に攻擊を続行す

山縣支隊方面は敵の包囲中にありて健闘之努め主力を以て七三八高地附近を固守し砲兵部隊亦之に協力して奮戦力闘す三島部隊は十六時より二十二時の間に於て遂に全滅を遂げ部隊長代理梅田少佐は壮烈なる遺書を三島部隊長(受傷後退しあり)に致して部下将兵と共に火砲と其の運命を共にせり

長谷部支隊は四周に敵の攻撃を受く支隊司令部は其の主力との連絡を失し梶川部隊と共に一意戦況の挽回を図りしも遂に成らず夜に入りて小松原兵団主力に合せんとせしも亦能はず二十八日「ノモンハン」附近に後退し他の部隊亦其の日同地附近に後退せり

荻洲兵団長は依然攻撃を続行しつつ兵力を集結し爾後の決戦を準備するに決し小松原兵団長をして其の本属以外の部隊を國崎兵団長に転属し又は軍直轄たらしめたる後「ホルステン」河両岸地区に於ける現陣地を確保せしめ國崎兵団長をして前記部隊を継承し引続き攻擊を続行して軍主力の決戦を容易ならしむる如く命令す

小松原兵団長は本命令に基き『日没と共に現在地出発攻撃を予期しつつ「ホルステン」河両岸地区を先づ旧工兵橋に次で新工兵橋に向ひ前進』するに決し大要左の如く部署す

(一) 山縣及長谷部両支隊は依然現陣地を死守

(二) 森田(徹)部隊は二十七日夜半旧工兵橋南方七五三高地附近に移動し同地附近を確保

(三) 司令部、杉立部隊(二中隊)(森川(徹)部隊の一部にして二十四日以来兵団直轄)、酒井部隊、野砲一中隊、通信隊、齋藤部隊(工兵主力)、輜重の一部及衞生隊は二十一時七四九高地北側出発「ホルステン」河南岸に沿ふ地区を旧工兵橋に向ひ前進

(四) 四谷部隊は二十一時前記位置出発「ホルステン」河右岸に沿ふ地区を先づ旧王兵橋に向ひ前進

(五) 輜重の主力は二十一時現在地出発「ノモンハン」を経て旧工兵橋に向ひ前進し徒歩部隊と合し引続き新工兵橋北側地区に向ひ前進

斯くして小松原兵団長は悲壮なる決意の下に前記部隊と共に第一線に向ひ前進を開始し途中泉附近を占領せる敵を撃破しつつ、意突進を続行す

森田(範)部隊正面の敵は朝来歩、砲各種火器を挙げて我が戦線を猛撃し夜半に及びしも出撃することなし

ホ、二十八日(附図第七其の九)

小松原兵団長は三時乃至四時の間旧工兵橋附近に於て森田(徹)部隊(東中佐指揮)を掌握し払曉後同橋梁西北附近に達せしも天明と共に敵の攻撃を受けて前進不能に陥り同地附近に位置して終日戦闘す

山縣支隊方面の戦況逐次逼迫するも尙七三八高地附近を固守す此の日久しく杜絶しありし山縣支隊との無線通信快復し小松原兵団長は同支隊の現陣地附近を守備しあるを確認し主力を以て本夜同支隊陣地附近に前進すベきを連絡せり

四谷支隊は三時既に新工兵橋に達せしが野砲中隊及輜重主力は途中敵と交戦し遂に主力に迫及するに至らず

此の日鷹司部隊(十加)主力は其の陣地に於て戦力を喪失し伊勢部隊(野砲)亦其の火砲の大部を破壊せらる

森田(範)部隊は二十七日夜半爾後の攻擊に関し國崎兵団命令を受領し依然攻擊を続行しつつ爾後の攻撃を準備せり此の日敵一部の夜襲を受け白兵戦を演じたるも敵数十を刺殺して之を撃退す

荻洲兵団長は「アブタラ」湖附近及山縣支隊背後に進出せし敵機械化部隊の一部を掃蕩し第一線の後方を安全ならしめんとし二十七日以来処置する所あり且長谷部支隊の一部を以て「モホレヒネオボー」附近を占領せしめ軍攻勢支援の為の陣地を構築せしむ

