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国策大綱 1938年01月20日

国策大綱(原文:ひらがな、一部新字体化)

内閣閣甲第一一号
  昭和十三年一月二十一日
   内閣総理大臣公爵 近衛文麿

 外務大臣 広田弘毅殿
 
国策大綱別紙の通決定相成候条此段及通牒候

 国策大綱
国体の本義に基き挙国一致内に国力の充実を図り外に帝国の発展を遂くるを以て施政の根本方針とし向後数年に亘る非常時を目標とし緩急軽重を計つて左記諸政策を遂行す
一 帝国の対外国策は日満支の鞏固なる提携を具現し東洋永遠の平和を確立し世界の平和に貢献するを以て基本とす
二 日満両国不可分関係を堅持して対満重要策の完成を期し対支策の具現に積極的努力を為し南方に対する経済発展に努む
三 支那事変に対する軍事目的達成に遺憾なからしめ且国防の必要に応する為国家総動員態勢を完成すると共に今後一層軍備の充実を図る尚支那長期抵抗に対応する一切の措置を執る
四 向後四年を目標とし重要産業の振興を計りて生産力の総合的拡充を為し日満の外更に北支等をも加へて全体的計画の下に国防上重要物資の供給を確保し且輸出貿易を促進して国際収支を改善し以て国防経済の確立、帝国経済力の充実を期す
五 今次事変に於ける銃後の処理及戦死傷病者並に其の遺族家族に対する扶助援護に遺憾なからしめ且復員の措置を適切にし更に在支居留民の復興に必要なる措置を講し以て将来に於ける帝国発展の万全を期す
六 国民思想の指導を強化徹底し学術文化の振興を図り大国民たるの資質を涵養すへく文教の刷新を期す
七 非常時局に対する国民の覚悟を益々強調し犠牲的精神を発揮せしむると共に国民生活の安定に必要なる諸政策、就中農山漁村の振興、中小商工業者及労務者の厚生並に国民体力の向上に力を致す
八 軍備充実、産業振興及国民生活安定の為物価、金融、事業、貿易、交通、動力、労務等に対し必要なる国家的統制を加ふると共に非常時財政計画を確立す
九 共産主義其の他国体と相容れさる思想行動に対し之か艾除克服を期す
十 以上の諸政策遂行を迅速的確ならしむる為政治行政を刷新し国家諸般の機構をして之に適応せしむることを期す
(国立国会図書館:4.重要国策関係(支那事変中)/9)国策大綱)

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