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貨幣法 1897年03月26日

貨幣法(原文:一部ひらがな、新字体化)

朕帝国議会の協賛を経たる貨幣法を裁可し茲に之を公布せしむ

  御名  御璽

 明治三十年三月二十六日
  内閣総理大臣兼大蔵大臣伯爵 松方正義

法律第十六号
 貨幣法
第一條 貨幣ノ製造及發行ノ權ハ政府ニ屬ス
第二條 純金ノ量目二分ヲ以テ價格ノ單位ト爲シ之ヲ圓ト稱ス
第三條 貨幣ノ種類ハ左ノ九種トス
 金貨幣
  二十圓
  十圓
  五圓
 銀貨幣
  五十錢
  二十錢
  十錢
 白銅貨幣
  五錢
 青銅貨幣
  一錢
  五厘
第四條 貨幣ノ算則ハ總テ十進一位ノ法ヲ用ヰ一圓以下ハ一圓ノ百分ノ一ヲ錢ト稱シ錢ノ十分ノ一ヲ厘ト稱ス
第五條 貨幣ノ品位ハ左ノ如シ
 一 金貨幣 純金九百分參和銅一百分
 二 銀貨幣 純銀八百分參和銅二百分
 三 白銅貨幣 「ニッケル」二百五十分參和銅七百五十分
 四 青銅貨幣 銅九百五十分錫四十分亞鉛十分
第六條 貨幣ノ量目ハ左ノ如シ
 一 二十圓金貨幣 四匁四分四厘四毛四(十六「グラム」六六六五)
 二 十圓金貨幣 二匁二分二厘二毛二(八「グラム」三三三三)
 三 五圓金貨幣 一匁一分一厘一毛一(四「グラム」一六六六)
 四 五十錢銀貨幣 三匁五分九厘四毛二(十三「グラム」四七八三)
 五 二十錢銀貨幣 一匁四分三厘七毛七(五「グラム」三九一四)
 六 十錢銀貨幣 七分一厘八毛七(二「グラム」六九五五)
 七 白銅貨幣    一匁二分四厘四毛一(四「グラム」六六五四)
 八 一錢青銅貨幣 一匁九分零厘零毛八(七「グラム」一二八〇)
 九 五厘青銅貨幣 九分五厘零毛四(三「グラム」五六四〇)
第七條 金貨幣ハ其ノ頻ニ制限ナク法貨トシテ通用ス銀貨幣ハ十圓マテ白銅貨幣及青銅貨幣ハ一圓マテヲ限リ法貨トシテ通用ス
第八條 貨幣ノ形式ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
第九條 金銀貨幣純分ノ公差ハ金貨幣ハ一千分ノ一銀貨幣ハ一千分ノ三トス
第十條 金銀貨幣量目ノ公差ハ左ノ如シ
 一 金貨幣二十圓ハ毎斤八毛六四(〇「グラム」〇三二四〇)一千枚毎ニ八分三厘(三「グラム」一一二五〇)十圓ハ毎斤六毛零五(〇「グラム」〇二二六九)一千枚毎ニ六分二厘(二「グラム」三二五〇〇)五圓ハ毎斤四毛三二(〇「グラム」〇一六二〇)一千枚毎ニ四分一厘(一「グラム」五三七五〇)トス
 二 銀貨幣ハ各種共毎斤二厘五毛九二(〇「グラム」〇九七二〇)五十錢銀貨幣ハ一千枚毎ニ一匁二分四厘(四「グラム」六五〇〇〇)二十錢銀貨幣ハ一千枚毎ニ八分三厘(三「グラム」一一二五〇)十錢銀貨幣ハ一千枚毎ニ四分一厘(一「グラム」五三七五〇)トス
第十一條 金貨幣ノ通用最輕量目ハ二十圓金貨幣四匁四分二厘(十六「グラム」五七五〇)十圓金貨幣二匁二分一厘(八「グラム」二八七五)五圓金貨幣一匁一分零厘五毛(四「グラム」一四三八)トス
第十二條 金貨幣ニシテ磨損ノ爲通用最輕量目ヲ下ルモノ及銀貨幣白銅貨幣又ハ青銅貨幣ニシテ著シク磨損シタルモノ其ノ他流通不便ノ貨幣ハ其ノ額面價格ヲ以テ無手數料ニテ政府ニ於テ之ヲ引換フヘシ
第十三條 貨幣ニシテ模樣ノ認識シ難キモノ又ハ私ニ極印ヲ爲シ其ノ他故意ニ毀傷セリト認ムルモノハ貨幣タルノ效用ナキモノトス
第十四條 金地金ヲ輸納シ金貨幣ノ製造ヲ請フ者アルトキハ政府ハ其ノ請求ニ應スヘシ
 附 則
第十五條 從來發行ノ金貨幣ハ此ノ法律ニ依リ發行スル金貨幣ノ倍位ニ通用スヘシ
第十六條 從來發行ノ一圓銀貨幣ハ金貨幣一圓ノ割合ヲ以テ政府ノ都合ニ依リ漸次之ヲ引換フヘシ
前項引換ノ結了マテハ金貨幣一圓ノ割合ヲ以テ無制限ニ法貨トシテ其ノ通用ヲ許シ通用禁止ノ場合ニ於テハ六箇月以前ニ勅令ヲ以テ之ヲ公布スヘシ通用禁止ノ翌日ヨリ起算シ滿五箇年内ニ引換ヲ請求セサルトキハ爾後地金トシテ取扱フヘシ
第十七條 從來發行ノ五錢銀貨幣及銅貨幣ハ從前ノ通リ通用スヘシ
第十八條 此ノ法律發布以後ハ一圓銀貨幣ノ製造ヲ廢ス但シ右期日以前ニ政府ニ輸納シタル銀地金ハ此ノ限ニ在ラス
第十九條 此ノ法律ニ牴觸スル從前ノ法令ハ總テ之ヲ廢止ス
第二十條 此ノ法律ハ第十八條ヲ除ク外明治三十年十月一日ヨリ施行ス
(日本公文書館:貨幣法・御署名原本・明治三十年・法律第十六号)

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