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松岡=リッベントロップ会談要領 1941年03月27日

 松岡=リッベントロップ会談要領(ひらがな化、一部新字体化)


  松岡外務大臣「リ」外相會談記錄(要領)

        昭和十六年三月二十七日午前十一時より

        外相官邸に於て

        会談時間約一時間三十分

一、「リ」は先づ松岡大臣が遠路独逸を訪問せられたることを謝し次で今回の戦争に至れる経過を叙し今次の戦争が独にとりては全く強ひられたる戦争なることを述ぶ、而して独逸としては戦争発生以前に日独伊三国同盟の成立を企図し自分(「リ」)は全権を持ちて六ヶ月待ちたるが遂に日本側の態度決定せざりしに依り当時刻々に戦雲漲り来れる欧州の情勢上止むなく蘇連と結ぶに至れる次第を述ぶ、

二、本次戦争発生当時に於ては波蘭は八十(?)箇師団、諾威は六箇師団、和蘭は十六(?)箇師団、白耳義は二十八(?)箇師団、仏国は百三十(?)箇師団、英国は七(?)箇師団の兵力を擁し居り、模様に依りては之等全部を敵とするの可能性ありたるが、幸ひ先づ波蘭を叩き、諾威を圧へ、更に西部戦場に於て圧倒的勝利を収めたる結果、之等全兵力は最早欧大陸には存在せざるに至れり、

三、現在独側兵力は二百四十箇師団、其の中百八十六箇師団は青年のみより成る最精鋭部隊にして、二十四箇師団は完全なる機械化部隊なるのみならず其の他多数の独立機械化旅団あり、

四、潜水艦は現在不断に海上にありて対英攻撃に従事し居る隻数は六-七-八隻に過ぎざるも、四月に入れば七〇-八〇-九〇隻が断えず策戦行動に従事すべく、又戦艦も(注、船名は云はざりしも、「グナイゼナウ」「シヤルンホルスト」を指すものと認めらる)遠く大西洋上に於て活躍し居れり、

五、空軍に関しても絶対優勢にして此の冬以来従来の飛行機よりも一段と進歩せるもの現はれ、漸次新型機を以て置きかへられつつあり、

六、英国本土に対する攻撃は一切の準備備ひ居れるも、何時英国が屈服するやは自分も云へず、二ヶ月-三ヶ月-四ヶ月の中に屈服することあり得べきが、遅くも今年中に完全に英国が叩き伏せらるべきこと確実なり、

七、「バルカン」は既に安定せるが、今後共三国条約に加入せしめ度き国あり、第一には西班牙、次で瑞典、土耳古なり、

八、蘇連に付ては曩に「モロトフ」来独の際三国条約加入方を交渉せるが、後刻蘇連は其の条件として芬蘭に於ける独逸勢力圏の蘇連に対する譲渡、「ダーダネルス」に関し土耳古に基地を設くること、勃牙利との特殊関係設定等の要求を出し来れるにより「ヒ」総統は明白に之を拒否せり、独蘇関係は一言にして云へば「コレクト」なるが、蘇のやる事には非友誼的なること少なからず、先般の蘇土共同声明の如きも其の一例なり、又「クリップス」英国大使の「モスコー」着任以来英国の策動もありて万一の際は英につくかも知れずとの素振りを見せ来れり(最近「クリツプス」は「イーデン」とも「アンカラ」にて会見し居れり)然れども今日の独逸は蘇が独に対し何事かを試みる場合には数ヶ月を以て蘇軍を撃滅するの自信を有す、

九、米国は極力英国を援助し居れるが、此の援助なければ「チヤーチル」は到底抵抗出来ざるべし、米国が真に参戦するや否やは尚不明なり、元来我々が三国条約を締結せるは米国の参戦を阻止するにありたり、而して今日極東の情勢を見るに自分は日本が適当の時機に——出来得れば成るべく速かに——新嘉坡を攻撃すること有利なりと認む、何となれば若し日本が新嘉坡を占領するに至れば、比律賓は何時にても日本により攻略せらるべし、「ローズヴエルト」としては比律賓を失ふは対内「プレステイツヂ」を失墜するにより之を避けざるを得ざるべく、米国の参戦を断念せしむるに至るべし、尚日本が南洋の大地域を支配することも米国の参戦を断念せしむる一要素たるべし、三国条約は米国を対象として作れる条約なるも日本が新嘉坡を攻略するは本条約の目的とする所に合致するものと思考す、

(以上会談の途中「ヒ」総統の呼出しありて「リ」は中坐し会談打切られたり)

(日本外交文書デジタルコレクション:第二次欧州大戦と日本 第1冊

日独伊三国同盟・日ソ中立条約P334~)

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