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満洲に於ける鉄道問題に関する件 1930年12月19日

 満洲に於ける鉄道問題に関する件(ひらがな化、一部新字体化)

内容見直し(附属文書が資料と未照合)


   満洲ニ於ケル鉄道問題ニ関スル件

一、満洲に於ける日本の鉄道計画は大正二年の満蒙五鉄道及大正七年の満蒙四鉄道以来主として満鉄の培養線を敷設せんとするに在りたる処之を最近の経過に徴するに満鉄培養線計画は其の実現性極めて乏しきに反し今や満鉄本線の東西に平行せる支那側二大競争線の出現を見るに至れり即ち一は満鉄の東部に吉海奉海両線を連ねて京奉線に連絡する線にして他は満鉄の西部に京奉線の打虎山驛を起点とする打通線及之と通遼鄭家屯線、鄭家屯洮南線に依り洮昂線と連絡する一体の線路なり而して右の中海吉線は更に北方に延長せらるへく又打通線は直接洮南に連絡する計画なるやに伝えらる加之支那側に於ては満鉄を度外して自国鉄道及び借款鉄道相互間に連絡運輸を協定し尚車両の充実統一を計らんか為京漢、京綏、津浦、京奉其の他各線より抑留せる車両を満鉄の借款線たる四洮、洮昂、吉長、吉敦の各線並に自国建設鉄道に配分し且又鉄道線に来集する貨物を自線に吸収せんか為自動車其の他の計画をなしつつあり要之支那側の計画は之等競争線に依り満鉄の両側に於ける貨物を連山湾若は営口に搬出し以て満鉄の勢力範囲を其の両側僅かに四、五十哩の地域に局限せんとし結局満鉄の将来を死地に導かんとするに在るやに想像せらる而して右支那側企図の実現性如何は右両競争線の発展並に能率殊に右両線に連絡すへき連山湾等か大連に拮抗し得へき良港となり得へきや否やに在りと思考せらるる処現下の状勢を以てするに右競争線か直に所期の発達を遂け得へきや疑はしく又連山湾も仮令大呑吐港となるの素質ありとするも之を大々的に改築するには経費の調達容易ならさるものあるへく傍我方として必すしも直に悲観の要なきは勿論なるも支那側に於ては右企図に向て規則的に進出し居り既に日本以外の外資輸入に着手し居る有様なるを以て事態は決して軽視すへきに非すと謂うへし

二、満洲に於ける日支鉄道関係は上記の如く支那側に於て数年来頻りに我地歩を侵すの状況なりしを以て当座の措置として我方に於ては前記両競争線の根幹をなせる打通、海吉両線の敷設に対しては明治三十八年満洲に関する日清交渉会議録所載支那側の声明違反として之か敷設に抗議し又奉海線と京奉線との連絡に就ても右は城根線に関する取極の精神に反し満鉄の将来に影響する処極めて大なるものとして之を阻止するの態度を持し来り右の外満鉄の西部競争線を完成すへき通遼、洮南線の実現及海吉、吉長連絡問題(本連絡に同意することは海吉線に対する抗議撤回に等しき結果を生むと同時に東部競争線を有力ならしむるものなり)に対しても亦之を阻止するの措置を講し来れる次第なり然れとも単なる抗議政策は何等積極的に事態の展開を齎す所以にあらさるのみならす支那側の態度を矯正する上に於ても其の効果薄弱なること従来の経験の示す所なるか故に此の際支那側の企図する競争線の敷設並に鉄道保護政策を抑制するの手段を講する為或程度の建て直しを必要とす

三、依て政府は満洲に於ける鉄道に関しては今後左記の方針を以て進むことと致度し

 (一)競争線の問題は最重要なる問題なるか支那側の鉄道計画か政治上の理由に出て居ることをも考慮し左記の方針に依り政府若くは満鉄に於て適宜措置すること

  (イ)支那側の鉄道は自国資金を以て建設せられたるもの既に十一線延長約一、〇〇〇哩に及ひ今後葫蘆島築港其の他港湾の完成に伴ひ之に順応すへき線路は漸次建設せらるへき処右の内鄭家屯、長春間、鄭家屯、彰武間、洮南、哈爾濱間、通遼、洮南間、太平川、扶余間、開通、扶余間の諸鉄道の如きは支那側にして若し之を建設せんか満鉄に取りては殆んと致命的の影響を有するものと思考せらるるか故に(如何なる線か果して満鉄に取りて致命的なりやは更に満鉄をして研究せしむるの要あるへし)支那側にして之か建設に着手するか如き場合には打通、吉海の場合等とは異り之か建設を阻止するに付凡ゆる手段を執ること

