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新体制早わかり 1940年10月07日

 新体制早わかり(一部新字体化、表一部省略)


新體制早わかり

          内閣情報部編

    目    次

一、新体制はひとごとでない 中味はみんなで作らう

二、黒船を追ひ返した 明治維新の新体制

三、現状維持から革新へ 支那事変から欧州戦争

四、大戦の教訓 新体制の必要

五、新体制は昭和維新 輝かしいその発足

六、世界新秩序は 共存共栄圏の秩序

七、国家の体力向上 これが国防国家

八、職域奉公とは 仕事に励むことか

九、国民組織とは何か まづ心構への新体制

一〇、一億の盛り上る力で 大政翼賛運動

一一、一国一党はなぜ わが国では許されないか

一二、大政翼賛会の組織 事務局と協力会議

一三、議会の権限はどうなる 中核体と軍の関係

一四、地方機構も新体制 府県会と協力会議

一五、向ふ三軒両隣り 脚光浴びた隣組

一六、翼賛会員になるには 日本人なら有資格者

一七、議会は翼賛体制 官界も新体制

一八、みんなで築き上げよう 新秩序の文化体制

一九、生活は楽になるか 経済新体制の方向

二〇、国家興隆の原動力 道は近きにあり

 

新体制はひとごとでない 中味はみんなで作らう


 今日この頃は、正に世を挙げての新体制時代です。政治も経済も変りつつあります。私どもの生活の中にも新体制はピンと響いています。「贅澤は敵だ!」 家庭の主婦は御用聞きの廃止で、容器御持参でお買物へ出かけねばならなくなりました。新体制は、家庭生活にまでさし迫つています。

 さてこの新体制とは何か。

 なかなか正体がつかめません。政党がなくなること、いろいろの団体がいつしよになること、小売商人が合理的に合同すること、暮し向きが変ること・・・・いや何々と、いろいろ考へられませう。しかし、どれも新体制の部分的現象にしか過ぎません。

 新体制とは、もつと大がかりなものです。国家と国民を揺り動かす大きな動きです。日本が、今世界歴史の推進力として、大東亜の、いや世界の新秩序を建設してゆくための体制です。全国民が聖旨を奉体し、一億一心一体となつて国家国民の総力を十二分に発揮できるやうな仕組であります。

 新体制といへば、今まであるものを何でも根本的に引つくり返して、ぶつ壊して何か新らしいものを作るのだといふ風に考へる人があるやうですが、必ずしも現在あるものを悉く破壊する意味ではありません。しかし、新体制の要求に副はないものが、自然にぼろぼろと崩れてゆく現状です。政党が続々解消した、これは時の勢ひがそこきできたのだ、といふ風にみんなが理解せねばなりません。又将来の建設のためには、ある程度壊さなければならない、その間に無駄も出来るかも知れぬが、これは大きなものを建設する過程上やむを得ない、しかし壊すのが目的ではなく、強いものを建設するのが目的なのです。

 新体制に対する人々の関心は、新体制の結果「どうなるのだらうか」といふことだと思ひますが、「どうなるのだらう」と考へる代りに「どうすればよいのか」といふふうに考へていただきたいのです。全国民は「どうされる」のではなくて、「どうする」といふ立場に置かれているのです。新体制を確立することはひとごとではなく、自分自身のことです。傍観的態度で眺めている場合ではなく、自ら考へ行ふべきことです。

 新体制は天の一角から与へられるものではありません。政府も国民も一つ心一つ体になつて、国民が自ら築き上げて行かねばならないのです。

 ではこの新体制といふことは誰が考へ、誰が言ひ出したのでせう。近衛公は内閣総理大臣になる前から夙に国内新体制の必要を強調されていましたが、数年来の緊迫した世界情勢を認識するとき、今までの政治や、経済や、教育等のやり方が、これでよいと思つた人があつたでせうか。国家、国民の力が一つに集結されて、今まで持つていた力よりも更に大きい力を出すための新らしい仕組をここで作り出さう、この辺りでみんな褌を締めてかからねばならないといふ気運は各方面に高まつて来ました。新体制の要請は心ある人々の間で澎湃と起つて来ていたのです。

 ですから、新体制は、近衛公が率先して考へられたのではありますが、近衛公だけが考へたといふわけではなく、また一内閣、一党派の一時的な考へでもなく、実に、この日本が伸びるための、やむにやまれぬ国家的要請であり、そのための体制なのです。

 新体制運動はかういふ情勢の中から盛り上つて来ました。しかもそれには大きな世界史的の背景があります。これをよく呑み込まないと、この運動の大きな意味をつかむことが出来ません。

 世界は今、御承知の通り、大動乱、大転換の真只中にあります。これは、フランス革命後の思潮であつた由由主義、民主主義を背景として、いはゆるイギリス的秩序で発展し、又固められていたところの世界が行きづまつて、新らしい哲学、新らしい世界観に基づくところの世界、即ち結論的には通俗にいふ全体主義的な世界になりつつあるのです。

 即ち世紀の転換、世界の転換といふ過程に進んでいます。それを乗切るために世界にはいろいろの現象が起つています。支那事変もそれであり、ヨーロッパの戦ひもそれであつて、それは東亜の新秩序といひ、ヨーロッパの新秩序といふ表現をされていますが、大きな眼で見れば、何れも世界の転換といふ意味の大きな動きであります。

 この世界の転動に耐へてゆくだけの陣構へとなるやうに世の建直しをしよう、新体制とはかういふことだと表現できます。


黒船を追ひ返した 明治維新の新体制


 明治維新は、当時の新体制でした。それは日本本来の姿にめざめ、皇政復古の理想の下、真に国民が一体となつて、国家の総力を発揮して成就した未曾有の大改新であり、大御心に帰一し奉つたものであります。

 勿論当時の尊皇愛国の先覚者によつて昂揚された国体観念、思想的基礎が、この大変革の最大の原因であつたことは言ふまでもありません。また徳川幕府自身にも亡びる必然性はあつたのですが、しかし明治維新といふものは、やはり、外国の圧迫が重大な一契機となつてあれだけの世の建直しが出来たのだともいへると思ひます。

 それは黒船以来、アメリカも来る、又北からはロシアも来る、英国も、フランスも、帝国主義的な侵蝕として日本に取りかかつてきました。これではならぬといふので、そこに国論が高まり、また朝廷や幕府側でも、何とかしなければこれではいけないといふことで、明治維新が起つたのです。明治維新がなくて、日本があの儘であつたら、恐らく外国の分割に遭つたかも知れまぜんが、あそこでぐつと体制を整へたから日本の発展になつてきたのです。黒船の来航だつて、日本の維新といふ幕末の態度を見て世が建直つたために帰つたともいはれるではありませんか。又フランスは幕府、英国は勤皇を応援して国内分割に持つてゆかうとし、ちやうどスペインのやうにならうとした時に、国内が一体となり外国に一指も触れさせなかつたのです。

 かうして日本は、明治維新といふ新体制を確立して、世界の仲間入りすると共に、当時の旧体制である封建制を打破して近代国家へと発展してきました。さうかうする中にやがてロシアの力が、極東に延びて来て、日清戦争、日露戦争が起り、その結果、国威の発揚を見たのでした。

 日露戦争後は、日本の発展を陰になり日なたになつて———結局は自分の国が利益するためではありますが———日本を援助していた英米も態度を改めました。日本が日露戦争によつて大陸に足掛りを持つて、本格的に発展し始めたとき、有色人種にもかういふ優秀な国民、国家があるのかと、英仏も、アメリカも、日本を見直しました。さういふ時に起つたのが第一次欧州戦争です。

 欧州戦争は英米仏といふ自由主義陣営の支配国家が、ドイツといふ遅れて勃興した、いはゆる後進国家の発展を阻まうとした戦争であつて、世界歴史的に見れば、白人文明間に於ける、白人秩序内の、一つの勢力争ひであつて、何も新らしい秩序の創造でも何でもなかつたのです。要するに、封建時代の次の自由主義時代の世界に於ける闘争でした。

 ところがその結果、後進国側のドイツ側が負けて、英仏側が勝つた。事実は、戦闘部面、戦争部面に於てドイツは勝つたのだが思想戦に敗れたのでした。英仏側が勝つといふと立ちどころに開き直つて、全然戦争の責任を後進国のドイツ側に負はせて、ヴェルサイユ条約に於てあらゆる犠牲をドイツに強ひました。即ち、自由主義的原理に基づく世界の体制強化をやつたのです。第一次欧洲戦争は領土的にも、資源的にも、政策的にも、さういふ姿で終局しました。

 しかし、ドイツはあんな悲惨な目にあつたけれども、勃興国民といふものはどんな目にあつてもやはり発展する、どんなに石にひしがれても旺盛な種は芽が出るやうに、結局ドイツ国家は立ち上りました。

 そればかりか、英米仏の戦勝国は、ドイツを戦敗国として酷い目にあはした以外に、その英仏米の勝利に輿つて力あつた日本に対しても、「これは相当自分等の強い競争者となるもの」としてこれに圧迫を加へてきました。それがヴェルサイユ条約に於ける態度であり、又その後起つたワシントン会議(大正十年)に於ける態度であり、或ひは又、その時出来た太平洋の四箇国条約であり、九箇国条約であります。要するに、日本の発展を、英仏米の発展のために阻まうといふやうな体制をとつてきたのです。しかもイタリアといふ、結局戦勝国に属していた国に対しても、やはり後進国である所以を以てこれを圧迫しました。