小松原部隊長は其の主力を以て山縣支隊の陣地に占位し成るベく永く優勢なる敵を吸引し軍主力の攻勢を容易ならしむる目的を以て敵戦車群の攻撃を予期しつつ更に前進するに決し二十二時手兵を提げて現在地を出発し所在の敵を撃破しつつ二十九日三時頃新工兵橋西北二粁附近に到著し各部隊を部署して四周に対し陣地を占領守備せしむ西谷部隊亦主力に合す

ヘ、二十九日(附図第七其の十)

優勢なる敵の重囲下にありて苦戦克く其の陣地を保持し来りし山縣支隊長は主力に合する目的を以て当直の敵を夜襲し「ノモンハン」に向ひ前進するに決し(命令下達の時間或は二十八日十七時と云ひ或は二十九日一時又は二時過なりと為し明かならず)支隊本部附近にありし各部隊を集結し四時頃七三八高地東方を出発途中敵の攻撃を排撃しつつ天明後両工兵橋中間「ホルステン」河右岸に達す同時左岸よりする熾盛なる敵火力の為部隊混乱に陥り山縣支隊長は軍旗を捧じ伊勢部隊長と共に北岸台上に移動せしが肉薄する敵の猛攻に会し遂は軍旗を泰焼して両部隊長壮烈なる戦死を遂げ軍旗の御遺体は後日無事収容し来れり

各部隊は各〻敵の重囲を突破し十時頃「ノモンハン」附近に帰還す

荻洲兵団長は小松原兵団の戦果を確保し越境敵軍を撃滅すベき関東軍命令に基き逐次増加せられたる兵力を以て攻勢を持続し来りしが二十八日長谷部支隊「ノモンハン」附近への後退に依り「ホルステン」河南岸攻勢拠点の喪失を知り玆に現攻勢の続行を中止し純作戦の見地に基き「ノモンハン」附近に兵力を集結して爾後の攻勢を準備するに決し八時三十分左記要旨の命令を下達せり

(一) 小松原兵団は将軍廟南方地区に集結

(二) 國崎兵団は「アブタラ」湖南側より七四九高地附近を経て「モホレヒネオボー」附近に亘る間を占領し敵の攻撃を破摧

(三) 軍砲兵隊(畑部隊)は自今國崎兵団長の指揮下に入る

(四) 長谷部支隊は國崎兵団の左翼に連繋して陣地を占領し東方及北方に対し警戒

(五) 伊東支隊は将軍廟附近に転進し同地附近を守備

(六) 片山部隊(混成一旅団)は「ハンダガヤ」峠西方約八粁一〇一五高地附近を占領しある獨独立守備歩兵大隊を併せ指揮し同地西北約八粁九五一高地附近を占領し安井兵団主力の進出掩護

(七) 安井兵団主力は「ハイラル」―旧将軍廟道を成るベく速かに九五一高地附近に向ひ前進

尙荻洲兵団長は十三時小松原兵団長に対し左の命令を下達(命令受領者に口達筆記せしむ)せしも遂に到達せざりしが如し

(一) 部隊は兵力を集結し後図を策せんとす

(二) 貴官の指揮する部隊は敵線を突破して○に向ひ転進すベし(註、○は将軍廟を意味す)

(三) 吾等の責任は最後の企図遂行にあり

 此の際自重し現状如何に拘らず本命令の実行を嚴命す

小松原部隊は密接に協同する敵歩戦砲の攻撃を受け逐次両翼を包囲せらる

此の日に於ける各部隊の兵力左の如し

森田(徹)部隊      約 四五〇名

酒井部隊        約 三二〇名

四谷部隊        約 二〇〇名

齋藤部隊        約 三〇〇名

夕刻に及び敵の攻撃特に猛烈にして遂に手榴弾戦及白兵戦を交ふるに至れり

主力に迫及せし軍無線小隊は遂に到著せず為に両司令部間の連絡意の如くならざりしが爾後の協定によりて三号無線機により辛うじて通信し得るに至れり

小松原兵団司令部は此の日戦況に鑑み遂に暗号書の大部を焼却せり

森田(範)部隊は午後『國崎兵団は本夜戦線の一部を整理し七四九高地より七五二高地を経て「モホレヒネオボー」附近に亘る線を占領すベき』企図に基く命令を受領し敵の妨害を受くることなく夜半二時第一線を撤して七五二高地東方地区に後退せり

