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第一次日露協約 1907年07月30日

日露協約(一部新字体化)

    日露協約
日本國皇帝陛下ノ政府及全露西亞國皇帝陛下ノ政府ハ幸ニ日本國及露西亞國間ニ克復セラレタル平和及善隣ノ關係ヲ鞏固ナラシメムコトヲ希望シ且將來兩帝國ノ關係ニ於ケル一切誤解ノ原因ヲ除去セムコトヲ欲シ左ノ條款ヲ協定セリ
   第一條
締約國ノ一方ハ他ノ一方ノ現在ニ於ケル領土保全ヲ尊重スルコトヲ約ス又締約國間ニ謄本ヲ交換セル締約國ト清國トノ現行諸條約及契約ヨリ生スル一切ノ權利(但シ機會均等主義ニ反セサル權利ニ限ル)竝一千九百五年九月五日即露歴八月二十三日「ポウツマス」ニ於テ調印セラレタル條約及日本國ト露西亞國トノ間ニ締結セラレタル諸特殊條約ヨリ生スル一切ノ權利ハ互ニ之ヲ尊重スルコトヲ約ス
   第二條
兩締約國ハ清帝國ノ獨立及領土保全竝同國ニ於ケル列國商工業ノ機會均等主義ヲ承認シ且自國ノ執リ得ヘキ一切ノ平和的手段ニ依リ現状ノ存續及前記主義ノ確立ヲ擁護支持スルコトヲ約ス
右證據トシテ下名ハ政府ヨリ正當ノ委任ヲ受ケ之ニ記名調印スルモノナリ
  明治四十年七月三十日即露歴一千九百七年七月十七日(七月三十日)聖彼得堡ニ於テ本書ヲ作ル
      本野一郎
      イズウォルスキー


   秘密協約
日本國皇帝陛下ノ政府及全露西亞國皇帝陛下ノ政府ハ滿洲韓國及蒙古ニ關シ一切ノ紛爭又ハ誤解ノ原因ヲ除去セムコトヲ欲シ左ノ條款ヲ協定セリ
   第一條
日本國ハ滿洲ニ於ケル政事上及經濟上ノ利益及活動ノ集注スル自然ノ趨勢ニ顧ミ且競爭ノ結果トシテ生スルコトアルヘキ紛議ヲ避ケムコトヲ希望シ本協約追加約款ニ定メタル分界線以北ノ滿洲ニ於テ自國ノ爲又ハ自國臣民若ハ其ノ他ノ爲何等鐵道又ハ電信ニ關スル權利ノ讓與ヲ求メス又同地域ニ於テ露西亞國政府ノ扶持スル該權利讓與ノ請求ヲ直接間接共ニ妨礙セサルコトヲ約ス露西亞國ハ亦同一ノ平和的旨意ニ基キ前記分界線以南ノ滿洲ニ於テ自國ノ爲又ハ自國臣民若ハ其ノ他ノ爲何等鐵道又ハ電信ニ關スル權利ノ讓與ヲ求メス又同地域ニ於テ日本國政府ノ扶持スル該權利讓與ノ請求ヲ直接間接ニ妨礙セサルコトヲ約ス
一千八百九十六年八月二十八日即露暦八月十六日及一千八百九十八年六月二十五日即露暦六月十三日ノ東清鐵道敷設契約ニ依リ東清鐵道会社ニ屬スル一切ノ權利及特權ハ追加約款ニ定メタル分界線以南ニ在ル同鐵道ノ部分ニ對シ有效ニ存續スルモノトス
   第二條
露西亞國ハ日本國ト韓國トノ間ニ於テ現行諸條約及協約(日本國ヨリ露西亞國政府ニ其ノ謄本ヲ交付セルモノ)ニ基キ存在スル政事上利害共通ノ關係ヲ承認シ該關係ノ益々發展ヲ來スニ方リ之ヲ妨礙シ又ハ之ニ干渉セサルコトヲ約ス又日本國ハ韓國ニ於テ露西亞國ノ政府、領事官、臣民、商業工業及航海業ニ對シ特ニ之ニ關スル條約ノ締結セラルルマテ一切最惠國待遇ヲ與フルコトヲ約ス
   第三條
日本帝國政府ハ外蒙古ニ於ケル露西亞國ノ特殊利益ヲ承認シ該利益ヲ損傷スヘキ何等ノ干渉ヲ爲ササルコトヲ約ス
   第四條
本協約ハ兩締約國ニ於テ嚴ニ秘密ニ附スヘシ
右證據トシテ下名ハ各其ノ政府ヨリ正當ノ委任ヲ受ケ之ニ記名調印スルモノナリ
  明治四十年七月三十日即露暦一千九百七年七月十七日聖彼堡ニ於テ本書ヲ作ル
      本野一郎
      イズヴォルスキー


   追加約款
本條約第一條ニ掲ケタル北滿洲及南滿洲ノ分界線ハ左ノ如ク之ヲ定ム
同分界線ハ露韓國境ノ北西端ニ始マリ琿春及必爾藤湖北端ヲ經テ秀水站ニ至ルマテ逐次直線ヲ劃シ秀水站ヨリハ松花江ニ沿ヒ嫩江ノ河口ニ至リ之ヨリ嫩江ノ水路ヲ遡リテ托羅河ノ河口ニ達シ此ノ地點ヨリ托羅河ノ水路ニ沿ヒ同河ト「グリニッチ」東經百二十二度ノ交叉點ニ至ル
      本野一郎
      イズヴォルスキー
(日本外交文書第40巻第1冊5 P39-40)

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