広田外務大臣演説(ひらがな、一部新字体化)
第六十七回帝国議会ニ於ケル廣田外務大臣演說
(昭和十年一月二十二日)
帝国の対外関係に付きましては、先頃臨時議会に於て大要御説明致しましたが、近時帝国と諸外国との間に漸次好感情が増して參りましたことは、御同慶の至りであります。世界何れの国とも益々和平親善の関係を樹立し、互に交通通商の進展を計ることは、實に我対外方針の根幹とする所であります。
先づ滿洲国に於きましては、今や既に建国の基礎を完成しまして、此の後の發達に付きましては、眞に日滿兩国民の融和協力に俟つものが多いと思ひますが、就中經濟的方面に於ては益々有無相通じ、共存共榮の實を擧げんことを期待する次第であります。斯かる際、今春四月上旬を期して、同国皇帝陛下が親ら帝都に 天皇陛下を御訪問あらせられ、兩皇室の間に御親交を重ねさせるるは、吾人の感激措く能はざる所でありまして、又同皇帝陛下を近く我国に御歡迎申上ぐるの機会を得ますことは、全国民の特に光榮とする所と存じます。
帝国の今日大なる関心を拂つて居りまするは、海軍軍縮問題であります。「ロンドン」に於ける日、英、米三国の豫備交渉に就ては、前議会に於て御説明の機会を得たのであります。今囘の交渉に対する帝国政府の根本方針は、其の際詳細に申述ベました通でありまして、徹底的軍縮を行ひ、攻撃的兵力の全廢若くは大縮減を實現し、以て各国をして他国よりの脅威を免れしむると共に、又如何なる国に対しても、脅威を加へ得ざらしむることに在るのであります。而して、大正十一年華盛頓に於て署名せられました海軍軍備制限条約は、今や右方針と相容れざるものがあります為、帝国政府は同条約の規定に遵ひ、客年の十二月二十九日を以て、米国政府に是が廢止の意思を通告したのであります。其の結果、同条約は昭和十一年十二月末日を以て、廢止せらるることとなつたのでありますが、固より帝国政府は之に依つて進んで軍備擴張を為すが如き意圖のなきは勿論、眞に軍備制限の精神に基く新なる方式に依り、同条約に代るベき新協定の成立を期せんとするものであります。曩の豫備交渉に於きましては、関係国間に十分なる討議が行はれ、各国の見解も略々明白となるに至りました結果、此の際各国代表が親しく本国政府と打合せを行ひ、是迄の交渉の結果を、篤と檢討することが適當と認められました為、昨年十二月二十日を以て、一先づ交渉を休止することとなりました。併し乍ら、交渉休止中も関係国は、引續き相互に密接なる連絡を保持し、適當なる時期到來次第、交渉を再開することに打合せを遂げたのであります。而して、帝国政府は右交渉が速に再開せられ、関係国間の友好的協力に依り、徹底的軍縮と、不脅威不侵略の原則に基く公正妥當なる新協定を成立せしめ、以て世界の平和に貢獻せむことを切望するものでありまして、之が為、最善の努力を致さんとするものであります。
元來日米兩国は、經濟通商の関係に於て、他に例を見ざるが如き、相互依存の重要関係に立ち居るのみならず、国交開始以來歴史約友好関係に在り、其の本質上圓滿なる解決を見得ざるが如き如何なる問題も存在せざるは勿論、遙か太平洋を隔てて其の東西に存在する兩国の間に於て、何等衝突すベき原因を想像し得ないのであります。又舊同盟国たる英国との関係に就きましては、帝国の通商貿易擁護上、同国との間に幾多折衝の必要あるものあるは事實でありますが、世界何れの地に於ても、雙方の利害調節を不可能とするものは、考へ及ぶことが出來ませぬのみならず、日英兩国の意思の疏通及相互の協力は、眞に世界の平和に重大なる貢獻をなすものなるとは、論を俟たざる所であります。
帝国政府は、如上の関係よりして、先づ英米兩国と前述の如き精神に基き、交捗を進めた次第でありますが、前述の精神は、尚延いて之を其の他の諸国にも及ぼし、特に隣接各国との間には、常に善憐の誼を重んじ、互に相侵迫せざるを旨とするものであります。
「ソヴィエト」聯邦との折衝に當りましても、全く右の精神を以て進んで居る次第であります。現に進行中の北滿鐵道交渉も、其の後更に商議進捗しつつあり、其の妥結を見るの日も、恐らく遠からざることと考ヘます。之に依つて、從來屡々北滿鐵道に於て發生致したる紛議の根源が除去せられ、日、滿、「ソ」三国の友好関係が、愈々強化せらるることとなれば、関係三国共に、本交渉所期の目的を達成する次第であります。尚又帝国政府は、進んで右以外の諸懸案の解決に努力し、以て兩国関係の平和的進展を計らんとするものであります。而して、今後一層此の方針を徹底するが為には、獨り我方のみならず、「ソヴィエト」聯邦側の誠意ある協力に俟つことの大なるは固よりでありまして、此の觀點より致しまして、「ソヴィエト」聯邦の極東殊に滿「ソ」国境方面に於ける軍備に就ては、相互信頼を増進する見地より同国政府に於ても、十分の考慮を拂ふことを望まざるを得ないのであります。
