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戦争遂行に関する物資動員上よりの要望 1941年07月29日

 戦争遂行に関する物資動員上よりの要望(一部新字体化、附属資料省略)


 戰争遂行に關する物資動員上よりの要望  企畫院 一六-七-二九

帝国は支那事変発生以来自給生産態勢の整備に努め来りしと雖も過去に於ける帝国経済の国際経済特に英米経済への依存度の強烈なりし結果近々両三年の日子を以てしては其整備充分ならさるへきは固より其の処たり、而かも東亜新秩序建設に関する帝国々策の進展を中心とする国際関係は帝国の自給態勢整備の進行を阻害するの結果を招来し、殊に欧州戦乱の勃発に基く国際政局の動揺不安は益々我国の自給生産態勢確立を妨くる結果となれり、之を以て昨年下半期以来帝国は一方に於ては東亜共栄圏内に於ける自給態勢の確立を急くと共に不可避的海外依存物資の内独伊ソ方面に転換し得るものは挙けて之に転換し他方英米との国交危機の到来以前に於て英米乃至其勢力範囲よりの取得物資の可及的特別輸入を実行し以てストツクの増強に努むる処ありたり、然るに此種特別輸入は当時に於ける帝国の金資金状況と海上輸送力並に格納設備の状態等よりして未た予期せらるる戦争遂行上帝国の所要を満足するの域に達する能はす、他方最近に於ける独蘇武力戦の発展は独、伊方面よりの物資及技術の輸入を不可能ならしめ今や帝国の経済事情は極めて不利なる状態にあり。

帝国か現生産力を保持し物資の需用を概ね昭和十五年度の物資動員実績の実数に近からしめんとせは帝国重要戦略物資の要確保状況は概ね別表の如くにして今尚ほ自給圏及第一補給圏外よりの輸入頗る大なるものあるを諒知し得へし、而かも該輸入悉く英米勢力圏内に存するの事実は帝国の戦争遂行上特に注意を要する点なりとす、之を以てか英米との間に本質的且全面的なる経済断交招来するに於ては其結果は極めて重大なるを覚悟せざるべからす。

即ち如斯場合に於ては帝国の物的戦争遂行力は主として自給圏及第一補給圏内の生産力と既存ストツクとに存し爾后は専ら作戦成果の活用による新なる生産力の増加に待たざるべからさるなり、之れ誠に帝国戦争遂行上の性格を規制する根本なりとす。

故に帝国の戦争遂行は該戦争遂行力の上に極めて短期間に作戦成果を収めストツク資材を使用し画す以前に於て右作戦成果の活用による新なる物資供給源を確保せざるべからざるなり。

一部作戦の成功により戦争当事国に講和の可能性ありし過去の戦争に於てはストツクのみに依存する戦争も時に其成功を収め得たりしならんも今日の如き総力戦々争に在りては飽く迄も自給生産力の上に長期戦を覚悟して立つにあらざれば最后の勝利は殆んと望みなしと謂はざるべからす。

帝国の最重要物資に就て現ストツク量との関連に於て作戦成果と新生産確保時期との関係を考察するに(軍の直接ストツクを除く)該重要物資の輸入停止后

(一)ニツケル及同砿  約二月     (二)マンガン砿  約四月

(三)ピツチコークス  約四月     (四)マニラ麻   約一月

(五)第一種原油    約四月     (六)第二種原油  約六月

(七)航空揮発油    約一、五月   (八)普通揮発油  約二月半

(九)重油       約一月半    (十)普通機械油  約二月半

(十一)軽油      約三分の一月  (十二)灯油    約一月

(十三)半固体機械油  約三月     (十四)ヒマシ油  約六月

にして夫れ夫れ此期間に於て新生産取得状態に入ること必要なりとす

換言せば英米にして蘭印其他南洋、南米方面を合せ本格的経済断交を加へ来るに於ては前記物資の輸入杜絶の時より前記期間内に此種物資の新取得状態を確立すること必要なりとす、従て武力を以て之か取得を企図する場合に於ては其作戦成果は此種生産上の要請に向つて活用せらるべきこと勿論なりと雖も作戦亦此点を深く考慮せらるること必要なりとす加之ならす英米との間に交戦状態に入るや茲にコバルト、コバルト鉱、白金鉱、鉛及鉛鉱、水銀、高級石綿、高級雲母、タンニン等の如く南米、印度等より輸入しある物資にして自給圏又は第一補給圏への生産転化不可能又は至難なるものは全然ストツクにより之か終始を図るの外なき処之等物資は其ストツク量頗る僅少にして此種物資の関連に立つ生産は間もなく殆んど其の運転を中止するに至るへし、依て之等物資に対しては極力代用品の生産に努めあるも我国産業の現状に於ては急速なる生産増加を望むこと至難にして結局此種物資の使用は固より之を原料とする生産品の消費を徹底的に規制節約するの外なきものとす。

若し夫れ我国生産力の隘路を形成しある海上輸送力方面より観察せんか現状の下に万一南方武力戦を実行するか如き場合に於ては一挙にして該方面敵海軍根拠地特に潜水艦及空軍基地を占領又は覆滅する等少くも西南太平洋上の制海、制空両権を完全に確保するにあらされは我船舶の損耗量は或は我国造船能力を超過するの結果となり、然る場合に於ては此点よりして我国の全般的生産力は逐次低下減退すへく之に関する万般の手段を予め確立するにあらされは其影響頗る重大なり。

(以下結論は本文に分掲の通)


(別表省略)

(国立公文書館:考証資料第29号 戦争遂行に関する物資動員上よりの要望 企画院 昭和16年7月29日 C16120629300)

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