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日布渡航条約(布哇国渡航条約) 1886年01月28日

布哇国渡航条約(原文:一部新字体化)

朕󠄁本邦󠄈人民布哇國へ隨意渡航ノ件ニ關シ同國政府ト締結󠄂シタル渡航條約ヲ批准シ玆ニ之ヲ公󠄃布セシム
 御名 御璽
  明治十九年五月三十一日
    內閣總理大臣伯爵󠄄伊藤博󠄃文󠄃
    外󠄂務大臣伯爵󠄄井上 馨

 渡航條約
日本皇帝陛下ノ臣民ニシテ既ニ布哇諸島へ渡航シタル者𢿙多アリ又󠄂本條約ヲ以テ確認󠄃セントスル從前󠄃ノ隨意渡航方法ニ因リ向後渡航セントスル者アルヘク又󠄂日本皇帝陛下及布哇國皇帝陛下ハ右渡航人へ布哇國ノ憲󠄄法法律ニ遵ヒ最モ完全󠄃且有効ノ保護ヲ與へントノ希望󠄉アルヲ以テ右重要ノ事件ニ付條約ヲ締結󠄂センコトヲ決定セリ因テ渡航條約ヲ協議締結󠄂セシメンカ爲メ日本皇帝陛下ハ外󠄂務大臣從三位勳一等伯爵󠄄井上馨ヲ其全󠄃權委員ニ又󠄂布哇皇帝陛下ハ其代理公󠄃使󠄃兼總領事ナイト、コンマンドル、ヲフ、カラカハ勳章「ロベルト、ウヲルカー、アルウィン」ヲ其全󠄃權委員ニ命シ雙方互ニ委任ノ書ヲ示シ其誠實適󠄃當ナルヲ認󠄃メ以テ左ノ條々ヲ合議決定セリ
第一條 本條約ノ條欵中既ニ布哇諸島へ渡航シタル日本皇帝陛下ノ臣民へ適󠄃用シ得ヘキモノハ向後渡航セントスル臣民同樣ニ之ヲ適󠄃用スヘキコトヲ雙方互ニ結󠄂約セリ
第二條 本條約ノ効カヲ存スル間其條欵ニ因リ日本皇帝陛下ノ政府ハ其臣民ノ隨意ニ布哇島へ渡航スルヲ許可スヘシト雖モ其國家ノ緊急󠄃若クハ臣民ノ安寧如何ニ因リ必要ト認󠄃ムルトキハ右渡航ノ都度之ヲ禁止シ又󠄂日本政府ノ獨斷ヲ以テ右渡航ヲ一般ニ制限停止シ若クハ禁止スルコトアルヘシ但日本皇帝陛下ノ政府ハ此權利ヲ猥リニ執行スヘカラス又󠄂本條約第三條ノ許可ヲ受ケ將ニ渡航セントスル者ニ對シテハ之ヲ施行セサルヘシ
第三條 本條約ヲ以テ取極タル渡航ハ橫濵及ヒ「ホノルル」ノ兩港間ニ限リ之ヲ行フヘク而シテ神奈川縣令ハ日本政府ノ名義ヲ以テ右ニ關スル諸般ノ事項ヲ處分󠄃スヘシ又󠄂布哇皇帝陛下ノ政府ニ於テハ其移住󠄃民事務局ノ特派委員ヲ任命シ之ヲ橫濵ニ在留セシムヘシ但右委員ノ任命ハ日本政府ノ認󠄃可ヲ經ヘキモノトス
 右委員ハ布哇諸島へ渡航スヘキ日本臣民ニ關スル諸般ノ事項ニ付神奈川縣令卜通󠄃信協議スヘク加之右渡航人ヲ搭載迴送󠄃スルニ必要ノ處分󠄃ハ總テ之ヲ施行スヘシ又󠄂若シ渡航人ヲ要スルトキハ右委員ハ其都度少クモ一箇月前󠄃其旨ヲ右縣令へ通󠄃知シ其人員及ヒ其職業ノ種類ヲ申出ツヘク而シテ右縣令ハ其通󠄃知ニ對シ猶豫ナク日本政府ノ諾否如何ヲ囘答スヘシ但右通󠄃知ヲ缺クカ又󠄂ハ右縣令ヨリ其請󠄃求ヲ承諾スルノ囘答ナキニ於テハ前󠄃條末項ヲ適󠄃用セサルモノトス
第四條 本條約ヲ以テ取極タル渡航ハ總テ契󠄅約ニ因ルヘク又󠄂其契󠄅約ハ何年間以下ヲ期限トシ兩國政府ノ認󠄃可シタル式ニ從フヘシ
右契󠄅約ハ布哇政府ノ名義ヲ以テ其移住󠄃民事務局特派委員橫濵ニ於テ渡航人卜締結󠄂スヘク而シテ神奈川縣令ノ認󠄃可ヲ經ヘシ