四箇国条約 日、英、米、仏の四箇国間に締結された条約で、一九二一年(大正十年)十二月十三日ワシントンで署名調印されました。その内容は、一般の平和を確保し、且つ太平洋方面に於ける四箇国の島嶼たる属地及び島嶼たる領地に関し、その権利を維持することを取極めたもので、英、米、仏はかうしてわが国が太平洋上の島々にその勢力を伸ばすことを封じようとしたのです。

九箇国条約 正しく言へば「支那ニ関スル九国条約」です。これは門戸開放主義の下に支那に於ける列国の既得権を擁護して将来の政治、経済活動の自由を確保せんとするもので、一九二二年(大正十一年)二月六日ワシントンで調印されました。この条約に参加している九国は、アメリカ、ベルギー、イギリス、支那、フランス、イタリア、日本、オランダ、ポルトガルです。

 即ち、ドイツとイタリアと日本といふものは、当時の支配的国家である英仏米から同じ立場に於て遇されたのです。

 さういふ状態が暫らく続いてきて、日本国内も自由主義的、平和主義的、又裏から言へば反戦主義的な支配が行はれていました。その結果として———ドイツ、イタリアはもとより、日本も亦優秀であり、又勃興する後進国であるだけに、発展しようといふ熱が強い、その熱が強ければ強いだけそれを圧迫するから———それはどこかに爆発しなければなりません。これは自然の理です。

 発展せんとする、伸びんとするものを阻んだといふことが、結局、日本で言へば満洲事変となつて現はれたのです。

 それは勿論外交的にもいろいろ説明がつくし、特に又貿易といふ点から見てもさうであつて、日本は大陸発展を邪魔され、アメリカに対する移民を禁止された代りに、その勤勉な、旺盛な労働力、生産力を使つて貿易をしようといふことになりました。良い安い物を造つて世界を市場にして売らうといふ体制でやつてきて、ずいぶん発展しました。遂には、世界の貿易の大半を占めていた英国に脅威を感ぜしめるやうになりました。具体的に言へば、マンチェスターの紡績職工のシャツまで日本製であるといふ風に日本の品物が氾濫して、ますます英国に脅成を与へたので、そこでオッタワ会議を開いて英国の領土内に於ける日本品の輸入を妨げようとしたのです。

オッタワ会議 この会議は一九三二年(昭和七年)カナダのオッタワで開かれたもので、英本国と各属領——例へばカナダ、豪州、南阿連邦、インド等との間に通商貿易上の特別の協定が結ばれ、これによつて英本国は、出来るだけ沢山の原料や食料品を属領から買ふ代り、英本国の工業品をこれ等の属領に売込み易いやうにしました。

 移民もしめ出され、商品もしめ出されて、広い世界に日本の生活の途が閉された日本は活路を大陸に求めなければならないのは当然です。ところが一方又英米仏が日本を圧迫しようといふ考へから、日本と地理的、歴史的に非常に密接であるにかかはらず、国民感情として、又政治の結論として反対であつた支那を煽つて日本に反抗させました、即ち排日が盛んになりました。さうして支那が英米仏の陣営のお先棒となつて日本に直接当つてきたのです。さういふ国際情勢の下に満洲事変が起つたのです。

 満洲事変といふものは起るべくして起つた。しかし其の歴史的の意義はヴェルサイユ条約で確認されたところの英仏米の自由主義的、資本主義陣営の圧迫に後進国が抗し得ずして起つた必然的の出来事です。かやうに考へると、それは日本と支那との出来事ではありますが、その内容はどこまでも、フランス革命後———少くとも英国の世界的覇権を確立したワーテルローの会戦後———百五十年間続いてきたところの世界の体制に対する反撃であつたのです。

一八一五年エルバ島を脱出して再挙をはかつたナポレオンが、英国のウエリントンの率いる連合軍に敗れた会戦、ところはベルギー。

 満洲事変はかういふ大きな世界歴史的意義を持つものであるにもかかはらず、この出来事を正当に理解しない者もありました。

 日本は満洲事変によつて、世界の旧体制に対する一つの反撃を始めたのですが、これは形の上で見ると、大陸に日本が足場を持つたことでした。日露戦争後の日本と外国との関係は、大陸について言へば、鴨緑江までが日本の国防圏でした。それが満洲国が出来、両国の共国防衛の条約に基づいて黒竜江まで延長しました。シベリアにも続いてきました。このやうに国防圏は非常に拡大しました。又日本の勢力範囲、責任範囲が非常に殖えたので、日本の国内の政治も経済も、われわれの生活も、それにふさはしいだけの仕組に変へなければならぬ筈であつたにかかはらず、なかなか思ふやうに行きませんでした。


現状維持から革新へ 支那事変から欧洲戦争


 そこで議会に現はれた面を見ても、さういふ新らしい体制にふさはしい国内の建直しをしなければなちないといふ力と、そんなことは怪しからぬことだ、英仏米といふ従来の秩序の下に生活しなければ日本はやつて行けないのだといふ消極的考へとの闘ひが、国内政治の中にも現れました。即ち常識的に分りやすく言へば、革新と現状維持、現状打破と現状維持との闘争があらゆる面に展開してきました。その現はれとして神兵隊事件や血盟団事件、五・一五事件や二・二六事件といふものも起つたのです。

 さういふ現状打破と現状維持、即ち新しい国家の発展に相応するやうに国家体制を整へ、国内機構をやり直すか、いや今までの儘で宜いのだといふその闘争を繰り返している中に、今度の支那事変が勃発したのてす。

 支那事変も当初は不拡大主義であり、現地解決主義でありましたがつひに世界歴史的な大戦争となりました。「国際情勢は只事ぢやないのだ、日本も一触即発の情勢に置かれているのだ」といふことを痴けた人惑はしの言動のやうに考へて居つたものもあつたやうですが、それが国際情勢の真相であるといふことを知つて、びつくりもし、また反省的気分にもなりました。

 それが現はれたのが、事変になつてからの特別議会なり臨時議会であつて、そこでは、今までとは違つて国防強化が寧ろ議員の方から叫ばれてきました。勿論これは同胞が戦死しているといふことを見ればどの国も振ひ立つし、特に日本はさうです。いづれにしろ満洲事変後の革新の叫び、現状打破の叫びの合理性といふものを国民が認めてきました。

 この事変は当初は、北支事変と言つていたのが支那事変となり、しかも現地解決、即ち二十九路軍に対する謝罪要求といふやうなことから、十二年の八月十六日には、暴支膺懲、国民政府の為すところは怪しからぬからこれを膺懲するのだといふやうな目的となり、更に後には東亜の新秩序建設といふやうに戦争目的が非常に進展し発展してきて、今日に到りました。そこで支那事変は世界歴史に珍らしいやうな大戦争、日本の肇国以来の大戦争になつてきたのです。

 事変勃発当初は、調辨戦時経済でストックを使へば宜いくらいの戦争だと思つていた人があつたかも知れませんが、大戦争になりました。一面欧州戦争から現はれたやうに、今日の戦争は軍人だけの戦争ではなく、いはゆる総力戦です。全体戦争です。武力戦と共に経済戦、思想戦であつて、国力を挙げての戦争であるといふ内容を戦争自体が持つています。しかも今述べたやうな大戦争に転化してきたために、国内の政治、経済、或ひは生活といふものを事変前の通りにしておいて、大戦争が出来よう筈はありません。

 そこで、統制経済をやらう、又やるより仕方がないといふことになつてきました。しかしやはり、どうしても政治といふものは過去の延長であります。政治や経済が、「戦争なんかないのだ、準戦時体制なんかやらないで宜い」といふ性格の政治、経済では完全な統制経済は出来ません。物が足らないから統制をするのだといふやうな調子の低いやり方では駄目です。そのころは、戦争の正しい理解がなく、又国際的情勢の正しい認識からきている戦争経済が確立していなかつたために、チグハグの点もありましたが、それでも従来の自由主義経済から見れば相当厳しいと思はれる統制経済をやつてきました。さうして一面、長期戦であると同時に東亜の新秩序建設を目標とするのですから、戦争する以外に支那を建直し、建設しなければなりません。その面からも金と物とが要ります、いや、日本の国力のすべてを戦争に投出さなければなりません。しかもこの状態は急速には解決しさうにない状態となつてきて、日本自体が従来のやうな政治のやり方、経済のやり方ではどうすることも出来ないといふ情勢に追込まれました。

 こんな状態になつたために、何かここに根本的な建直しをしなければならなくなりました。要するに自由主義的な政治機構の上に立つての政治経済、或ひは統制経済であつたものが、本格的戦争経済をやるためにはその立つているところの機構を変へなければならぬといふ情勢になつて居りました時に、測らずも———と申しますか、必然的でありますが———欧州の方に大戦争が勃発しました。革新勢力は既に欧洲戦争の勃発前から統制経済を強化徹底しようと企てていたのですが、旧勢力の反抗や妨碍のために実現しなかつたのです。そこに欧洲の戦火を見ることとなつたのです。


