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反軍演説 1940年02月02日

 反軍演説


斎藤隆夫衆議院議員の反軍演説(全文)

斎藤隆夫「支那事変処理に関する質問演説」 


支那事変が勃発しましてから既に二年有半を過ぎまして、内外の情勢は益々重大を加へているのであります、此の秋に当りまして一月十四日、而も議会開会後におきまして阿部内閣が辞職して、現内閣が成立し、組閣二週間の後に於て初めて此の議会に臨まるることに相成つたのであります、総理大臣を首めとして、閣僚諸君の御苦心を十分に御察しすると共に、国家の為に切に御健在を祈る者であります、米内首相は組閣匆々天下に向つて、現内閣の政策を発表せられたのでありまして、吾々は新聞紙を通じて、之を承知致して居るのであります、併し其の政策と称するものは、唯僅に題目を並べたに過ぎないのでありまして、諸般の政策は此の帝国議会に於て陳述すると附加へてあります、 それ故に昨日の御演説を拝聴致したのでありまするが、相変らず抽象的の大要に過ぎないのでありまして、之に依つて国政に対する現内閣の抱負経綸を知ることは勿論出来ない、併しながら私は今日此の場合に於て、是等の問題、即ち第一は支那事変の処理、第二は国際問題、第三は国内問題、是等の三問題全部を通じて質問を致す時間の持合せもありませぬから、此の中の中心問題でありまする所の支那事変の処理、之に付て私の卑見を述べつつ、主として総理大臣の御意見を求めて見たいのであります、支那事変の処理は申すまでもなく非常に重大なる問題であります、今日我国の政治問題として是以上重大なる所の問題はない、のみならず今日の内外政治は何れも支那事変を中心として、この周囲に動いて居るのである、それ故に吾々は申すに及ばず、全国民の聴かんとする所も固より茲に在るのであります、一体支那事変はどうなるものであるか、何時済むのであるか、何時まで続くものであるか、政府は支那事変を処理すると声明して居るが、如何に之を処理せんとするのであるか、国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、此の議会を通じて聴くことが出来得ると期待せない者は恐らく一人もないであらうと思ふ、曩に近衛内閣は事変を起しながら其の結末を見ずして退却をした、平沼内閣はご承知の通りである、阿部内閣に至つて初めて事変処理の為に邁進するとは声明したものの、国民の前には事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしまつた、現内閣に至つて初めて此の問題を此の議会を通して国民の前に曝け出す所の機会に到来したのであります、是に於て私は総理大臣に向つて極めて率直に御尋をするのである、支那事変を処理すると言はるるのであるが、其の処理せらるる範囲は如何なるものであるか、其の内容は如何なるものであるか、私が聴かんとする所は茲に在るのであります、私の見る所を直言致しまするならば、元来今回の事変に付きましては、当初支那側は申すに及ばず、我が日本に於きましても確に見込違ひがあつたに相違ないのであります、即ち我国より見まするならば、其の初めは所謂現地解決、事変不拡大の方針を立てられたのでありまするが、其の方針は支那側の挑戦行為に依つて立どころに裏切られ、其後事変は日に月に拡大し、躍進に躍進を重ねて遂に今日の現状を見るに至つたのであります、支那側の見込み違ひ、是は言ふを要しないのであります、此処に御参考の為に引用すべき文書があります、是は昨年十二月十三日、内閣情報部より発行せられたる所の週報でありまするが、此の中に「支那事変を解決するもの」と題して支那派遣軍総司令部報道部長の名を以て一の論文が掲載せられて居るのである、此の中に如何なることが現はれて居るかと見ると、「抑々此の戦争は、支那人、殊に蒋介石の日本に対する認識不足と、其の日本の実力誤算から出発し、又日本の支那に対する研究不足と認識不足とに依つて始められ、又深められて来た」云々と記載されてある、即ち此の度の事変は支那が日本に対する所の認識不足、又日本が支那に対する所の認識不足、此の二つの原因に依つて始められ、又是が深められたものに相違ない、併しながら翻つて考へて見ますると、仮令此の認識不足なしと雖も、日支両国の間に於きましては早晩一大事変が起らざるを得ない其の禍根が、何れの所にか隠れて居つた、其の機運が熟して居つた、それが彼の北支の一角蘆溝橋に於ける支那側の不法射撃、此の事実に触れて外部に爆発したに過ぎないのでありまして、是は仕方がない、所謂運命であります、両国間に蟠る所の運命でありますから、是は仕方がない、併しながら其の後事変は益々進展して、彼我の勢力並に勝敗の決も明になりました以上は、成べく速に此の事変を収拾する、さうして出来るならば再び斯の如き事変か起こらないやうに、日支両国の間に横はる一切の禍根を芟除して、以て和平克復を促進することは独り日本の政治家の責任であるのみならず、実に支那の政治家の責任であると私は思ふのであります、唯問題はどうして是等の禍根を取除くことが出来るか、どうしたならば将来の安全を保障することが出来るか、吾々は支那の立場を考ふると共に、主として日本の立場を考へねばならぬのである、そこで先づ第一に吾々が支那事変の処理を考ふるに当りましては、寸時も忘れてならぬものがあるのであります、それは何であるか、外の事ではない、此の事変を遂行するに当りまして、過去二年有半の長きに亘つて我が国家国民が払ひたる所の絶大なる犠牲であるのであります、即ち此の間に於きまして我が国民が払ひたる所の犠牲、即ち遠くは海を越えて彼の地に転戦する所の百万二百万の将兵諸士を初めとして、近くは之を後援する所の国民か払ひたる生命、自由、財産其の他一切の犠牲は、此の壇上に於きまして如何なる人の口舌を以てするも、其の万分の一をも尽すことは出来ないのであります、而も是等の犠牲は今日を以て終りを告げるのではない、将来久しきに亘る、今後幾年に亘るかと云ふことは、今日何人と