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満洲国政府の鉄道、港湾、水路、航空路等の管理並線路の敷設、管理に関する協約 1932年08月07日

 満洲国政府の鉄道、港湾、水路、航空路等の管理並線路の敷設、管理に関する協約(ひらがな化、新字体化、不明文字あり)


   満洲國政府ノ鐵道、港灣、水路、航空路等ノ管理並線路ノ敷設、管理ニ關スル協約

満洲国政府代表国務総理鄭孝胥(以下甲と称す)と関東軍司令官本庄繁(以下乙と称す)は満洲国政府の鉄道、港湾、水路、航空路等の管理並線路の敷設、管理に関し協定を為すこと左の如し

第一条 甲は鉄道、港湾、水路(附表第一に掲くるものにして附帯事業を含む以下同し)及航空路等の管理並附表第二に掲くる線路の敷設、管理を乙に委託するものとす

 前項の管理及線路の布設に関する細目は甲、乙間に於て別に協定するものとす

第二条 乙は法令並本協定の定むる所に依り鉄道、港湾、水路、航空路等の管理を為すものとす

第三条 甲は交通に関する重要なる法令の整理、制定並改廃に関し予め乙の諒解を受くるものとす

第四条 乙は第一条に基き其の管理を委嘱せられたる鉄道、港湾、水路の経営及布設を南満洲鉄道株式会社(以下満鉄会社と称す)に委託するものとす

第五条 左記各項に掲くる資金は満鉄会社をして之を調達せしむるものとす

 一、民間出資及之に準するものの償還に要する資金

 二、新設、買収並拡築、改良に要する資金

 三、車両船舶の新造改造に要する資金

 四、其の他之に準する資金

第六条 前条の資金及満鉄会社の有する満洲国内鉄道借款並工事請負契約に基く債権全額を貸金総額とし鉄道、港湾、水路に属する一切の財産(営業権を含む)を担保とする借款契約を満鉄会社と満洲国政府との間に締結するものとす

第七条 第一条の管理(航空路を除く)に依り生することあるへき利益金は借款元利定額の支払に充て其の剰余は日本軍に於て担任する国防並治安維持の費用の一部に充当し尚剰余あるときは之を満洲国政府及満鉄会社に於て収得するものとす

第八条 甲は乙の管理に属する以外の鉄道の敷設を免許するに当りては予め乙の諒解を受くるものとす

第九条 甲は乙の援助の下に特設の経営機関をして航空に関する一切の事業を経営せしめ其の管理を乙に委託するものとす

 其の細目は別に協定するものとす

第十条 甲は主要道路の新設、改良に関しては乙の諒解を得て施行するものとす

第十一条 本協約設立の趣旨に鑑み甲は乙の指定せる軍事顧問を傭聘し国防上重要なる交通施設につき諮詢するものとす

第十二条 本協約書は日満両文を以て各二通を作為し甲乙各一通を保有するものとす

 本協約の解釈に関し疑義を生したるときは日文を以て之を決す

 附 則 左記諸契約は凡て本協約及附属協定の成立と共に其の効力を失ふものとす

 一、昭和六年十一月一日附満鉄総裁と吉林省長間に成立せし鉄道の新設経営貸金に関する契約

 二、昭和六年十二月一日附満鉄総裁と四洮局長間に成立せし四洮鉄路貸金及経営契約

   昭和七年八月七日

   大同元年八月七日

            日本帝国関東軍司令官 本 庄 繁 印

            満洲国国務総理    鄭 孝 胥 印


  附表第一

   一、鉄 道

    甲

     四 洮 線

     洮 昴 線

     洮 索 線

     斎 克 線

     呼 海 線

     吉 長 線

     吉 敦 線

     吉 海 線

     潘 海 線

     奉 山 線(打通線を含む)

    乙

     将来新に建設せらるる国防上必要なる国有鉄道

   二、港 湾

     葫 蘆 島

     河   北(営口)

     安 東 県

   三、河 川

     松 花 江

     嫩   江

     牡 丹 江

     遼   河

     黒 龍 江

     ウスリー河

     鴨 緑 江

     豆 満 江

  附表第二

   一、新建設線

    (一)敦 化-圖們江線-(朝陽川-上三峯線を含む)

    (二)拉法站-哈爾賓線-(呼海線に接続す)

    (三)克 山-海倫線

    (四)拉哈站-墨爾根-大黒河線及海克線の一駅より大黒河に至る線

    (五)通遼又は錦県より赤峰及熱河に至る線

    (六)敦 化-海林線

    (七)王爺廟-索倫-満洲里(又は海拉爾)線

    (八)長 春-大■-洮安線

    (九)延 吉-海林-依蘭-佳木斯線

    (十)新 邱-義州站及巨流河站に至る線

   二、其他の国有鉄道及水路

(国立公文書館:標題:4.満洲国来翰 昭和7年9月 C12120038100)

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