スキップしてメイン コンテンツに移動

赤十字条約 1886年11月15日

 赤十字条約(ひらがな化、一部新字体化)


明治十九年十一月十五日

赤十字條約

   第一条

戦地仮病院及ひ陸軍病院は局外中立と見做し患者若くは負傷者の該病院に在院の間は交戦者之を保護して侵すこと勿るへし

但戦地仮病院及ひ陸軍病院は兵力を以て之を守る時は其局外中立たるの資格を失ふものとす

   第二条

戦地仮病院及ひ陸軍病院に於て任用する人員即ち監督員、医員、事務員、負傷者運搬員并に説教者は各其本務に従事し且つ負傷者の入院すへく若くは救助すへき者ある間は局外中立の利益を享有するものとす

   第三条

前条に掲けたる各員の従事する戰地仮病院若くは陸軍病院は敵軍の占領に係ると雖も各員は依然其本務を行ふことを得へく若くは其属する隊に再ひ加はる為め退去することを得へし

前項の場合に於て各員其職を罹る時は占領軍隊より敵軍の前哨に之を送致すへし

   第四条

陸軍病院の器具什物等は交戰条規に従て処置すへきものなり故に該病院附属の各員は其退去の際各自の私有品を除くの外余の物品を携帯することを得す

但戦地仮病院は前項の場合に於ても其器具什物等を保有することを得

   第五条

負傷者を救助する土地の住民は侵すことを得す且つ之をして其自由を得せしめさるへからす

交戦国の将官は住民に慈善の挙を慫慂し且つ慈善の挙に依て局外中立たるの資格を有することを得へき旨を予告するの責あるものとす

家屋内に負傷者を接受し之を看護する時は其家屋を侵すことを得す又自己の家屋に負傷者を接受する者は戦時課税の一部を免かれ且つ其家屋を軍隊の宿舎に供用することを免かるへし

   第六条

負傷し又は疾病に罹りたる軍人は何国の属籍たるを論せす之を接受し看護すへし司令長官は戦闘中に負傷したる兵士を速に敵軍の前哨に送致することを得但右は其時の状勢に於て之を送致することを得へく且つ両軍の協議を経たる場合に限るものとす

治療後兵役に堪へすと認めたる者は其本国に送還すへし

又其他の者と雖も戦争中再ひ兵噐を帯ひさる旨盟約したる者は其本国に送還すへし

患者負傷者退去する時は其之を率ふる人員と共に完全なる局外中立の取扱を受くへし

   第七条

陸軍病院戦地仮病院并に患者負傷者退去の標章として特定一様の旗章を用ひ且つ其傍に必す国旗を掲くへし

局外中立たる人員の為に臂章を装附することを許す但其交付方は陸軍官衙に於て之を司とるへし

旗及ひ臂章は白地に赤十字形を画けるものたるへし

   第八条

此条約の実施に関する細目は交戦軍の司令長官に於て其本国政府の訓令に従ひ且つ此条約に明示したる綱領に準拠して之を規定すへし

   第九条

此締盟各国はヂュネーヴ会議に全権委員を派遣せさりし政府に此条約を示し其加盟を請ふことを約諾せり因て之か為め議事録中余白を存す

   第十条

此条約は批准を受くへきものとす而して其批准書はベルヌに於て四月以内若くは可成は其以前に交換すへし

是に於て下名瑞西連邦駐劄日本皇帝陛下の特命全権公使は本件に関し特別の権限を帯ひ此書を以て日本帝国の本条約に加盟することを告知す

右確証の為め下名は千八百八十六年六月五日ベルヌ府に於て此告知書に記名調印するものなり


    瑞西聯邦駐劄日本特命全権公使侯爵蜂須賀茂韶手署

(Source:日本公文書館:瑞西国外十一国間ニ締結セル赤十字条約・御署名原本・明治十九...)

コメント

このブログの人気の投稿

徴兵の詔(徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭) 1872年12月28日

徴兵令詔書及び徴兵告諭(口語訳)  今回、全国募兵の件に付き、別紙の詔書の通り徴兵令が仰せ出され、その定めるところの条々、各々天皇の趣意を戴き、下々の者に至るまで遺漏なきように公布しなさい。全体として詳細は陸軍・海軍両省と打ち合わせをしなさい。この趣旨を通達する。  ただし、徴兵令および徴募期限については追って通達するべきものとする。 (別紙) 詔書の写し   私(明治天皇)が考えるに、往昔は郡県の制度により、全国の壮年の男子を募って、軍団を設置し、それによって国家を守ることは、もとより武士・農民の区別がなかった。中世以降、兵は武士に限られるようになり、兵農分離が始まって、ついに封建制度を形成するようになる。明治維新は、実に2千有余年来の一大変革であった。この際にあたり、海軍・陸軍の兵制もまた時節に従って、変更しないわけにはいかない。今日本の往昔の兵制に基づいて、海外各国の兵制を斟酌し、全国から兵を徴集する法律を定め、国家を守る基本を確立しようと思う。おまえたち、多くのあらゆる役人は手厚く、私(明治天皇)の意志を体して、広くこれを全国に説き聞かせなさい。 明治5年(壬申)11月28日  わが国古代の兵制では、国をあげて兵士とならなかったものはいなかった。有事の際は、天皇が元帥となり、青年壮年兵役に耐えられる者を募り、敵を征服すれば兵役を解き、帰郷すれば農工商人となった。もとより後世のように両刀を帯びて武士と称し、傍若無人で働かずに生活をし、甚だしい時には人を殺しても、お上が罪を問わないというようなことはなかった。  そもそも、神武天皇は珍彦を葛城の国造に任命し、以後軍団を設け衛士・防人の制度を始めて、神亀天平の時代に六府二鎮を設けて備えがなったのである。保元の乱・平治の乱以後、朝廷の軍規が緩み、軍事権は武士の手に落ち、国は封建制の時代となって、人は兵農分離とされた。さらに後世になって、朝廷の権威は失墜し、その弊害はあえていうべきものもなく甚だしいものとなった。  ところが、明治維新で諸藩が領土を朝廷に返還し、1871年(明治4)になって以前の郡県制に戻った。世襲で働かずに生活していた武士は、俸禄を減らし、刀剣を腰からはずすことを許し、士農工商の四民にようやく自由の権利を持たせようとしている。これは上下の身分差をなくし、人権を平等にしようとする方法で、とりもな...