大戦の教訓 新体制の必要


 欧洲戦争勃発の原因はヴェルサイユ条約から起つたものですが、戦争になつて、今さら世界の情勢の急変といふことに驚いたのが日本の一般の考へ方ではなかつたでせうか。欧洲戦争が勃発し、今年の春になると急展開して、ドイツは万人の意表に出てノールウェー電撃作戦に成功し、また進んで白蘭に進入、世界の堅塁二十世紀の万里の長城と言はれたマヂノ線がたわいなく破壊され、フランダースでは何十万といふ捕虜を得るといふやうな、圧倒的勝利を占めて、世人は今更驚嘆するとともに、日本の国民は何故ドイツが勝つたかといふ反省的気持で見るやうになりました。さうして結局、それはドイツの国内の機構、やり方が英仏のやり方とは違ふのだ、即ち自由主義的なやり方ではなく、ドイツ的な一元的、即ち全体主義的やり方であるといふことを誰しも感じて来ました。やり方だけではありません。今日あらしめたものはドイツのあの精神力であります。国家の理想の下、あらゆる困苦に耐へて国民が一心一体となつて進んで来た力であります。そこに我々は火のやうなドイツ魂を見逃してはなりません。又蘇生躍進のイタリアを見て、同じ感じに打たれてきたのでした。

 話が又元に返りますが、日本がさういふ風に根本的建直しをしなければならない、自由主義的政治機構ではいけないと思つていたのに、見まいとしても見ざるを得ないやうな新たな姿に於て、欧洲の戦争情勢がまざまざとそれを雄弁に説明してくれました。どうしても日本は支那事変を完遂し、更に日本の運命であり責務である大東亜の新秩序を完成し、大きくは又世界の新秩序建設を遂行するためには、今までのやり方ではいけないといふことになりました。それには高度国防国家の建設が必要であり、真に国体の本義に徹する万民翼賛の日本本来の姿を十二分に発揚せねばなりません。その結論が新体制といふ言葉で呼ばれる日本の建直しといふことになつたのです。

 ここに至つて昭和維新の必要に迫られたのであります。


新体制は昭和維新 輝かしいその発足


 日本が今、眼前の支那事変を解決すると同時に、全世界の紀元を更新すべき偉業をやりとげるためには、外、志を同じうする独伊と相結び、政治的にも、経済的にも、軍事的にも三国が相寄り相扶けると共に、内、肇国の精神に基づき、万民翼賛の挙国体制の確立を絶対必要とするのです。

 近衛内閣総理大臣は、率先身を挺してこの目標に向つて進み、いはゆる新体制運動の発足を見るに至つたのです。

 八月二十八日でした。首相官邸の一室で第一回新体制準備会が開かれ、近衛内閣総理大臣のあの歴史的声明によつて日本の歴史に一頁をひらく輝かしい新体制が発足しました。


 準備委員の顔ぶれ

八田嘉明、橋本欣五郎、堀切善次郎、岡田忠彦、緒方竹虎、

小川郷太郎、大河内正敏、岡崎 勉、太田耕造、金光庸夫、

高石真五郎、永井柳太郎、中野正剛、井田磐楠、井坂 孝、

葛生能久、前田米蔵、古野伊之助、後藤文夫、秋田 清、

麻生 久、有馬頼寧、白鳥敏夫、正力松太郎、平賀 譲、

末次信正(このうち麻生久氏は逝去された)と全閣僚


 この準備会は、委員が各方面を代表しているだけに、議論もなかなか賑かであり、また熱の余るところ、しばしば高調に達しました。九月十六日の第六回会議まで前後六回、常任幹事、同補佐役等の熱心な協力助力によつて、いはゆる新体制運動の組織、中核体の組織等について大体の成案を得、九月十七日、近衛内閣総理大臣の

 近き将来に於て、事態はますます重大性を加ふるものと考へます。……私は一億一心といふことを形容詞の如く考へていたこともありましたが、今日こそ真の一億一心でなくてはならぬと心から考へて居ります。皆様もどうか一億一心を以て協力されたい……

といふ烈々たる決意のこもる挨拶を以て、準備会は歴史的任務を終へ、大政翼賛運動の具体的段階に入つたのでした。

 この準備会を顧みて注目すべきことは、一貫して近衛内閣総理大臣が種々の意見をまとめて裁いてゆく形式がとられたことと、劈頭の会議に於て全員によつて誓が行はれ、真に一丸となつてこの国家的任務に奉じようとする意図を明らかにしたことです。

 従来の会議体に見られるやうな多数決できめるやり方は新体制理念にそぐはないものとして排し、一切の取捨選択は近衛内閣総理大臣の裁断にまつといふ形をとつたもので、この運動の具体的発足に際しても、準傭会の意見、成案を取り入れて、近衛内閣総理大臣が統裁した形を以て発表されたのであります。

 新体制は前にも述べましたやうに一つの改新であります。建設のための忌憚なき意見を闘はせれば、勢ひ各々の過去の批判にもなります。そこに気まづいもの、対立のもとになることも起り得ませう。しかしこの重大な建設期にそれではいけないといふのがこの誓の行はれた所以であります。その誓はかうです。


我等は大御心を奉体し、一切の私心を去り、過去に泥まず、個々の立場に捉はれず、協心戮力、以て新体制確立のために全力を尽さんことを期す


 あの準備会の場合を考へて見ても、人々のいろいろの意見が出ました。過去にお前はかう言つたとか、かうしたぢやないかと言つたら新体制は出来ません。即ち産室に籠つたからにはさういふ過去のことを忘れて、新らしく 陛下の赤子として共に時局を乗切るやうにやらうといふ国民的要求があの誓になつたのです。皆さんもさういふ意味であの誓の精神を汲みとつていただきたい。そして新体制といふものをかういふ心構へから見て、育て上げてほしいと思ひます。

 さて、この産室を出た新体制運動は、「大政翼賛運動」として世の中に送り出されました。この日本が、国家興隆の成否を荷ふこの歴史的時代の真只中に、力強く巣立つて行く姿です。さて、次にこの綱領案を読んでみませう。これはまた今後いくらか変るかも知れませんが、その大体の傾向は次のやうなものです。


        大政翼賛運動綱領(案)

一、肇国の精神に基き大東亜の新秩序を建設し進んで世界の新秩序を確立せんことを期す

一、国体の本義を顕揚し庶政を一新し国家の総力を発揮し以て国防国家体制の完成を期す

一、万民各々その職分に奉公し協心戮力以て大政翼賛の臣道を全うせんことを期す


世界新秩序は 共存共栄圏の秩序


 綱領案の第一は、この新体制運動の行くべき必然性を明らかにし、第二は運動の目標を明らかにしたもので、第三は、その目的達成のための道をうたつているものです。

 大東亜の新秩序建設といふことは世界新秩序確立の中核なのであります。これは決して東亜新秩序建設が元であつて、逐次世界新秩序建設に進んでゆくといふものではありません。東亜新秩序建設が世界新秩序建設の一つの時機をつくるものだ、日本自らが両方を同時にやつているのだといふ雄渾な民族思想を発揚したもので、これは日独伊三国条約締結の外交方針を通じてもはつきりされていることです。

 世界の新秩序といつても今日のところ、世界を一単位とする組織の完成を期待することは出来ません、また個別国家の秩序でもなく、生存圏の秩序のことです。古い領土侵略的の精神ではなくて共存共栄といふ崇高な精神で動いているのです。世界諸民族が狭い個人主義的理念を捨てて、もつと広い大きい理念の下に数箇の共存共栄圏を形成することは、必然の勢ひです。東亜、アメリカ大陸、ヨーロッパ、ソヴィエト連邦といふやうな共栄圏が形づくられて行くのです。

 そして日本が大東亜の共存共栄圏を指導すべき立場に立つことは、歴史上から見ても、地理上から見ても、経済上から見ても必然の勢ひであります。それは英米支配の金権的世界秩序を打破して新らしい生存圏を建設しようといふことです。そして一定の共栄圏の中で必要な国防資材、動力源等を確保する方針で進み、足らないものは外国から物をととのへる、その引当として、その外国でほしいものをこちらから出すといふ形になるわけです。

 日本はとにかく日満支を中心に南方を含めて、いはゆる大東亜共栄圏を確立して行かねばなりません。そのためには結ぶべき国々とは結び、旧き秩序との摩擦も敢へて恐れない決意を固める必要があります。


国家の体力向上 これが国防国家


 国防国家とは、単に軍備の充実、といふやうなことではありません。国防国家といふものは国家のあらゆる制度、あらゆる力、あらゆるものを国防といふことを中心とし、基として行く。政治も、経済も、文化も、われわれの日常生活も……あらゆる部面を国防といふものに結びつけ、しかもそれを発展的に一体化させて行くことです。即ち道路を作るのも国防、労働者を救済するのも国防、といふやうに、すべての国家活動を、従来の狭い武力戦といふ意味でなしに、非常に高度の国防といふことに結びつけ、広義国防の諸要素を充実して行くことが国防国家の建設です。国防力の根本が国民の資質、体力を向上し、旺盛な精神力を養ふことにあることは申すまでもありません。