雖も予言することが出来ない状態にあるのてあります、実に此の度の事変は、名は事変と称するけれども、其の実は戦争である、而も建国以来未だ曾て経験せざる所の大戦争であります、随て其の犠牲の大なると共に、其の戦果に至つても亦実に驚くべきものがある、昨日も此の議場に於て陸軍大臣の御話がありました通り、今日の現状を以て見まするならば、我軍の占領地域は実に日本全土の二倍以上に跨つているのであります、而して是等の占領は如何にして為されたものであるか、何れも忠勇義烈なる我が皇軍死闘の結果である、即ち是が為には、十万の将兵は戦場に屍を埋めて居るでありませう、之に幾倍する数十万の将兵は、悼ましく戦傷に苦しんで居るでありませう、百万の皇軍は今尚ほ戦場に留まつて、有ゆる苦難と闘つて居るに相違ない、斯くして得られたる所の此の戦果、斯くして現はれたる所の此の事実、之を眼中に置かずしては、何人と雖も事変処理を論ずる資格はない、諸君も御承知の如く、我国は曾て四十余年前に支那と戦つた、三十余年前に露西亜戦つた、是等の戦は何れも国運を賭したる戦いであつたに相違はございませぬが、今回の戦いと比べまするならば、其の規模の大なること、其の犠牲の大なること、日を同じくして語るべきものではない、然るに是等の戦は如何なる条件を以て、和平克復を見るに至つたかと云ふことは、歴史が之を明記して居りまするから、茲に述べる必要はない、それ故に之を過去の歴史に鑑み、又之を東亜に於ける大日本帝国の将来に鑑み、之を基礎として、以て事変処理の内容を充実するにあらざれば、出征の将士は言ふに及ばず、日本全国民は断じて之を承知するものではない、政府に於て其の用意があるかないか、私が問はんとする所は茲にあるのであります、米内首相は事変処理に付ては、既に確乎不動の方針が定められて居る、斯く声明せられて居るのでありまするが、其の方針とは何であるか、所謂近衛声明なるものであるに相違ない、即ち一昨年十二月二十二日に発表せられた所の近衛声明、是が事変処理に関する不動の方針であることは、申すまでもないことであります、所が私は元来此の近衛声明なるものに向つては、聊か疑いを抱いて居るのであります、此の際誤解を防ぐが為に御断りをして置きます、きつぱりと御断りをして置きまするが、私は今俄に近衛声明に反対をする者ではない、さりとて賛成をする者でもない、賛成をするか反対をするかは、政府の説明を聴いて、然る後に於て考へる積りであります、今日は質問であります、質問は読んで字の如く疑を質すのである、それ故に此の考を以て御聴取を願ひたいのであります、近衛声明の中にはどう云ふことが含まれて居るかと言ひますると、大体五つの事柄が示されているのであります、其の一つは支那の独立主権を尊重すると云ふことである、第二は領土を要求しない、償金を要求しないと云ふことである、第三は経済関係に付ては、日本は経済上の独占をやらないと云ふことである、第四は支那に於ける第三国の権益に付ては、之を制限せよと云ふごときことを支那政府には要求しない、第五は防共地域である所の内蒙付近を取除く其の他の地域より、日本軍を撤兵すると云ふことであります、此の五つが近衛声明に含まれて居る所の要項である、而して此の声明は唯日本のみに対する声明でなければ、又支那のみに対する声明でもない、実に全世界に対する所の声明でありまするから、如何なることがあつても之を変更することが出来るものではない、絶対に是は変更を許さないのである、若し苟且にも之を変更するが如きことがありますならば、我国の国際的信用は全く地に墜ちてしまふのであります、唯そればかりではない、御承知の如く彼の汪兆銘氏、同氏は此の近衛声明に呼応して立上つたのである、即ち此の近衛声明を本として、和平救国の旗を押し立てて、新政権の樹立に向つて進んで来て居るのである、其の後同氏は屢々声明書を発表して居りまするが、此の声明書を見ますると、徹頭徹尾近衛声明を文字通り、額面通りに解釈をして居るのである、即ち同氏が屢々発表しました所の声明書、此の声明書に現はれて居る所の文句を、其の儘取つて来て総合しますると、斯う云ふことになるのであります、近衛声明の如くであつたならば支那に取つては別に不利益はない、日本は此の声明に依つて全く侵略主義を抛棄したのである、日本は是まで侵略主義を執つて居つたが、近衛声明に依つて侵略主義を抛棄したのであると言うて居る、日本が侵略主義を抛棄したと云ふことは、即ち軍事上に於ては征服を図らず、経済に於ては独占を考へないと云ふことである、斯の如く日本が戦争中に於て反省したる以上は、中国も亦深く自ら反省する所があつて、一日も速に和平を実現せねばならぬ、而して斯の如き和平は絶対に平等の立場に於て結ばねばならぬ、戦勝者が戦敗者に対する態度は一切抛棄すべきである、随つて和平条約は決して支那国家の独立自由を害するものではないから、何人と雖も和平の実現を拒むことは出来ない、声明書に現はれて居りまする所の文句を其の儘取つて来て総合すると、斯の如きものになるのである、さうして此の声明を発表して爾来一年有余の間、和平運動の為に進んで来て居るのであります、それですから御承知の通り支那民衆、蒋介石一派よりは実に言ふに堪へざる所の攻撃を受け迫害せられ、身を挺して和平運動の為に進軍して来て居るのであります、それ故に同氏の立場から見れば、徹頭徹尾此の声明をば裏切ることは出来ない、若し之を裏切るか如きことかありましたならば、和平運動、延いて新政権の樹立は根本から崩壊せられてしまふのである、是に於て私は政府に向つて御尋をするのである、支那事変処理の範囲と内容は如何なるものであるか、重ねて申しまするが、支那の独立主権は完全に尊重する、支那の独立主権を完全に尊重する以上は、将来支那の内外政治に向つては苟且にも干渉がましきことは出来ない、若し干渉がましきことを為したならば、支那の独立主権は立どころに侵害せられるのである、領土は取らない、償金は取らない、支那事変の為にどれだけ日本の国費を費したかと云ふことは私は能く分りませぬ、併しながら唯軍費として吾々が此の議会に於て協賛を致しましたものだけでも