今後の対「ソ」施策に対する意見(ひらがな、一部新字体化、不明文字あり)
今後ノ對「ソ」施策ニ對スル意見
昭和二〇、四、二九
種 村 大 佐
一、要 旨
今更ら申すへきに非ざるも「ソ」連の対日動向は帝国の大東亜戦争遂行に致命的影響を及ぼしていることは大東亜戦争開始前以来の戦争指導上の最大関心事であつた 而して此の「ソ」の対日動向を大東亜戦争の終末迄中立的態度を維持せしめ得れば戦争指導上満点で在る
今日迄日「ソ」中立条約に依存して帝国は日「ソ」間の関係を危げ乍も維持して来たのであるけれども今や日「ソ」中立条約破棄通告を受け且独崩壊したる現状態に於ては遺憾乍ら日本独力に依り「ソ」の中立態度を維持せしめ得へき何等の根拠をも持つていない
此に帝国としては戦争指導上最大の不安焦慮に襲われ来つた次第で在る 然し之は本質的に見れば既に開戦当時以来内在して居た問題で見様によつては如何ともし難い問題とも考へられる、其処で現下に於ける対「ソ」施策は恰も剣ケ峰に押された相撲取が打つ棄りに成功するか或は押し切らるるか、大体九対一、全く捨身の戦法にあらざれば成功し難い本質的なものてあることを深く期して九死に一生を得る積りで本施策実行に邁進しなくてはならない
若し成功しなかつた場合は何とかなると考へても何ともならず其の時は押し切らるる許りで在る、 今日に於ては其の様な幅はない
成功しなかつた場合とは何ぞや、
「ソ」が日本と同調せず、米と同調した場合で在る、
「ソ」が米と同調するとは何ぞや、
日「ソ」交渉即対米交渉となり且帝国か求めて無条件降伏なるか如き事態に放り込まれた場合である
其処で今後の対「ソ」交渉に当つては其の目的と限度と方法とを確立して掛らなけれは火遊ひとなる危険極めて大で在る
況や対「ソ」交渉即世界終戦(対米屈伏)として自己の戦意を「カモフラージ」して本交渉を行はんとする徒輩なきにしもあらず
故に厳に警戒を要する点である
二、世界終戦より見たる所の対「ソ」施策
大凡今次戦争の終末を如何なる規模と様相に於て求めんとするやは戦争指導者の特に留意し念頭から去つてはならない点て在る
然らば戦史的に見て此の大戦争の終末はうやむやな形で持つて行けるかどうか、最後迄頑張るだろうと考へた独逸は今日あの形で終末を見んとしつつある所を考へると帝国の今後の戦争指導には前途に極めて多難なるもの存することを予期せらる
飽く迄戦ふと強く強調すればする程如何にして勝つへきやと云ふ方法論に於て戦争指導者は勿論国民上下を挙げて疑念を招来すべきは蓋し止むを得ない事情である
作戦必勝の道なき所に戦勝の光明などが存在しやう筈がない、況や作戦の必勝なきとき外交に依り情勢の展開を計らんとするが如きは屈伏への努力か然らずんば作戦必勝への補助手段かの何れかに存する
屈伏への努力であつたなら相手か如何に強からうと即座に出来る、然し条件は許されない
作戦必勝への補助手段てあつたならば其の成功の公算は作戦の難易に正比例する、其処でどうしても作戦必勝の道なしとすれば之か補助手段たる外構の道も存在しないと見るも過言ではあるまいか、
其処で熟■帝国現下の作戦の推移を考察するとき今後の対「ソ」施策に殆んど期待を懸け得られない様な気がする、若し期待を懸けるとしたならは終戦方策としての対「ソ」交渉に転移すべきではないかと考へが起つて来るのも無理からぬ点である
戦争指導者としても一応此の点に就いて考へて見る必要があるのでは無いか、只作戦の推移如何に不拘今後の対「ソ」施策に成功の公算ありとすれば「ソ」米の対日及対支問題に関する離隔を求め得るや否やに存する、
此の一点が九死に一生を得る所の対米英戦争完遂の為の対「ソ」施策なりと云ふべきで在る、然しあつさり考へて米英との戦争を中止して国体を護持し帝国本土を守つて此の邊て戦争を終らうと云ふ軽い考へを以て対「ソ」施策に臨んだら何うかと云う考へも起るてあらうが、相手のある戦争で在る、そうは易々問屋は卸して呉れない、假令一時対米終戦に関する外交交渉成功するも米は偽装停戦して我か戦意を喪失せしめたる後必す大問題を吹掛けて来るに違ひない其の大問題とは国体の破壊以外に何者もあるまい、日本民族の根を止めるのは皇室を抹殺する以外に無いことは彼等も充分知つて居る、其処で世界終戦の見地から見ても帝国の対「ソ」施策は深刻なる場面に追ひ込まるることは当然覚悟しなくてはならぬ、
作戦も外交も戦争も之れ悉く最後の紙一重の所で勝敗を決する
今や帝国の戦争必勝の道は外交でもなく経済でもない、本土に於ける 天皇に奉仕し奉る一億特攻の団結と之に依る作戦必勝への努力以外に何物も無い、