日清修好条規 1871年09月13日

内容見直し点:口語訳中途 修好条規(口語訳、前文署名省略) 第一条 この条約締結のあとは、大日本国と大清国は弥和誼を敦うし、天地と共に窮まり無るべし。又両国に属したる邦土も、各礼を以て相待ち、すこしも侵越する事なく永久安全を得せしむべし。 第二条 両国好を通ぜし上は、必ず相関切す。若し他国より不公及び軽藐する事有る時、其知らせを為さば、何れも互に相助け、或は中に入り、程克く取扱い、友誼を敦くすべし。 第三条 両国の政事禁令各異なれば、其政事は己国自主の権に任すべし。彼此に於て何れも代謀干預して禁じたる事を、取り行わんと請い願う事を得ず。其禁令は互に相助け、各其商民に諭し、土人を誘惑し、聊違犯あるを許さず。 第四条 両国秉権大臣を差出し、其眷属随員を召具して京師に在留し、或は長く居留し、或は時々往来し、内地各処を通行する事を得べし。其入費は何れも自分より払うべし。其地面家宅を賃借して大臣等の公館と為し、並びに行李の往来及び飛脚を仕立書状を送る等の事は、何れも不都合がないように世話しなければならない。 第五条 両国の官位何れも定品有りといえども、職を授る事各同じからず。因彼此の職掌相当する者は、応接及び交通とも均く対待の礼を用ゆ。職卑き者と上官と相見るには客礼を行い、公務を辨ずるに付ては、職掌相当の官へ照会す。其上官へ転申し直達する事を得ず。又双方礼式の出会には、各官位の名帖を用う。凡両国より差出したる官員初て任所に到着せば、印証ある書付を出し見せ、仮冒なき様の防ぎをなすべし。 第六条 今後両国を往復する公文について、清国は漢文を用い、日本国は日本文を用いて漢訳文を副えることとする。あるいはただ漢文のみを用い、その記載に従うものとする。 (これ以下まだ) 第七条 両国好みを通ぜし上は、海岸の各港に於て彼此し共に場所を指定め、商民の往来貿易を許すべし。猶別に通商章程を立て、両国の商民に永遠遵守せしむべし。 第八条 両国の開港場には、彼此何れも理事官を差置き、自国商民の取締をなすべし。凡家財、産業、公事、訴訟に干係せし事件は、都て其裁判に帰し、何れも自国の律例を按して糾辨すべし。両国商民相互の訴訟には、何れも願書体を用う。理事官は先ず理解を加え、成丈け訴訟に及ばざる様にすべし。其儀能わざる時は、地方官に掛合い双方出会し公平に裁断すべし。尤盗賊欠落等の事件は、両国の地方官より...

下関条約 1895年04月17日

下関条約(口語訳、前文署名省略)  第一条 清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国であることを確認する。よって右独立自主を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼等は将来全くこれを廃止する。  第二条 清国は左記の土地の主権並びに当該地方にある城塞、兵器製造所及び官有物を永遠に日本国に割譲する。  一 左の境界内にある奉天省南部の地    鴨緑江口より該江を遡り、安平河口に至り該河口より鳳凰城海城営口にわたり遼河口に至る折線以南の地、併せて前記の各城市を包含する。そして遼河を以って界とするところは該河の中央を以って境界とすることとする。    遼東湾東岸及び黄海北岸にあって奉天省に属する諸島嶼  二 台湾全島及びその付属諸島嶼  三 澎湖列島、即ち英国「グリニッジ」東経百十九度から百二十度まで及び北緯二十三度から二十四度までの間にある諸島嶼  第三条 前条に掲載し付属地図に示すところの境界線は、本条約批准交換後直ちに日清両国より各二名以上の境界画定委員を任命し、実地について確定するところあるべきものとする。そしてもし本条約に掲記するところの境界にして地形上又は施政上の点につき完全にならない場合には、当該境界画定委員はこれを更正することに任ずる。  第四条 清国は軍費賠償金として、庫平銀2憶両を日本国に支払うべきことを約する。右金額は都合8回に分け、初回及び2回には毎回5千万両を支払う。そして初回の払込は本条約批准交換後6か月以内に、次回の払込は本条約批准交換後12か月以内において行う。残りの金額は6箇年賦に分け、その1次は本条約批准交換後2年以内に、2次は本条約批准交換後3年以内に、3次は本条約批准交換後4年以内に、4次は本条約批准交換後5年以内に、5次は本条約批准交換後6年以内に、6次は本条約批准交換後7年以内に支払う。また、初回払込期日より以後未だ払込を終了しない額に対しては、毎年5%の利子を支払うべきものとする。 但し、清国は何時でも当該賠償金の全額あるいはその一部を前もって一時に支払うことができる。本条約批准交換後3年以内に当該賠償金の総額を完済するときは、すべての利子を免除する。もし2年半若しくは更に短期の利子を払い込んだときは、これを元金に編入する。  第五条 日本国へ割譲された地方の住民にして、割譲された地方の外に住居したいと希望する者には自由にその所...