ト、三十日及三十一日(附図第七其の十一)

敵は概ね九〇四高地(「ハンダガヤ」西西北三〇粁)より八八五高地、七八〇高地、「ホルステン」河屈曲部、「マンズテ」湖附近を経て「ホンジンガンガ」に亘る線に停止し一部は「ノモンハン」及将軍廟西方地区に近接す

軍は「モホレヒ」湖周辺を攻勢の支援として爾後の作戦を準備するに決し片山部隊長をして石蘭支隊及在一〇一五高地独立守備歩兵大隊を併せ指揮し八八五高地方面に作戦し敵を牽制して軍主力の作戦を容易ならしめ且随時主力を安井兵団主力方面に転用し得るの準備にあらしむ

三十日荻洲兵団長の小松原兵団長に対し打電せし重要命令左の如し

(一) 十二時三十分発(生文)「軍命令本夜帰れ」

(二) 十五時   発「小松原部隊長は敵を突破して速カに○東南方地区に集結すベし即時実行すベし

前者は受信せしも後者は著信せざりしが如し

小松原兵団長は右命令に基き後退を決心せしも十六時より敵の肉薄攻撃猛烈にして本夜の離脱至難となりしを以て十七時 「本夜の離脱至難となる将兵一同志気旺盛奮戦中なり最後の一兵迄喜んで陣地を死守せんとす」と報告(電報)す是小松原部隊発信最後のものなり

軍は小松原兵団の救出に関し種々処置する所ありしが之に関する電報は遂に通達せざりしが如し

三十日十八時森田(徹)部隊東中佐は切迫せる戦況に鑑み軍旗を完全に奉焼し部下将兵と共に勇奮突擊を敢行し壮烈なる戦死を遂げたり

三十日夜小松原兵団長は敵の圧迫稍〻緩となりしに乗じ再び戦線離脱を決意し二十三時転進を開始す各部隊亦之に続行し敵の重囲を突破しつつ三十一日「ノモンハン」及「モホレヒ」湖附近に帰還せり

当時集結し得たる小松原部隊兵力は二、〇〇〇名内外なり

2、航空状況

我が航空部隊は依然終始執拗なる敵機の活動を制しつつ連日数回出動して我が地上部隊当面の敵を攻擊し密接に協力し其の間従来の如く多大の戦果を収めたり然れども戦闘逐次困難の度を加ヘたるが如し

関東軍及統帥部の企図竝に処置

1、 関東軍司令官は敵攻勢の規模竝に戦況を知るや敵擊滅の好機を捕捉し之に徹底的打擊を与ふるに決し二十三日國崎兵団主力及他正面より速射砲八中隊等を荻洲兵団に増派する如く部署せしこと既述の如し

2、関東軍司令官は荻洲兵団の攻勢移転進捗しあらざる等の状況に鑑み軍の国境紛争処理の根本方針は変化なきも此の際「ハルハ」河附近の敵に徹底的打撃を加ふること絶対に必要なるものと確信し之が為更に速射砲十二中隊及野戦重砲兵一連隊等を増加する如く処置せり

 更に此の夜安井兵団竝に岡部兵団の旅団長の指揮する歩兵一連隊、砲兵一大隊基幹の部隊及内藤兵団の速射砲四中隊を増加し且荻洲兵団長に命ずるに『「 ノモンハン」事件処理要綱に拘ることなく敵に一大鉄槌を加ヘ敵の戦意を喪失せしむベき』を以てす

3、統帥部は関東軍が既述の如く新に約二師団を「ノモンハン」方面に投入せる状況に基き対「ソ」戦備の欠陥を補填する為関東軍に対する兵力増強に関し研究中なりしが二十七日二師団及之に伴ふ部隊を内地竝に支那方面より増派するに決し二十九日頃より逐次実行に著手せり