対「ソ」施策に依つて帝国の運命を打開しやうなぞと思つて之に多くの期待を仕様としたならば之か成功しなかつた場合に於ける反作用を考ふるとき其の危険極めて大である
三、対「ソ」施策の目的
以上の見地に基いて対「ソ」施策は飽く迄対米英戦争完遂の為の対「ソ」施策でなけれはならない
即ち対米英戦争完遂上日「ソ」戦絶対回避の為の施策でなければならない
此の点を明かにして対「ソ」施策に進むべきである何処迄も米英の戦意を喪失せしむる迄戦ふのである、戦はんが為に必要なる対「ソ」施策を行ふのである
万一飽く迄戦ふと云う決心の無き対「ソ」外交であつたならば危険此上もないことは既に述べた通りで在る、
而して本目的達成の為「ソ」側に確約せしむべき条件は日「ソ」同盟なりや、日「ソ」支同盟なりや、「ソ」の対米厳正中立なりやの何れかに存す
然るに日「ソ」中立条約の破棄せられたる今日此中の何れをも確約せしむることは余程の神業であり余程の「チヤンス」を掴まない限り困難なることと云はねばならぬ
此処に於て本目的達成の為如何なる形式にて「ソ」の対日態度を確約せしむべきやは本施策成否の鍵とも云ふべきで在る、下手をすると「ソ」連よりも背負投を食はされ取らるる物は皆取られて何にも得る処なく日「ソ」戦争に導入せらるる虞なきにしもあらずで在る
四、対「ソ」施策実施上我方の譲歩すべき条件
前項目的達成の為必要なる条件は悉く之を停止し譲歩し開放し断念するに吝であつてはいけない、換言すれは「ソ」側の言ひなり放題になつて眼を潰る、日清戦争後に於ける遼東半島を還付した悲壮なる決心に立換つたならば今日日本が満洲や遼東半島や或は南樺太台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨てて日清戦争前の態勢に立還り、明治御維新を昭和の御維新によつて再建するの覚悟を以て飽く迄日「ソ」戦を回避し対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない 三千年悠久の歴史から考へて見たならば過去五十年の変化の如きは民族興亡の一波瀾として考へればよいではないかと あつさり考へられないでもない
然し要は帝国に対する「ソ」側の要求の程度如何に存する
若し「ソ」側が以上の如き要求を提示し来つた場合はどうするか、其の時は既にもう「ソ」が米英と完全に手を繋だ時で在る、
日清戦争前の態勢にかへつても「ソ」と戦をしないか、真逆「ソ」としてはそんな無理は云ふまいと思はれるけれ共帝国としては此の肚を以て日「ソ」戦争を絶対に回避すべきであつて其処迄肚を極めて対「ソ」交渉に移るべきである、移つた以上「ソ」側の言ひ分を待つて之に応ずると云う態度に出つるべきで在る、我より進んで以上の諸条件を展開することの適当ならざるは外交掛引上から云つも当然考慮せらるべき点である
次は支那に対して「ソ」連が如何なる要求を出すであらうか、之は人の褌で相撲を取る様なもので「ソ」側としては余り乗つて来ない問題であると思ふ
一時支那の大陸を米英の勢力下に置くも現下に於て「ソ」連の戦争指導としては止むを得ないであらうと考へられる、
今度の戦争で支那問題の為に「ソ」連か米英と戦をするだろうと考へることは先ず先ず無いと云ふも過言ではあるまい 従而假令帝国が延安の本質を確むることなく其の共産色なるを以て之を餌にして「ソ」連を支那方面に誘導し様と思つても中々難かしい問題ではあるまいか
只現下帝国か帝国軍の勢力下にある支那の占拠地域を直ちに延安と「ソ」連に引き渡し得たとしても苟くも民族意議の旺盛なる支那民衆が直ちに日本軍に代るに「ソ」連を以てして満足するであらうかどうか、斯る場合結局延安は「ソ」連にあらずして支那民衆本来の姿に返るのではないか、然らずんば表面飽く迄「ソ」連との関係は立切つて進むのではあるまいか、何れでも宜しい 支那に於ける帝国軍の犠牲と支那民衆の犠牲とに於て「ソ」連を此の方面に誘導し支那大陸に於て米「ソ」を確執せしめ得れば帝国の為幸甚此の上もないことであらう
然る場合重慶の態度は固より延安と同調すべく、重慶と雖も支那民族あつての重慶であり抗日せんが為に米英に依存したのである
日本が支那大陸より撤退したる上は何も好んで米英と提携すべきであらうか、重慶亦支那民族本来の姿に還つて延安と対外的には相提携するであらう
国内問題として彼等が対立すべきことあるべきは支那民族五千年の歴史から考へて見ても永久に絶えないであらう
若し斯くの如き情勢に於て米英か支那大陸に上陸し若くは支那大陸に蹯踞するか如きことあらんか其の不幸は支那事変以上支那民族の不幸であることは彼等が一番良く知つて居るべきである