             明治天皇御製「民」

        ほどほどに心をつくす国民のちからぞやがてわが力なる


とよまれて居りますが、一億国民がこの気持に徹することが、最も国の固めを固くすることなのであります。

 国防といふと何だか発展的気持が一つもない、日本は防ぐだけだ、決して攻めるのではない、国防は国土防衛だといふ感じがしないでもないが、それは旧い観念です。

 国防といふことには結局積極と消極とあります。消極面に於ては敵を日本に入れないことを意味していますが、積極面に於ては国家の発展を保障する、皇基を恢弘し国威を発揚することを意味し、さういふ意味を持つているのが国防です。要するに、日本として体力が充満して力があれば何時でも敵に応へることが出来るといふことです。国防国家の建設は国家の体力の充実向上です。

 さて国家の体力を充実して国防国家を建設する国家体制のためにはどうすればよいか、近衛内閣総理大臣の声明の中に、新体制の中で最も重要なことは、その基底をなす万民翼賛のいはゆる国民組織の確立であるといはれています。その国民組織とは何か。

 その声明によりますと「国民が日常生活に於て国家に奉公する組織」であり「経済に於ても文化に於てもあらゆる部門がそれぞれ縦に組職化され、更に各種の組織を横に結んで統合するところの全国的な組織」と説明されていますが、要するに国民組織といふのは、職能奉公の精神を貫いて国民各分野を再組織したものだといへます。

 この場合に職能奉公の精神といふのはどういふことを指すかといひますと、自己の従事している仕事は単に自己の個人的な仕事ではなく、国家全体の仕事の一部分を遂行しているといふ確信であります。ですから、一切の産業活動の心構へが私的な態度から公的な態度に転換することが職能奉公、職域奉公の精神の基調です。


職域奉公とは 仕事に励むことか


 ところで、職域奉公といふことはどういふことでせう。ただ汗水たらして一生懸命にやつていればよいのか。「こんなによく働いているではないか」といふ人がありますが、それで満足することは大きなはき違ひです。職域奉公の意味はさうではありません。職域に於て奉公するとは、ただ職に励めば宜いといふやうな、さういふ平凡な意味ではありません。職域に於て新らしい考への下に大御心を体して御奉公することです。

 われわれの生命だつて、第一お上の御預り物ですし、財産だつて然りです。ところが、先刻のやうな自由主義的な秩序で教育され、生活して来たために、兎角自分の職業、生活といふものは自分の富を得るためだ、自分の生活の安易のためだといふやうな気持になつて居つたのです。これを止めて、御奉公の思想でやらなければなりません。自分の一挙手一投足も亦国家の力を附ける、力を蓄へる、国力を培養するといふ意味でやらなければなりません。

 いはゆる御奉公の思想で行くといふことです。職域奉公は職分に励むといふことだけではなくして、職分に於て国家的行動をするといふことてす。自分の持つている或ひはこれから持つ職分は、国家のためにどうして御役に立つかといふ心構へから出て行かなければなりません。

 ですから、大にしては産業家、小にしては職工さんまで、要するにこれをやれば儲かるかうすれば自分は食へてゆくといふのではなしに、働くことによつて一家も食へてゆき国家産業を興すのだ、或ひは石炭を一塊出すことは国力が強くなるのだ、大企業もかうすれば軍事力が強くなるのだ、さういふやうに国と結びつく。又さういふ喜びを感ずるやうな御奉公をしてもらひたいのです。

 わかり易く例をとつて説明してみませう。例へば官吏なら官吏が、月給百円なら百円を取るために毎日役所に行つて役所の仕事をするのではなくして、役所に行き役所の仕事をすることはお上に奉公する純粋な気持です。これに附随して生活保障として百円なら百円がついて来ている。さういふ心構へに普通の商人もなるといふことが職域奉公の姿です。それが今までの商人の場合は兎に角先づ儲けることが先で、それが間接的に、国家公益のためになる結果を産み出すだけといふことになつていなかつたでせうか。裏腹の関係にありますが、それが逆に変つて、国家公益のために商ひをするのだ、それによつて御奉公するのだといふ建前になり、それで生活が保証されるといふ考へが導き出されて来るといふ状態になるのが職域奉公の姿です。

 もう一つ例をひいてみませう。日露戦争後の頃には、親は子供に身体を大事にしなければいかぬ、病気してはいかぬ、身体は御預り物だといふ観念があつたものです。あの当時は、日露戦争といふ民族的洗礼を受けていたから御預り物だといふことを親たちも言つていたのです。お米でもさうです、米は一粒でも恵みを頂くのだと言つていたのです。これは昔は日本は皆さうでした。都会でも明治初年はさうでした。ところが最近は欧米式になり物質的にのみものを考へるやうになりました。

 しかし本来の日本人はそんなことでは困ります。節米にしても、ただ節米といふだけではいけない。米は恵みを頂くのだ、「勿体ない」といふ気持で、自分の仕事も御預りして御守りしているのだといふ態度になるのが職域奉公です。

   新体制一億民に役が付き

 職域奉公はかういふ観念です。皆が公務員なんだから……官、民といふ対立観念はない。法律関係は官吏であつてもさうでなくても、要するに職分はお国のためなのだといふ考へに、みんなが徹底する必要があります。ですから一切の経済活動の心構へが物質中心の態度から公的に御奉公の態度に転換することが職域奉公の基調です。


国民組織とは何か まづ心構への新体制


 さういふ考へを押し進めてゆきますと、国民組織といふのは結局精神的には国民の各個の心構へが、或ひはその姿勢が、国家の大方向に統合結束されることであり、これを経済的に見れば今までの営利万能の自由主義的な経営を純粋な職能奉公本位に、言葉を換へて言へば公益本位に建直すことになるのです。

 さてそれでは、かういふ国民組織はどういふ風につくられて行くでせう。それは申すまでもなく大政翼賛会の今後の研究に俟たねばなりません。ただその場合でも、その一般的構成は大体に職能的な方面と地域的な方面とに分たれることになりませう。近衛内閣総理大臣の声明の中には、「国民組織は国民が日常生活に於て国家に奉公する組織であるが故に経済、文化の各領域に亙つて樹立されなければならぬ。さうして経済に於ても、文化に於ても、あらゆる部面がそれぞれ縦に組織化され、更に各種の組織を横に結んで統合する所の全国的なる組織が作られねばならない」と説明されていることは先に述べました。

 それは職能的な面と、やはり地域的な面がその構成の上で分れて考へられ、職能的な面は、更にこれを大ざつばに経済的な面と文化的な面とに分けて考へることが出来ませう。

 経済的には……鉱工業、商業、農業、漁業等それぞれの分野を経営の大小と特質に応じて個々の経営と、或ひは団体の公的性格を確立するやうにこれを職能本位、つまり公益本位の原則の下に組織しかへることが必要となります。

 文化的な面もまた、国民の文化生活を個々人の娯楽とか営利のために供することを目的とせず、例へば、学芸技術、音楽或ひは、教育、出版等の各種の態様に応じそれぞれ国家の進展と、国民文化の昂揚といふ原則の下に、組織しかへるのです。

 地域的にこれを考へますと……、現在あるところの行政組織の外に下部組職として部落常会とか、隣組とか、隣保班とかいふやうな組織を新たに拡充してこれを従来のやうになるがままの発展に任せないで、それが地域的に見た国家の単位細胞であり、自然生長的な国家の向つている方向と相貌とが、この単位細胞にくつきり表明されるといふ自覚の下に、新らしい溌剌たる協同結束の精神を以てこれを指導する組織を確立することが必要であります。

 この職能的の構成と地域的の構成とは互ひにくひ違はず、矛盾衝突を起さぬやう、常に国家目標の一点に向つて統合されるといふ建前でなければならぬことはいふまでもありません。例へて言へば、一つの織物の経糸に職能的な国民組織がなれば、地域的な国民組織はその織物の中の緯糸の関係になる。これが相統合されて、一つの立派な布地が出来上るといふ関係になることが必要なのであります。

 要するに、国民組織を作るといふのは先刻言つたやうな国家総力の発揮が出来るやうな状態に国民が組織されるといふことなのです。ですから組織を作るといふことが目的ではなくして、方法手段だといへませう。新体制とはさういふ姿勢、心構へに国民がなるといふことなのてす。それをするためにはどうするか。それにまづ必要なのは、心構への新体制です。つまり精神的な自覚、準備が、国民組織運動の前提です。

 新らしい体制をつくるためには、その中味である新らしい人間、新らしい魂を作り上げねばなりません。魂と精神を入れ替へた人間によつて日本の新らしい姿が出来る、そこに新体制の真面目が発揮されます。

 そしてかかる魂のこもつた強固な、立派な布地の組織が出来たときに、そこに初めて国家国民の総力が発揮されます。上意下達も、下意上達も、職能的組織や地域的組織が完全に出来て初めて真の効果を挙げ得るのです。

 新体制は、本質に於て近衛内閣総理大臣の言葉のやうに、「上意を下達して国民を誘導し、下情を上通して君民一体の政治を完成せんとするものであります。乃ちその処を得しむるは政治の任、その誠を致すは臣子の分、斯くの如くにして始めて、義は君臣にして情は父子たるわが国体の精華を発揮し得べく、新体制の理想も亦是に尽くるのであります。」