4、八月攻勢時期に於ける敵地上兵力は七月初旬に於ける参戦兵力の他、七月中旬及下旬の間逐次到著する特設狙擊第八二師団及狙擊第三六師団主力竝に八月中旬戦場に到著せる特設狙擊第五七師団等を加ヘたる狙撃三九大隊(機甲旅団内の狙擊大隊五箇を含まず)、機甲五旅団、外蒙騎兵二師団等にして其の人員及兵器数概ね次の如し

  人員            約 五〇、〇〇〇

  戦車            約    四三〇

  装甲自動車         約    四三〇

  野砲(十二榴を含む)            二五〇

  重砲(十加、十五榴、十五加) 約     八〇

 右情報等に鑑み関東軍は二十八日更に澤田兵団を増派するの処置を採れり

5、玆に於て統帥部は不準備の状態に於て之以上兵力を逐次増加するは不利とするのみならず事件を拡大に導く虞ありと信ぜしが八月三十日努めて小なる兵力を以て持久を策すベき大命を発せらる

 然るに三十一日軍の戦線整理竝に損害の概要に関する報告を受領するに及び事態一変せりとなし之が対策を考究する所ありしが三日本事件の自主的終結(攻勢作戦中止)に関する大命を拝するに至れり

 当時荻洲兵団長が前記関東軍司令官の「ハルハ」河畔の敵に徹底的打擊を与ヘんとする企図に基き逐次増加せられたる兵力を集結し爾後の攻勢に関し計画しありし所大要左の如し

軍は片山支隊(後藤支隊の進出に伴ひ之と交代して安井兵団長の指揮に復帰す)をして「ハルハ」河右岸の敵を攻擊し努めて敵を東方に牽制せしめ此の間「ノモンハン」東方地区を攻勢の支撐とし主力を以て「ホルステン」河北方の敵に強圧を加ヘつつ「ハルハ」河を渡河し敵を戦場に捕捉撃滅す

主決戦方面を「ハルハ」河に沿ふ地区とし決戦の時期を九月十二日以後と予定す

右作戦目的達成後軍は遅くも九月末迄に主力を以て戦場を離脱し冬季作戦の態勢に転移す

軍の集中輸送は概ね順調に進捗中にして安井兵団は九月七日、澤田兵団は九日戦場に到著せり

九月六日関東軍司令官交迭せられ同日新軍司令官著任す

     第十二節 九月七日以後の状況概要(停戦)

八月三十一日頃以来戦況逐次平静となれり

軍の集中は概ね予定の如く進捗せしが敵亦九月三日以来「ハンダガヤ」東南一〇三一高地方面に、又八、九日頃「ハンダガヤ」西方九四四高地方面に夫々若干部隊を以て攻擊せし外全般に前進することなく概ね彼の主張する国境線内に停止し態勢を整理すると共に防備を厳にしつつあり

前述一〇三一高地方面に於ては独立守備隊の一大隊陣地を占領しありしが我が後藤支隊 (歩兵一連隊基幹)は他の独立守備歩兵一大隊と共に九日払曉之に多大の損害を与ヘて「ハルハ」河左岸に撃退し九四四高地方面に於ては我が片山部隊之を攻撃し彼我共に相当の損害あり

軍は攻勢準備の態勢を保持しつつ厳重敵を監視しつつありしが遂に十五日に至り「モスコー」に於て停戦に関する協定成立し十六日之が実施を見たり

次で十八日よりの現地交渉概ね順調に進捗し軍は二十日頃より大命に基き原駐地帰還の為の行動に移れり

     第十三節 白阿線に対する敵空襲の状況

六月十六日より九月十五日に至る九十三日間に於て敵は白阿線―主として「アルシャン」駅附近に対し一一六回(最大一日八回)の空中攻撃を実施し我が軍の輸送其の他を妨害せり其の空襲延機数は四六六機にして最大一日九六機に及びしことあり