、今年度までに約百二十億円、来年度の軍費を合算致しますると約百七十億円、是から先どれだけの額に上るかは分らない、二百億になるか三百億になるか、それ以上になるか一切分らない、それ等の軍費に付ては一厘一毛と雖も支那から取ることは出来ない、悉く日本国民の負担となる、日本国民の将来を苦しめるに相違ない、又経済開発に付ては、決して日本のみが独占をしない、支那の経済開発と云ふことが叫ばれて居りまするが、是も日本だけが独占をすべきものではない、第三国権益を制限するが如きことは支那政府に向つては要求しない、是まで我国の政治家は国民の前に何と叫んで居つたか、此の度の支那事変は、支那より欧米列国の勢力を駆逐する、欧米列国の植民地状態、第三国から搾取せられて居る所の支那を解放して、之を支那人の手に戻すのであると叫んで居つたのでありますが、是は近衛声明とは全然矛盾する所の一場の空言であつたと云ふことに相成るのであります、其の他占領地域より日本軍全部を撤兵すると云ふのである、残る所に何があるか、それが私には分らないのであります、殊に日本軍の撤兵に付ては、汪兆銘氏が如何なることを言うて居るかと云ふと、第一次声明の中に斯う云ふことが現われて居る、 近衛声明に於て特別重要なる点は日本軍の支那からの撤兵である、さうして其の撤兵は全部が急速に且つ有ゆる方面に於て一斉に行はれねばならぬということである、即ち撤兵は、全部が急速に、あらゆる方面に於て、一斉に行われねばならぬと云ふことである、唯提案せられたる所の日支防共協定の存続期間に限つて、日本軍の駐屯すべき所謂特定地区は唯内蒙の付近のみに制限せられなければならない、斯様に汪兆銘氏は声明して居りまするが、之を近衛声明と対照しますると、少しも間違ひはないのであります、然る以上は是より新政権を対手に和平工作を為すに当りましては、支那の占領区域から日本軍を撤退する、北支の一角、内蒙付近を取除きたる其の他の全占領地域より日本軍全部を撤退する、過去二年有半の長きに亘つて、内には全国民の後援の下に、外に於ては我が皇軍が悪戦苦闘して進軍しました所の此の占領地域より日本軍全部を撤退すると云ふことである、是が近衛声明の趣旨でありますか、政府は此の趣旨を其の儘実行する積りでありますか、是が私は聴きたいのであります、総理大臣は言ふに及ばず、軍部大臣に於ても此の点に付ては御説明を煩はして置きたい、次に事変処理に付ては東亜の新秩序建設と云ふことが繰返されて居ります、此の言葉は昨日以来此の議場に於てもどれだけ繰返されて居るか分らない、元来此の言葉は事変の初めにはなかつたのでありますが、事変後約一年半の後、即ち一昨年十一月三日近衛内閣の声明に依つて初めて現はれた所の言葉であるのであります、東亜の新秩序建設と云ふことはどう云ふことであるか、昨日外務大臣の御言葉にもあつたやうに思ひますが、近頃新秩序建設と云ふことは此の東洋に於てばかりではない、欧羅巴に於ても数年来此の言葉が現はれて居るのであります、併しながら欧羅巴に於ける新秩序の建設と云ふものは、詰り持たざる国が持てる国に向つて領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義の如きものでありますが、其の後の実情を見ますると全然反対である、随分持てる所の大国が持たざる所の小弱国を圧迫する、迫害する、併呑する、一種の弱肉強食である、茲に至つて欧羅巴に於ける新秩序建設の意味は全く支離滅裂、実に乱暴極まるものであります、併し欧羅巴のことはどうでも宜しい、欧羅巴に於ける新秩序の建設などは、吾々に於て顧る必要はない、此の東亜に於ける新秩序建設の内容は如何なるものがあるか、是も近衛声明及び之に呼応したる所の汪兆銘氏の声明を対照して見ますると、新秩序建設には確に三つの事柄が含んで居る、それは何であるか、第一は善隣友好と云ふことである、第二は共同防共である、第三は経済提携であります、是が是までの公文書に現はれて居る所の新秩序建設の内容でありまするが、政府の見る所も之に相違ないのであるか、新秩序建設と云ふことが朝野の間に於て屢々謳はれて居るのでありまするが、其の新秩序建設の実体は以上述べたる三つのことに過ぎないのであるか、尚ほ此の外に何ものがあるのであるか、なければ宜しい、あるならばそれを聴きたい、あつても言へないと言はるるならばそれも宜しい、兎に角是ほど広く、是ほど強く高調せられて居る所の戦争の目的であり、犠牲の目的である所の東亜新秩序建設の実体は、政府の見る所は何であるか、之を承つて置けば宜しいのであります、之に関連して御尋をして置きたいことがある、此処に昨年十二月十一日付を以て発表せられたる東亜新秩序答申案要旨と云ふものがある、是は興亜院に於て委員会を設けて審議せられたる所の其の答申案であります、之を見ますると云ふと、吾々には中々難しくて分らない文句が大分並べてある、即ち皇道的至上命令、「うしはく」に非ずして「しらす」ことを以て本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨、中々是は難かしくて精神講話のやうに聞えるのでありまして、私共実際政治に頭を突込んで居る者には中々理解し難いのであります、併しそれは別と致しまして、近頃になつて東亜新秩序建設の原理原則とか、精神的基礎とか称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬと云ふことは一体どう云ふことであるか、東亜新秩序建設は此の大戦争、此の大犠牲の目的であるのでございます、然るに此の犠牲、戦争の目的である所の東亜新秩序建設が、事変以来約一年半の後に於て初めて現はれ、更に一年の後に於て特に委員会までも設けて、其の原理、原則、精神的基礎を研究しなくてはならぬと云ふことは、私共に於てはどうも受取れないのであります、此の点は総理大臣に限らず、興亜院の総裁で宜しいのでありますからして、何故興亜院に於ては特に委員会までも設けて、斯う云ふことの研究に着手せられたのであるか、之を聴いて置きたいのでありますこと―――――― 

