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国民体力法 1940年04月06日

国民体力法(原文:一部新字体化)

法律第百五号
   國民體力法
第一条 政府ハ国民体力ノ向上ヲ図ル為本法ノ定ムル所ニ依リ国民ノ体力ヲ管理ス
 前項ノ管理トハ国民ノ体力ヲ検査シ其ノ向上ニ付指導其ノ他必要ナル措置ヲ為スヲ謂フ
第二条 本法ニ於テ被管理者ト称スルハ本法施行地内ニ居住地(一定ノ居住地ナキ者ニ付テハ命令ヲ以テ定ムル地トス以下之ニ同ジ)ヲ有スル帝国臣民タル未成年者ニシテ左ノ各号ノ一ニ該当セザルモノヲ謂フ
 一 陸海軍軍人ニシテ現役中ノモノ(未ダ入営セザル者及帰休下士官兵ヲ除ク)又ハ戦時若ハ事変ニ際シ召集中ノモノ
 二 陸海軍ノ学生生徒
 三 其ノ他勅令ヲ以テ定ムル者
第三条 本法ニ於テ保護者ト称スルハ被管理者ニ対シ親権ヲ行フ者(親権ヲ行フ者ナキトキハ後見人又ハ後見人ノ職務ヲ行フ者)ニシテ本法施行地内ニ居住地ヲ有スルモノヲ謂フ
第四条 被管理者ニシテ其ノ年十一月三十日ニ於テ年齢二十年ニ達セザルモノハ本法ノ定ムル所ニ依リ体力検査ヲ受クルコルヲ要ス
 保護者ハ前項ノ被管理者ヲシテ体力検査ヲ受ケシムル義務ヲ負フ但シ被管理者ヲ教育、監護又ハ使用ノ目的ヲ以テ寄寓セシムル者アル場合ハ其ノ者ニ於テ其ノ義務ヲ負フ
第五条 市町村長ハ前条第一項ノ規定ニ依リ体力検査ヲ受クルコトヲ要スル被管理者ニシテ其ノ市町村内ニ居住地ヲ有スルモノノ体力検査ヲ行フベシ但シ事務所、商店、工場、事業場等ノ事業主又ハ管理人ニシテ勅令ノ定ムル所ニ依リ地方長官ヨリ体力検査ヲ行フコトヲ命ゼラレタルモノハ其ノ事務所、商店、工場、事業場等ニ使用セラルル被管理者ニシテ同条同項ノ規定ニ依リ体力検査ヲ受クルコトヲ要スルモノノ体力検査ヲ行フベシ
 勅令ヲ以テ定ムル学校又ハ幼稚園ニ在学又ハ在園スル被管理者ニシテ前条第一項ノ規定ニ依リ体力検査ヲ受クルコトヲ要スルモノノ体力検査ハ前項ノ規定ニ拘ラズ当該学校長又ハ園長之ヲ行フベシ
第六条 第四条第二項ノ規定ニ依ル義務者ハ被管理者ノ氏名、生年月日其ノ他命令ヲ以テ定ムル事項ヲ被管理者ノ居住地ノ市町村長ニ届出ヅベシ但シ前条第二項ノ被管理者ニ関シテ此ノ限ニ在ラズ
第七条 本法ニ定ムルモノノ外体力検査ノ項目、時期、方法、結果ノ報告其ノ他体力検査ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
第八条 被管理者体力検査ヲ受ケタルトキハ本人又ハ保護者ニ対シ体力手帳ヲ交付ス
 体力手帳ハ命令ノ定ムル所ニ依リ被管理者若ハ保護者又ハ被管理者若ハ保護者タリシ者ニ於テ之ヲ保存シ体力検査其ノ他命令ヲ以テ定ムル場合ニ之ヲ提示スベシ
 前二項ニ定ムルモノノ外体力手帳ニ関シ必要ナル事項ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
第九条 検診、療養ノ指導其ノ他体力管理ニ関スル医務ニ従事セシムル為国民体力管理医ヲ置ク
 国民体力管理医ハ医師又ハ歯科医師ニ就キ之ヲ選任ス
 医師又ハ歯科医師ハ正当ノ事由ナクシテ国民体力管理医タルコトヲ拒ムコトヲ得ズ
 本法ニ定ムルモノノ外国民体力管理医ニ関シ必要ナル事項ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
第十条 国民体力管理医ハ体力検査ニ於テ被管理者ヲ検診シタル場合ニ於テ必要アリト認ムルトキハ本人又ハ第四条第二項ノ規定ニ依ル義務者ニ対シ被管理者ノ体力向上ニ関スル指導ヲ為スベシ