即ち「ソ」連が乗つて呉れさへすれば支那問題を中心とする日、「ソ」、支の結合提携は、誠に面白い問題である、成否を超越して心掛くべき施策ではあるまいか
然し其の成功の公算たるや九対一以上困難であることを覚悟しなければならない
但し嘗て己の力の及ばざるに「ソ」連を西亜に向はしめ或は印度に向はしめんとして日「ソ」の提携を計らんとしたことと比較すれは情勢の推移とは申せ数歩を進めた現実的なる命題である
又南方地域に於ても帝国軍の現存する限り戦争終末の形態に於て「ソ」連に能ふ限りの発言権を与ふべく協力するに吝であつてはならない
五、対「ソ」施策実行要領
以上を考察すると帝国の採るべき対「ソ」施策は誠に至難を極むると云ふも過言ではない
従而之に当るべき人は天下の至宝を以てしなくてはならぬ、現在其の所の人を得ずとせば其の所を得た人を以て之に当てなくてはならない
何れにしろ帝国の決心次第である帝国の決心なくして人を探さんとするも人来らず又帝国の決心さへあればどんな者でも誠意さえあれば戦法に通ずるとも言へる 決心と人選両者併立し得た時に満点である
必要とあらば三顧の礼を以て之を向へるに躊躇してはならない
六、対「ソ」施策と対支施策との関係
以上の見地に基いて今後採るべき帝国の対「ソ」施策と対支施策とは一貫性がなくてはならない
右見地よりすれば対支政謀略の重点は白紙的に考ふれば延安に施行せらるべきが当然であらう
然るに此度採られたる対支政謀略の重点は重慶に指向せられ延安は補助若くは牽制として定められて居る
然し重慶も延安も同じく支那民族である、然も重慶とは糸が続いて居り又続け得る目途がある然し延安に対して昨年七月延安政権と呼称することを定めたる当時に於てさへ何彼と言を左右にして之を実行する意思がなかつたのが現地の空気である
従而現在迄に何等昨年発せられたる大陸指示に基く具体的措置をも掴んていない
こんな海の者とも山の者とも判らないものに手を差し伸べても其の成功への見透しか全くつかない
然も重慶も延安も抗日と云う見地に於ては同一歩調であることは支那事変以来国共抗日合作の経緯によるも明かである
従而重慶との間に手か握れたならば延安との間にも手が握れる筈である
其処で先づ公算のある重慶に向つて重点を指向せられ之との間に停戦を企図せられたのは当然のことである、此処に尚注意すべきことは対重慶交渉即対米交渉になる虞のあることは対「ソ」交渉即対米交渉となる虞と同然と云ふことである
右の見地から此の度の大陸指示に於ても対重慶全面和平とすることなく重慶との停戦に努むとし支那民族の覚醒を促さんとした所以である
之を要するに今後採らんとする対「ソ」施策と此度発動せられたる対支施策との間に何等間然する処なしと云ふべきである
七、対「ソ」施策と今後の作戦準備との関連
今後に於ける帝国の対「ソ」態度は絶対対「ソ」戦■避に存するを以て今更ら対「ソ」戦生起を前提として行ふところの作戦準備は厳に反省を要すべし
即ち大陸全般に於ける作戦準備及兵力運用の方針は飽く迄対米英戦完遂を目標とし堅実不敗の地歩を確立するを主眼として施策せらるべく一方「ソ」に対しては対日態度の悪化を防止し且今後採るべき対「ソ」施策の後拠支援たらしむべきものとす
八、対「ソ」施策の転換
以上の考慮に基きて捨身で発足した対「ソ」施策も途中に於て其の目的及対照を転換せざるを得なくなる場合のある事を認識する必要がある其は即ち「ソ」の仲介若くは恫喝に依り世界終戦への導入を余儀なくせらるることである
帝国としては対「ソ」施策に発足した以上嫌応なしに其の仲介若くは恫喝に従はざるを得ない
然らずんば日「ソ」戦を暏するより外はない
其では対「ソ」施策の目的を抹殺してしまふ事になる
即ち間接的とは云へ我か最も好まざる対米和平交渉に転換せざるを得ないのである
若し之を恐れるならば対「ソ」施策は行はざるに不如対「ソ」施策を行はんとせば当然本事態の到ることを覚悟の上で発足しなければならない
此処に対「ソ」施策の困難性があり微妙なる因子が内存しある所以である
今や此の危険性に躊躇して居る時ではない
大東亜戦争完遂を目標に一途に対「ソ」施策に前進すべきであつて若し本情況の如きが発生したならば大東亜戦争の宿命と覚悟するより外はあるまい
以上捨身の対「ソ」施策を発足せんとするに当り戦争指導の見地に於て政戦略に亘り忌憚なき小官の信ずる所を述へ上司御決断の御参考に資す
天長の佳節 記す
独屈伏の報を聞きつつ
(国立公文書館:昭和20年4月29日 今後の対「ソ」施策に対する意見 C12120293800)
コメント
コメントを投稿