敵機は概ね払曉頃偵察を実施し正午前後対地射擊を行ひ夕刻爆弾及焼夷弾を投下するを常とし投下弾数合して八五〇を算せり

我が損害は軌条、枕木、車輌等に若干の被害を被りたる外死傷者二〇余名(死一)を出したる程度にして輸送には大なる支障なかりき

我が飛行隊の一部を白阿沿線に推進し敵機を攻擊せしむるに至り其の活動頓に衰ふるに至れり

     第十四節 第二次「ノモンハン」事件に於ける総合戦果

一、敵軍の損害

作戦間に於ける敵の衛生機関及同材料の不足に基く頻々たる増減補充の要求、敵の後方及他方面よりせし飛行機、機甲部隊等の補充状況、「ザバイカル」及「シベリヤ」方面の病院充満して列車を以て之に代用し且欧「ソ」方面より多数の医師、看護婦等を徵集せしが如き状態竝に敵将兵の自供等に徵し其の損害甚大なりしは想察するに難からざる所なりと雖も未だ之に関する的確なる資料を入手するに至らず

六月下旬以降敵飛行機に与ヘたる損害確実なるもの一、〇九〇機、 不確実なるもの一八五機の大量に及ベり

二、我が軍の損害

 1、地上部隊

  イ、兵員

   戦(傷)死   七、七二五名(内将校 三九一名)

   戦傷      八、六五九名(内将校 三一四名)

   生死不明    一、〇三一名(内将校  一九名)

   計      一七、四〇五名(内将校 七二四名)

  ロ、小松原兵団に就き兵員損耗の状況(百分比)を観るに左の如し

   兵団司令部    四二・五

   小林部隊本部   八七・五

   山縣部隊     六七・〇

   森川(徹)部隊   八九・五

   酒井部隊     八〇・八

   井置部隊     六四・九

   伊勢部隊     七七・〇

   齋藤部隊     八四・三

   緑川部隊     三三・七

   通信隊      六四・七

   衛生隊      五六・八

   野戦病院     一四・八

   戦死  将校三九・三   准士官以下 三〇・三

   戦傷  将校三〇・三   准士官以下 三三・四

  ハ、馬匹

   戦死、戦傷、生死不明を合し   二、〇〇五頭(七四%)

  ニ、兵器

   小銃              八、六〇一

   軽機関銃              三六〇

   重機関銃              一六五

   歩兵砲(連射砲を含み山砲を除く)  一〇三

   火砲(山砲以上高射砲を含む)     二九

2、航空部隊

 戦死(生死不明共)  二〇二名(内将校准士官六八名)

 飛行機(小破損以上) 三六一機


     第四章 外交交渉竝に現地停戦交渉の経過

八月二十一日東郷大使「ロゾフスキー」と利権問題にて会議せる際「ノモンハン」事件に関し若干応酬する所ありしが九月九日、十日及十六日の交渉の結果次の如き取極めに到達せり

最近日本大使東郷氏、 外務委員「モロトフ」氏間に行はれたる交涉の結果双方即ち日満側及「ソ」蒙側は左記合意に到達せり

一、 日満軍、「ソ」蒙軍は九月十六日午前二時(「モスコー」時間)を期し一切の軍事行動を停止す

二、日満軍及「ソ」蒙軍は九月十五日午後一時(「モスコー」時間)其の占め居る線に止まるものとす

三、現地に於ける双方軍代表者は直ちに本合意一及二の実行に著手す

四、双方の俘虜及死体は交換せらるベく右に付現地に於ける双方軍代表は直ちに相互に協定し実行に著手す

尚東郷氏及「モロトフ」氏間交渉に於て最近紛争ありたる地方の蒙古国民共和国及満洲国間国境を明確ならしむる目的を以て「ソ」蒙側代表者二名及日満側代表者二名よりなる委員会を成るベく速かに組織せらるベしとの合意成立せり

現地停戦交渉の概要

一、十六日十三時軍主力方面に於ては停戦の事実を確認す「ハンダガヤ」方面も平静なり

二、十六、十七日の両日我が軍使「ソ」軍軍使と会見し予備的交涉をなす

三、十八日午後彼我停戦委員会見し左の如く率直なる了解に達す

1、「ソ」側は停戦を持続し且誤解なからしむる為具体的取極めをなすことには異議なく停戦位置を地図に記載して同方面上司の認可を得たる後回答す

2、「ソ」側は死体及俘虜に就ては誠意を以て概ね一週間内に其の全数を両軍中間地区に於て交換方提議せり我に於て提議せる「ソ」軍戦線内の死体を我が非武装兵員を以て収容する案に対しては上司に報告したる後回答す