支那の政局は、近來稍々平靜の状況を呈して居り、政府軍と共産軍との地方的の戰鬪の外、格別の戰亂を見ない現下の状態は、啻に支那の為のみならず、帝国の最顧念する東亞平和の為、甚だ喜ぶベき現象であります。併し乍ら、支那政局に於て幾多の禍根が伏在して居ることは、過去の歴史に照らしましても、否定し難きことでありまして、共産軍に就ては江西、福建方面に於ける其の主力は、政府軍の討伐に依り、幸ひ同方面より一掃せられたる模樣でありますが、此等共産軍は、猶其の餘力を維持しつつ、貴州、四川方面に於ける既存の友軍と呼應して、西方奥地に移動して居るとのことでありまして、一方新彊方面赤化の報道と相俟ち、帝国政府としては、支那に於ける共産黨の活動及共産軍の跳梁に対し、引續き関心を持たざるを得ざる次第であります。又地方に依つては、排日の風潮が、今以て十分に沈靜の域に達して居らない状況にあるのは、帝国政府の甚だ遺憾とする所であります。帝国政府は、東亞に於ける諸国との和親を大に重要視し、此等諸国と共に、東亞に於ける平和及秩序維持の重責を分たんことを、期するものであります。従って帝国政府は、支那が一日も速かに其の安定を恢復する一方、東亞の大局に覺醒し、帝国の眞摯なる期待に合するに至らむことを、衷心より希望して已まぬのみならず、我国と致しましても、其の善隣として、且東亞の安定力たる地位に鑑みまして、之が實現の為、一層努力し度いと云ふ方針を持つて居るのであります。而して、從來兩国の間に多年懸案たりし各種の問題が漸次解決を見、支那国民が次第に帝国の眞意を諒解するの傾向のあることは、帝国政府としても、如實に之を認むるに吝ならざるものでありまして、我方に於ては、今後益々右傾向の促進に遺憾なきを期すると共に、支那側に於ても、右に対し一層の協力を為さんことを望む次第であります。
次に我国の通商関係を概觀しまするに、諸外国に於ては、依然として関税引上、輸入制限、為替管理及為替補償税等に依る貿易制限政策を行ひ、特に我国との既存通商条約を廢棄し來る国もあります。斯かる情勢は、獨り我国の為のみならず、世界經濟恢復の大局から見まして、甚だ遺憾な現象でありますから、帝国政府は出來得る限り、斯の如き通商制限を緩和撤廢せしめ、相互の利益を増進する為、関係各国との間に、妥當なる諒解を遂ぐる様、折角努力致して居る次第であります。抑も帝国の如く夥大の人口を擁し、且天與の資源に乏しい国に取りましては、対外通商の維持發展は、最重要なる平和的活路でありまして、今日本邦商品が、世界各地に進出して居りますのも、多年国民一致して拮据經營、此の活路に向つて邁進し來つた賜に外ならないのであります。勿論我国は、之が為何等不公正なる方策を用ひて居ないのみならず、其の通商發展は、幾多の原料生産国を裨益すると共に、消費者たる人類大衆の福祉を増進せしめつつあるのであります。尤も我通商の發展と申しましても、之を世界通商の全体に比較して見ましたならば、我国貿易額は、僅々其の百分の三程度の、言ふに足らぬものであるのみならず、順位としても、漸く各国中の七、八位を占むるに過ぎない次第でありまして、今後も国民一層の努力を期せなければならぬのであります。前述の事情は、幸ひ次第に各国の識者に依つて理解せられつつある状況でありますが、今後益々此の理解を進むるに努むると共に、飽く迄公正なる見地に在つて我主張を徹底せしめ、相手国との利害の調整に、力を致さんとする次第であります。
客年六月初旬から、「バタヴイア」に於て開催せられました日蘭会商に就きましては、前議会に於て申述ベました通、何分にも問題が極めて複雜且多岐に亘つて居る関係上、未だ一々具體的妥結の運びに達して居ないのであります。併し乍ら、雙方代表の過去六け月以上に亘る努力は、彼我雙方の通商上の立場を明かにし、且諸種の誤解を除くことに效果がありました許りでなく、今後引續き、交捗上重要なる基礎を完成したものと信ずる次第であります。
之を要するに、国際関係の複雜にして動搖常なきは、今日世界的現象でありまして、此の間に處して、帝国の地位を固め、主張を貫徹するに就きては大なる覺悟を要すると共に、極めて愼重なる態度を以てするを要するのであります。特に帝国の国際聯盟脱退は、愈々來る三月二十七日を以て實現する次第でありまして、茲に帝国の責任は、一層重きを加ふるを感ずるのであります。然れども、帝国の進むベき途は既に確立し、帝国の執るベき外交方針は前述の通であります。対外関係も、畢竟国民全體の實力の反映でありますので、上 陛下の大御心を體し、国民一致して奮勵努力を續けまするならば、如何なる難関も、無事之を通過することは困難ではないと信じます。此の重大なる国際時局に際しまして、私は特に擧国一致の後援を翹望して已まぬ次第であります。
(参考:政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所)
(国立国会図書館:第六十七回帝国議会ニ於ケル広田外務大臣演説.昭和10年1月22日)
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