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日露講和条件予定の件 1905年04月21日

 日露講和条件予定の件(ひらがな化、一部新字体化、不明文字あり)


 明治三十八年四月二十一日閣議決定

 同          日御裁決

  日露講和条件予定ノ件

抑も帝国か安危存亡を賭して露国と干戈を交ふるに至りたるは其目的以て満韓の保全を維持し極東永遠の平和を確立するに在り之れ帝国の自衛を全ふし正当利権を擁護する為め緊要欠くへからさるものにして若し此目的を達せすんは帝国の地位は依然として保障を欠き他日再ひ同一部面に於て露国の為めに侵迫を 蒙るへきや必せり故に露国と和を議するに於ては左の条件は絶対に必要なりとす

一、 極東平和の最大禍源たる韓国を全然我自由処分に委することを約せしむること

二、 帝国か従来主張したる満洲保全の主義に基き一定の期限内に同地より露国軍隊を撤退せしむること尤も之と同様に我方に於ても満洲より撤兵すへきは勿論なり

三、旅順大連の経営と東清鉄道哈爾賓支線とは露国か以て南満洲に威力を振ひ進んで韓国々境を脅嚇するに至りたる侵略の利器なり故に遼東半島租借権と前期鉄道支線とは共に之を我手中に収む以て将来の禍根を杜絶すること

右は戦争の目的を達し帝国の地位を永遠に保障する為に絶対的必要の条件にして帝国政府は飽迄之か貫徹を期せさるへからす

次に戦争に附帯して生し若くは我利権拡張の為めに要する条件にして絶対的必要の条件にあらさるも事情の許す限り努めて之か貫徹を図るへきものは左の如し

一、軍費を賠償せしむること

二、戦闘の結果中立港に奔■せる露国艦艇を交付せしむること

三、薩哈嗹及其附近諸島を割譲せしむること

四、沿海州沿岸に於ける漁業権を与へしむること

惟ふに講和の条件は素より今後の戦局如何により変更を免れすと雖も我要求条件は大体上記の如くするを可とすへし尤も我方に於ては連戦連捷の功を奏したるも来る露国の死命を制すること能はさるか故に右等の要求すら之を容れしむるか為めには異常の困難あるを予期せさるへからす

(国立公文書館:128.日露講和条件予定ノ件(明治三十八年四月二十一日閣議決定) B04120029300)

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