3、明十九日十六時再申受を約し且「ソ」側は以上諸件に対し回答を約せり

以上の会談は友誼的空気を以て終始し聊も我が感情を刺戟するが如き態度及言辞を認めず且停戦及其の善後処置の迅速なる終結を切望しあるやにも看取せらる

四、十九日第二次会見の結果

1、「ソ」側は停戦位置記載の地図交換に同意す

2、我が非武装員を以て「ソ」軍戦線内の死体収容を行ふ案には同意せず

 二十一日より二十五日に亘り五日間死体の交換を行ふことを約す

3、俘虜は二十七日交換す重傷者は飛行機により輸送することとす

五、二十日第三次会見の結果

1、「ソ」側は図らずも我が提案たりし「ソ」軍戦線に於て我が非武装員を以て死体収容を為すの案を是認し各一〇〇名、自動貨車二〇輌の作業隊一〇箇を我の欲する地区に進入せしめ死体を其の携帯兵器と共に収容することを許可せり

 「ソ」側は死体の存在する位置を案内するの好意を示せり

 右作業は「ハルハ」河東岸の「ソ」軍占領地域内前線より開始し俘虜交換日たる二十八日迄に実施し之を以て彼我共死体の交換を完了することとす

2、彼より其の第一線を図示せる地図を提示す

 然れども「ハンダガヤ」西方二四粁九〇四高地以東「ハルハ」河畔には全く兵力配置を記載しあらず

3、会談終了後「ソ」側は準備せる晩餐に列席せり

六、二十一日第四次会見の結果

1、昨日交換せる停戦位置地図に就ては双方異議なし

2、之を以て彼我共停戦覚書に関する意見一致を見たるを以て停戦に関する覚書竝に其の附属地図の署名交換に同意調印は文案修正の都合上二十二日に延期す

3、「ハンダガヤ」東南「ハルハ」河左岸の線には騎兵部隊ありしこと確実なるに拘らず記載しあらず然れども部隊なきものと了解して可なる旨説明せり

4、白銀査干「オボー」附近「ハルハ」河左岸地区竝に航空隊の為同河左岸一帯の死体の協同捜索に関しても同意せり

5、受領せる死体配置図に依れば予想死体は「ノモンハン」方面に於て少くも四、二四〇

七、二十二日第五次会談の結果

1、停戦覚書調印を明二十三日に延期す

其の理由は若干調査を命ぜられたることある為なりと頻りに弁解せり

2、停戦交渉と国境交渉とは全く別なりと弁解しつつも「アルシャン」河が五十萬分一図上名称の如く「ハルハ」河ならば国境は該線なるベき場合ありと称す

3、先方の申出に依れば我が俘虜は五五名にして中一〇名は重傷なりと同数交換を試む底意ならずやと判断せらる

八、二十三日第六次会談の結果

1、調印に至らず死体収容の調印に関する交渉に終る

2、俘虜全数交換の原則は十分認めあり

我最初五〇と称し本日九〇と確答したるに対し彼も亦精密なる報告を待つベしと答ふ

九、我が死体の搜索竝に収容は九月二十四日以後毎日支障なく実施せられ三十日迄に四、三八六体を収容し同日を以て打切りとせり

 此の間「ソ」は好意的態度を示し「ハルハ」河左岸にありし我が航空将兵の死体五五体、其の他の死体四体を我が方に送付す

十、俘虜の交換に就ては我が方より二十七日八七名を返還し又彼より二十七日及二十九日の両日八十八名(内満軍七名)を受領せり其の内約半数は傷者にして将校は重傷者一名のみ

 然れども尙若干残れるやの疑あるのみならず去る九月二十七日死体収容間誤りて所定地域外に入り目下抑留せられある加藤大尉以下一四名あり之等に関しては目下交渉中なり

十一、停戦協定に関しては相互に停戦時に於ける第一線の位置を記入せる地図の交換を了したるも「ソ」側は「ハンダガヤ」(含まず)以東の地区は今次停戦地域外と主張し我が主張と一致せざる為に停戦時に於ける第一線の位置確認に関する覚書の調印は我より拒否せるも死体の収容、俘虜の交換等現地軍としては概ね満足し得ベき程度の実現を見るに至れり