(以下官報速記録より削除せられたる部分) 

 私は是より一歩を進めまして少し私の議論を交へつつ政府の所信を聴いて見たい、政府に於ては斯う云ふことを言はれるに相違ない、又歴代の政府も言うて居る、何であるか、此の度の戦争は是までの戦争と全く性質が違ふのである、此の度の戦争に当つては、政府は飽くまでも所謂小乗的見地を離れて、大乗的の見地に立つて、大所高所より此の東亜の形勢を達観して居る、さうして何事も道義的基礎の上に立つて国際正義を楯とし、所謂八紘一宇の精神を以て東洋永遠の平和、延いて世界の平和を確立するが為に戦つて居るのである、故に眼前の利益などは少しも顧る所ではない、是が即ち聖戦である、神聖なる所の戦であると言ふ所以である、斯様な考を持つて居らるるか分らない、現に近衛声明の中には確に此の意味が現れて居るのであります、其の言は洵に壮大である、其の理想は高遠であります、併しながら斯の如き高遠なる理想が、過去現在及び将来国家競争の実際と一致するものであるか否やと云ふことに付ては、退いて考へねばならぬのであります(拍手)苟も国家の運命を担うて立つ所の実際政治家たる者は、唯徒に理想に囚はるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがあるのであります(拍手)現実に即せざる所の国策は真の国策にあらずして一種の空想であります、先ず第一に東洋永遠の平和、世界永遠の平和、是は望ましきことではありまするが、実際是が実現するものであるか否やと云ふことに付ては、お互に考へねばならぬことである、古来何れの時代に於きましても平和論や平和運動の止むことはない、宗教家は申すに及ばず、各国の政治家等も口を開けば世界の平和を唱へる、又平和論の前には何人と雖も真正面からして反対は出来ないのであります、併しながら世界の平和などが実際得られるものであるか、是は中々難かしいことであります、私共は断じて得られないと思つて居る、十年や二十年の平和は得られるかも知れませぬが、五十年百年の平和すら得られない、歴史家の記述する所に依りますると、過去三十五世紀、三千四百幾十年の間に於て、世界平和の時代は僅に二百幾十年、残りの三千二百幾十年は戦争の時代であると言うて居る、斯の如く過去の歴史は戦争を以て覆はれて居る、将来の歴史は平和を以て満さるべしと何人が断言することが出来るか(拍手)のみならず御承知の通りに近世文明科学の発達に依りまして、空間的に世界の縮小したること実に驚くべきものである、之を千年前の世界に比較するまでもなく、百年前の世界に比較するまでもなく、五十年前の世界に比較しましても、実に別世界の感が起らざるを得ないのである、此の縮小せられたる世界に於て、数多の民族、数多の国家が対立して居る、其の上人口は増加する、生存競争は愈々激しくなつて来る、民族と民族との間、国家と国家との間に競争が起らざるを得ない、而して国家間の争ひの最後のものが戦争でありまする以上は、此の世界に於て国家が対立致して居りまする以上は、戦争の絶ゆる時はない、平和論や平和運動が何時しか雲散霧消するのは是は已むを得ない次第であります、若し之を疑はれるのでありますならば、最近五十年間に於ける東洋の歴史を見ませう、先程申上げました通りに、我国は曾て支那と戦つた、其の時に於ても東洋永遠の平和が唱へられたのである、次に露西亜と戦つた、其の時にも東洋永遠の平和が唱へられたのである、又平和を目的として戦後の条約も締結せられたのでありまするが、平和は得られましたか、得られないではないか、平和が得られないからして今回の日支事変も起ふて来たのである、又眼を転じて欧羅巴の近状を見ようではありませぬか、御承知の通りに二十幾年前に欧羅巴はあの通りの大戦争をやつた、五箇年の間国を挙げて戦つた、戦争の結果はどうなつたか、敗けた国は言ふに及ばず、勝つた国と雖も徹頭徹尾得失相償はない、其の苦き経験に顧みて、戦争などはやるものでない、凡そ世の中に於て戦争ほど馬鹿らしいものはない、それ故に未来永久、此の地球上からして戦争を絶滅する、其の目的、其の理想を以て国際連盟を作つた、我が日本も五大強国の一として之に調印して居るのであります、平和は得られましたか、国際連盟の殿堂はどうなつて居るか、民族の発展慾、国家の発展慾は、紙上の条約などで以て抑制することが出来るものでない、十年経ち、二十年経つ間に於て又もや戦争熱が勃興して来る、欧羅巴の現状は活きた教訓を吾々の前に示して居るのであります、或者は言うて居る、此の度の戦争は「ベルサイユ」条約が因である、「ベルサイユ」条約に於てドイツに向つて苛酷なる所の条件を課したから、其の反動として今回の戦争が起つたのであると斯う言うて居る、一応の理窟であるに相違ない、併しながら、「ベルサイユ」条約がなかつたならば戦争は起らなかつたと誰が断言することが出来るか、第一欧羅巴戦争の前に於きましては「ベルサイユ」条約はなかつたのでありますけれども、戦争は起つたのである、即ち人間の慾望には限りがない、民族の慾望にも限りがない、国家の慾望にも限りがない、屈したるものは伸びんとする、伸びたものは更に伸びんとする、茲に国家競争が激化するのであります、尚ほ之を疑ふ者があるならば、更に遡つて過去数千年の歴史を見ませう、世界の歴史は全く戦争の歴史である、現在世界の歴史から・・・・