一億の盛り上る力で 大政翼賛運動


 だがしかし、こんな国民組織がオイソレと出来るものではありません。国民組織が政治、経済、文化の各部門を通じて完成されるためには、そのもとになるものの考へ方、心構への革新が前提とならなければなりません。これは非常に大きな仕事です。国民の中から燃え上る一つの国民運動が是非とも必要になつて来ます。日本国土に生をうけた者すべてがこの運動に参画して、この国民組織を完成するための努力を共にしなければならない、それが「大政翼賛運動」なのです。さういふ気運は方々で起つて来ましたが、ほつておいて脱線したり、方向が違つては困ります。それは本来なら国民の自覚に基づく自発的運動であるべきですが、今日の国情はそれを待つ暇がないので、やむを得ず政府の力で行はうとするのです。

 そこでこの国民運動の中心になつて、それを推進してゆく機関が必要になつてきます。それが準備会でまとまつた中核体、すなはち「大政翼賛会」なのであります。翼賛会は翼賛運動のモーターであり、油なのです。

 そして運動と会の関係は、コマと心棒の関係のやうなもので、動くのはコマ全体ですが、それを動かすのは心棒だ、心棒が廻ることによつて、コマ全体が廻るわけです。機関車が列車を引つぱるのとは違ひます。機関車は外にあつて引つぱるのですが、コマの心棒は中心にあつて動かすからです。

 結局、大政翼賛会の目標は、大政翼賛運動の目標である国民組織を作り上げることで、それは単に或る時期が来たら出来るといふものではありません。組織だけの問題ではなしに、その中に籠る魂の問題も含めての完成であります。ですから観念的には、その目標が達成される時期がくれば、大政翼賛会も一応使命を果したことになるとも言へますが、実際問題としては、国民組織が出来ると同時に大政翼賛会はその中核体となつて組織の運用を円滑ならしめる大きな機能を持つといふ風に考へられているわけです。

 この大政翼賛運動は、近衛内閣総理大臣の声明にありますやうに、「官民協同の国家的事業」であり、単に狭い意味に於ける精神運動ではなく、実に「政治理想と政治意識の高揚を目的とするもの」であります。

 従つてこの運動は高度の政治性を有するものではありますが、それは断じていはゆる政党運動ではありません。政党はその本質の中に個別的分化的な部分の利益、立場を代表する性質を蔵してをります。勿論、部分なき全体はないのでありますから政党がその中に部分的要素を持つといふことだけで之を非難するは必ずしも当りません。殊に経済活動の基礎が自由主義の原理にあつた時代には、かういふ政党の存立もその意味がありました。わが国でも政党が藩閥官僚勢力に対し民意を伸張したことは認めねばなりません。しかしながら同時に、政党の過去に於ける行動がややもすれば、わが議会協賛の本然の姿から逸脱する憾みの少くなかつたことも亦否定することは出来ません。

 国民組織の運動はかういふ自由主義を前提とする分立的政党政治を改めようとする運動であつて、その本質はあくまで挙国的、全体的、公的なものてす。それは国民の総力を一つに集め促進することを目的とするものであり、従つて、その活動分野は国民の全生活領域に及ぶものです。それですから、国民組織運動はかりに民間運動として始められた場合でも、既に本質上は、従来のやうな政党運動ではありません。むしろ政党も政派も、経済団体も文化団体も、すべてを包括して奉公の精神に帰一せしめんとする超政党の国民運動たるべきものです。


一国一党はなぜ わが国では許されないか


 ところで、この運動は、ドイツのナチズムやイタリアのファシズムのやうに、一国一党になりはしないかと恐れをいだく向きがあります。この点は、近衛内閣総理大臣も最も研究をとげ、また苦心されていたところで、わが国に於ては国体に鑑みても到底さういふ一国一党といふやうなことは許されないのであります。

 何となれば、ちよつと理屈ぽくなりますが、一国一党は一つの「部分」を以て直ちに「全体」となし、国家と党を同一視し、「党」に反対するものを以て国家に対する叛逆と断じ、「党」の権力的地位を恒久化し、党首を以て恒久的なる権力の把持者となすことを意味するのですから……かういふ形がドイツやイタリアのやうな他国に於て如何に優秀なる実績を示したとはいへ、その形を直ちに日本に於て認めることは、一君万民のわが国体の本義を紊るものといふべきです。わが国に於ては万民ひとしく翼賛の責に任ずるのであつて、一人もしくは一党が権力によつて翼賛を独占することは絶対に許されません。

 要するにこの大政翼賛運動は、国民全部がそれぞれ部署につくことなのです。そして尻を叩かれて行くのではなしに、自ら駈けて行くことなのであります。誰から強ひられるのでもなく、自ら進んで、しかも喜んでこの新体制に協力しようとする。そこに一億一心、日本国民の力強さがあります。

 この大政翼賛運動の中核体、即ち、この運動を推進する機関である大政翼賛会はかくして発会式を挙げることになつたのであります。

 さてこの会の性質はどういふものかといふことが問題になります。政治運動であるなら、その会は政治結社かどうかといふ問題です。

 この運動の中核体は、国家国民の総力を集結して大政翼賛の体制を建設しようとする挙国的、全体的な国民組織運動の筋金をなす組織であつて、派閥的、抗争的な性格を有するものでないばかりか、またその組織においても単なる民間の組織でなく、内閣総理大臣はじめ政府の機関がこれに参加し、いはゆる官民一体となつて組織し、且つ政府の側から積極的に働きかけ、国家の公の作用によつてつくられる公的の結合体であるから、治安警察法の予想しない別個の性質を有するもので、いはば、より高度の政治運動といふべく、治安警察法にいはゆる政治結社として警察取締の対象と見るべきものではないのであります。


大政翼賛会の組織 事務局と協力会議


 ところで大政翼賛会の組織機構はどうなるでせう。会にどんな役員がおかれるかといひますと、規約には総裁一名、顧問若干名、総務若干名(内若干名を常任とすること)を置くとあります。

 総裁は、本会を統率しこの運動を指導する人で、内閣総理大臣の職にある者が当ることになつてをり、現在では近衛公であります。

 総裁には何故内閣総理大臣がなるかといひますと、それは内閣総理大臣は大政輔翼者として 陛下の御信任を得た者で、国民を提げて臣道を実践し大政を翼賛するのについて、同一人が総裁になることは自然だからです。つまり政府と表裏一体をなすといふことを完璧ならしめるためには、その根源を一にしておくことが必要だからです。もしこれが二であれば、場合によると大命を承けて国政を爕理する者と政治上の意見を異にするといふやうなことがあつて、困ることになります。

(表 省略)

 この点は準備会でも随分論議された問題で、内閣総理大臣が総裁を兼ねることになれば、内閣総理大臣の更迭の度に総裁が代つて、国民運動としての力が弱くなりはしないかといふ心配がありますが、それはやむを得ないことです。その逆にその組織の長が非常に大きな攻治力を持ち、大命を承けて国政爕理の任に当る内閣総理大臣と政治上の意見を異にするやうなことがあれば、政治の運行を阻害することになり、大きな危険が起り、かへつてこの組織を設けた根本理由と相反することになります。ですから運動の中心はどうしても一つではつきりしていなければなりません。

 顧問は総裁の諮問に応へる人であり、政府側と各方面の代表者中より選ばれます。この総裁の下に中央本部が設けられ、事務局と中央協力会議が置かれ、総務、参与も置かれます。

 総務は総裁を輔け本会に関する重要事項を審議する人で、うち数名は常任総務として事務局の各部局の仕事に当ります。

 この中央本部の事務局に総裁の指名による参与を置き、企画と活動に参画させますが、これには政府要路の人々の外に民間からも選ばれ、事務局と政府との連絡に当ります。

 中央協力会議の権限、性質については、規約には明らかになつていませんが、各方面の代表者が集まり、総裁から指名された代表によつて、国民の各分野がことごとくこの運動の中核体の仕事に共働するといふ意欲が盛り上るやうにしなくてはなりません。国民の政治的の意欲がここに凝結され、これを事務局を通じて政府に反映させます。ここに、政治性の萌芽が萌すわけです。それでこそ、はじめて中央本部の機能は強力な政治性が与へられるのであります。

 しかしながら、この形のみを以て、いはゆる上意下達、下意上達の機能が発揮されると見るのはいれません。協力会議は国民組織そのものではなく、国民組織を促進するための一つの機関であります。

 さてこの中央協力会議の構成員は、一応は規約に定つていて、半分は道府県協力会議の推薦した者、半分は総裁の指名となつていますが、前者は道府県協力会議でどうして推薦するか、互選によるか、会員以外の者を指名して推薦するかといふこと、後者についてはどういふ人を総裁は指名するか、例へば団体代表を採るか、学識経験者を採るかといふやうなことはまだ決していません。かういふことは大政翼賛会自らが今後なすべき仕事の分野に属します。

 この中央本部と政府との関係については、密接不離の関係がなければならぬことはいふまでもありません。まづ人的関係ですが、行政部局の適当な人が顧間、参与として参画するわけで、議会についても同様です。

 また各省との関係を更によくするため、連絡委員会の設置の如きことも考へられます。

 次は各省との仕事の関係です。中央本部と政府とは対立するものではありません。具体的には政府の政策の参考として、中央本部が種々の意見を政府に伝へ、又政府で決定した政策を中央本部を通じて各方面に円滑に行き渡らせるといふやうになります。