(以下図省略)

(Source:日本公文書館 C13010409500.9600.9700.9800.9900)

コメント

このブログの人気の投稿

徴兵の詔(徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭) 1872年12月28日

徴兵令詔書及び徴兵告諭(口語訳)  今回、全国募兵の件に付き、別紙の詔書の通り徴兵令が仰せ出され、その定めるところの条々、各々天皇の趣意を戴き、下々の者に至るまで遺漏なきように公布しなさい。全体として詳細は陸軍・海軍両省と打ち合わせをしなさい。この趣旨を通達する。  ただし、徴兵令および徴募期限については追って通達するべきものとする。 (別紙) 詔書の写し   私(明治天皇)が考えるに、往昔は郡県の制度により、全国の壮年の男子を募って、軍団を設置し、それによって国家を守ることは、もとより武士・農民の区別がなかった。中世以降、兵は武士に限られるようになり、兵農分離が始まって、ついに封建制度を形成するようになる。明治維新は、実に2千有余年来の一大変革であった。この際にあたり、海軍・陸軍の兵制もまた時節に従って、変更しないわけにはいかない。今日本の往昔の兵制に基づいて、海外各国の兵制を斟酌し、全国から兵を徴集する法律を定め、国家を守る基本を確立しようと思う。おまえたち、多くのあらゆる役人は手厚く、私(明治天皇)の意志を体して、広くこれを全国に説き聞かせなさい。 明治5年(壬申)11月28日  わが国古代の兵制では、国をあげて兵士とならなかったものはいなかった。有事の際は、天皇が元帥となり、青年壮年兵役に耐えられる者を募り、敵を征服すれば兵役を解き、帰郷すれば農工商人となった。もとより後世のように両刀を帯びて武士と称し、傍若無人で働かずに生活をし、甚だしい時には人を殺しても、お上が罪を問わないというようなことはなかった。  そもそも、神武天皇は珍彦を葛城の国造に任命し、以後軍団を設け衛士・防人の制度を始めて、神亀天平の時代に六府二鎮を設けて備えがなったのである。保元の乱・平治の乱以後、朝廷の軍規が緩み、軍事権は武士の手に落ち、国は封建制の時代となって、人は兵農分離とされた。さらに後世になって、朝廷の権威は失墜し、その弊害はあえていうべきものもなく甚だしいものとなった。  ところが、明治維新で諸藩が領土を朝廷に返還し、1871年(明治4)になって以前の郡県制に戻った。世襲で働かずに生活していた武士は、俸禄を減らし、刀剣を腰からはずすことを許し、士農工商の四民にようやく自由の権利を持たせようとしている。これは上下の身分差をなくし、人権を平等にしようとする方法で、とりもな...

日清修好条規 1871年09月13日

内容見直し点:口語訳中途 修好条規(口語訳、前文署名省略) 第一条 この条約締結のあとは、大日本国と大清国は弥和誼を敦うし、天地と共に窮まり無るべし。又両国に属したる邦土も、各礼を以て相待ち、すこしも侵越する事なく永久安全を得せしむべし。 第二条 両国好を通ぜし上は、必ず相関切す。若し他国より不公及び軽藐する事有る時、其知らせを為さば、何れも互に相助け、或は中に入り、程克く取扱い、友誼を敦くすべし。 第三条 両国の政事禁令各異なれば、其政事は己国自主の権に任すべし。彼此に於て何れも代謀干預して禁じたる事を、取り行わんと請い願う事を得ず。其禁令は互に相助け、各其商民に諭し、土人を誘惑し、聊違犯あるを許さず。 第四条 両国秉権大臣を差出し、其眷属随員を召具して京師に在留し、或は長く居留し、或は時々往来し、内地各処を通行する事を得べし。其入費は何れも自分より払うべし。其地面家宅を賃借して大臣等の公館と為し、並びに行李の往来及び飛脚を仕立書状を送る等の事は、何れも不都合がないように世話しなければならない。 第五条 両国の官位何れも定品有りといえども、職を授る事各同じからず。因彼此の職掌相当する者は、応接及び交通とも均く対待の礼を用ゆ。職卑き者と上官と相見るには客礼を行い、公務を辨ずるに付ては、職掌相当の官へ照会す。其上官へ転申し直達する事を得ず。又双方礼式の出会には、各官位の名帖を用う。凡両国より差出したる官員初て任所に到着せば、印証ある書付を出し見せ、仮冒なき様の防ぎをなすべし。 第六条 今後両国を往復する公文について、清国は漢文を用い、日本国は日本文を用いて漢訳文を副えることとする。あるいはただ漢文のみを用い、その記載に従うものとする。 (これ以下まだ) 第七条 両国好みを通ぜし上は、海岸の各港に於て彼此し共に場所を指定め、商民の往来貿易を許すべし。猶別に通商章程を立て、両国の商民に永遠遵守せしむべし。 第八条 両国の開港場には、彼此何れも理事官を差置き、自国商民の取締をなすべし。凡家財、産業、公事、訴訟に干係せし事件は、都て其裁判に帰し、何れも自国の律例を按して糾辨すべし。両国商民相互の訴訟には、何れも願書体を用う。理事官は先ず理解を加え、成丈け訴訟に及ばざる様にすべし。其儀能わざる時は、地方官に掛合い双方出会し公平に裁断すべし。尤盗賊欠落等の事件は、両国の地方官より...