   〔発言する者多し〕

◯議長(小松松壽君) 静粛に

◯斎藤隆夫君(続) 戦争を取除いたならば、残る何物があるか(「君のやうな自由主義者が多いからだ」と呼ふ者あり)さうして一たび戦争が起りましたならば、最早問題は正邪曲直の争ではない、是非善悪の争ではない、徹頭徹尾力の争であります、強弱の争である、強者が弱者を征服する、是が戦争である、正義が不正義を膺懲する、是が戦争と云ふ意味ではない、先程申しました第一次欧羅巴戦争に当りましても、随分正義争ひが起つたのであります、独逸を中心とする所の同盟側、英吉利を中心とする所の連合側、何れも正義は我に在りと叫んだのでありますが、戦争の結果はどうなつたか、正義が勝つて不正義が敗けたのでありますか、さうではないでありませう、正義や不正義は何処かへ飛んで行つて、詰り同盟側の力が尽き果てたからして投げ出したに過ぎないのであります、今回の戦争に当りましても相変らず正義論を闘はして居りますが、此の正義論の価値は知るべきのみであります、詰り力の伴はざる所の正義は弾なき大砲と同じことである(拍手)羊の正義論は狼の前には三文の値打もない、欧羅巴の現状は幾多の実例を吾々の前に示しているのであります、斯くの如き事態でありますから、国家競争は道理の競争ではない、正邪曲直の競争でもない、徹頭徹尾力の競争である(拍手)世にさうでないと言ふ者があるならばそれは偽であります、偽善であります、吾々は偽善を排斥する、飽くまでも偽善を排斥して、以て国家競争の真髄を掴まねばならぬ、国家競争の真髄は何であるか、曰く生存競争である、優勝劣敗である、適者生存である、適者即ち強者の生存であります、強者が興つて弱者が亡びる、過去数千年の歴史はそれである、未来永遠の歴史も亦それでなくてはならないのであります(拍手)此の歴史上の事実を基礎として、吾々が国家競争に向ふに当りましては、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ、自国の力を養成し、自国の力を強化する、是より外に国家の向ふべき途はないのであります(拍手)

 彼の欧米の基督教国、之を見ようではありませぬか、彼らは…… 

   〔「もう宜い」「要点要点」と呼ひ、其の他発言する者多し〕 

◯議長(小山松壽君) 静粛に願ひます 

◯斎藤隆夫君(続)彼等は内にあつては十字架の前に頭を下げて居りますけれども、一たび国際問題に直面致しますと、基督の慈善博愛は蹴散らかされてしまつて、弱肉強食の修羅道に向つて猛進をする、是が即ち人類の歴史であり、奪ふことの出来ない現実であるのであります、此の現実を無視して、唯徒に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯の如き雲を掴むやうな文字を列べ立てて、さうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るやうなことかありましたならば……

  〔小田栄君「要点を言へ、要点を」と叫び其の他発言する者多し〕

◯議長(小山松壽君)静粛に願ひます、小田君に注意致します

◯斎藤隆夫君(続)現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない、私は此の考を以て近衛声明を静かに検討して居るのであります、即ち之を過去数千年の歴史に照し、又之を国家競争の現実に照して……

 〔発言する者多し〕

◯議長(小山松壽君)静粛に願ひます、 

◯斎藤隆夫君(続)彼の近衛声明なるものが、果して事変を処理するに付て最善を尽したるものであるかないか、振古未曽有の犠牲を払ひたる此の事変を処理するに適当なるものであるかないか、東亜に於ける日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、以て将来の安全を保持するに付て適当なるものであるかないか、之を疑ふ者は決して私一人ではない(拍手)苟も国家の将来を憂ふる者は、必ずや私と感を同じくして居るであらうと思ふ、それ故に近衛声明を以て確乎不動の方針なりと声明し、之を以て事変処理に向はんとする現在の政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を加へて、以て国民の疑惑を一掃する責任があるのであります(拍手)

