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対支政策綱領に関する訓令 1927年07月07日

 対支政策綱領に関する訓令(ひらがな化、一部新字体化)


    對支政策綱領ニ関スル訓令

東方会議の結果に付大臣発堀代理行使宛訓令左の如し。

   (昭和二年七月七日来電合第一八五号並七月十一日付来信亜一機密合第六三六号)

東方会議は本大臣主宰の下に本省幹部、在支公使、在上海、在漢口、在奉天各総領事並陸海軍、大蔵、関東庁、朝鮮總督府各代表者を会し、六月二十七日開会以來支那時局竝之れか対策に関し隔意なき意見を聽取したる上、本七日の最終会議に於て本大臣より対支政策綱領として左の通訓示せり。

極東の平和を確保し日支共栄の実を擧くること我対支政策の根幹なりとす。而て之か実行の方法に至ては日本の極東に於ける特殊の地位に鑑み支那本土と滿蒙とに付自ら趣を異にせさるを得す。今此根本方針に基き当面の政策綱領を示さんに

一、 支那国内に於ける政情の安定と秩序の回復とは現下の急務なりと雖も其の実現は支那国民自ら之に当ること最善の方法なり。

 從て支那の内乱政爭に際し一党一派に偏せす、專ら民意を尊重し苟も各派間の離合集散に干渉するか如きは嚴に避けさるヘからす。 

二、 支那に於ける隠健分子の自覚に基く正当なる国民的要望に対しては滿腔の同情を以て其の同理的達成に協力し努めて列国と共同其の実現を期せむとす。

 同時に支那の平和的経済的発達は中外の均しく熱望する所にして支那国民の努力と相俟て列国の友好的協力を要す。 

三、 叙上の目的は畢寛鞏固なる中央政府の成立に依り初めて達成すヘきも現下の政情より察するに斯る政府の確立容易ならさるヘきを以て当分各地方に於ける穩健なる政権と適宜接洽し漸次全国統一に進むの気運を俟つの外なし。

四、 従て政局の推移に伴ひ南北政権の対立又は各種地方政権の連立を見るか如きことあらむか日本政府の各政権に対する態度は全然同様なるヘきは論を侯たす、斯る形勢の下に対外関係上共同の政府成立の気運起るに於ては其の所在地の如何を問はす日本は列国と共に之を歓迎し統一政府としての発達を助成するの意図を明にすヘし。

五、 此間支那の政情不安に乗し往々にして不逞分子の跳梁に因り治安を紊し不幸なる国際事件を惹起するの虞あるは爭ふヘからさる所なり、帝国政府は是等不逞分子の鎮圧及秩序の維持は共に支那政権の取締竝国民の自覚に依り実行せられむことを期待すと雖支那に於ける帝国の権利利益竝在留邦人の生命財産にして不法に侵害せらるる虞あるに於ては必要に応し断乎として自衛の措置に出て之を擁護するの外なし。

 殊に日支関係に付捏造虚構の流説に基き妄りに排日排貨の不法運動を起すものに対しては其の疑惑を排除するは勿論権利擁護の爲進むで機宜の措置を執るを要す。

六、 満蒙殊に東三省地方に関しては国防上竝国民的生存の関係上重大なる利害関係を有するを以て我邦として特殊の考量を要するのみならす同地方の平和維持経済発展に依り内安人安住の地たらしむることは接壌の隣邦として特に責務を感せさるを得す。

 然り而して満蒙南北を通して均しく門戸開放機会均等の主義に依り内外人の経済的活動を促すこと同地方の平和的開発を速かならしむる所以にして我既得権益の擁護乃至懸案の解決に関しても亦右の方針に則り之を處理すヘし。

七、(本項は公表せさること)

 若夫れ東三省の政情安定に至ては東三省人自身の努力に待つを以て最善の方策と思考す。三省有力者にして満蒙に於ける我特殊地位を尊重し真面目に同地方に於ける政情安定の方途を講するに於ては帝国政府は適宜之を支持すヘし。

八、 万一動乱満蒙に波及し治安乱れて同地方に於ける我特殊の地位権益に対する侵害起るの虞あるに於ては其の何れの方面より來るを問はす之を防護し且内外人安住発展の地として保持せらるる様機を逸せす適当の措置に出つるの覚悟あるを要す。

終りに東方会議は支那南北の注意を喚起したるものの如くなるを以て此機を利用し各位帰任の上は文武各官協力以て対支諸問題乃至懸案の解決を促進することとし、本会議をして益々有意義ならしむるに努められたく、將又叙上我対支政策実施の具体的方法に関しては各位に対し本大臣に於て別に協議を遂くる所あるヘし。

(大日本外交文書昭和期Ⅰ第1部第1巻三)(192700大日本外交文書昭和期Ⅰ第1部第1巻三.pdf P27)

(国立公文書館:(一)対支政策綱領に関する訓令 B02030037900)

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