 ところで、役員以外の会員、つまり中央本部で事務をとつている者以外の中央本部員———といふか、大政翼賛会員———は、一体どういふものかといふ問題です。それは大政翼賛会の事務をとつている者が各部に対して、外から働きかけるのと相呼応して、経営なり企業なりの中にあつて、その方向に建直してゆく指導者的の役割を持つことになるのであります。従つて要は、これら経営の構成員の一人であるが、実質の仕事は大政翼賛会で仕事をやつている人と同じ方針でやつてゆくことになるので、これも会員といふ扱ひにするわけです。

 それでは結局、この会員の仕事ぶりはどうかといへば、その経営の中で出来るだけ同志を糾合して、一つの研究会のやうなものを作ることになるか、或ひは連絡委員会といふやうなものを作ることになるか分りませんが、ともかくそれによつてその経営を建直してゆく指尊者的な役割を果すといふのが、その活動の根本的の方針で、そこに単に一人の指導者があるといふ風には考へていません。初めは一人でも、その周りに同志が糾合されて、それが同じ役割をもつてその経営の中で働くといふ関係になるので、そこに数名乃至それ以上の一つの核が出来るわけです。具体的には、さういふ指導者的なものと中核体とが緊密な連絡をとつて、中核体の指導方針の線に沿つて、その経営の再建に内から呼応して活動するといふ形になるのです。いはば中核体の出先とでもいふべきもので、職場に於て、大政翼賛会と緊密に連絡をとつて実践行動をやつて行く会員です。


議会の権限はどうなる 中核体と軍の関係


 帝国議会との関係はどうなるのでせう。この新組織は、帝国憲法の範囲内の組織であり、運動であることは、近衛内閣総理大臣の声明の通りで、議会の権限については変更はありません。議会との関係については、議会人が中央本部の議会局に入るだけではなく、その他の部局にも入ると共に、協力会議へも参画することとなります。更に議会開会中は、議員団を作り、その中になほ商工部、農林部等を置き、これが各省との連絡をとるやうなことも起りませう。

 軍との関係については、九月十三日の準備会で、東條陸軍大臣が、軍の見解として、次のやうに述べて明らかにしています。その趣旨は、「新体制に対しては軍はもとより積極的に満幅の協力をなし、特に精神的に異常の熱意を以てこれが完成の促進に寄与せんとしています。けだし軍人は勅語勅諭にお示しあるが如く、その現役に在ると在郷なるとを問はず、ひとしく各々の立場に於て各自の分を守り一意尽忠報国の赤誠をいたすべきを実践してをり、これやがてこの新体制の理念たる万民の大政翼賛、職分奉公の臣道と合一し、そして又、軍の希求する国防国家体制確立の要道なりと確信するからであります。

 しかしながら本運動の中核体がその本質に於て高度の政治性を有し、強力なる政治活動を使命としているのに鑑み、これに対し直接一般現役軍人を組織に加入せしめることはわが建軍の本義に照らしりれを認めることが出来ません。但しその任に於て政治に参与し得べき大臣、次官、軍務局長等特定の職務に在る者を限り、軍と中核体との連繋協力のため、たとへば顧問、参与等の資格に於てこれに加入するは適当と考へています」といふにありました。なほ最後の準備会で、及川梅軍大臣は特に発言を求め、海軍も新体制運動に積極的に協力をなす熱意を持つていることを明らかにしました。


地方機構も新体制 府県会と協力会議


 地方機構については、規約で、道府県、郡市、町村、その他適当な地域に本会の支部を置き各協力会議を附置し、支部の構成は中央本部に準じ、支部の役員は総裁が指名することになつています。が、中央本部の各部局に準ずるといつても、それ等が地方にそのまま竝べられるわけではなしに、実情に即して、もつと簡略な姿になりませうし、従来の行政組織との関係も考慮されてきめられて行くでせう。

 ところで中央と地方との命令権の問題がありますが、これは一方は本部から支部、一方は大臣から地方長官と行くのです。地方庁と地方支部との関係も、中央と同じやうなもので、結局は人的結合によつて有機的な連絡を図ることが必要で、二重の機構があつて、それが相争ふといつたやうな状態には絶対になつてはいけません。

 中央と地方の協力会議の関係は人的に縦のつながりを持つべきでありませうが、上段協力会議と下段協力会議との間には直接指導関係はありません。要するに、道府県協力会議が町村協力会議を指導する権限はないが、しかし人の関係は町村協力会議から郡市協力会議に選ばれ、郡市協力会議から道府県協力会議に選ばれることが考へられます。

 この道府県協力会議と道府県会との関係は、或ひは問題になるかと思ひますが、道府県市町村会は法制的根拠に基づく議決機関であるから、おのづから協力会議とその分野を異にします。協力会議は常時、例へば月に一回開かれて、その地域内、すなはち道府県内或ひは市町村内における国民生活の全般に亙つて、県その他の行政機関の補助的、協力的役割を果すものですが、道府県会や市町村会は地方自治体の意志機関でありまして道府県市町村の行政活動に関する各般の事項を決定するものであります。

 ここで一つ問題になるのは郡の支部です。内務省は地方を現地的に世話をするいはゆる中間機関を考究中ではありますが、まだそれの設置されていない現在においては、取りあへず、例へば郡の町村長会長といふやうな人、その他適当な人を、府県知事の推薦等によつて総裁が指名し、これに郡支部の事務および郡協力会議を主宰せしめる、といふやうなことになるのではないかと考へられます。これ等の点はなほ研究を要する問題です。


向ふ三軒両隣り 脚光浴びた隣組


 この組織が直接国民につながるのは部落会、町内会、更にその下に隣保班、隣組を通じてであることは御承知の通りです。そこで、この最下部組織を大いに整備強化する必要があります。この組織については去る九月十一日に内務省から訓令が出ています。ただ注意せぬばならぬことは、隣保班長、隣組長或ひは常会長にその人を得ることが必要で、将来は会員になるやうな者でなければならぬといふことと、運用については、これも通牒が出ているのでありますが、回覧板ばかりでなしに常会を大いに開いてもらひたいといふことです。

 常会は隣組、隣保班ごとに開いて各戸から必ず出席するやうにし、町内会、部落会の常会には区域内の隣保班代表は必ず出席し、住民生活各般の事柄を相談して、お互ひの教化向上を図るやうにしたいものです。また区域内のいろいろの会合もなるべく部落常会や町内常会に統合するやうにしませう。

 市町村常会(六大都市では区常会)は市長、又は区長を中心とし、部落会長、町内会長又は町内会連合会長と市町村内各種団体代表者その他適当な人々で組織して、区域内の行政の綜合的運営をはからうといふのです。やれ何々委員会、やれ何々委員会といふのは、なるべくこの市町村常会に統合しようといふのが、この訓令の趣旨で、是非やりたいことです。こんなところにも新体制の実行問題はあります。

 砂糖、マッチの配給などで、隣組は都会地でも時代の主役になりました。一億一心、万民翼賛の姿を地で行く大役がこの隣組、隣保班の双肩にかかつて来たのです。

 この部落会、町内会の本領は、他でもない隣保団結の精神です。向ふ三軒両隣り、共に喜び共に憂へる、みんなが堅く結び合つて互ひに切磋琢磨し、人格の向上をはかる、そこまで行きたいものです。うるはしい隣保相助、この精神あつてこそ、一億民を結ぶ国民組織に筋金が入り、魂が入ります。

 市町村の場合は常会をそのまま協力会議とするといふ建前になつていますが、しかし現在の市町村常会がいつまでもそのままでいいといふわけではありません。将来は専ら会員をもつて構成されるやうに、人的に相当修正を加へなければならぬ点があると思ひます。それから県によつては郡常会、県常会の存するところがあります。その場合には協力会議と機構がダブることになりますが、現在ある県常会、郡常会は主として精動関係で設けられたものですから、協力会議が成立した暁にはこれに統合されるか、または廃止されるか、適当に処理さるべきものです。

 とにかくこの組織で、少くとも形の上では、上は総裁内閣総理大臣から下は津々浦々の一国民まで、一筋につながることになりました。下意上達、上意下達の筋が通るのですが、この上意下達で、政府の行政機構の線とこの線と二本になりはしないかといふ問題が起ります。しかし、その点は、政府の行政機構の線だけでは十分でないから、この大政翼賛会の線がそれに協力するといふことになり、政策は決して二途に出るのではありません。


翼賛会員になるには 日本人なら有資格者


 ところでこの大政翼賛会の会員即ち構成員には誰がなるか、会員の資格が問題になります。この運動が全国民の運動である以上、日本人である限りオギャアといつた瞬間から広い意味の会員の資格がありますが、会は運動の推進的役割を持つている実践団体ですから、この運動の綱領を体得し挺身これが実践に当る者を国民の中から総裁が指名することになつています。会員になりたいからといつて、会費さへ払へばなれるといふものてはありません。会員といつても一種の会の役員と考へればよいので、国民全部が役員にはなれないのです。