 私は更に進んで重慶政府と、近く現はれんとする所の新政府との関係に付て御尋を致したいのであります、昨年八月阿部内閣が成立致しました当時に於ては、汪兆銘氏を首班とする所の新政府は、今にも現はれんとするが如き噂が立てられたのでありますが、それが段々と延引して今日に至つて居るのである、併し聞く所に依れば、愈々近く其の成立を見んとするのでありますから、是は日支両国の為に洵に慶賀に堪へないことであります、我国は曩に蒋政権を撃滅するまでは断じて戈を戢めない、国民政府を対手にしては一切の和平工作をやらないと宣言して居る、然る以上は新に生るる所の新政府、之を援けて以て和平調整を為さねばならぬ、之に付ては誰一人として反対する者はないのであります、併しながら退いて考へて見ますると、一体此の新政府はどれたけの力を持つて現はれるのであるか、是が私共には分らないのであります、申すまでもなく苟も国際間に於て、又国際法上に於て、政府として立ちまする以上は、内に向つては国内を統治する所の実力を備へ、外に向つては国際義務を履行する所の能力を有する、此の内外両方面の条件を兼備するものにあらざれば、政府として立つことも出来ねば、政府として之を承認することも出来ない筈であります、其の実力とは何であるか、即ち兵力であります、軍隊の力であります、如何に法制を整へても、如何に政治機構を打建てても、又如何に文章口舌に巧みでありましても、兵力を有せざる政府の威令が行はるる訳がない、殊に之を支那歴朝創業の跡に顧みましても、旧王朝を滅して新王朝を創業する、旧政権を倒して新政権を建設する者は、悉く武人であります、即ち兵馬の間に天下の権を握らざる者はないのである、彼の孫逸仙が革命事案に向つて精力を傾倒したに拘らず、其の業が成らず志を得ずして終に最後を遂げたのは何が故であるか、詰り彼が武人にあらず、武力を有しなかつたからであります、之に反して彼の後輩でありまする所の蒋介石が、一時なりとも支那を統一したのは何が故であるか、彼は武人であつて武力を有して居つたからであります、殊に近頃支那の形勢を見渡しますると云ふと、我軍の占領地域であり、同時に新政権の統轄地域である所に於てすら、匪賊は横行する、敗残兵は出没する、国内の治安すら完全に維持することが出来ない、加ふるに新政府と絶対相容れざる所の彼の重慶政府を撃滅するにあらざれば、新政府の基礎は決して確立するものではない、それ故に新しき政府を打建てる第一の条件は、何と言つても兵力でありまするが、将に現はれんとする所の新政府には其の力があるのであるか、ないのであるか、之に付て御説明を煩はしたいと思ふのであります 

 次に新政府が現はれましたならば、我国は何としても之を承認せざるを得ないのであります、之を承認すると同時に此の新政府の発展に向つては、極力之を支持せねばならぬのである、支持すべきことを既に声明せられて居る以上は、此の声明を何処までも履行しなければならない、即ち是が為には政治上に於ても、軍事上に於ても、又経済上に於ても、其の他有ゆる犠牲を払つて此の新政府を援けねばならぬのである、さうして新政府を援けて将来名実共に完全なる独立政府とした其の後に於て、我国との関係が極めて円満に持続せらるるものであるかないか、是も大切なる問題であるのであります、私共は決して新政府を疑ふ者ではない、殊に汪兆銘氏を首めとして、身を挺して和平救国の為に奮闘して居る所のあの支那の政治家諸氏に対しては、衷心より敬意を払ふ者であります、併しながら国の異なるに従つて国民性にも違ひがある、是は仕方がない、現に汪兆銘氏は一昨年の暮に重慶脱出以来、屢々声明書を発表して、蒋介石に向つて和平勧告をしたのであります、併しながら蒋介石は之を一蹴して顧みない、そこで昨年の七月には断然として蒋介石に向つて絶縁状を送つて居る、然るにも拘らずつい最近一月の十六日でありまするか、それこそ辞を卑くし、言葉を厚くして蒋介石に向つて停戦講和の通電をやつて居る、是は支那の政治家に於て初めて出来ることでありまして、吾々日本の政治家に於ては想像も及ばないことである、それ故に新政府を援助することは宜しいが、新政府の将来に向つて決して盲目であつてはならない、之に付て総理大臣はどう云ふ考を持つて居られるのであるか、之を一つ承つて置きたいのであります

 次に新政府が出来た後に於て重慶政府の関係はどうなるものであるか、之に付きましては前内閣の阿部首相は新聞紙を通じて、斯う云ふ意見を述べて居らるるのであります、即ち新政権が出来たならば、新政権は重慶政府に向つて働き掛けるであらう、新政権樹立の趣旨が徹底したならば、重慶政府も一緒になつて和平救国の途に就くであらう、斯う云ふ意見を述べて居られるのであります、是は決して前阿部首相一人の意見ではない、今日政府の要人の中には確に此の意見を持つて居る人があるのであります、是が私には分り兼ねるのである、新政権と重慶政府、どう考へても是が将来一致するものであるとは思へないのであります、なぜに一致しないか、御承知の通りに重慶政府は徹頭徹尾容共抗日を以て其の指導精神と為し、之を基として長期抗戦を企てて居るのである、然るに之に反して新政府は反共親日を以て指導精神と為し、之を以て新政府の樹立に向つて進んで居るのである、此の氷炭相容れざる二つのものがどうして一緒になることが出来るか、私共に於てはどうも是は想像が付かない、是は唯理窟ばかりの問題ではなくして、支那の現状を見ましても斯様なことは到底想像することが出来ないのである、殊に先程申しましたやうに、蒋介石を徹底的に撃滅するにあらざれば断じて戈を戢めない、此の鉄の如き方針が確立して、之を以て有ゆる作戦計画が立てられて居るべき筈であるのであります、先程引用致しました所の此の文書の中に於きましても、確に其の意味は現はれて居るのである、即ち重慶政府が出来た所が蒋介石は決して兜を脱がない、重慶政府が屈服しない限りは日本軍は飽くまでも重慶征伐に向つて進軍するのである、汪兆銘は日本の重慶征伐に便乗して戦ふのである、是が軍部の方針であるに相違ないのであります、然るに前内閣の首相及び政府の要人は彼の如き気楽なる考を持つて居る、支那事変処理の根本方針に付て政府と軍部との間に於て何か意見の相違があるらしくも思へるのであります、是は前内閣のやつたことてありまして、現内閣のやつたことではないのでありまするが、併し支那事変の処理に付ては前内閣の方針を踏襲すると言はれた所の現内閣の総理大臣は、之に付ても相当の御考があるには相違ないと思ひまするから、此の点も併せて伺つて置きたいのであります 