帝国陸海軍作戦計画大綱 1945年01月20日

 帝国陸海軍作戦計画大綱(ひらがな化、一部新字体化、一部省略)  帝国陸海軍作戦計画大綱(昭和二十年一月二十日)    目 次(略)    第一 作戦方針  帝国陸海軍は機微なる世界情勢の変転に莅み重点を主敵米軍の進攻破摧に指向し随処縦深に亙り敵戦力を撃破して戦争遂行上の要域を確保し以て敵戦意を挫折し以て戦争目的の達成を図る    第二 作戦の指導大綱 一 陸海軍は戦局愈々至難なるを予期しつつ既成の戦略態勢を活用し敵の進攻を破摧し速に自主的態勢の確立に努む   右自主的態勢は今後の作戦推移を洞察し速に先つ皇土及之か防衛に緊切なる大陸要域に於て不抜の邀撃態勢を確立し敵の来攻に方りては随時之を撃破すると共に其の間状況之を許す限り反撃戦力特に精錬なる航空戦力を整備し以て積極不羈の作戦遂行に努むるを以て其の主眼とす 二 陸海軍は比島方面に来攻中の米軍主力に対し靭強なる作戦を遂行し之を撃破して極力敵戦力に痛撃を加ふると共に敵戦力の牽制抑留に努め此の間情勢の推移を洞察し之に即応して速に爾他方面に於ける作戦準備を促進す 三 陸海軍は主敵米軍の皇土要域方面に向ふ進攻特に其の優勢なる空海戦力に対し作戦準備を完整し之を撃破す   之か為比島方面より皇土南陲に来攻する敵に対し東支那海周辺に於ける作戦を主眼とし二、三月頃を目途とし同周辺要地に於ける作戦準備を速急強化す   敵の小笠原諸島来攻(硫黄島を含む)に対し極力之か防備強化に努む   又敵一部の千島方面進攻を予期し又状況に依り有力なる敵の直接本土に暴進することあるを考慮し之に対処し得るの準備に遺憾なからしむ 四 陸海軍は進攻する米軍主力に対し陸海特に航空戦力を総合発揮し敵戦力を撃破し其の進攻企図を破摧す 此の間他方面に在りては優勢なる敵空海戦力の来攻を予想しつつ主として陸上部隊を以て作戦を遂行するものとす   敵戦力の撃破は渡洋進攻の弱点を捕へ洋上に於て痛撃を加ふるを主眼とし爾後上陸せる敵に対しては補給遮断と相俟つて陸上作戦に於て其の目的を達成す 此の際火力の集団機動を重視す   尚敵機動部隊に対しては努めて不断に好機を捕捉し之を求めて漸減す 五 支那大陸方面に在りては左に準拠し主敵米軍に対する作戦を指導す (一) 支那大陸に於ける戦略態勢を速に強化し東西両正面より進攻する敵特に米軍を撃破して其の企図を破摧し皇土を中核とする大...