右契󠄅約繼續中布哇政府ハ渡航人ニ對シ傭主ノ義務ヲ負󠄅擔スヘキヲ以テ其諸條欵ヲ正當誠實ニ履行スルノ責ニ任スヘク而シテ同政府ハ其法律ニ因リ渡航者タル日本人ヲ充分󠄃ニ保護シ且時勢ノ如何ニ係ハラス常ニ渡航人ノ幸福安寧ヲ計ルヘシ
第五條 布哇皇帝陛下ノ政府ハ本條約ニ因リ渡航スル者ヲ上等ノ乘客汽船󠄄ニ搭載シ之ニ相當ノ食󠄃物ヲ給與シ下等船󠄄客トナシ橫濵ヨリ「ホノルル」マテ無賃ニテ渡航セシムヘシ但右渡航人ノ迴送󠄃ニ供スル汽船󠄄ハ神奈川縣令ノ至當卜認󠄃ムルモノニ限ルヘシ
第六條 布哇國移住󠄃民事務局卜渡航者タル日本人卜締結󠄂シタル契󠄅約ノ條欵ヲ相當ニ履行センカ爲メ及ヒ布哇國ノ法律ニ因リ右渡航人ノ權利ヲ充分󠄃ニ保護センカ爲メ布哇皇帝陛下ノ政府ハ右契󠄅約繼續中日本語及ヒ英語ヲ談話通󠄃辯シ得ル監督人及ヒ通󠄃辯人ヲ應分󠄃ニ雇入ルヘク而シテ右契󠄅約ノ事件ニ付右渡航人原告、被告、告訴人若クハ被告訴人卜成リ布哇國法廳ニ出訴スルトキハ布哇國政府ハ右通󠄃辯人ヲシテ右渡航人ヨリ別ニ謝金ヲ要セス其職ヲ勤メシムヘシ
第七條 布哇皇帝陛下ノ政府ハ本條約ニ因リ締結󠄂シタル契󠄅約ノ繼續中渡航人ヲ治療セシメンカ爲メ日本醫師ヲ應分󠄃ニ傭入レ之ニ官醫ノ資󠄄格ヲ與へ又󠄂之ヲシテ渡航人ノ治療ニ時々必要卜成ルヘキ地方ニ住󠄃居セシムヘシ
第八條 布哇皇帝陛下ノ政府ハ在布哇日本外󠄂交官及其領事ヲシテ何時タリトモ故障ナク自由ニ渡航者タル日本人卜接近󠄃スルヲ得セシムヘシ而シテ右外󠄂交官及領事官ハ契󠄅約ノ誠實ニ履行セラルヽヤ否ヤヲ視察スルニ充分󠄃ノ便利ヲ得ルト其契󠄅約違󠄄背ノ場合ニ於テハ布哇國ノ法律及其地方廳ノ保護ヲ請󠄃求シ得ルトノ權利アルヘシ
第九條 布哇國ニ渡航スル日本臣民ノ安寧幸福及ヒ繁榮ハ兩政府ノ等シク希望󠄉スル所󠄃タリ故ニ不良不善無賴ノ日本人布哇國ニ到リ渡航人ノ中ニ紛󠄃議騷擾ヲ釀シ又󠄂ハ之ヲ放蕩ニ誘引シ若クハ布哇政府ノ負󠄅擔トナルヘキ者ハ同政府ニ於テ之ヲ日本へ送󠄃還󠄃スルハ日本政府ノ承諾スル所󠄃ナリ
第十條 本條約ハ批准ヲ經ヘク而シテ其批准書ハ成ルヘク速󠄃ニ「ホノルル」府ニ於テ交換スヘシ
第十一條 本條約ハ批准交換ノ日ヨリ直ニ執行シ五年間有効ノモノタルヘシ而シテ其後卜雖モ此條約國ノ一方ニ於テ六箇月前󠄃ノ通知ヲ以テ之ヲ廃止セントスルノ意ヲ表スルニ非サレハ尚ホ其効力ヲ存スルモノトス
右証拠トシテ双方ノ全󠄃權委員和文󠄃及ヒ英文󠄃ヲ以テ本條約ヲ調製シ玆ニ記名調印スルモノナリ
明治十九年一月二十八日西曆千八百八十六年一月二十八日於東京
井上馨
アールダヴリユー、アーウィン

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ帝阼ヲ踐ミタル日本國皇帝御名明治十九年即チ西曆一千八百八十六年一月二十八日東京ニ於テ日本國人民布哇國へ隨意出稼ノ件雙方全󠄃權委員ノ記名シタル條約書ヲ朕󠄁親ヲ閲覧点検セシニ能ク朕󠄁カ意ニ適󠄃シ間然スル所󠄃ナキヲ以テ之ヲ嘉納󠄃批推ス
神武天皇即位紀󠄄元二千五百四十六年明治十九年一月二十九日東京帝宮ニ於テ親ラ名ヲ署シ璽ヲ鈐セシム
 御名 國璽
  奉勅  外󠄂務大臣伯爵󠄄井上 馨
(官報18860602)

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