 次に重慶政府に対する方針、重ねて申しまするが、蒋政権を撃滅するにあらざれば断じて戈は戢めない、蒋介石の政府を対手としては一切の和平工作はやらない、此の方針は動かすべからざるものでありまするが、其の後蒋介石は敗戦に次ぐに敗戦を以てして、今日は重慶の奥地に逃込んで、一地方政権と堕して居るとは云ふものの、今尚ほ大軍を擁して長期抗戦を豪語し、有ゆる作戦計画をして居るやうに見受けられるのであります、固より之に付ては我方に於きましても確乎不抜の方針が立てられて居るに相違ありませぬが、併し前途のことは是は測り知ることが出来ない、然るに一方に於ては何処までも新政権を支持せねばならぬ、有ゆる犠牲を払つて之を支持せねばならぬ、即ち一方に於ては蒋介石討伐、他の一方に於ては新政権の援助、我国は是より此の二つの重荷を担うて進んで行かなければならぬのでありますが、是が我が国力と対照して如何なる関係を持つて居るものであるか、私共決して悲観するものではない、悲観するものではないが、是が人的関係の上に於て、物的関係の上に於て、又財政経済の関係に於て如何なるものであるかと云ふことは、全国民が聴かんとする所であると思ふのであります(拍手)それ故に此の点に付きましては総理大臣は申すに及ばず、関係大臣に於て出来得る限りの説明を与へられたい、吾々は固より言へないことを聴かうとするのではない、外交上、軍事上、其の他経済財政の関係に於きましても、言へないことがあることは能く承知して居るのでありますから、言へないことを聴かんとするのではない、此の議場に於て言へるだけの程度に於て、成べく詳しく御説明を願ひたいと思ふのであります 

 最後に支那全体を対象として今後の形勢に付て政府の意見を聴いて置きたいことがある、申すまでもなく支那は非常な大国であります、其の面積に於きましても日本全土の十五倍に上つて居る、五億に近い人口を有して居る、我国の占領地域が日本全土の二倍半であると致しますならば、まだ十二倍半の領土が支那に残されて居るのであります、此の広大なる所の領土に加ふるに、之に相当する所の人口を以てして、之を統轄する所の力のある者でなければ、支那の将来を担つて立つことは出来ない、近く現はれんとする所の新政府は是だけの力があるのであるか、私共如何に贔屓目に見ましても、此新政府に是だけの力があるとはどうも思へないのであります、さうするとどうなるのでありますか、若し蒋介石を撃滅することが出来ないとするならば、是は最早問題でない、縦し之を撃滅することが出来たとしても、其の後はどうなる、新政府に於て支那を統一する所の力があるのでありますか、あると言はるるならば其の理由を私は承つて置きたい、若し其の確信がないとせらるるならば、支那の将来はどうなるか、各所に於て政権が分立して、互に軋瞭して摩擦を起す、新秩序の建設も何もあつたものではないのであります(拍手)さうして斯くの如き状態が支那に起るのは何が基であるかと云ふと、詰り蒋政権を対手にしては一切の和平工作をやらない、即ち一昨年の一月十六日、近衛内閣に依つて声明せられました所の爾来国民政府を対手にせず、之に原因して居るものではないかと思ふが、政府の所見は如何であるか、而して若し今後此の方針を固く守つて進みますならば、表面に於ても裏面に於ても、公式非公式を問はず、一切重慶政府を対手としてはならないのである、又我国が之を対手とすることが出来ないのみならず、近く現はれんとする所の新政権も、断じて重慶政府を対手にすることは出来ない筈なのであります、我が日本は対手にしはしないが、新政府は之を対手にしても宜いと云ふことは、是は言はれない、なぜならば新政府に対しては日本は干渉はしないが指導するのである、即ち新政府に対して日本は指導的立場に立つて居るのでありまするから、若し新政府が重慶政府に向つて何か交渉の途を開くと仮定致しまするならば、是は誰が見た所が日本の指導に基くものに相違ないと思ふ、又思はれても仕方がないのであります、さうすると支那の将来はどうなるものでありますか、何時まで経つても此の現状をば精算することは出来ないと思はれるのでありまするが、政府は此の点に付てどう云ふ御考えを持つて居られるのでありますか、是も併せて伺ひたいのであります(拍手)

 私の質問は大体以上を以て終りを告げるのでありまするが、最後に於て一言を残して、併せて政府の所信を質して置きたいことかある、改めて申すまでもござりませぬが、支那事変は実に建国以来の大事件であります、建国以来二千六百年、此の間に於て我国は幾度か外国と事を構へたことはありまするけれども、今回の事変の如く其の規模の広大なるもの、其の犠牲の大なるものはないのであります、従て此の事変が如何に処理せられ、如何に解決せらるるかと云ふことは、実に我が日本帝国の興廃の岐るる所であります、事変以来今日に至るまで吾々は言はねばならぬこと、論ぜねばならぬことは沢山あるのでありまするが、是は言はない、是は論じないのであります、吾々は今日に及んで一切の過去を語らない、又過去を語るべき余裕もないのであります、一切の過去を葬り去つて、成べく速に、成べく有利有効に事変を処理し、解決したい、是が全国民の偽りなき希望であると同時に、政府として執らねばならぬ所の重大なる責任であるのであります(拍手)歴代の政府は国民に向つて頻りに精神運動を始めて居る、精神運動は極めて大切でありまするが、精神運動だけで事変の解決は出来ないのである、況や此の精神運動が国民の間にどれだけ徹底して居るかと云ふことに付ては、此の際政府としても考へ直さねばならぬことがあるのではないか(拍手)例へば国民精神総動員なるものがあります、此の国費多端の際に当つて、随分巨額の費用を投じて居るのでありまするが、一体是は何を為して居るのであるかは私共には分らない(拍手)此の大事変を前に控へて居りながら、此の事変の目的は何処にあるかと云ふことすらまだ普く国民の問には徹底して居らないやうである([ヒヤヒヤ』拍手)聞く所に依れば何時ぞや或る有名な老政治家が、演説会場に於て聴衆に向つて今度の戦争の目的は分らない、何の為に戦争をして居るのであるか自分には分らない、諸君は分つて居るか、分つて居るならば聴かして呉と言うた所が、満場の聴衆一人として答へる者がなかつたと云ふのである(笑声)此処が即ち政府として最も注意をせなくてはならぬ点であるのである、殊に……