 大政翼賛会は全国民の運動であるべきであるのに、一部の者によつて会が組織され、しかもその会が主要な役割をつとめると、その会に関係するものだけが、真の国民運動者であつて、その他の者は無関係な立場に置かれているやうに考へる人もありますが、決してさうではありません。いはゆる「会員」はこの運動の推進者に過ぎないので、たとへ「会員」にならなくとも、運動の精神、会の目的には反対はないわけですから、この意味で大いにこの運動に協力し、積極的に活動していただかねばなりません。

 次に、この会のお台所はまだはつきり決まつたわけではありせんが、規約には国の助成金、会費その他となつてをります。「その他」といふのはいろいろ問題のあるところですが、預金利子等を含むだけではなしに、浄財の献金なども見込んであるわけです。

 そして会費も問題になるところです。それはつまらぬ問題のやうですが、運動の性格を決定する上に重大を意味をもつたものなのです。それは大政翼賛会の構成員が単なる月給取に墮することなく、みんな手弁当で、貧者の一燈的に幾分づつなりとも費用を持ち寄つて、これは自分達のものだ、自分達がこれを作つているのだといふ政治的意欲を盛り上らせること、すなはちこの中核体に政治性をつける一つの重大なる因子をなすものであることを看過してはなりません。そしてこの会費については目下研究されています。

 なほこの運動が朝鮮、台湾等の外地にも及ぶのは当然で、その組織が構成されることは自明の理でありますけれども、その方法、内容等については中央本部の研究に俟つことになつています。


議会は翼賛体制 官界も新体制


 内外の新情勢に即応して、国家国民の総力を結集し、これを最高度に発揮し得るやう、いはゆる高度国防国家体制を整へるためには、先づ万民翼賛のいはゆる国民組織を確立することを不可欠の前提とすることは申す迄もないところでありますが、更にかかる国民組織と竝んで、強力な国内体制を整備することが、極めて必要であります。近衛内閣総理大臣の声明には、新体制の確立と共に政府部内の統合及び能率の強化、議会翼賛体制の確立等が挙げられねばならぬことをうたつてありますが、これ等の事項は目下政府で鋭意調査研究を進め、その実現を期して居ります。

 統帥と国務は、ぴつたりと諧和して行かねばなりません。これについては、例へば、大本営と政府との連絡会議を恒久化するとか、その他いろいろな方法を目下研究中です。

 官界新体制問題としては、近衛内閣の基本国策要綱に「国内態勢ノ刷新」として、「行政ノ運用ニ根本的刷新ヲ加ヘ其ノ統一卜敏活トヲ目標トスル官界新態勢ノ確立」の一項目を挙げてをり、これについても目下政府で調査研究を進めてをります。

 官界新体制として実現さるべき事項はいろいろありませうが、政府がすでに閣議で決定し、それぞれ関係官庁で、成案を準備中である二、三の事項を示すと次の通りであります。

一、官吏制度の改革 (イ)文官任用制度の改革 (ロ)文官分限制度の改革 (ハ)文官試験制度の改革 (ニ)下級官吏生活不安除去等官吏待遇の合理化 (ホ)日満間の交流人事に必要な制度の樹立

二、官庁行政事務の再編成 官庁行政事務につき国防国家体制に即応する如く重点主義を採用し不要不急事務を一時停止すること

三、吏道刷新昂揚 (イ)官紀の振粛 (ロ)官吏の再教養再訓練 (ハ)中央地方を通ずる綜合的交流人事の実施

 これ等の事項の中、あるものはすでに成案を以て実行に移す準備中であります。

 次に議会翼賛体制確立の問題でありますが、議会翼賛体制確立とはどんなことをいふのか。一口に云へば、これは帝国議会の組織と機能を、帝国憲法制定の御精神に恪遵し且つ時代的要請に合致せしめようといふことであります。

 帝国議会が大政翼賛の 陛下の機関たることはわが国立憲制の特色であつて、議会存立の意義は外国のそれとは根本的に異つていますが、そこで、現実の議会が如何に組織されてをり、如何に運用されているかが問題となります。

 帝国議会の現実の体制をして、現下に於ける大政翼賛の時代的要請に即応せしめようとする企てが、即ち議会翼賛体制の確立であります。

 帝国議会の機能は、大政翼賛を以て本義とすべきものであります。議員の行動が大政翼賛の本然の姿から逸脱するやうなことは、勿論容認出来ませんし、又大政翼賛の本来の職責を尽すのに、欠くる所があり、足らざる所があつてはならないと考へます。

 今日のやうな重大な世局に際しては、議会と政府との協力関係の確立といふことは特に重視されねばなりません。

 政府と議会との協力関係確立のためには、制度に於て又其の運営に於て、篤と工夫せねばならぬものがあると思ひます。

 帝国議会翼賛体制を確立するためには先づ議会そのものが、大政翼賛の重責を最も適当に尽し得る適格者を以て適当に組職される必要があり、従つて政治運営の改善の外に、議院の組織そのものについても、改善を要するものがあると考へられます。そのために、議院法の改正とか、貴族院制度の改正とか、衆議院議員選挙法の改正とかいふ問題が、研究題目として、取上げられることとなるのであります。なほ大政翼賛会との関連に於ても相当考究を要するものもあると思ひます。

 議会翼賛体制の確立といふことはかういふ方向をとつて、新体制への一路を辿ることとなりませう。

 さて、この大政翼賛運動の下では政治団体はどうなるでせう。これは最も一般の関心の深いところです。

 既成政党は、御承知の通り、どしどし解散しこの運動に参加しようとしています。準備会にも、本部の事務局にも旧政党人も入り、政治の新体制確立へ努力しています。しかし、会には政治団体としての加入は認めず、又政治団体員としての資格で加入することも認めないことになつています。

 ところで、この新組織の下で政治団体を認めるかどうかについては、近衛内閣総理大臣が第二回準備会で「政府は権力をもつて政治結社を禁ずるやうなことはしない。しかし新体制の目的を考へれば、いかなる既存の政治結社もその他の団体もこの新体制に当然加はるべきで、従つてそれ等は解消することを期待している」と言つてをります。つまり、政党は認めないのではないが、かういふ万民翼賛の運動なのだから、自然に解消して入つてくれることを期待するといふことです。

 それから次には、一体新体制下の各団体はどうすればよいのかみんな暗中模索です。婦人団体、青年団などの大同団結の気運が動いています。

 まづ在郷軍人会については、陸海軍大臣とも全然同一意見であることを明らかにして居ります。それは個々の在郷軍人は一般国民である以上、特にその実質に鑑みこの運動の熱烈優秀なる実践員、すなはち本組織体の核心的構成分子として参加し得るのは勿論で、むしろ進んでこれに加入し、その健全な発達を助成すべきものであつて、その活動に期待されるところもまた甚だ大であるといはなければなりません。

 しかしながら在郷軍事会は、大正三年十一月三日在郷軍人に、また昭和三年十二月三日在郷軍人会に賜はりたる勅語に御諭しになつているやうに、また勅令をもつて規定されている帝国在郷軍人会令第一条の目的、および第五条に「帝国在郷軍人会は政治に干与することを得ず」と明示してあるのに照らし、在郷軍人会全体を中核体の組織内に編入することは適当でないと考へている、といふのがその趣旨です。

 その他各種団体については、今後の問題ですけれども、その関係は、総裁指名の協力会議員の或る部分は学識経験者が採られるけれども、他の部分は団体代表といふ形で採られることになりませう。また団体自体は何等かの形で、文化部或ひは経済部と緊密な連繋を結ぶことになり、また団体自体が将来再編成を要求されることにならうし、さういふ場合にその緊密な関係を結んでいる中央本部の人が推進するといふことになりませう。

 ■■■■■例へば、青年団についていへば全部が中央本部の中に入るわけにゆかぬから、常務理事が何等かの形で入る。或ひは婦人団体代表についていへば、その代表者は中央協力会議員になり、婦人団体自身は文化部と緊密な連絡を保持して活動し、将来統合といふやうな場合には文化部が推進乃至指導をする、かういふことになるでせう。つまり原則として新体制に即応した団体の編成を希望するものであつて、これによつて編成を変へることもありませう。経済団体ならば公益優先の精神によつて再編成されるといふわけです。

 新体制は団体解消を全面的にやると考へている向きもありますが、一般的即時解消を要求するものではありません。政治団体に対して、権力をもつてこれを解消せしめる意図はないといふ趣旨のことが内閣総理大臣の言にありますが、ただしかし政治団体の場合には自発的に解消を期待する。その他文化団体、経済団体はそれぞれ新体制の趣旨に即応して再編成され統合されることが期待されるといふ意味です。

 ところで今の精動本部はどうなるかといふことが問題になります。精動の仕事はこの時局下にあつては新組織に包容して大いにやらなければならぬ仕事です。国民啓発運動と共に、節米とか、贅沢廃止運動といふやうなものは大いにやらねばなりません。しかしながら今の精動の組織をもつてやることはやめるといふことになります。


みんなで築き上げよう 新秩序の文化体制を


 今までわが国では政治と文化がおよそ無縁な関係にありました。政治の方には、文化を理解しこれを援助し指導しようとする意欲も殆んどなく、ただ上からの法律的な取締と画一主義の憾みがありました。同じ状態が文化の側にも指摘されます。政治を正しく理解しようとするよりも、むしろこれと対立的に、反撥的な関係に見られて、自由主義的な極めて放恣な活動をつづけてきましたが、高度国防国家の確立が要請され、そのための挙国新体制の樹立が要望されている現在、政治と文化との関係がこんな無縁な対立的なものであることは許されません。

