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満蒙問題処理案 1931年00月00日

 満蒙問題処理案(ひらがな化、一部新字体化)


   満蒙問題処理案

          昭和六年春

          関東軍司令部

最近国内識者の輿論真剣味を帯ひ内は国内の改造問題に外に対しては満蒙問題の積極的解決に向て進みつつあるは確に一進歩と称することを得へし

然れとも尚ほ機運の熟する迄には一層の努力と準備とを必要とす

之か為研究を要する件概ね左の如し

一、日本民族発展の指導原理を確立し所要に応して之を世界に宣布すると共に国内平和論者乃至は左傾派の抬頭の余地なからしむ

二、国内輿論の高調

  軍部は益々結束を堅くし戦争準備を完全にし必勝の信念を以て政府を鞭撻し国内輿論を指導す

  特に現政権を支配しある実際の勢力を動かすことに着目す

三、満蒙問題解決の実行方法

  即ち解決の端緒を如何なる方法に求むへきや現状を如何なる方法にて打破し如何に建設すへきや等の具体的方案の研究

四、満蒙に対し漸進的解決の方法を採る場合に於て如何なる段階を踏むへきものなりや

  右は最も研究を要する緊急の問題なるか就中第三項と第四項とは関東軍として十二分に研究を要する問題なり

  1.完全なる領土とす

  2.保護国となす

   (支那本土と完全に分離独立す朝鮮の統監政治の如し)

  3.二十一ヶ条程度の要求

   (商祖、鉄道問題の外第五項の警察権、顧問、兵器統一等を含む)

  4.山条(満鉄総裁山本条太郎)程度の要求

   (商租権並鉄道問題等従来の懸案の解決)

満蒙問題解決の実行の形式に関し概ね次の如く予想す

一、直接法に依り恰かも往年日支交渉の例に於けるか如く支那政府(又は東北四省政府)に対し従来の懸案を提けて最後通牒を送る

二、局面の変化発生の機会を利用す

  要すれは進て機会を促進す

  尚ほ本案には次の二つの場合あり

  1.支那の現政情の変化を利用すること

    之か為要すれは所望の方向に之を促進助長す

  2.東北四省の内部に或種の謀略を行ひ利用し得へき機会を作成す

 第一.直接法に依る案

 此の方法は正々堂々我主張を貫徹する方法にして政府の決意だにあらは時機の如きは問ふ所に非す

本案は従来の一党一派を操縦するか如き弊を免れ簡明直截に効果を収むるの利あるも某程度の解決に留まり根本的解決に出つること能はさる害あり

此の際の主張は概ね次の如きものなるへし

 一、邦人の満蒙に於ける自由なる経済行為の保証

 二、鉄道問題の解決

 1.吉林-延吉-会寧線 延吉-海林-依薗線 敦化-額穆-哈市線

   長春-扶餘-洮南線等の建設

 2.借款鉄道の管理経営権を確立す

 3.打通、奉悔、海吉線の整理

但し政府の腹次第にて二十一ヶ条程度の要求をなすか更に進んて保護国的の要求を為すかは尚ほ研究を要す

以上程度の主調は先に山本満鉄総裁と張作霖との協定に依り張の内諾を得たる程度のものなるを以て自衛権の発動として列国の承認を得へき性質のものなり従て外交的手段宜しきを得は列国の干渉を排するを得へし

此の場合列国の経済的活動を妨くるものにあらさること或は支那の主権を認めさるものにあらさること等外交技術として如何に折衝すへきかは外交官の具体的研究を必要とす

支那本土の排日行為を如何に取扱ふへきかは別個の問題なるか此の際之か鎮圧の為一部の陸軍を要地に派遣するを要することあるへし

満洲に於ける軍事行動としては関東軍を一地に集中する程度を以て足れりとすへし

此の際支那側にして応諾せさる場合に於ては一挙に学良政府を顚覆して満洲統治(満洲統治案を準備す)を実行するか或は少くも之を圧迫して武力の後援に依り自由行動に出て前述の主張を実行す

此の際日支戦争に導く(学良の軍隊と日本軍隊との衝突を惹起すれは可なり)を得は最可なるも支那は恐く之を避け無抵抗消極態度に出て列国に訴ふるの挙に出つへし此の場合政府としては断乎として既定の方針を遂行し一面列国の干渉を避くるの処置を講すること必要なり

 第二 政情の変化を利用する案

現学良と蒋介石又は第三勢力との衝突の機会を利用するか又は之を促進し学良を窮地に陥れ学良を支持して我政策を実行せしむるか又は侵入者に対し援助を与え厳重なる約束の下に学良を追払ひ新入者を支持するか恰も往年の郭松齢の乱に於ける如き機会を利用するに在り

本案は本質上支那の一党派を援助する従来の案の如き弊害を伴ふを以て好んて採用すへき案に非るも現に生する機会を利用する見地より此の場合に処する処置を予め講究し置くこと必要なり但之を現下の情勢に照し正確なる情況判断を基礎となすこと必要なるを以て北支、中支方面との連絡最密なるを要す

本案は外観上自然の形勢の推移に因るものなるを以て列国の干渉を免るる利あるのみならす而も其の結果に於て方法宜しきを得は一挙に満蒙を保護国となすの程度に達せしめ得へき望みあり之を要するに此の際の研究問題次の如し

 1.情況判断を適確にし何れを新主人となすへきやを決定す

 2.新主人を援助する為の武器、金等の準備

 3.謀略を併せ行ひ作戦を援助する方法等

 4.新主人に対する指導要求案の作成

 第三 東北四省内部に謀略を行ひ利用すへき機会を作成する案

   ┌蒙古独立

 1.┤間島独立

   └北満掻擾

 2. 排日大暴動

右の第一は現政権を動揺せしむることに依り利用すへき何等かの機会を現出すへく第二は治安の破壊となるを以て武力使用の口実を得進んて膺懲の師を起し一挙に解決の機会を得へきも相当大規模に密なる連絡を取り而も陰諜を過早に暴露せさる様細心の注意を要するを以て今日の程度に於ては未た進んて軍自ら之を操縦するの機運に到達せす

然れとも現状を以て推移せんか之に類する幾多の実行運動の発生を見ること明なるを以て予め如何なる機会に之を如何に利用し得へきかを研究し置くこと必要なり

如何なる場合に於ても非常の場合に於ては関東軍独断を以て学良政府を顚覆して満蒙占領を企図するの覚悟あるを要す

 第四 其の他

一、強硬政策決行以前の態度を如何にすへきや

  即個々の問題をも一々強硬なる態度に出て支那側をして警戒せしむるよりも某程度迄隠忍自重して一挙に解決すること等

二、満洲に於ける輿論を統一する必要あり

  之か為関東庁、満鉄の幹部の確実なる人物と十分連絡して少くも謀略遂行に障碍なからしむるを要す

三、国内輿論を喚起沸騰せしむる方案の研究

四、軍隊の態度、教育、訓練等に関する件

(国立公文書館:中野史料(1) 満洲事変関係資料(1) C12120049400)

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