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戒厳令 1882年08月05日

戒厳令(原文:一部新字体化)

十五年八月五日
第三十六号内務陸海軍司法各卿連署
戒厳令別冊の通制定ス
右奉㫖布告候事

戒厳令
第一条 戒厳令ハ戦時若クハ事変ニ際シ兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス
第二条 戒厳ハ臨戦地境ト合囲地境トノ二種ニ分ツ
  第一 臨戦地境ハ戦時若クハ事変ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ区画シテ臨戦ノ区域ト為ス者ナリ
  第二 合囲地境ハ敵ノ合囲若クハ攻撃其他ノ事変ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ区画シテ合囲ノ区域ト為ス者ナリ
第三条 戒厳ハ時機ニ応シ其要ス可キ地境ヲ区画シテ之ヲ布告ス
第四条 戦時ニ際シ鎮台営所要塞海軍港鎮守府海軍造船所等速カニ合囲若クハ攻撃ヲ受クル時ハ其地ノ司令官臨時戒厳ヲ宣告スルコトヲ得又戦略上臨機ノ処分ヲ要スル時ハ出征ノ司令官之ヲ宣告スルコトヲ得
第五条 平時土寇ヲ鎮定スル為メ臨時戒厳ヲ要スル場合ニ於テハ其地ノ司令官速カニ上奏シテ命ヲ請フ可シ若シ時機切迫シテ通信断絶シ命ヲ請フノ道ナキ時ハ直ニ戒厳ヲ宣告スルコトヲ得
第六条 軍団長師団長旅団長鎮台営所要塞司令官(警備隊司令官若クハ分遣隊長)或ハ艦隊司令長官艦隊司令官鎮守府長官若クハ特命司令官ハ戒厳ヲ宣告シ得ルノ権アル司令官トス(筆者注:明治19年勅令74号による改正あり、括弧部分)
第七条 戒厳ノ宣告ヲ為シタル時ハ直チニ其状勢及ヒ事由ヲ具シテ之ヲ太政官ニ上申ス可シ
 但其隷属スル所ノ長官ニハ別ニ之ヲ具申ス可シ
第八条 戒厳ノ宣告ハ曩ニ布告シタル所ノ臨戦若クハ合囲地境ノ区画ヲ改定スルコトヲ得
第九条 臨戦地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ノ軍事ニ関係アル事件ヲ限リ其地ノ司令官ニ管掌ノ権ヲ委スル者トス故ニ地方官地方裁判官及ヒ検察官ハ其戒厳ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ
第十条 合囲地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ハ其地ノ司令官ニ管掌ノ権ヲ委スル者トス故ニ地方官地方裁判官及ヒ検察官ハ其戒厳ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ
第十一条 合囲地境内ニ於テハ軍事ニ係ル民事及ヒ左ニ開列スル犯罪ニ係ル者ハ総テ軍衙ニ於テ裁判ス
 刑法
  第二編
   第一章 皇室ニ對スル罪
   第二章 国事ニ関スル罪
   第三章 静謐ヲ害スル罪
   第四章 信用ヲ害スル罪
   第九章 官吏涜職ノ罪
  第三編
   第一章
    第一節 謀殺故殺ノ罪
    第二節 殴打創傷ノ罪
    第六節 擅ニ人ヲ逮捕監禁スル罪
    第七節 脅迫ノ罪
   第二章
    第二節 強盗ノ罪
    第七節 放火失火ノ罪
    第八節 決水ノ罪
    第九節 船舶ヲ覆没スル罪
    第十節 家屋物品ヲ毀壊シ及ヒ動植物ヲ害スル罪
第十二条 合囲地境内ニ裁判所ナク又其管轄裁判所ト通路断絶セシ時ハ民事刑事ノ別ナク総テ軍衙ノ裁判ニ属ス
第十三条 合囲地境内ニ於ケル軍衙ノ裁判ニ対シテハ控訴上告ヲ為スコトヲ得ス
第十四条 戒厳地境内於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
 第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
 第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
 第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
 第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
 第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
 第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
 第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト
第十五条 戒厳ハ平定ノ後ト雖モ解止ノ布告若クハ宣告ヲ受クルノ日迄ハ其効力ヲ有スル者トス
第十六条 戒厳解止ノ日ヨリ地方行政事務司法事務及ヒ裁判権ハ総テ其常例ニ復ス
(国立公文書館:公文類聚・第六編・明治十五年・第十四巻・兵制一・兵制総)

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