 かういふ事態が根本的に改正されて、学術とか、調査研究とか、報道とか、啓蒙とか、教育とか、その他各種の芸術、映画、スポーツといふやうな大きな意味での文化各部門の領域における諸団体の実質が、この線に沿つて向上されること、或ひは必要に応じてはそれ等が互ひに整理統合され、或ひは横に連繋されて、その新らしい組織でもつてそれぞれ政府の企画に参画し、そして文化政策の遂行に対して文化諸団体も責任を分担する。極く抽象的にいへば、さういつた仕組が、いはゆる文化の新体制として考へられます。

 それでは具体的に、各部門についてどういふことになるのかといふ問題になりますが、それは結局今後みんなで築き上げて行きませう。

 文化新体制の目的としては、新日本文化の建設、ひいては東亜の新文化の建設といふことがなければなりません。そのためには文化の国防国家体制への総動員といふことが考へられねばなりません。今度の国防国家は単に軍事上、政治上の国防国家の体制でなくて、その中には文化の面、即ち、科学、宗致、芸術も包含した大きな国防国家ですから、その大目標に向つて文化の各部門が統合され、協力するといふ姿勢が取られなければならないのです。それには日本精神の発揚といふことが根柢にならなければならないことはいふまでもありません。

 われわれの生活に密接な関係のある娯楽などについても、国民生活を明朗にし、健全を精神を涵養するために、低調俗悪な娯楽を廃するとともに、明朗健全を娯楽施設の充実を図るやうにならなければなりません。そのためにラヂオ、映画、演劇等の内容を向上せしめると同時に、特に農村、漁村における娯楽機関の充実に努め、内容の向上と、地域的に都会にばかり集まつている娯楽施設の存在を改めてゆく必要もありませう。


生活は楽になるか 経済新体制の方向


 経済の新体制といふことを分り易く理解するには、今の経済組織なり機構が何故に、またどういふ風にいけないのかと云ふことをまづ考へて見るのがよいと思ひます。すでに御承知のやうに、今の経済体制はすべてが営利本位に出来てをり、私利私慾が経済活動の元になつている、即ち利潤の追求といふことが一切の経済活動の原動力になつているのであります。

 そして公益といふことは、さういふ私利私慾が衝突した場合にそれを何とか調節する基準になるといふ意味でしか考へられていないのであります。かういふお互ひに矛盾衝突する私利私益を調和する所に、国家の役目があるといふ風に考へられていたのであります。それは政治の方で党利党略や階級的利益を追求することが即ち政治の目的であると考へていた政治家があつたのと同様であります。ですから経済活動の動機或ひは原動力といふ方面から云ひますと儲かることでないと仕事をしない、生産にも努めない、といふ風を組織、かういふ機構になつているのであります。かつては私利私慾の追求といふことが生産力の発展に寄与したこともありますが、今日のやうな世界的な戦国時代のさなかで、日本民族が自己の運命を賭して高度の国防国家体制を編成し、大東亜新秩序を建設し、同時に国民生活を確保しなければならぬやうな時代にあつては、あらゆる経済活動が一元的に国家意志に結びつき、これに統合されて、一貫的な計画の下に水も漏らさぬ活動を営む、限られた資金、資材、労力を国家的な立場から運用して最大の效果を挙げ得る仕組が要請されるのであります。

 それには経済活動が、従来のやうに個々の資本家の自由に放任されるやうなことは、もはや許されないのであります。さういふ必要から、事変発生以来特に統制経済といふことが喧しくいはれ又、いろいろな施策が行はれて来たのでありますが、今日必要なことはこの統制経済の不備を補ひ、更に一歩を進めて、真にこれからの難局に堪へられる強固な経済新体制を作ることです。即ち、今までのやうに政府はただ上から命令する、経済界は不平を云ひながらこれを甘受するが、責任を負ふものは何処にもないと云つたやうな遣り方は改められねばなりません。

 それには、今日経済活動の基礎単位である企業経営の代表者が政府の編成する経済計画に参加すると同時に、その計画の実行には責任を負ふやうな統制機構、経済の仕組が考へられねばならないと思ひます。そのためには、企業の代表者に公けの資格を与へるとか、或ひは同一の産業部門の下の企業経営相互の間に、多く儲けるといふ点ではなくて、いい品物を出来るだけ多く作るといふ点で相互に競争し得るやうな、而してその努力に於て個人なり経営なりの功績が公けに認められ、そしてその間適正な利潤、報酬が得られるやうな、いろいろの工夫が必要でせう。

 最後に、新体制になつたら、明日からでも一切の拘束が除かれ、暮しが楽になるやうな錯覚を起している向きもあるやうに思はれますが、遠い先のことは別としまして、当面は経済の新体制といふことは、一言で云へば、これからの国難とでもいふべき難局に処して不自由を堪へ忍ぶ組織だといふことを、よく頭に入れて頂きたいのです。

 一人の暖衣飽食も許されませんが、たとひ一汁一菜の生活でもよい、国民の間に飢える者は一人もいないやうに、国民全体の生活を合理的にし、犠牲の負担を公平にして、不自由ではあるが、ぢつと我慢して五年でも十年でもやつてゆかうといふ組織が新体制であります。事変目的も完遂せられ、東亜の自立的な経済建設も行はれ、世界戦後の新秩序の建設にも有力に参加し得、偉大なる大東亜の建設における指導者としての日本民族の輝かしい将来のために、己を空うして戦ひ抜かねばなりません。


国家興隆の原動力 道は近きにあり


 今までの説明によつて新体制は、政治、経済、文化その他、われわれの生活の全領域に亙る全国民的、挙国的の問題であることを理解されたと思ひます。そしてそれを作り上げるのは、近衛内閣総理大臣のいはれるやうに、政府、国民共同の歴史的大事業であり、これなくしてはこの重大時局を突破することのできない、国家興隆の成否を決する大事業であり、それは一億国民がみんなで、自ら築き上げねばならないものであることも納得されたでせう。

 この大事業が出来るか出来ないかの鍵は他でもない、国民各々の双肩にあります。

 ところが当然渦中に入つて共に倶に一分子として活動せねばならぬところの国民の中に、今までつちかはれてきた自由主義の残滓を清算し切らず、ややもすれば批判的に見て論議をし、或ひは徒らに未完成なものの弱点を指摘して快とするといふやうな態度があるとすれば、それこそ国家を毒し、国家発展の力を阻止せんとするものです。

 この運動に対して国民が真意を弁へずに、どうかうと思ふやうな態度は許されません、我々自らがそれをつくるといふ熱意の下に協力するのが、即ち国民の義務であり、責任であります。われわれには一路邁進あるのみです。それをつくり上げることは政府ひとりの仕事でなくして、国民の一人々々がそれに参画しなくてはなりません。

 今や日本は、有史以家の一大国難に直面しつつ、しかも、世界歴史転換の鍵をにぎる重大な役割を自ら荷ふことになつたのであります。欧洲に於ては独伊、東亜に於ては日本、相共に結んで世界新秩序建設に進まんとしているのであります。そのためには来るべき英米旧秩序勢力からのあらゆる圧迫妨碍を覚悟し、これを克服して行かねばなりません。千辛万苦は固より覚悟の前です。

 しかし前途には新秩序の光明が輝き、われわれの荊の道を導き照らしているのであります。この世界歴史の前進、人類の進歩には、新体制は絶対必要であり、それが出来るか出来ぬかは、国防国家の完成への関ヶ原となるのであつて、日本が紀元二千六百年の歴史に一段の光彩あらしめ得る構へが出来るかどうかであります。

 明治維新が出来たことによつて、英米仏も日本の新体制を知つて帝国主義的な野望を棄て、帝国の今日の興隆を築く基をなしたのでありますが、今や、より強い圧力を以て、しかも世界的規模に於て新らしい試練が訪れたのであります。最早や分派対立の余裕も、無用の討論のもありません。

 昭和維新はわれわれ熱と力と意志によつて築き上げねばならないのであります。特に国家の中堅になる青年に負ふところが大きいのであります。そのためには一人々々がこの時局重大性に徹して己れを空しうして国家の重大危局に投ずる覚悟を必要とするのであります。それはまづ日本国民の全部が自己革新をし、自らの職分に於て御奉公することであります。

 畏くも 天皇陛下には九月二十七日、日独伊三国間に於ける条約成立に際して詔書を下し給ひ、時局を軫念あらせられ、国民に嚮ふところをお示しあらせられたのであります。真に恐懼感激、我々はいふべき言葉を知らないのであります。我々国民はひたすら、感涙にむせびつつ、時局に処する決意を固め、皇運を扶翼し奉るのみであります。

 新体制の道は身近かにあります。「自らの新体制」を確立せることであります。

 今こそ、国民が御稜威の下国家の命ずるところに、一つ心、一つ体になつて、国内新体制を確立し、世界の推進力として皇国の興隆を期し聖恩の万分の一に報い奉らねばならない。真に一兆一心、自ら顧みて国家のために奮起すべきときであります。

(国立公文書館:週報 臨時号 第208号 A06031037000)

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