 〔「注意しろ」「議長」と呼ふ者あり〕

◯議長(小山松壽君)静粛に願ひます

◯斎藤隆夫君(続)国民精神に極めて重大なる関係を持つて居るものであつて、歴代の政府が忘れて居る所の幾多の事柄があるのであります、例へば戦争に対する所の国民の犠牲であります、何れの時に方りましても戦時に当つて国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります、即ち一方に於ては戦場に於て生命を犠牲に供する、或は戦傷を負ふ、然らざるまでも悪戦苦闘して有ゆる苦難に耐へる百万二百万の軍隊がある、又仮令戦場の外に居りましても、戦時経済の打撃を受けて、是までの職業を失つて社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない、然るに一方を見ますると云ふと、此の戦時経済の波に乗つて所謂殷賑産業なるものが勃興する、或は「インフレーション」の影響を受けて一攫千金は愚か、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余る所の生活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない(拍手)戦時に当つては已むを得ないことではありますけれども、政府の局に在る者は出来得る限り此の不公平を調節せねばならぬのであります、然るに此の不公平なる所の事実を前に置きながら、国民に向つて精神運動をやる、国民に向つて緊張せよ忍耐せよと迫る、国民は緊張するに相違ない、忍耐するに相違ない、併しながら国民に向つて犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない(拍手)是と同時に政府自身に於ても真剣になり、真面目になつて、以て国事に当らねばならぬのではありませぬか(「ヒヤヒヤ」拍手)然るに歴代の政府は何を為したか、事変以来歴代の政府は何を為したか (「政党は何をした」[黙つて聞け」と叫ふ者あり)二年有半の間に於て三たび内閣が辞職をする、政局の安定すら得られない、斯う云ふことでどうして此の国難に当ることが出来るのであるか、畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けて居る(拍手)身を以て国に尽す所の熱力が足らないからであります、畏多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何等の経験もない、而も其の器にあらざる者を拾ひ集めて弱体内閣を組織する、国民的支持を欠いて居るから、何事に付ても自己の所信を断行する所の決心もなければ勇気もない、姑息倫安一日を弥縫する所の政治をやる、失敗するのは当り前であります(拍手)斯う云ふことを繰返して居る間に於て事変は益々進んで来る、内外の情勢は愈々逼迫して来る、是が現時の状態であるのではありませぬか、之をどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考へねばならぬ所は茲に在るのであります、吾々は遡つて先輩政治家の跡を追想して見る必要がある、日清戦争はどうであるか、日清戦争は伊藤内閣に於て始められて伊藤内閣に於て解決した、日露戦争は桂内閣に於て始められて桂内閣が解決した、当時日比谷の焼打事件まで起りましたけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、此の事変を解決して然る後に身を退かれたのであります、伊藤公と云ひ、桂公と云ひ、国に尽す所の先輩政治家は斯の如きものである、然るに事変以来の内閣は何であるか、外に於ては十万の将兵が殪れて居るに拘らず、内に於て此の事変の始末を付けなければならぬ所の内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼の重責を誤つて辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかは知れませぬが、事変は解決はしない、護国の英霊は蘇らないのであります(拍手)私は現内閣が歴代内閣の失政を繰返すこと勿れと要求をしたいのであります、事変以来我が国民は実に従順であります、言論の圧迫に遭つて国民的意思、国民的感情をも披瀝することが出来ない、殊に近年中央地方を通じて、全国に弥漫して居りまする所の彼の官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する、政府の統制に服従するのは何が為であるか、一つは国を愛する為であります、又一つは政府が適当に事変を解決して呉れるであらう、之を期待して居るが為である、然るに若し一朝此の期待が裏切らるることがあつたならばどうであるか、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある(拍手)而も此の事が、国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならば尚ほ忍ぶべしと雖も、事実全く反対の場合が起つたとしたならば、国民は実に失望のどん底に蹴落されるのであります、国を率いる所の政治家は茲に目を著けなければならぬ、繰返して申しまするが、事変処理は有ゆる政治問題を超越する所の極めて重大なる所の問題であるのであります、内外の政治は悉く支那事変を中心として動いて居る、現に此の議会に現はれて来まする所の予算でも増税でも、其他有ゆる法律案は何れも直接間接に事変と関係を持たないものはないでありませう、それ故に其の中心でありまする所の支那事変は如何に処理せらるるものであるか、其の処理せらるる内容は如何なるものであるか、是が相当に分らない間は、議会の審議も進めることが出来ない筈なのである、私が政府に向つて質問する趣旨は茲にあるのでありまするから、総理大臣は唯私の質問に答へるばかりではなく、尚ほ進んで積極的に支那事変処理に関する所の一切の抱負経綸を披瀝して、此の議会を通して全国民の理解を求められることを要求するのである(拍手) 私の質問は之を以て終りと致します(拍手)

(Source:国立国会図書館 帝国議会衆議院議事摘要第75回上巻P68-

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