  (ロ)満鉄に致命的影響なき各線に付ては寧支那側の建設に援助を与ふること

  (ハ)従来問題となり居れる打通及海吉に付ては永続性ある連絡協定の締結を条件として之か抗議を撤回すること

     若し支那側か協定の締結に応せさるに於ては支那鉄道の連絡を阻止するの手段を講すること

 (二)借款鉄道及請負鉄道の敷設は満鉄と支那政府との間に具体的商議を見たる敦化、会寧間、長春、大賚間(以上二線は正式請負契約あり)

    延吉海林間、吉林五常間、洮南索倫間(以上三線は未た正式請負契約成立し居らす)の五線に就ては差当り左記の方針に依り措置すること

  (イ)未た正式請負契約の成立せさる三線は全然支那の自弁敷設に委せ先方の希望あらは満鉄は材料供給其の他の方法に依る援助を考慮するを本則とするも延吉海林間は敦化会寧間建設後成るへく速に之か実現を促進すること

  (ロ)長大線は正式請負契約成立したるも支那側をして急速契約を履行せしめんとするも現状に於ては望み少きを以て我か方は権利を保留し置き他方有力なる支那人を援助して支那自弁鉄道を敷設せしむるに努むること

  (ハ)敦化会寧線は急速なる実現困難なる情況にあるも政府は満鉄と共に絶えす実現の時期方法を考究し好機を捉へて之か敷設に努むること

 (三)右(一)(二)の計画を進むると同時に支那側の反満鉄原因を出来得る限り除去すること即満鉄と支那側との間に久しく懸案となり居る問題の中例えは(イ)借款利息軽減問題(ロ)借款契約訂正問題及借款元金算定問題等は支那側の希望に副う様満鉄をして適宜措置せしむること

(国立公文書館:蒋介石全国統一後ニ於ケル満蒙鉄道ニ関スル日、支交渉関係 B02030041000)

(参照:https://seesaawiki.jp/japan1/d/%CB%FE%BD%A7%B7%FC%B0%C6%C5%B4%C6%BB%CC%E4%C2%EA%A4%CB%B4%D8%A4%B9%A4%EB%CA%BE%B8%B6%B3%B0%C1%EA%CA%FD%BF%CB#)



満洲に於ける鉄道問題打開策実施上の心得に関する件


十二月十九日

満洲に於ける鉄道問題打開策実施上の心得に関する件

満洲に於ける鉄道問題局面打開に関する政府の大体方針は別紙の通りなる処右打開策に付ては諸般の情勢に鑑み先づ以て満鉄会社をして支那側との間に談合せしむることとなりたるに付ては同社に於いては左記の趣旨を体し本件談合上萬遺漏なきを期すべきものとす

一、元来本件は満洲開発に関する政策の遂行に関し就中競争線に関する抗議撤回の如きは明治三十八年の日清会議録の関係上当然政府の為すべき事柄にして満鉄としては今後政府の方針を体し本件局面打開に努力する中相当満足し得べき結果を得たる場合競争線の抗議撤回方政府に進言し得るの立場に在るに過ぎざる次第なると同時に政府としては満鉄の本件交渉開始に依り間接に交渉を開始したると等しき立場に立つものにして従って政府としては本件交渉開始前並交渉中陰に陽に極力満鉄を支持すべきは勿論必要に応じ何時にても満鉄の交渉に干渉し又は交渉の一部若しくは全部を政府の手に引取るの已むを得ざる場合あるべき次第なり、故に満鉄としては我在満関係領事官を通し其の交渉の経過を絶えず政府に申報すべきは勿論我在満関係領事官並在支公使と常に密接なる連絡を保持すべきものとす

二、本件方針中記載の諸事項即支那側の受くべき利益(借款条件の緩和、抗議撤回、新線の建設支持其の他満鉄の提供し得べき種々の便益)と我方の受くべき対償(致命的競争線の建設差控え、連絡協定の確立、懸案鉄道の敷設促進)とは彼我共存共栄の根本義に立脚し表裏離るべからざる関係にありて右我方の受くべき対償中懸案鉄道の建設は差当り之を迫るを為さずとするも当面の急務たる競争線及び連絡協定に対する我要求にして先方の容るる所とならざる限り前記我方の与うべき便益は当然問題とならざる次第なり固より交渉の懸引殊に交渉の雰囲気を良好に導かんが為先ず以て借款条件等の緩和より開談することは何等差支えなき儀なるも結局に於いては前記我方要求の容諾を待って右便益の提供を確認すべきものとす換言すれば問題を一つ一つ決定するにあらずして全部に亘り談合の結果を検討し満洲に於ける鉄道問題の局面打開を為すに足るものありと認めたる場合には一括して取極其の他の確認手段に出ずべく又若し不幸にして先方の態度我希望に添わざるものあるも直ちに本件根本方針を抛つことなく仮令交渉の一部又は全部を政府の手に引取ることの已むを得ざる場合ありとするも本方針に據り根強く交渉を継続し必要に応じ本件交渉の経過を列強に内報すると共に場合に依りては之を公表し支那側の反省を促すと同時に我立場保全の為緩急に応じ適当の自衛措置を講ずるものとす

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