第十一条 地方長官ハ体力検査ニ基キ必要アリト認ムルトキハ被管理者ニ付本人又ハ保護者ニ対シ国又ハ公共団体ノ体力向上施設ノ利用、就業ノ場所又ハ時間ノ制限、業務ノ変更其ノ他ノ体力向上ニ関スル指示ヲ為スコトヲ得此ノ場合ニ於テ必要アリト認ムルトキハ被管理者ヲ使用スル者ニ対シテモ之ヲ為スコトヲ得
第十二条 地方長官ハ体力検査ニ基キ必要アリト認ムルトキハ主務大臣ノ指定スル疾病ニ罹レル被管理者ニ付本人又ハ保護者ニ対シ療養ニ関スル処置ヲ命ズルコトヲ得但シ官立ノ学校又ハ公立若ハ私立ノ大学、専門学校、実業専門学校、高等学校若ハ之ニ準ズベキ学校ニ在学又ハ在園スル被管理者ニ関シテハ勅令ヲ以テ別段ノ定ヲ為スコトヲ得
 前項ノ処置ヲ命ゼラレタル者貧困ノ為其ノ義務ヲ履行スルコト能ハザルトキハ地方長官ハ其ノ者ノ申請ニ依リ国民体力管理医ニ就キ療養ノ指導ヲ受ケシムコトヲ得
第十三条 国又ハ道府県ノ事業ニ使用セラルル被管理者ニ関シ第五条第一項及第十条乃至前条ノ規定ヲ適用シ難キ事項ニ付テハ勅令ヲ以テ別段ノ定ヲ為スコトヲ得
 監獄、矯正院、少年教護院其ノ他勅令ヲ以テ定ムル施設ニ在ル被管理者ニ関シ第四条第二項、第五条第一項、第六条、第八条第一項第二項及第十条乃至前条ノ規定ヲ適用シ難キ事項ニ付亦前項ニ同ジ
第十四条 被管理者ヲ使用スル者ハ体力検査ノ結果ヲ不当ニ援用シテ被管理者ニ対シ不利益ナル取扱ヲ為スコトヲ得ズ
第十五条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ千円以下ノ罰金ニ処ス
 一 第五条第一項但書ノ規定ニ依ル地方長官ノ命令ニ違反シ体力検査ヲ行ハザル者
 二 被管理者、保護者又ハ第四条第二項但書ノ規定ニ依ル義務者ノ義務履行ヲ妨ゲタル者
第十六条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ科料ニ処ス
 一 第四条第二項ノ規定ニ依ル義務者ニシテ被管理者ヲシテ体力検査ヲ受ケシムル為必要ナル措置ヲ為サザルモノ
 二 第六条ノ規定ニ違反シ届出ヲ為サザル者
第十七条 事業主又ハ管理人ハ其ノ代理人、戸主、家族、同居者、雇人其ノ他ノ従業者ガ其ノ業務ニ関シ第十五条第一号ノ違反行為ヲ為シタルトキハ自己ノ指揮ニ出デザルノ故ヲ以テ其ノ処罰ヲ免ルルコトヲ得ズ
第十八条 第十五条第一号ノ罰則ハ其ノ者ガ法人ナルトキハ理事、取締役其ノ他ノ法人ノ業務ヲ執行スル役員ニ、未成年者又ハ禁治産者ナルトキハ其ノ法定代理人ニ之ヲ適用ス但シ営業ニ関シ成年者ト同一ノ能力ヲ有スル未成年者ニ付テハ此ノ限ニ在ラズ
第十九条 体力検査其ノ他体力管理ノ事務ニ従事シ又ハ従事シタル者其ノ職務上知得シタル人ノ秘密ヲ故ナク漏泄シタルトキハ六月以下ノ懲役又ハ千円以下ノ罰金ニ処ス
 前項ノ罪ハ告訴ヲ待テ之ヲ論ズ
第二十条 本法ノ罰則ハ国、道府県、市町村其ノ他之ニ準ズベキモノニハ之ヲ適用セズ
第二十一条 町村制ヲ施行セザル地ニ於テハ本法中町村ニ関スル規定ハ町村ニ準ズベキモノニ、町村長ニ関スル規定ハ町村長ニ準ズベキモノニ之ヲ適用ス
   附 則
本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
当分ノ内被管理者ノ範囲ハ勅令ヲ以テ之ヲ限定スルコトヲ得
(国立公文書館:国民体力法(勅令第六百十八号参看)・御署名原本・昭和十五年...) 

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